混沌の宿縁

名もなき哲学者

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滅章

世界が滅す時(上)

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 …涼子の奴、どうしたんだろ?コンクリート造りの三階建て集合住宅の前で龍輝と瑞希は、涼子が来るのを待っていた。二人はすでに目的地である紅の住むアパートに到着していた。後で必ず追い掛けてくると言う涼子の言葉を信じて待っているのだが、涼子は一向に姿を現さない。涼子が離れる時、彼女はただ事ではない表情で龍輝たちに先に行くよう促した。彼女にしか感じられない気配があったのだろう。到着して、かれほど10分は経過している。龍輝は涼子から預かった白いショルダーバックの腹を握りながら、口を真一文字に引き結んで表情を固くさせた。


「遅いね涼子…」


 日差しを避け、建物の影にいる瑞希は麦わら帽子のつばの位置を気にして指先で触れた。


「何かあったのかな、スマホの連絡も繋がらないし…」


 龍輝は涼子にLINEのメッセージを送るが返事は返ってこない。龍輝はスマホを畳み、ポケットにしまいこんだ。


「わたしたちだけで、紅君のとこへ行こうか?」
「え、オレたちだけで、もう少し涼子を待ってた方がいいんじゃ…」


 龍輝は穏やかではない胸中の高鳴りを感じた。涼子がいるならまだ覚悟を決めれるが、世良と二人だけで紅を訪ねるのは、ここに来て紅に会いたくない龍輝の臆病風が吹いた。


「外は暑いわ、このままじゃ熱中症になっちゃうよ」


 強い日差しがアスファルトを照り返していた。確かに暑い、今、気温は30℃を超えているだろう。だとしても、龍輝は涼子が来るまで我慢する方がいい。瑞希はしゃがみこんで龍輝を見た。その視線は紅君の家へ行こうよと言いたげだ。
 龍輝は半袖シャツにへばりつく汗を感じながら、涼子が追って来るのを辛抱強く待つ、だが、涼子は一向に姿を現さない。


「麻宮君、まだ紅君のことを気にしているの?」


 図星を差されて龍輝は声を返せない。瑞希は立ち上がり、スカートの裾の皺を気にしたあと声を続けた。


「大丈夫よ、紅君って妹のさやかちゃんにも弱いのよ、さやかちゃんの前では下手なことは出来ないわ」
「…だけど涼子が」
「涼子には先に紅君の家にいることをLINEで伝えとくから。どのアパートでどこの何番の部屋かメッセージ入れるわ、わたしたちは紅君の家にいこ」


 ため息混じりに、龍輝は息を吐いた。いよいよ紅とご対面か…
 龍輝は遅めの歩調で瑞希の後に続いて階段を昇る。
 土や埃の染み付いた年季の入ったコンクリート造り、築10年以上は経過しているアパートだ。紅が暮らしている部屋はそよ風の75番と銘が入った2階の角部屋であった。少し白い塗装が剥がれて色褪せているが、比較的綺麗な外壁だ。丁度肩の辺りまでコンクリート壁の仕切りが入り、外を眺望出来る吹きさらしの通路になっている。紅が住んでいる角部屋につくと瑞希はドア橫に設置してあるインターホンを押した…が、声は返ってこない、数秒後再び瑞希はボタンを押した。中からフローリングを踏みしめる足音が聞こえ。若い女性の声がインターホンのスピーカー越しから聞こえて来た。


「は~い誰ですか?」
「こんにちは世良です。もしかしてさやかちゃん?」


 内側からチェーンロック越しに覗き見、あどけない顔立ちの髪にお下げをした少女が、瑞希を確認して鎖を解いた。


「瑞希センパイ」


 少女は表情を明るくさせ、焦げ茶色のドアを開け、喜んで訪れた瑞希を迎い入れた。
 出てきたのは紅の妹のさやかであった。さやかはプリントの入った半袖シャツ、ジーンズの半ズボンを履いている。背丈は瑞希より少し低い。
 さやかは瑞希の背後で控えめにいる龍輝に気付き、珍しいもの見るように目を丸くさせた。


