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滅章
世界が滅する時(下)
しおりを挟む白目のガンプは紅の腹に軽く掌圧すると紅は弾き飛ばされ、シートに隠された木材に激突した。彼はその衝撃に悶絶し目を見開いて胃液を吐いた。
「弱いなエッジ」
ガンプは小さく笑う。
龍輝の表情は凍りつく、あんな軽い当て身で紅を吹き飛ばすなんて…いやそれ以前になぜこの男がこの世界に、龍輝の記憶が確かならばあの白目の男、レム オブ ワールドで戦った混沌の僕のひとり。
紅は咳き込みながら口元を拭うと、突進しガンプの血の気の薄い顔面に目掛けて飛び蹴りを食らわせた、そして棒立ちのまま倒れようとするガンプの細長い鼻っ柱を地面と挟んでパンチを叩き込んだ。
「くそやろうが!」
馬乗りになり、紅はガンプの顔に何度もパンチを叩き込む。いきなり現れてナメた真似しやがって…。完全にぶちキレた紅はガンプに容赦なくパンチを浴びせる。
様子を見ていた龍輝は別の意味で驚きを感じた。紅鋭児、やはりとんでもない奴だ。この世界の生身の体であそこまで混沌の僕に攻撃を食らわすなんて…
あれなら混沌の僕もたまったものじゃないだろう。龍輝は怖さと同時に安心感も感じた…が、その思いはいとも簡単に裏切られた。紅のパンチを片手で受け止めたガンプは軽々と紅をそのまま持ち上げ、空き缶を捨てるように放り投げた。積み重ねられた木材が、衝撃でバラけた。
「…非力、非力なりエッジ!」
ガンプがけたたましく笑う。
頭を覆っていたタオルが鮮血とともにずれ落ちる。紅は信じられない表情で目を見開き、座り込んだまま崩れた木材に背を預けている体を硬直させた。
…なんだこれは、オレは夢をみているのか?
レム オブ ワールドで戦っていたガンプのこの圧倒的なパワーに紅は現実を疑った。
「…効かないなエッジ」
あれだけのパンチを食らってガンプの顔はアザひとつ付いていない。
この世界に現れた混沌の僕に龍輝の背筋は凍りついた。
「…嘘だろ、なんだよこいつ…」
あれだけ紅の攻撃を食らって無傷だなんて…。
向き直り、ガンプは龍輝のそばに近づく。口元を歪め不敵に笑みをこぼした。
「お前はもっと弱そうだなリュウキ?」
ガンプの瞳のない白目がさらに龍輝の恐怖を掻き立てる。いつの間にか壁際まで追い込まれている、彼の全身は震えていた。
…リュウキ、リュウキだと?!ガンプの言葉を聞いて紅は我にかえった。夢の世界でニーシャを守っていた黄金の剣を持った戦士を思い出す。あの戦士の名はリュウキ…。
だが、今はそんなことを詮索している場合ではなかった。紅は上半身を動かし、ズボンの後ろポケットをもぞもぞ探った。意を決して彼は声を上げる。
「どけ!麻宮!!」
起き上がり紅は全体重を乗せてガンプに体当たりした。その瞬間、龍輝は弾かれガンプの横腹から黒い鮮血が飛び散った。紅の手にはバタフライナイフが握られていた。刃先から血が滴り落ち、荒く息を切らして紅はガンプを睨みつけた。
「ブッ殺してやる!」
ガンプは眉ひとつ表情を変えず、刺された傷口に触れて、手に付いた自分の黒い血を見る。紅のやった無駄な行為に嘲笑し、ガンプは掌圧で彼を撥ね飛ばした。
「…我を傷つけるとは、この世界にもなかなか"性能のいい武器"があるようだな」
紅の体は勢いよくブロック塀にぶつかった。先ほどの当て身とは比べものにならないぐらい強い力だ。
虚ろな目で紅は衝撃を受けた腹の部分を触った。ズキズキと内部の方から激痛が走る、あばら骨数本やられちまった、ナイフ1本でどうにかなる相手ではない、自分の相手が"まとも"じゃないことを紅は改めて知った。
ガンプは手に付いた黒い血を振り落とし、眦と口元を釣り上げる。剥き出しの殺気を漲らせ、手の甲から漆黒の刃を出現させた。
「遊びはこれまでだ。エッジ我が"友"よ貴様には最も残酷で凄惨な死を与えよう。お前の生皮を剥がし、寸刻みに肉を削り、貴様の臓俯をひとつずつ引きちぎってくれる、それが終わったら次はお前だリュウキ」
白目でガンプは怯えている龍輝を見た。
龍輝は何も出来なかった。抵抗してもこの男には恐らく何も通用しないだろう、力が違い過ぎる。紅に構っている間、逃げることも可能だったが、それは一時的ものに過ぎない。この男からは恐らく逃げられない…。それをすれば紅を見殺しにすることになる、いくら紅が気にいらない奴でも確実に殺される人間を見捨て逃げることは龍輝には出来なかった。
倒れている紅ににじりよるガンプ。舌を舐めずり手の甲から発する漆黒の刃をつき出す。
紅には抵抗する力は残されてはなかった。息絶え絶えにガンプを睨み、傷付いたあばら骨の折られた腹を押さえていた。くそったれが…!
