京都残形録 —— 中華道士・劉立澄の怪異食堂

RyuChoukan

文字の大きさ
14 / 109

第三話・錦市場・影を食べる少年(二)

しおりを挟む
「最近、その子に『おいしそう』って言われた人たち、その後どうなった?」

 二人はコロッケ屋台から少し離れ、市場の奥へと歩いていく。空気の中には、削り節の煙の匂い、醤油で煮込んだ惣菜の甘い匂い、氷で冷やされた魚のひんやりした湿気が入り混じっていた。

「最初は、変なこと言う子どもだなって思われてただけ。」

 綾女はスマホのメモをめくりながら言う。そこには何人かの店主の名前と場所が簡単に記されていた。「でもね、その子に『影がおいしそう』って言われた人が、何日かするとみんな、どこかおかしくなってきたの。」

 二人は京野菜の店の前で立ち止まる。店主は中年の女性で、大根の皮をむきながら客と世間話をしていた。綾女が声をかけると、彼女はすぐに笑顔で応じる――が、件の子どもの話になると、その笑みをすっと引っ込めた。

「この前、私も言われたのよ。」

 女将は声を落とした。「あの日、野菜を切るのに夢中でね。あの子がそばでしゃがんで、私の影を見ながらニヤニヤしてて……家に帰ってから、何もする気がしなくなっちゃったの。荷物がまだ残ってるのも、お客さんが待ってるのも分かってるのに、どうしても体が動かない。」

 彼女は自分の胸を、手で軽く叩いてみせる。

「ここに穴が空いたみたいで。やっとのことで眠っても、朝起きたときにはもっと疲れてるの。」

 似たような話が、乾物屋でも、魚屋でも、和菓子屋でも繰り返された。

 前はよく冗談を飛ばして客を笑わせていたのに、最近は世間話をする気力すら湧かなくなったとか。大好きだったはずの商売道具を見ても何の感情も起きず、目の前のショーケースいっぱいの食材を前に浮かぶのは、「もう店を畳んだほうがいいんじゃないか」という考えだけだとか。

「ぱっと見は、『軽い鬱が大流行』ってところだな。」

 劉立澄が、感想のように言った。

「京都版、『仕事燃え尽き症候群』。」

 綾女も冗談めかしたが、口元には笑みが浮かばなかった。

 二人はさきほどの空いたスペースに戻る。少年はまだ同じ場所にしゃがんでいた。

 今度は、劉立澄のほうから近づいていく。

「よう。」

 彼は少年と同じ目線になるように腰を落とし、「みんなの影を見てるのは、何をしてるんだ?」と問いかけた。

 少年は一瞬だけ彼を見上げ、すぐに視線をそらす。

「おじさんの影はおいしくない。」

 正直な声だった。「ちょっと苦い。」

 ちょうど近くにたこ焼き屋があった。鉄板の上では丸いたこ焼きがくるくる返され、表面がこんがりと焼けていく。ソースが刷毛で塗られると、甘じょっぱい匂いがふわっと広がった。

「たこ焼き一舟。タコ多めで。」

 劉立澄は店主にそう告げ、受け取った紙舟をそのまま少年に差し出した。

「ほら。」

 少年は一瞬きょとんとし、警戒するように彼を見てから、あらためて湯気の立つたこ焼きを見つめる。

「いらない。」

 口では拒否するが、目はソースの照りに釘付けだ。

「ひと口食べて。その代わり、きみの五分を買う。」

 劉立澄は淡々と言う。「さっき、『影はおいしい』って言ってただろう? どんな味なのか、聞かせてほしい。」

 たこ焼きは熱い。少年はふうふうと息を吹きかけ、そっと半分だけかじる。ソースが口の端についたが、拭うのも忘れている。

「影はね……」

 少年はもごもごと口を動かしながら言う。「甘い影もあるし、ちょっと辛い影もあるし、何の味もしない影もある。」

「きみは、どんなのが好きなんだ?」

 とつぜん投げかけられた問いは、脈絡がないようでいて、その芯を突いていた。

 少年は言葉をなくす。

 その質問を、これまで誰も彼にしたことがなかったのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

あやかし家族 〜五人の兄と愛され末妹〜

南 鈴紀
キャラ文芸
 妖狩りにより両親を奪われ、囚われの身となった半妖の少女・鈴音は浄化の狐火を利用するだけの道具のように扱われていた。呪いにより成長は止まり、容姿も思考も幼いまま、感情が消え失せてもなおただ生かされるままに生きていた。  しかし妖保護部隊本部第一部隊との出会いにより、鈴音の止まっていた時間が動き出す。  掴みどころはないが頼れる氏神・雅仁、兄には厳しいが弟妹には優しい狼の妖・千里、人間嫌いだが人当たりの良い振りが得意な人間・遥杜、可愛いもの好きで元気いっぱいの猫又・鴇羽、大人しいが思いやりに溢れる猫又・瑠璃。  五人の兄と過ごす時間の中で、無いものだらけだった鈴音にもやがて大切なものが増えていく。  妖×家族の心温まる和風ファンタジー。

後宮祓いの巫女は、鬼将軍に嫁ぐことになりました

由香
キャラ文芸
後宮で怪異を祓う下級巫女・紗月は、ある日突然、「鬼」と噂される将軍・玄耀の妻になれと命じられる。 それは愛のない政略結婚―― 人ならざる力を持つ将軍を、巫女の力で制御するための契約だった。 後宮の思惑に翻弄されながらも、二人は「契約」ではなく「選んだ縁」として、共に生きる道を選ぶ――。

金の羊亭へようこそ! 〝元〟聖女様の宿屋経営物語

紗々置 遼嘉
ファンタジー
アルシャインは真面目な聖女だった。 しかし、神聖力が枯渇して〝偽聖女〟と罵られて国を追い出された。 郊外に館を貰ったアルシャインは、護衛騎士を付けられた。  そして、そこが酒場兼宿屋だと分かると、復活させようと決意した。 そこには戦争孤児もいて、アルシャインはその子達を養うと決める。 アルシャインの食事処兼、宿屋経営の夢がどんどん形になっていく。 そして、孤児達の成長と日常、たまに恋愛がある物語である。

【完結】非モテアラサーですが、あやかしには溺愛されるようです

  *  ゆるゆ
キャラ文芸
疲れ果てた非モテアラサーが、あやかしたちに癒されて、甘やかされて、溺愛されるお話です。 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

灯台の猫と、嘘をつく少女(キャラ文芸短編集)

倉木元貴
キャラ文芸
灯台の猫と、嘘をつく少女  海沿いの町に住む高校生・澪は、灯台に住みつく白猫の声が聞こえる。  猫は澪の“嘘”を見抜き、彼女の心の奥にある後悔を揺さぶる存在だった。  転校生の遥斗が澪の秘密に気づき、二人は白猫の正体を探り始める。 しかし灯台の取り壊しが迫る中、白猫は突然姿を消す。  取り壊し前夜、白猫は澪に「最後の嘘をついてほしい」と告げる。  澪がその嘘を口にした瞬間、白猫は静かに消え、澪は初めて“本音”で未来と向き合う。 紅葉に消える恋  秋の山里で沙耶は、不思議な青年と出会う。彼は人懐っこく優しいが、どこか秘密を抱えている。交流を重ねるうちに心を通わせる二人。しかし秋祭りの夜、月明かりの下で青年の正体が露わになる。

火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~

秦朱音|はたあかね
キャラ文芸
王を中心に五家が支配する、綺羅ノ国。 五家に覡(かんなぎ)として仕える十六夜家の娘、久遠(くおん)は、幼い頃から男として育てられてきた。 都では陽を司る日紫喜家の王が崩御し、素行の悪さで有名な新王・燦(さん)が即位する。燦の后選びに戦々恐々とする五家だったが、燦は十六夜家の才である「夢見」を聞いて后を選ぶと言い始めた。そして、その夢見を行う覡に、燦は男装した久遠を指名する。 見習いの僕がこの国の后を選ぶなんて、荷が重すぎる――! 久遠の苦悩を知ってか知らずか、燦は強引に久遠を寝室に呼んで夢見を命じる。しかし、初めて出会ったはずの久遠と燦の夢には、とある共通点があって――? 謎に包まれた過去を持ち身分を隠す男装姫と、孤独な王の恋と因縁を描く、和風王宮ファンタジー。 ※カクヨムにも先行で投稿しています

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

処理中です...