「どなたですかあ?」 


 さやかは尋ねる。乱暴な言葉使いをする兄、紅鋭児とは似つかないゆっくりとした流暢な口調だ。


「同級生の麻宮君よ、さやかちゃんお兄さんいる?」
「え?お兄ちゃん、お兄ちゃんバイトに行っていないです、瑞希センパイお兄ちゃんに用があったのですか?」


 紅が留守…重苦しい空気を帯びていた龍輝であったが、彼が家にはいないと知り、安堵して強張っていた肩の筋肉が和らいだ。
 紅はバイトか…。紅鋭児と顔を合わせずに済んだのは幸運というべきか、だが現実的な問題としていずれ彼には会わなくてはいけない、そう考えると嫌なことを先送りにしただけで根本的な解決にはなっていない。涼子は言っていた、不安やネガティブな気持ちを放っておくと、それは恐怖の感情に発展すると、そう思うと龍輝の気分は複雑であった。


「紅君は留守か…さやかちゃん、お兄さんいつ帰って来るか分かる?」
「わからないですぅ、早い時もあれば、遅い時もあるし、昨日なんて早く帰って来たと思ったら、体中"キズ"だらけで帰って来て、きっと喧嘩したんだわ、もうあれほど喧嘩は止めてって言っているのに…」


 膨れっ面でさやかは言った。
 紅が喧嘩…昨日会った時は怪我なんてしていなかった、朝だったから当然と言えば当然だが、ということは喧嘩したのは学校を出ていったあの後だ。
 紅が居ないということでどうしたものか?と考えている時、涼子からLINEが入る、もう少しでこの場所に到着するらしい、瑞希も同じメッセージを受け取り、龍輝と顔を見合わせた。


「どうする?」
「とりあえず涼子を待とう、どうするかは涼子が来てから考えよう」

 龍輝は言った。



 涼子は無言を保ちながら革靴のヒールの音を響かせていた。後に続く龍輝はそんな涼子の背中を見ながら、考えていた。紅がバイトでいつ帰って来るかわからない、この後について三人で話し会ったが、帰りの予測が難しい分、今回の紅との接触は見送る形となった。次は紅が在宅中に訪ねた方がいい。連絡先は妹のさやかから受け取った。もっとも連絡先を受け取ったのは瑞希だけだった。涼子も龍輝も紅とは直接的な面識はない。というより龍輝は紅とは死んでも連絡したくない。涼子は昨日の朝、紅と一瞬、顔を合わせただけで初対面と同じだ。いくら紅といえども見知らぬ人間の電話に出るほど愚かではないだろう。
 唯一、紅との面識がある瑞希だけが紅の連絡先をさやかと交換する形となった。
 その瑞希だが、さやかに受験勉強を教えてくれとせがまれ、彼女は紅のアパートへ残ることになった。
 瑞希と別れた龍輝は涼子と共に街中を歩いていた。真夏の太陽は西へ少し傾いていたが、直射日光は刺すように強く、龍輝は建物の影を縫うように涼子の後に続いていた。
 涼子の様子は何かおかしかった。昨日は他愛のない話しをしながら、瑞希の家に向かっていたのだが、紅のアパートを離れてから、ひと言も言葉を発せず、何かを考えながら、視線を落として歩いていた。紅と接触出来なかった事を気にしているのか、それとも…紅のアパートに行く途中、一度離れた後に"何か"があったのか、涼子はその事については何も答えない。龍輝も詮索する気はなかったので、離れた理由は知るよしもなかった。やがて涼子は視線を上げ、表情を緩めて口を開いた。


「リュウキ、少し休憩しましょうか?」


 ようやく声を発した涼子。龍輝は周辺に休める場所がないか見渡した。30メートルほど先に地区の運営する公園があった。龍輝と涼子はそこへ移動する。
 自販機の並ぶは入り口から少し曲がりくねった道を通り、二人は欅やモミジなど落葉樹が植えられているエリア内に設置された、4本の円柱で支えられる赤い三角屋根下のベンチに座った。ベンチは背もたれなく、足の短い造りだが、座席面は広く松ヤニが塗装され比較的座り心地のいいベンチだった。

