212 / 268
第二百一十四話 欠けた百人・道場の新人
しおりを挟む
五月中旬、柳澈涵の兵法道場。
供卓の灯は強くない. だが揺れず、光は芯がある。
位牌は整然と並び、木目は新しく、刻みは深い. 癒えかけの傷口のようだ。
三十八の名。
泣き声はない。
雷霆峨保が最前で跪く. 包帯が肩から腰へ巻かれ、結び目が固い。
背後に六十二. 全員の目が重くなっている. 雨に沈めた石のように。
柳澈涵は段上に立つ. 襟は白く、袖口も清い。
弔辞は言わない. 杯も上げさせない。
ただ位牌を見つめる. 長く、ひとつずつ、名を心に戻すように。
「欠けた分は、埋める」
声は高くない. だが硬い。
「次は、前より軽くはならぬ」
門外の足音が、昼から黄昏まで途切れなかった。
路地の入口が詰まり、炭売りの担ぎ手さえ遠回りした。
名刀を携える者、折れ槍を抱える者、手だけで来る者――拳の節が木のように太い。
柳澈涵は門口に立って止まった。
顔は見ない. 手と眼を見る。
手が綺麗な者. 繭の厚い者. 手の甲に古傷のある者. 握ると節が白くなる者。
理解を求めず、冷さだけが宿る眼。
彼は手を上げ、正面の位牌の列を指した。
「澄心軍団に入りたいか」
群衆が静まる. 冷水を浴びせられたように。
「まず、見ろ」
栄光も言わない. 武勲も言わない. 天下も言わない。
事実だけを、真っ直ぐに置く。
喉仏が動く者がいる。
一歩退く者がいる。
歯を食いしばり、前へ詰める者もいる。
雷霆峨保が道場の中央へ出た。
刀は持たない。
背筋は一本の鉄柱のように直い. 彼から滲むのは、侠気の凶ではない. 修羅場から持ち帰った“死の気”だ. 胸が詰まる。
「俺は手を出さねえ」
嗄れた声は、鉄を擦る砂のようだ。
「三尺以内に入って、それでも立っていられる奴だけ、残れ」
最初の一団は、見せるための軽さを足に残して歩いた。
二間で二人の顔色が変わる. 笑おうとして笑えない。
一間で膝が緩む。
一歩を押し出した者の手が、勝手に刀の柄へ伸びる. 救いの杖を探すみたいに。
雷霆峨保は、ただ見ている。
その眼が問う. ――お前は何で生き延びる?
最後に残ったのは四十。
互いを知らぬ四十の顔に、同じものがある. もう幻想がない。
柳澈涵は頷いた。
「列に入れ」
古参が出てきて、新人が誰かなど見ない。
防具を渡す者がいる. 紐はきつい。
肩を手の甲で叩く者がいる. これから盾になるものを叩くように。
来た者たちは悟る. ここは英雄を集める場所ではない。
ここが集めるのは――命の硬い兵だけだ。
供卓の灯は強くない. だが揺れず、光は芯がある。
位牌は整然と並び、木目は新しく、刻みは深い. 癒えかけの傷口のようだ。
三十八の名。
泣き声はない。
雷霆峨保が最前で跪く. 包帯が肩から腰へ巻かれ、結び目が固い。
背後に六十二. 全員の目が重くなっている. 雨に沈めた石のように。
柳澈涵は段上に立つ. 襟は白く、袖口も清い。
弔辞は言わない. 杯も上げさせない。
ただ位牌を見つめる. 長く、ひとつずつ、名を心に戻すように。
「欠けた分は、埋める」
声は高くない. だが硬い。
「次は、前より軽くはならぬ」
門外の足音が、昼から黄昏まで途切れなかった。
路地の入口が詰まり、炭売りの担ぎ手さえ遠回りした。
名刀を携える者、折れ槍を抱える者、手だけで来る者――拳の節が木のように太い。
柳澈涵は門口に立って止まった。
顔は見ない. 手と眼を見る。
手が綺麗な者. 繭の厚い者. 手の甲に古傷のある者. 握ると節が白くなる者。
理解を求めず、冷さだけが宿る眼。
彼は手を上げ、正面の位牌の列を指した。
「澄心軍団に入りたいか」
群衆が静まる. 冷水を浴びせられたように。
「まず、見ろ」
栄光も言わない. 武勲も言わない. 天下も言わない。
事実だけを、真っ直ぐに置く。
喉仏が動く者がいる。
一歩退く者がいる。
歯を食いしばり、前へ詰める者もいる。
雷霆峨保が道場の中央へ出た。
刀は持たない。
背筋は一本の鉄柱のように直い. 彼から滲むのは、侠気の凶ではない. 修羅場から持ち帰った“死の気”だ. 胸が詰まる。
「俺は手を出さねえ」
嗄れた声は、鉄を擦る砂のようだ。
「三尺以内に入って、それでも立っていられる奴だけ、残れ」
最初の一団は、見せるための軽さを足に残して歩いた。
二間で二人の顔色が変わる. 笑おうとして笑えない。
一間で膝が緩む。
一歩を押し出した者の手が、勝手に刀の柄へ伸びる. 救いの杖を探すみたいに。
雷霆峨保は、ただ見ている。
その眼が問う. ――お前は何で生き延びる?
最後に残ったのは四十。
互いを知らぬ四十の顔に、同じものがある. もう幻想がない。
柳澈涵は頷いた。
「列に入れ」
古参が出てきて、新人が誰かなど見ない。
防具を渡す者がいる. 紐はきつい。
肩を手の甲で叩く者がいる. これから盾になるものを叩くように。
来た者たちは悟る. ここは英雄を集める場所ではない。
ここが集めるのは――命の硬い兵だけだ。
0
あなたにおすすめの小説
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
強いられる賭け~脇坂安治軍記~
恩地玖
歴史・時代
浅井家の配下である脇坂家は、永禄11年に勃発した観音寺合戦に、織田・浅井連合軍の一隊として参戦する。この戦を何とか生き延びた安治は、浅井家を見限り、織田方につくことを決めた。そんな折、羽柴秀吉が人を集めているという話を聞きつけ、早速、秀吉の元に向かい、秀吉から温かく迎えられる。
こうして、秀吉の家臣となった安治は、幾多の困難を乗り越えて、ついには淡路三万石の大名にまで出世する。
しかし、秀吉亡き後、石田三成と徳川家康の対立が決定的となった。秀吉からの恩に報い、石田方につくか、秀吉子飼いの武将が従った徳川方につくか、安治は決断を迫られることになる。
不屈の葵
ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む!
これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。
幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。
本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。
家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。
今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。
家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。
笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。
戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。
愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目!
歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』
ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
マルチバース豊臣家の人々
かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月
後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。
ーーこんなはずちゃうやろ?
それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。
果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?
そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる