京都残形録 —— 中華道士・劉立澄の怪異食堂

RyuChoukan

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第十八話 貴船神社・彼女を連れ帰りたい夜(三)

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          ふたたび夜の帳が貴船の参道に降りるころには、提灯はもう灯されていた。

  雨は一度止んだものの、石段はまだ濡れたままで、足を載せると、ごく小さな「ねばり」の音がする。目に見えない何かが、足首を掴んで引きとめようとしているかのように。

  貴船川は参道に沿って流れ、灯籠の光を映している。赤い光は水面で細かく切り分けられ、短く断たれた文のように連なっていた。

  劉立澄は、急がずに歩く。彼の歩調は一定で、呼吸を山の水音と同じ拍子に合わせているかのように見えた。澄心剣は背に負われ、他人の目には剣というより、少し変わった傘の柄のように映るだろう。龍牙は腰に沿うように収まっている。短く、重く、決して舞台から退かない釘のようだった。

  綾女は、その少し斜め後ろにつく。

  彼女は武器を持たない。だが、その存在そのものがひとつの灯りに似ていた。眩しさはないが、歩く道を完全な闇にしないだけの光。

  二人は、二段目の石段の曲がり角で立ち止まる。

  そこには匂いがあった。

  紙と革とインク――そこへ、かすかに檀の香りが混じる。悲しみの上に、礼儀という薄い膜を丁寧にかけたような匂い。

  「ここだ。」

  劉立澄が言う。

  一度だけ目を閉じ、再び開いたときには、視界の焦点が別の段階に切り替わっている。

  提灯の光は、もはやただの明かりではない。地の底へと伸びる細い線になり、その先で水脈と結びついている。石段の下を走る水脈は、青い筋のようにゆっくりと脈動していた。だが、その上には亀甲の結界がかけられており、脈動は無理やり抑え込まれ、遅く、抑制され、泣くことを許されない心臓のように震えているだけだ。

  その陣の中心にあるのは、符でも道具でもなかった。

  一人の人間だった。

  老人は石段の上に、昨夜と同じように整然と立っている。

  手には、あの金属の印を握っていた。印面は下を向き、今この場に判を落とそうとする役目を当然のものとして引き受けている。

  老人は彼らに気づいていたようだが、驚きはしない。

  視線はまず劉立澄をとらえる。未知の履歴書を一枚読むような目線。そのあとで綾女を見て、一拍だけ視線を止める。「会議の出席者リストにはない人物だ」と確認でもしたかのように。

  「思ったより早かったな。」

  老人が口を開く。声は静かだが、命令することに慣れた人間特有の澄み方をしている。

  劉立澄は、社交辞令を挟まない。

  「あなたの身にまとわりついている残形は、深すぎる。」

  「貴船の龍脈が保てない。」

  老人は小さく笑った。

  嘲笑ではない。それは、リスク説明を聞き終えた経営者が見せる、ごく標準的な反応に近かった。

  「保てなくても、保たせる。」

  「もう契約に判を押してしまったからな。」

  「契約」という二文字が口を出た瞬間、両側の影がわずかに動いた。

  風ではない。法律という形に整えられた悪意が、ゆっくりと息を吐き出している。

  綾女が半歩、前へ出る。

  「あなたは、彼女を生き返らせたいんですね。」

  老人の目に、ようやく一筋のひびが走る。

  それは、ごく短い時間だった。肩書きも役職も忘れ、ひとりの人間としての疲労と喪失感だけが覗いた、危うい瞬間。

  「彼女に、戻ってきてほしい。」

  彼は言う。

  「何事もなかったように『いなくなりました』とは、どうしても受け入れられない。」

  彼は顔を上げ、参道の一番奥の闇を指差した。

  「やつらは言った。京都の龍脈の力なら、足りると。」

  「貴船は水の神社、水は魂を運ぶ。京都中の龍脈の力をここに集めさえすれば、儀式が完遂しさえすれば――もう一度、彼女に会えると。」

  劉立澄は、まっすぐに老人を見る。声は少し低くなった。

  「彼らは、あなたに何を与えた。」

  老人はすぐには答えない。

  金属の印を握る指に、白く血が引く。力を込めすぎた手首が、小さく震えていた。

  「権限をくれた。」

  「力もくれた。」

  「私がかつてCEOだったことを高く評価した。組織を動かせることを。大勢を一本のラインに揃えられることを。」

  一拍置き、苦いものを噛み潰すように続ける。

  「私は『玄武使』として出向する契約を結んだ。」

  玄武――

  北、水、龟と蛇、守護と封印。

  その二文字が空気を震わせた途端、貴船川の水音はさらに重く鈍く沈む。

  劉立澄には、ようやく老人の残形の正体がはっきりと見えた。

  それは、彼の周囲を取り巻く群衆の影でもなければ、四方に広がる無貌の人壁でもなかった。

  老人自身の影から、伸び出しているものだった。

  彼の影は、常人のそれよりも明らかに厚みがある。

  影の背中には、巨大な帳簿が背負われていた。帳簿のページが一枚めくられるたびに、その行には新たな一文が書き込まれていく。

  どの行も、同じ一文の言い換えだった。

  「もしあのとき、私が――」

  「もし私に、あのとき――」

  「もし彼女を、あのとき――」

  それらの「もし」は蛇のように絡みつき、幾重にも結び目を作って、老人の胸を締め上げる。息をする隙間さえ残さない。

  そして帳簿のいちばん上には、ひとつの結婚指輪の影が乗っていた。

  それは光を持たない。だが、一本の釘のように、すべての「もし」を同じ夜――同じ瞬間に、打ち付けていた。

  綾女の声は、指輪を驚かせまいとするかのように、ささやきに近くなる。

  「あなたが望んでいるのは、彼女の復活じゃない。」

  「あなたの履歴書から、『失った』という事実を削除することです。」

  老人の顔から、一瞬にして血の気が引いた。

  鋭く抉られたような表情を見せたが、すぐに、さらに冷ややかな言葉を自分のまわりにまとわせていく。

  「ただ、彼女に戻ってきてほしいだけだ。」

  「それのどこが、間違いだ。」

  劉立澄は、澄心剣の柄に手をかける。

  「会いたいと願うことは、間違いじゃない。」

  「京都中の龍脈を、あなただけの儀式のために縛りつけることが、間違いだ。」

  老人は、一度だけ目を閉じる。

  再び開いたとき、その眼差しには「玄武使」としての冷たさしか残っていなかった。

  「ならば見せてもらおう。」

  「契約よりも強いものが、この世に本当に存在するのかどうか。」
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