紅が頭の中で毒づいた時。ガンプとの間に波状の光が迸った、放たれた光弾に、虚をつかれガンプは腕をクロスさせてそれ防ぐと間合いを計り、煙が上がる腕を見やり、現れた目の前の女に目を剥いた。
「ニーシャ…!」
涼子は動けない紅の前に立ち、表情を険しくさせ、手に絡みついている翡翠の宝石が埋め込まれた夢魔のペンダントの突き出していた。この世界の魔気は強い。コントロールが出来ない分、魔法の力を含んでいる夢魔のペンダントでのフォローが必要だった。とはいえそれは微力なものだ。今の彼女の力はレム オブ ワールド世界その時の力より半分にも満たないものだった。
「大丈夫ですかエッジ」
「お前は…」
紅は弱々しく声を出す。翠の瞳、そしてガンプの言った"ニーシャ"と言う名に彼は何かを悟ったように血で汚れていた瞼を閉じた。
「ニーシャ…そうか、やっぱりアンタあの夢に出てきたあの女なんだな」
「エッジ、再会を喜びたいところですが、状況は最悪なようですね」
「ち…あの野郎、まさかこの世界に現れるなんて、しかもまるで歯が立たね」
「あなた方の世界は高い知識と技術力を持っていますが、戦闘種族ではありません、夢見人という特殊な力はありますが、異次元世界においては力の弱い存在なのです。幼い子供が親に戦いを挑むようなもの、すべての世界において力を発揮する混沌の僕に歯が立たなくて当然なのです」
「異次元世界?夢見人?よくわからね、だが奴≪ガンプ≫の事はよく分かる、あいつはバケモン…だ」
紅は腹を押さえて呻く。攻撃された腹部は青く腫れあがっていた。内出血がひどい、肋骨が折れ、その骨が内臓を傷つけている。早く癒しの手で治療しなくては…。
涼子は夢魔のペンダントを絡めた右手に魔気を集中させ、傷ついている紅の腹を押さえた。淡い水色の光を滲ませ治療を試みるが傷の塞がりが遅い、使いづらいこの世界の魔気の影響か。
…涼子なぜここに?会話が届かない距離にいる龍輝のとなりに男が進み出た、厚手のマントを纏った若い男だ。
「ニーシャよ、エッジの御守りをしている余裕はあるのか?ここに貴様が現れたのは好都合、お前も死んで貰うぞ」
ガンプは闇の魔法弾をを放つ、龍輝のとなりに現れた男はどことなくマントに隠していた黒光りする刃の剣を抜き。魔法弾に向けて衝撃波のような剣閃を放った。魔法弾と剣閃は激突し、と同時に相殺された。
涼子と紅に気を取られていたガンプは現れた男に目を剥いた。
「ば、ばかな、貴様は!」
現れた若い男…年齢を超越しているため実年齢はわからない。ルース=ホルキンスは紅の治療をしている涼子の前に立ち、二人の命を護るようにガンプの行く手を阻んだ。
「…そいつの治療に専念しろ、奴の相手は私がする」
涼子は頷く。どうやら彼女はルースと共にこの場所に来たようだ。
「≪呪われし聖騎士≫…なぜ貴様がこの世界にいる」
「答える理由はあるか?」
無造作に近づきルースは真っ向から剣を振り落とした。ガンプは両手の甲から伸びる漆黒の刃で防ぎ、距離を取った。しかし、ルースの目はガンプを捉え、落ちつき払った表情ですぐに間合いを詰めた。
「ぬう…」
ルースの凪いだ剣がガンプの頭上を切る。切り返しに下から振り上げる混沌の僕の爪を彼は剣の根元で食い止めた。
「涼子…」
紅の治療をしている涼子のそば、龍輝がやってくる。紅のひと睨みに龍輝は一瞬怯んだが、傷の痛みでそれどころではない彼は目を閉じて、おとなしく涼子の治療を受けていた。
「うかつでした、混沌の僕とこんなに早く遭遇するなんて」
「あの人は?」
ガンプと切り結んでいるルースを見る。おそらくこの世界の人間ではない。圧倒的な力を持った混沌の僕と互角に戦っている。涼子は癒しの手で、紅の傷の治療をしながら、口を開いた。
「…彼は三狂士のひとり"呪"の称号を持つ者、ですが少なくともわたしたちの敵ではありません」
「三狂士って…!あの世界を滅ぼす力を持つと言われる、オリジント」
龍輝は絶句する。どうりで強いはずだ。龍輝は戦っているルースとガンプを見る。二人は互いに刃を打ち合わせ一進一退の攻防をしている。
涼子は冴えない表情で紅の腹部の傷に手を置き、回復の手を緩めず二人の戦い見ている、紅のケガは徐々に癒えていた。内出血で腫れていた肌はもとの血色に戻りつつあり、紅もようやく話が出来るほど回復した。
「おいタコすけ、てめえがあの夢に出てきたもう一人の戦士だったことはひとまず置きいといてやる。…三狂士とかオリジントだとかよくわからねえがよ…」
龍輝にひとつ鋭い視線を走らせ紅は上体を起こす、そして涼子の"癒し手"を受けながらガンプとルースの戦いに注視した。
…確かにあのバケモンと互角だ。だが紅は気にいらない様子で二人の争いを見た。