 龍輝は入り口近くに自販機があったのを思い出した。


「何か飲む?」


 龍輝は声を掛けるが、涼子は首を振り「いらない」と言って声を返した。龍輝は仕方なく自分が飲む炭酸飲料の500mgペットを自販機から落とし、遠目で前を見ている。涼子の方へ視線を向けた。
 若い親子連れの夫婦が、幼い男の子と女の子の兄妹を引き連れ散歩道を歩いていた。母親は小さな娘の手を引き、息子の方は木漏れ日の差す落葉樹が並び立つ敷地内を走り回っている。父親はそんな息子を微笑ましく見ながら、はしゃぎ回る息子の様子を見守っていた。
 蝉が一声哭いて飛び立っていく。子供の声に驚いたのだろうか、公園ではよくある風景だ。
 白いカーブキャップを被ってノースリーブシャツを着てランニングをする男性、飼い犬のリードを引いて散歩をする老夫婦、水分補給しながら道を歩く髪の短い若者、ベンチに座っている涼子の前を通り過ぎ、各々が何かの目的を持って、自分の足で進んでいる。そんな人たちを眺めながら、涼子は物憂げにベンチに戻って来た龍輝に声を発した。


「リュウキ、この世界が好き?」


 質問した涼子に視線を寄せ、龍輝は唇につけたペットボトルの飲み口を外して、手に持っていたキャップで栓止めする。何の話しかと龍輝は疑問を感じたが、深く考える事なく、その答えを涼子に返した。


「好きか嫌いか考えた事ないな、自分が住んでいる世界だし、今の日常が当たり前だと思っているし」


 嫌いではない、かといって特別に好きなわけでもない。生きているとイヤなこともあるし、辛いこともある。つまらない事もあれば時間を忘れるほど楽しい事もある。ただ充実した生活を送っているかと言えば、不満はないがYESとは言えない。物足りなさはある。自分はまだ人生の1/3も生きていない。その答えは今は出せる段階ではないだろう。


「リュウキ、わたしの記憶には欠落した部分があるの、それはいつの頃なのか分からない、でもこの世界で生きている人たちを見ると、わたしもこういう世界で生活して生きていた時代があったんじゃないのかってふとそう思ったの」
「でも涼子はレム オブ ワールドで"ニーシャ"として生きていたんだろ?」
「そう…気が付いたら"ニーシャ"として、≪ドリームプリンセス≫として生きていた、どうしてそうなったのか分からない。レム オブ ワールドは時を超越した空間、わたしはどれだけの年月を過ごしてきていたのかそれすらも知らない」


 時を超越した空間…確かにあの世界は時間という概念は感じられない。夢の世界だからといえばそれまでだが。


「レム オブ ワールドにはニーシャしかいないの?」  
「基本的にはわたし以外は誰も住んでいません。ですが時折、夢見人が迷い込んだりします、でも現れてはすぐに消えていなくなりレム オブ ワールドの世界には長く留まることはありません。近年は夢見人の数は減っているような感じがします、リュウキの世界には多くの夢見人が存在しますが、あなたのような強い魂を持つ夢見人は稀、あなたは夢見人として優れた存在なのです」
「夢見人の優れた才能ってなに?オレ自分で言うのもなんだけど、頭も悪いし、運動神経も特別いいわけでもない」
「夢見人の資質は精神力の強さ、秘められた潜在能力にあります、人には80%以上の潜在能力が眠っています、あなた方がいう"夢の世界"というものは潜在能力と精神が大きく関わっています、そしてその力は並行世界の別次元にいる"あなた"にも関係している、この世界に存在するあなた個人の能力は微力かも知れないけど別次元に存在するあなたはとても強い力を持っている」


 …そして、その人物があの時、レム オブ ワールドで混沌の僕と戦った闇を打ち破る力を持った戦士。だが、あのリュウキは恐らく夢見人ではない。その証拠にあの"記憶はこの世界に存在する麻宮龍輝"が持っている。
 涼子はルース=ホルキンスの言葉を思い出した。この世界にいる夢見人の能力を持つ麻宮龍輝、あの時、戦士の容姿を象って現れたもう一人のリュウキ。この二人のリュウキは二つに一つであり、混沌の僕を倒す究極形態なのではないかと…。それは世良瑞希、紅鋭児にも当てはまる。
 然るべき時に備えよ。最悪の事態を想定するルースの声が涼子の脳裏に焼きついた。もしこの世界で混沌の僕と遭遇すれば命はない。この不可解な事態に発展したのは涼子にも責任がある。転移した場所が麻宮龍輝の世界ではなく、もう一人のリュウキの世界であれば、少しは希望があったかも知れない。この世界に生きる人々は戦いが出来る種族ではない。
  楽しそうに会話をしながら、散歩道を歩く若い男女のカップルを見て涼子は思った。この世界は平和で、素晴らしい星だ。

 "お前は姉と同じ過ちを犯した"涼子の記憶にふとその言葉が浮かんだ。これはレム オブ ワールドの"ニーシャ"の記憶ではない。ノイズのように一瞬走ったが、駆け抜けるようにその言葉は走り去った。

 …今のは、何?


「涼子?」


 龍輝の声に気付き、涼子は座っていたベンチから腰を上げた。


「リュウキ、ごめんなさい、わたし少し疲れている見たい今日はこれで解散しましょう」
 涼子は置いていたバックの細長い紐を肩に掛けた。



 …なんか、結局進展がなかったな。
 
 公園で涼子と別れた龍輝は一人物思いに耽りながら人の行き交う商店街の通りを歩いていた。
 紅鋭児を訪ねるという形で龍輝はアキヒロたちの誘いを蹴って、瑞希たちと行動を共にした訳だが、肝心の紅は留守、その妹のさやかの勉強を見るということで瑞希と別れ、涼子ともまた公園で別れを告げた。結果論ではあるが、こんな状況になるならアキヒロたちとカラオケに行けばよかった…龍輝はそう思わずにはいられなかった。紅に会うという緊張感は何だったんだろうか?何もかもうやむやで消化不良だ。いつの間にか好きになっていた世良瑞希に急接近した事がちょっとした収穫だったぐらいだ。

 龍輝は携帯スマホを取ると時計は15時を過ぎたばかりだった。中途半端な時間だ。アキヒロたちと合流するには少し遅い気もするし、かといって家に帰るには早過ぎる。気温は高く空はまだ青空を覗かせている。
 龍輝は地図アプリを検索する、この辺に時間を潰せる所がないか調べる。ゲームセンターでもあれば暇潰しにもなるが、それらしきものは表示されない。あるとしたら本屋ぐらいだ。
 龍輝は歩きながら、通りを散策する。商店街は人通りが多く、ほとんどは何人か一緒になって行動を共にしている、龍輝は一人取り残された感じで歩いていた。
 向こうから4、5人ほどブレザーを着た下校中の高校生の団体が見え、龍輝ははち合わせのを避けるため、横へ移動した。他校の何でもない普通の高校生だ。龍輝は軽く見やるとその高校生のグループの中に見覚えのある顔があった。龍輝は思わぬ偶然に目を疑い。衝撃を受けた。

 …マナブ!

 顎が角張った輪郭の細目の学生、龍輝は忘れようにも忘れられない顔、小学生の時の親友だったマナブがそのグループの中に混じって歩いている姿が目に映った。
 マナブは龍輝より頭ひとつ分背が高く、少し太めの体格をしている。マナブは龍輝に気付き、数秒目を合わせたが、無視して橫を通り過ぎた。そのまま同級生と会話しながら、遠ざかる。
 マナブは自分に気付いていたはずだ、しかし一瞥もくれず去っていった。龍輝の脳裏に小学生時代、彼を裏切った罪悪感がよみがえった。

