戦国澄心伝

RyuChoukan

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第一百七十七話 越前入雪・谷中死水

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 永禄十年、冬。

越前の雪は、近江よりも厚く、そして静かだった。人を叩き起こすような冷えではない。ゆっくりと、息を奪い、身体ごと埋めていく冷えだ。

一乗谷。朝倉家の居城。ここは「小京都」と呼ばれ、街路は整い、屋並みは端正で、道端の松でさえ乱れ枝一本残さぬほどに刈り込まれている。

柳澈涵は厚い綿入れをまとい、笠をかぶり、見慣れた薬箱を提げていた。白髪は薬草の染めで黒く落とされているが、その眼だけは雪の下の氷のように澄み、冷たい。

弥助が荷を背負って後に従う。雪を踏むたび、きゅっ、きゅっと乾いた音がした。

「先生」

弥助が白い息を吐く。「ここの雪は、きれいですね。泥はねも少ない」

「きれいすぎる」

柳澈涵は淡々と言った。「水が澄みすぎれば魚は棲めぬ。土が潔白すぎれば生気が死ぬ。この谷の者は雪を掃くのに忙しく、塀を直すことを忘れている」

武家屋敷の前を通る。稽古の気合は聞こえず、代わりに笛の調べと、蹴鞠が落ちる軽い音が流れてきた。華やかな直垂を着た武士が火鉢を囲み、語るのは隣国の一向一揆ではなく、京の最新の連歌の格律だった。

柳澈涵は足を止め、しばし耳を傾ける。

「いい音か?」

弥助に問う。

「いいですけど……」

弥助は頭をかいた。「聞いてると眠くなります」

「それが越前の病だ」

柳澈涵は言った。「京の調子を運べば、ここも洛陽になると信じている。だが実態は、錦を数枚浮かべただけの死水の淵だ」

歩を進め、安養寺という館舎の外に至る。流浪の将軍・足利義秋の仮寓である。

門前は寂れ、雪を掃く近侍が数人いるだけ。少し離れた朝倉義景の館邸の笙歌鼎沸と比べると、ここは忘れられた墓碑のようだった。

柳澈涵は袖から一封の書状を取り出した。封に名はない。ただ、かすかな花押が一つ――京を離れる前、細川藤孝が渡した紹介状の印。

「取り次げ」

柳澈涵は弥助に言う。「京で“心火”を診る澄原の医師が、義秋公の“鬱結”を拝見に参った、と」

弥助が駆け寄り、書状を差し出す。門番の武士は花押を見て顔色を変え、すぐに中へ消えた。

ほどなく、背の高い痩身の中年武士が現れる。洗い晒しの、それでも塵ひとつ付かぬ桔梗紋の羽織。髷は一筋も乱れず、長く抑え込んってきた眼差しが鋭くこちらを測る。

明智十兵衛光秀。

柳澈涵を見据え、火のような目で言った。

「澄原龍立か」

声は冷たい。「細川殿は書状にこう書いた。――おぬしは脈を“雷鳴”として聴ける男だ、と」

「拙者はただの旅医者」

柳澈涵は小さく一礼する。「越前の雪が重すぎて、貴人の心の脈まで折れはせぬかと案じました」

光秀はしばし沈黙し、身を引いて道を開けた。

「入れ。……この雪は、たしかに重い」
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