「世界を滅ぼす力とかなんとか言ってたな、だったら"あんなもん"じゃねんじゃねえのか?」
紅の声に涼子は小さく反応した。
「…気付いていましたか?」
「…オレはあの夢の世界であいつとはまた"別の"黒い剣を持った男の攻撃を受けてんだ、あいつ≪ルース≫の力がもし、"あの男"と同等の力を持つならあんなレベルではないはずだ」
紅はあの夢で自分に攻撃した漆黒の鎧を身に付けた男を思い出した。一撃で大地を粉砕する凄まじい力を持った男だった。あれが世界を滅ぼす三狂士とかいう本物の力なのだろう。ガンプと切り結んでいるルースは確かに強いかも知れない。だが、世界を滅ぼす力を持っているほどの強いとは思えなかった。
「どういう事?」
龍輝の声に涼子は答える。
「彼はおそらく自分の力を1/3も発揮していません、この世界の魔気の影響のためです。この世界の発する生命の力は個人では操ることが出来ないほど、強大です、それは魔法だけではなく身体能力においても影響を与えています」
人はそれを≪自然≫と呼ぶ、星が自然エネルギーをコントロールしているため、個人で魔力を引き出すのは難しい。魔気は自然エネルギーの一部、その力を借りて、"魔法"というものが完成するのだ。
「じゃなぜ、混沌の僕は自分の能力を自在に操り、魔気に影響は受けないんだ?」
「前にもお話したと思いますが、混沌の僕の力の源は人間の持つ"負の感情"なのです、それは自然とは掛け離れたもの、この世界に住んでいる人間すべてが善人という訳ではないでしょう、中には邪悪な心を持った者もいるはず、そうした邪な心を力の源としている混沌の僕には自然エネルギーとは無縁な存在なのです」
「…闇か」
紅は毒づく、見覚えのある感覚だ。人間には善の心があれば悪の心もある、かくいう自分も褒められた性格ではない。気にいらない事があれば暴言を吐き、ぶん殴る。善も悪も関係なく感情に身を任せ、動いてしまう。
ルースとガンプは刃を合わせ、お互いに距離を開けると、漆黒の爪を舐めずり、ガンプは甲高く笑い声を上げた。
「呪われた聖騎士、力において遥か我を越える存在だが、この世界では"そうでも"ないようだな」
肩で息をするルースは構えている剣を下げガンプを見つめる。無表情を装おっているが、内心は穏やかではなかった。
「貴様程度、"今の力だけ"でも充分に戦える」
剣を振り下ろすルースの剣をガンプは漆黒の爪で真っ正面から受け止める。力量を推し測ったガンプは不気味に口元を歪め、爪を押し立ててルースの剣を跳ね返した。
「世界を滅ぼす力を持つオリジント、三狂士。だが、今のお前の力は半分にも満たない脆弱なものだ、そんな力で古代魔術師の能力を持つ、混沌の僕に勝てると思うのか?」
「私は幾十年もの間、戦乱の中を戦い続けてきた、呪われた力がなくとも、その中で生き抜いた経験と技術がある」
「お前の事は知っている、セカンド大陸ファーレン王国の聖騎士ルース=ホルキンス、王国の至宝と謳われた英雄ホルス=ホルキンスの息子にして神の力が宿した姉セシル=ホルキンスの弟。戦乱の大陸を旅し、各地に平定をもたらした伝説の冒険者というもうひとつの顔を持つ、しかし、お前の人生は呪われたものだった、独立軍事国家ディスバーンとの戦いで父を失い母はお前が幼い頃行方不明となり、お前と共に旅をしていた姉と親友はディスバーン国皇子レオンハルトに殺された。行く先々に不幸が重なるお前には呪われし啓示があった、聖騎士になるために授与された聖剣、その剣は聖剣ではなく"魔剣"だったこと、呪われた剣を手にしたことでお前の人生は呪われしものになった」
ガンプの話を聞きながらルースは手に持った魔剣ソウルエクスの柄を握りこむ、ガンプの言う通り、この魔剣によってルースの人生は狂わされた。だが、その根底にあるのは…。
「神を名乗り、魔剣を聖剣と偽りその剣を"俺"に渡したのは貴様ら混沌の僕だろうが!」
ルースは感情あらわに怒声を上げた。
斬りかかるルースの剣を爪を絡めて受け止め、ガンプは不敵に乾いた唇を舌で舐めた。
「確かに、魔剣ソウルエクスをお前に渡したのは我が"同胞のドーガ"…だが、その後の呪われた歴史を作ったのはお前ではないのか?ルース=ホルキンス」
ガンプの全身から暗黒の霧状のオーラが立ちのぼり、爪を伝ってルースの体に纏わりついた。その瞬間、黒い炎が燃えあがった、焼け焦げる肉と熱さに彼は絶叫を上げた。
ルースの肉体はやがて灰を残して燃え尽きる。龍輝は呆然として灰となったルースを見た。世界を滅ぼすと言われる三狂士がこうも簡単に殺られるなんて…
…ざけんじゃねえ、なんだよこりゃ、涼子の癒し手で傷がふさがった紅は小刻みに体を震わせる。幾多の喧嘩の修羅場を潜った彼も目の前で人が燃え尽きるなんて初めて見た、これは現実なのか?
涼子は視線を落として悲しく瞼を閉じた。ルースあなたはやはり…。
灰となったルースの遺体を背に、ガンプは涼子たちに向き直る。邪魔者は消え去った今、次はお前たちの番だ。ガンプの眦と唇の端はつり上がり彼はレム オブ ワールドで見た異形の仮面と同じ形相でにじりよった。
「くそったれが!」
「だめよエッジ!」
傷が治り動き出そうとする紅を涼子は腕で阻んで、制止させた。龍輝は不安げに涼子を見る。
「涼子…」
「今のあなたたちでは彼に太刀打ち出来ない、この世界で今戦えるのはわたししかいません」
「だがよ…!」
「忘れたのエッジ、数分前、"アレ"と戦ってどんな目にあったか」
「ぐっ…」
紅は唇を噛み締める。奴にはまるで歯が立たなかった。
涼子は身構え、近づくガンプに備える、手に絡みつく夢魔のペンダントの翡翠は赤い光を帯びていた。立ち止まり、ガンプは表情を緩めた。
「健気なものだなニーシャよ、この世界はいずれ"滅び往く世界"にあるそんな世界に対してお前は自ら盾となり守ろうというのか?」
「そうさせない為にも、わたしはこの世界に現れたのです」
ガンプは龍輝、睨みつける紅を見、最後に臨戦態勢を整えている涼子を見る。ガンプは嘲笑し口を開いた。
「我は400百年後のこの世界を見てきた、400年後この世界はすべての生物が絶滅しAIというコンピューターが支配する世界になる」
「なんだって」
「テキトー言ってんじゃねぇ!」
龍輝に続き紅は吠えた。握り拳を作り、ガンプに敵意を見せる。攻撃が通じれば、コイツを殴り飛ばしたい。
ガンプは笑い、声を続ける。それは確信に満ちたものだった。
「デタラメではない。この世界は生けとし生けるもの種は絶え、やがて生物は絶滅する、環境の変化についていけないためだ…お前たちはこの世界で生きていながら気付かないのか?この数十年で世界が加速的に進歩し、環境の変わっていることに」
「…そ、それは」
龍輝の声は詰まる。否定出来ない、確かにここ数十年で世界の情勢は変わっている。科学が発達し、光ファイバーによるインターネットが普及し、世界中の情報が瞬時に分かる世界になっている、これは父や母の代から見れば考えられない進歩だ。でもそれが何がおかしいというのだ?便利になる、暮らしが良くなる、こんな有難いことはないはずだ。
「…何が言いたいの?」
涼子は鋭い視線でガンプを見る。ガンプは一笑付し白目で涼子を翠の瞳を見つめ返した。
「この世界は異常だ、文明の発達が早過ぎる、技術の開拓が早過ぎるため、星のエネルギーがついていけていない。お前にも感じているはずだ、魔気が乱れ気候がおかしくなっていることに…」
「……」
「この世界の人間は強欲だ。自己中心的で、手に入れることに執着的で、何もかも自分の思うがままにしようと、躍起になっている、自分たちが自然界の中で最も"弱い存在"だということを自覚せずだ」
「混沌の僕とは思えない言葉ですね、自然界から最も縁遠いあなたが、自然を語るなんて」
「この世界の人間は特に弱い、肉体的にも精神的にも、だがそのことを自覚せず、この世界の人間は自分は最も"偉大な存在だと"勘違いしている、その驕りがやがて世界の破滅をもたらす」
「そんなことはない、確かにお前の言う通りこの世界には身勝手で、己の利益にしか興味もない人間もいるかも知れない、だがすべての人間はそうではない、中には自分の人生をかけて社会に奉仕し、その生涯を終える人間もいる」
龍輝は反論する。ガンプは冷ややかな視線を向けせせら笑った。
「笑わせてくれる、それは所詮、人の為ではなく"自分の為"だ、他人に尽くすことで己の価値を見いだそうする自己満足に過ぎない、その行為は他人ではなく自分を救うためだ」
「知ったような口を…例えそうだとしてもそれのどこがいけない…!」
ガンプは眦をつり上げ、龍輝を睨む。ごつごつした指で鈎手を作り拳を握った。
「生けとし生けるもの本質は"生"か"死"かだ、弱き者は滅し強き者が残るそれが自然界の法則であり真理なのだ。強き者は弱き者を食らい、強き者はそのさらなる強者に喰われる、そうやって生命は紡ぎ出されるものだ、それは小手先の小細工でどうにかなるものではない、すべては素の力であり個の力なのだ。お前たちの世界が滅亡する発端は、己が脆弱な存在であることにも関わらず小手先の才能や技術ですべてを…自然をも支配しようとした、結果、自分たちが生み出したAIによって滅びの道を辿ることになる」
「あなたたち古代魔術士もそうではありませんか?古代魔術士は時をも支配しようとしたため神々の粛清を受けた…己の力量をわきまえず禁断の秘術に手を出したからあなたたちは滅亡したのではないのですか」
涼子は言った。ガンプはその言葉に笑った。
「ニーシャよ、我々は時を支配しようとしたのではない、"支配していた"のだ神々はその力を恐れ、粛清したのだ。自ら生み出したAIをコントロール出来なくなった未来の、この世界の人間とは違う、我々はそれだけの力を持ち能力もあるのだ」
ガンプは胸襟を開き両手を掲げると 全身から陽炎のような黒いオーラを弾き出した。放たれた光は天を突き超音波を発して暗雲を呼び寄せる。涼子はすかさず光弾を飛ばして止めようとするが、光弾は跳ね返され、ガンプは呪文を念じながら怪しげな術に神経を集中させた。
「光弾が効かない…!」
「ニーシャよこの世界のお前の力では我は止められない、見せてやろう古代魔術士が生み出した"時の秘術"を…」
「…!」
龍輝のポケットに入っていたスマホがバイブレートする、緊急ニュース速報が流れる。"世界各地で異常気象、巨大な竜巻や落雷が発生し、多大な被害を受けている模様"また別のニュースが流れてくる。"北半球で急激な気圧の変化を観測。気象庁は現在調査中"、"南半球赤道直下付近で火山が同時噴火、政府は各地に起きている異常気象との関連性がないか調べ各国首脳に緊急電話会談を開く"スマホの画面に所々ノイズが走る。時計の表示が異常を示している1025時365分何だこれは?時計の数字は安定せず1になったり10になったり100単位なったり不規則に表示される。やがて画面いっぱいにノイズが走り通信エラーとなった。これは…!
「がぁぁ…!」
悲鳴をあげ紅は耳を押さえた。ひどい耳鳴りがする。脳を圧迫するような頭痛が走り、彼その場にしゃがみ込む。異変は龍輝の周囲にも起きていた。空が暗くなり、一迅の突風が吹き抜けた。龍輝は露出している腕を思わず押さえた。肌がチクチクする、寒い。こんなはずは、今は真夏のはずだ。だけどこれは…急激な体温の低下に体が硬直する、龍輝の感じるこの感覚、これは真冬の寒さだ。
「…なにを、何をしたのガンプ!」
涼子は声を上げる。
「時間軸をずらしこの世界に≪次元の嵐≫を発生させたのだ、この世界はまもなく滅ぶ」
「何ですって!」
「…そ、そんなばかな…」
「……」
耳を押さえて、紅はガンプを睨む。寒さで手の感覚がない。遠くで雷鳴の音が響いているそれもひとつやふたつではない、幾十もの音だ。緊急車両のサイレン、車のクラッシュ音がひっきりなしで聞こえてくる。街では交通網が混乱しているようだ。
… この世界はまもなく滅ぶ。涼子の背筋に戦慄が走る。と同時に新たな疑問が湧いた、なぜ一介の混沌の僕にこれだけ力がある。時の秘術を精通している古代魔術師とはいえ、力がありすぎる。ガンプは涼子の思いを見透かしたように言葉を発した。
「ニーシャよ、お前はこう思っていよう、なぜひとりの混沌の僕が"これだけの力"を持っているのか、それはこの次元の嵐はこの世界の人間が生み出した"未来のAI"も関与しているからだ」
「未来のAI」
「この世界の人間は脆弱で愚かだが、技術力に関していえば素晴らしいものがある、自らの手で制御出来ないコンピューターを創り出したのだからな…この時代のAIは生まれたてでまだ自立は出来ないが、時代を追うごとに進化し、やがてAI自らの意思で活動するようになり世界を支配する。当然であろう、人間より"自分たち"の方が優れているのだから」
「AIが意思を持つ…」
「それが数百年にも及ぶこの世界の滅亡のシナリオ。だがAIはお前たちが滅んだ後も進化する、量子学理論を解析し、お前たち人間が何世紀にも解けなかった時空間の謎をも解き明かす、この次元の嵐は未来のAIが科学力を使って時の壁を破り、空間の歪みを発生させて作り出したものだ、それと我が会得した時の秘術を併用させればこれだけの破壊力を生み出すことが出来る」
「ばかな!なぜ未来のAIがこの時代に関与する、四百年以上の過去に対して何の意味がある」
「意味などない。彼らは兵器だからな、"目的地をこの時代に設定"すれば彼らはこれぐらいの芸当は出来る」
「まさか…お前は時空間を飛んでAIを!」
「彼らは意思のあるコンピューターと言えども所詮は機械だ、想定外の事、世界に存在しえない事に関しては無知に等しい、科学と魔法は相反するものだからな…」
ガンプは笑う。
「…何のためにお前はこの世界を滅ぼす、お前たちの標的はオレたちじゃないのか!」
寒さで凍える唇を精一杯開いて、龍輝は叫ぶ。不穏な風が吹き抜ける中、ガンプは声を返した。
「我の目的は"夢見人"全員の抹殺だ。レム オブ ワールドに干渉する可能性があるもの、我ら混沌の僕の邪魔をする力を秘めた夢見人はすべて殺す、そう、この世界の人間全てだ、夢見人の星は我らにとって障害でしかない、ゆえに一人残らず殺す必要がある」
「勝手な言い分を…!」
「どちらにしろ、お前たちは滅びの道を辿る事になるのだ、それが少し早まっただけの話し」
「ガンプ…お前は!」
涼子は厳しい視線を投げかける。
いくら滅びの未来があるとはいえ、この世界には何も知らない、罪なき人々が生きている、今の時代を滅ぼす道理は無い。
…惑わされるな…
どことなく、声が聞こえる。鏡面に反射するように響き、その場所に再び声が聞こえた。
… 惑わされるな、お前たちは知っているはずだ、今、滅びの未来が決まっているとしてもその未来は変えられる事を、未来とはひとつの可能性であり、その可能性は無限に分岐する事を…。
ガンプの背後につむじ風が吹き、灰となっていたルースを巻き込んだ。黒煤となっていたルースの体は足元から胴体、肩から頭へ再生し、ルースは目を閉じたまま黒光りする魔剣ソウルエクスをだらりと手に落として構えている。
ルースはゆっくりと息を吐き出し、全身に熱気を巡らせ、硝煙の煙のごとく湯気を立ちのぼらせた。
その様相にガンプは歯ぎしりをする。世界が代わり、身体力が弱体化しても、呪われた聖騎士の不老不死の能力は健在か…。
龍輝と紅は信じられない光景を目の当たりにし、一瞬寒さを忘れて、唖然とした。涼子は沈黙し、全てを悟ったかのように蘇ったルースを見た。
「忌々しい能力よ、呪われた聖騎士」
「…その通りだ。この呪いのおかげで、私は死することが出来ない、この世界でお前を倒しても無駄なようにお前もこの私を倒すことはできん」
ガンプは両手を開き、黒い炎を回転させる。ルースは目を閉ざしたまま、目の前に対峙するガンプの気配を窺った。
「この黒い炎には"時の呪縛"をかけてある、命を絶つことは出来なくとも、"殺す"ことは出来る。貴様には≪死の縛り≫くれてやろう」
ガンプは黒い炎を放つと、ふたつの炎は螺旋を描き、巨大な球体となってひと塊となった。ルースは身動じせず、迫りくる炎に剣を構えた。
…死の縛り、時間を歪ませ永続的な死の瞬間をリピートさせる呪い呪法、それを食らえばいかに不老不死の能力を持つルースとてひとたまりもない。悪いが…
ルースは目を見開いた。瞳は真っ赤に染まり魔剣ソウルエクスを振り下ろす。閃光が迸り黒く燃え上がる炎をかき消し、貫通した剣閃がガンプの肉体を粉々に砕いた。
「ああっ!」
「倒した…いや」
座っている龍輝、紅に挟まれて間に立っている涼子は表情を変えず寒風吹きすさぶ風に煽られ、束ねていた長い黒髪がほろりと零れ落ちた。
粉々になったガンプの体は塵のように空中を漂い、肉片は灰となってレム オブ ワールドで見た異形の仮面を象って姿を変えた。
「今ノハ三狂士ノ力、ナゼダ?オマエノ力ハコノ世界デハハンゲンシテイルハズ、ナゼソノ力ガ発動デキル?」
ガンプのくぐもった声にルースは答える。
「…確かに、この世界では私の力は半分以下となっている、だが私の身中には呪われた力が宿っている"1度死"に"蘇った瞬間"、短時間だけ三狂士の力は元の解放された状態になってると確信していた、澄んだ水に黒インクを注いでもすぐには色が染まらないように、蘇った僅かの時間だけはこの世界の魔気の影響は受けないと…」
ルースの肩から伸びる熱気を帯びた湯気は終息する、瞳も色も普通の黒に戻り剣も鞘に収める。異形の仮面となったガンプは唸り声を上げ、低い声色が周囲に轟いた。
「ヌカッタハ、ダガモウ遅イ、コノ世界ハ滅ビノ時ヲ向カエル、ソシテ我ハ肉体ハ砕カレテモ魂ガ残ルタメ再ビ転生シテ蘇ルコトガデキル、人ニ邪心アル限リ我ハ何度デモ復活スル、ソノ時ヲ楽シミニシテイルゾ、モウ無駄ダロウガナ…」
おどろおどろげに笑い、異形の仮面は消えて行く。ガンプが消えても次元の嵐は止まらない、世界の崩壊は近づいていた。強風が吹き荒れ、雷鳴が近くで響きわたっている。昼か夜だかわからないぐらい、空は混沌とし、地獄に誘うような風の音が空間を切り裂いていた。
「くそが…!」
「もう…どうにもならないのか…」
紅と龍輝は絶望して両膝をつく。ガンプが消えても次元の嵐は止まらない。涼子は翠の瞳でルースの目を見つめ、呼応してルースはゆっくり歩き出した。
「…ルース」
「…どうやら、最悪な事態が起きてしまった。この世界はまもなく滅ぶ」
その声に紅は立ち上がり、彼はいきり立ってルースに組み掛かった。
「…世界が滅ぶだと、ふざけんじゃねえ!さやかはどうなるんだ!」
怒っても仕方ない事はわかっている。だが紅は怒りの声を上げずにはいられない。ルースは紅の腹にパンチを浴びせ、彼はその衝撃に気を失った。ルースは紅の体を肩に担いだ。
「この男には転生する"器"がない、神々の粛清により同じ魂を持つ、エッジ=スクアートが消滅したからだ。私はディアから付加された力で、自分ひとり異世界移動が出来る、この男ひとりぐらいなら担いでいけば移動は可能であろう」
ルースは指先でルーン≪印綬≫の文字を描くと空間に人ひとり入れるひし形の虚空の孔を開けた。
「…待って下さい!あなたは、わたしの宿縁に当たる御方ですね」
涼子の声にルースは足を止める。紅を担いだまま、彼女の方へ小さく目を向けた。
「…何かを思い出したか?」
「事細かくは思い出せません。ですが、わたしはあなたと会った事があります。違う世界の遠い国で、とても縁深き人だと、そしてあなたはわたしが何者なのか知っている、最後に教えて下さい、わたしは誰なのかを…」
ルースは目を閉じ、しばらく無言を保つと虚空に歩を進め、やがて口を開いた。
「…君には"二つ名"があるファーレーン王国のとある小さな村に住む村娘≪パメラ=ミスト≫そして、もうひとつの名は…」
轟音と共に雷鳴が光る。滅亡の時が近づく世界でルースは続けて答えを出した。
「≪月神ルナムーン≫」
涼子は雷が打たれたかのような衝撃が走った。わたしが、神…。
そばにいる龍輝もルースの告白に愕然とした。涼子が神…。
確かに涼子は普通の人間とは違っている。オリジントと呼ばれるこの世にふたりといない特殊な人種であり、夢の世界レム オブ ワールドの監視者でドリームプリンセスの名を冠する女王。異次元間からこの世界にやって来た行動からして、涼子は神に近し存在かも知れない。…月神ルナムーン。でもなぜだ?なぜ、涼子…いや、ニーシャはレム オブ ワールドの監視者なのだ?龍輝の神のイメージは天から地上を見下ろす決して人間とは相容れない、雲の上の存在だ。その神がなぜ、人との関わり合いが出来るのだ。…それにもうひとつの名パメラ=ミストとは…?