… それは小学生6年生の時、晩秋の風が冷たくなる、木枯らしの季節だった。龍輝にはマナブともう一人カズキと言う、仲のいい友人がいた。カズキはその年にクラスに編入された転校生でいつの間にか龍輝とマナブのそばにいた同級生だった。カズキは学校の中だけで遊んでいた仲で、公私ともに親密な関係だったマナブに比べると、親友と呼べるような友人ではなかった。ある日の昼休みの休憩時間であった。3人は四面の図形を使って場所を取り合う、簡単なゲームで遊んでいた。一対一の対戦形式のゲームでマナブとカズキは勝負をしていた。3本勝負で2本先取した方が勝ちでマナブとカズキは何度も対戦した。
 あれは何度目の勝負だったろうか、一進一退の攻防でカズキが2連勝した時のことだった、カズキはマナブに連勝したことで有頂天になり、負けたマナブを嘲り嘲笑したのだ、カズキの態度にマナブの顔色が変わり、彼はカズキの頭を叩き、叩かれたカズキもマナブの頭を叩き返した、これがきっかけでマナブとカズキは髪を掴み合う、取っ組み合いのケンカになった。突然の出来事に龍輝はどうしていいか分からなかった。仲良くしていた二人が刹那ケンカをし始め、龍輝は止めることを忘れ、呆然として様子を見ていた。
 カズキには短所があった、たまに相手に挑発的な態度を取りケンカを吹っかける傾向があった。彼はこれで他の児童と争うことがしばしばあった。一方マナブは滅多に怒らない温和な性格で言い争っても、すぐにもとの鞘に治まる出来た友人だった。
 問題はこの後だった、カズキは強引に龍輝を引き、争ったマナブから引き離したのだ。状況をよく理解してなかった龍輝はすぐに元に戻るだろうと、単純に考えていた。マナブとは毎日一緒に帰っていたので、帰る頃にはいつものような一緒に下校する生活が戻るだろうと…。
 マナブは終礼が終わるといつも龍輝のそばに来てくれたので、今回も大丈夫だろうと思っていたのだが…。安易な考えだった、マナブはそれ以来、龍輝のそばに来ることはなかった。思えば自分があの時、進んでマナブのそばに行くべきだった。正確に言えば龍輝は マナブのそばに行く"勇気"がなかった、マナブから"何か"を指摘されるのが怖かった自分はマナブから"逃げた"のだ。遠い昔の記憶だが、龍輝は今でもそのことを後悔していた。

 涼子の言っていた"可能性の世界"龍輝の脳裏にその言葉が浮かんだ。

 去っていくマナブを見送ると龍輝はうつむき加減で再び歩き出した。あの日、龍輝とマナブの運命は違えたのだ。
 アーケード屋根で覆われた商店街は人が多くむしむししていた。直射日光のあたる外よりはましだったが、湿度が高く汗が流れた。龍輝は本屋にでも寄り道しようと考えたが、結局、行くのは止めた。途中、マナブと出会ったことで、気分が沈み立ち読みする気にはなれなかった。
 人が溢れる商店街を出た龍輝は家に帰ることを考えた、目的もなくぶらぶらしても仕方がない。
 龍輝は帰りのバスを乗る停留所を捜した、バス亭が道路脇にいくつも混在していたのでどれが白鷺神社方面を通るバスなのか分からない。しらみ潰しに龍輝はひとつずつバス亭を確認するが、どれも当てはまらない。この辺りで停まるバスは上りばかりだ。車が走り抜ける国道を挟んで、向こう側の歩道にも停留所が並んでいる。下りのバスはあっちにあるに違いない。
 龍輝は歩道橋を渡り、国道をまたぐと白鷺神社を通過するバス亭を捜した。下りのバス亭は一定の距離を保ち、6本並んでいた。そのうちの2本の停留所に、白鷺神社を抜けるバスがあった。時刻表を見ると15時20分、15時50分のバスがある。龍輝は時計を確認する、表示は現在15時28分だ。どうやら15時20分は今、行ったばかりだった。次が15時50分なのでバスが来るまで20分近くある。この辺りは商店街から少し離れているので、時間を潰せる場所はない。付近にあるのは外壁に囲まれた会社のテナントビルと建設中の雑居ビルの工事現場ぐらいだった。

 龍輝はため息を吐いた。とんだ待ちぼうけだ。この辺りは日差しが照り返し、日陰らしき場所があまりない、停留所には風避けの壁と屋根の付いたベンチがあるが、座席の方は見事、直射日光が当たりとても座れるような状況ではない。
 龍輝は喉が乾いた。公園で水分補給を取ったばかりだったが、歩きづめで汗が流れ、唇は乾いて喉はからからになっていた。
 龍輝は建設現場を越えた先にある自販機を見つけた。バス亭からはそれほど距離は遠くない。そこは丁度建物の影がかかっており、日差しは届いていない。
 白い厚手のシートで覆われた鉄筋コンクリートで骨組みされた建設中の大きな雑居ビル前を横切り、龍輝は喉を潤すためそこへ向かった。
 建設中のビル内は物音は響かず静かだった、作業員は休憩中なのだろうか?乾いた土が付く歩道に駐車してある小型トラックの車体を避け、龍輝は鉄板の敷き詰める地面を歩いた。自販機は脇道を挟んだ向こうにあった。
 脇道の間を抜ける時、龍輝の目の前に思いがけない人物が飛び込んだ。