「この世界はもうあまり時間がない。君が"この後どう動くか"は判断を委ねるが、君があの≪パメラ≫ならおよその予想はつく…」
…そう、あの時と同じように…。ルースは目を閉じ≪神戦≫が始まるセカンド大陸の最期の決戦前を思い出す。その時、ルースは彼女が月神ルナムーンであったことを知った。その日を境にセカンド大陸でルースは彼女と出会うことはなかった。ルースの世界が神の粛清を受ける1ヶ月前のことであった。因果なものだった、状況はあの時と似ている。滅びゆく世界でパメラ=ミストと再会し、今また別れの時を迎えようとしている。彼女の記憶がまだ不安定だったのがせめての救いであった。
「…またあなたとは会えますね?」
涼子は虚空へ進むルースを見る。
「おそらくは…今度は滅びの時でないことを祈るがな…」
孔に吸い込まれルースは紅を連れて去ってゆく。
雷雲蠢く空は 今にも雨が降りそうであった。辺りは暗く、風と雷の音響が耳障りに唸りを上げている。滅びの時は近づいていた。太陽は影を落とし世界は闇に包まれかけていた。
ガンプは消え、紅鋭児はルース=ホルキンスに連れられて、別世界へと移動した。今、この場に残っているのは龍輝と涼子の二人だけとなった。
「世界は本当に滅ぶのか?」
龍輝は覚めない悪夢を見ているようだった。これは本当に現実なのだろうか?自分はついこの間まで、何気ない普通の高校生活を送っていたはずだ。アキヒロとバカを言い合い、ヨシノリとはゲームの話しで盛りあがり、シンジをみんなでいじったりしながら、学校へ行っては楽しい日常生活を送っていたはずだ。そんないきなり世界が滅ぶなんて…。龍輝には考えられなかった。現実を直視出来なかった。真夏の季節は冬のように寒くなり、太陽が闇に閉ざされ、今滅びの時を迎えようとしている。嘘だ、こんなの…!龍輝は目の前の現実を信じられない。両膝をついている龍輝は拳を握り込む。突き刺す冷たさで手の感触がまるでなかった。
龍輝が座り込んで項垂れている中、涼子は立ったまま闇に溶ける空を見上げ、決意を固めて口を開いた。
「この世界はまもなく滅びの時を迎えます。ですが、私はあなたを"助けます"」
「…なんだよそれ、助けるって…世界が滅びるって言うのに…何を言ってんだよ」
龍輝の声は掠れる。涼子は背筋を伸ばし凛とした目で前を見据えながら、声を続けた。
「あなたは混沌の僕を倒す可能性のある唯一の夢見人です。そのあなたをここで死なせる訳にはいけません」
「そんなの勝手だよ、オレはどこにでもいる普通の高校生でたまたまレム オブ ワールドの夢を見ただけで、オレにあんな化物を倒す力なんてないよ」
「…リュウキ、レム オブ ワールドで見た夢はたまたまではありません、確かに姿形は違えどもあれは紛れもなくあなたです。わたしは以前言いました、あの場所は≪宿縁≫が集う場所、あなたがレム オブ ワールドに現れたのは偶然ではなく必然だったのです」
「…そんなこと」
言われても実感はない。この数日不思議なことが連続で、今また世界が滅びようとしている。こんなこと理解出来るはずがない。
「…聞いてくださいリュウキ、夢見人というのは別世界ではほとんど存在しないのです、それを考えるとあなたの世界は稀有な存在だった、住民全員が夢見人であり、その中でレム オブ ワールドに導かれたあなた、紅鋭児、世良瑞希は特に強い力を持っている、それは混沌の僕を倒す力持っているゆえにあの場に召還されたのです。宿縁はあなたとわたしだけではない。混沌の僕ともあなたは宿縁にあたるのです」
「……」
「そして、混沌の僕の魂を滅することが出来る場所はレム オブ ワールドしかないのです、あなたがこの世界と共に死に、また別の世界で転生しても宿縁である以上、また彼ら≪混沌の僕≫と遭遇します、その時のあなたは夢見人ではないかも知れない、そうなればあなたは混沌の僕に殺されるだけの存在、彼らとの宿縁を断つには彼らを倒すしかないのです…もしかしたらあなたは過去生で何度か混沌の僕と戦ったことがあるのかも知れない、だが今、彼らが存在しているところを見ると、敗北…あるいは肉体は殺しても夢見人でなかったため魂まで消滅させることまで出来なかったのでしょう。今、あなたは夢見人という力を持ち、混沌の僕を倒す力を秘めている、その可能性のあるあなたを死なせるわけにはいかないのです」
「君が言うようにオレが助かったとしても、この世界で生きている人達はどうなるんだ!シンジやアキヒロ、ヨシノリ、父さんや母さん、この世界で生活している世界中の人々は…」
涼子は悲しそうに視線を落とし、やがて顔を上げ、意思の通った強い眼差しで、龍輝を見た。
「残念ながら、今のわたしにはすべての人々は助ける力はありません。わたしに出来る事はレム オブ ワールドで選ばれた混沌の僕を倒せる夢見人であるあなたの魂を救うことだけ…ごめんなさい、わたしにはそれしか出来なかい」
もし、ルースが言ったように神の力があればこの世界を救うことは可能だったかも知れない。だが、今の涼子にはそんな力はない。もとより記憶も曖昧で本当に自分が神なのかその疑いも拭い切れない。
龍輝はやりきれない思いに体を震わせた。自分だけが助かって、他の人々が犠牲になるなんて…。何でオレが選ばれし者なんだ、闘争心旺盛な紅や、秀才の世良はともかく、自分なんて中の下のただのゲーム好きの高校生だ。
同じ土壌でレム オブ ワールドに選ばれた紅は三狂士のルースにいずこどこかへ連れされた、この世界には恐らくもういない、世良は…。
「この場に居ない世良はどうなるんだ!彼女も選ばれた夢見人だろ!」
「…確かに彼女も混沌の僕を倒せる可能性のある選ばれた夢見人、出来れば彼女も助けたいと思います…ですが…難しいかも知れません」
世良瑞希がいる場所とは離れている。出来る限りのことはするつもりだが、確実に彼女の魂まで救える保証はなかった。一刻の猶予もないこの状況に置いて、距離がありすぎる。彼女の魔道の力は惜しいが、場合によっては見捨てざるに得なかった。
「…世良、そんな…」
自分が初めて好意を持った異性がこんな結末で終わるなんて、龍輝は歯がゆさを感じた。こんなことならいっそのこと、自分もこの世界と運命を共にして人生を終わりにしたい。
「…涼子、オレは…!」
今にも涙が溢れそうな龍輝の頬を涼子は優しく、両手で挟み込んだ。
「…ごめんなさいリュウキ、わたしがこの世界に来たためにこんなことになって…」
涼子は自分の唇に龍輝の唇を合わせた。彼女の脳裏にひとつの記憶が蘇る。過去に別世界でこの行為をした。セカンド大陸でパメラ=ミストとして、ルースとの最後の別れ際に交わした接吻だ。その後、大陸で≪神戦≫が始まり、ルースとパメラが住んでいた世界は消滅した。ルース=ホルキンスはパメラ=ミストが愛した宿縁の恋人、そうルースは涼子にとってた大切な男性だったのだ。
突然の接吻に彼の瞳孔は開いた。つぎの瞬間
龍輝は白目を剥き、糸の切れたたこのように、体勢が崩れた。涼子は冷たくなった龍輝を寝かせ、プラズマが迸る割れる空間の天≪そら≫を睨み付けた。
「…リュウキ、わたしは絶対にあなたを死なせません」
仰向けでこの世界で"息絶えた麻宮龍輝"の骸を見、涼子は魔気を全身に駆け巡らせながら自分の首に掛かる夢魔のペンダントの鎖を引きちぎった。
…愛しきルース、あなたにもきっとどこかで逢えますね…
涼子は引きちぎった夢魔のペンダントの宝石を握り、少ない魔気を集中させると、翡翠石は粉々に砕け散った。
破片が彼女の周囲に流れ、その力に呼応して涼子の押さえ込まれていた魔力が解放された。
…ルースあなたが言っていた、わたしにしか出来ない使命、今、ここで果たします
涼子の黒髪は銀色く染まる。足元から魔気の渦が伸び、涼子は光りに包まれて、壊れゆく天に向かって飛んだ。今、涼子の中には麻宮龍輝の魂と共にある。この魂と共に天へ…
光が閉ざされつつある闇の中、瑞希は紅の妹さやかに寄り添いながら、異変が起きてる世界の変化に震えていた。
…何が、何が起きているの…
寒さと恐怖で瑞希はさやかを抱きしめる。さやかは体を震わせながら、瑞希にしがみついていた。
「…寒い、瑞希センパイ…」
さやかは涙で頬を濡らし瞼を閉じる。
瑞希はさやかを揺するが目を覚まさない。この寒さの中、眠ってしまったら…
「さやかちゃん、嘘でしょう…さやかちゃん!」
真夏から真冬の寒さに変貌、スマホの通信も止まり、電気も止まった。この異変が起きてから、車のクラック音が鳴り響いていたが今はもうその気配もない。時折、響く雷鳴と不気味に鳴く風なりの音、吹きあたる突風は今にも窓ガラスを叩き割りそうな勢いを見せていた。
この感じ、涼子≪ニーシャ≫と麻宮君が関係しているのでは…。寒い、寒いよ…
瑞希の意識も薄れゆく、窓に水滴が当たる音が聞こえてきた。彼女はふらつきながら、窓の外を見た。真っ暗で何も見えない。雷光の光に乗じて黒い水滴がガラスを当てていた。
「…黒い雨?」
突然、天を裂く光が外に広がった。その輝きに瑞希の目が眩む。微かに開いた瑞希の目には長い髪を靡かせて涼子の姿を象った光が映し出された。夢?幻?光輝く涼子は瑞希を見、悲しい瞳で微笑みかけ、その瞬間、閃光が迸った。
次元は揺らぎ、天地は裂け、破壊の衝撃波が世界全体を覆った。星の破片が宇宙に浮遊し、そこには何も無い虚無の空間だけが残った。
…この日、ひとつの世界が滅亡した…
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