「…!!」


 紅鋭児が脇道の陰で腰を落とし、缶コーヒーを片手にタバコを吸っていた。タオルで頭を覆い、半袖の白いシャツを肩まで捲りあげ、彼は紺色の塗装で汚れただぶついたズボンと地下足袋を履いていた。
 現れた龍輝に目を剥き、紅は咥えていたタバコを吐き捨て、背筋を立てて背の低い龍輝を見下ろした。


「また、てめえか…」


 家では留守だった紅鋭児との突然の遭遇に、龍輝の肩は縮んだ。何で紅鋭児がここに…龍輝ははっとなった、建設中の工事現場にそして紅のこの出で立ち…紅はあの現場で働いているのか。


「てめえ、ちっと来いや…!」


 紅は間髪いれず龍輝の胸ぐらを掴み、強引に路地奥へ引き込む、狭い通路の先に開けた場所があった。そこは逃げ道のない行き止まりの空き地となっており、鉄筋や材木などの建設素材がシートにくるまれて置かれていた。



 高いブロック塀で周囲が張り巡らされている場所へ紅は彼を連れ込み、腹を一発、拳で殴りつけた。その一撃に龍輝は悶絶した。


「何なんだよてめえは…オレの周りをうろちょろしやがって」


 威圧的に睨み紅は龍輝のワイシャツの襟を掴み、咳き込む龍輝を無理やり立たせた。涙目で龍輝は言葉を詰まらせる。不運にもほどがあった、瑞希と涼子がいる間は居なかったのに、何で自分がひとりになった瞬間、コイツに出会うんだ。
 紅の顔は日焼けで肌が黒く焼け、頬、目尻、唇の縁に絆創膏が貼ってあった、そういえば紅の妹のさやかが言っていた、コイツ昨日、どこかで喧嘩したんだと、その傷痕がさらに彼の怖さを際立てせていた。


「今度は逃がさねえぞ、ブッ殺してやるよ!てめえ…!」


 とても話し合える状態じゃない。激情に駆られる紅に龍輝は咄嗟に叫んだ。


「やめろよエッジ!お前そんな奴じゃないだろ!」


 紅の振り上げる拳は一瞬止まった。…エッジ、エッジだとぉ…"あの夢のオレの名前"を何でコイツが…。紅の怒りは頂点に達し、龍輝の襟を両手で掴んで体を地面に叩きつけた。


「誰がエッジだ!コラァ!」


 龍輝はしたたかに体を打ちつける。無我夢中で叫んだ"エッジ"の名が紅の逆鱗に触れた。エッジと紅は同一人物だ。エッジはもうひとりの紅鋭児であり隠れた彼の内面部分でもあった。自分の心を覗き見された気分になり、紅は激昂した。


「ざけんじゃねえぞ!てめえ!」


 倒れ込んでいる龍輝を睨み、紅は握り締めている拳を爪が食い込むほど硬くした。

 ひとつしかない空き地の入口から人の気配が漂った。誰かがこの場所に入り込んだ。 長いローブの裾を引きずる音が聞こえてくる。
 人の気配に気付き紅は舌打ちして振り向いた。誰だ…!職場の人間だったらちと面倒だ。
 現れたのはフードの付いた厚手のローブを身に纏った黒づくめの男だった。昨日出会ったあの男とは違う。紅は奇妙な違和感を感じた、この男、どこかで…。


「…不安定な魂に引かれてこの場所にやってきたが、思わぬ大物が釣れた」


 半べそかいている龍輝も現れた男に覚えがあった。そして、紅の恐怖から一転して戦慄が走った。あの男、もしかしたら…!


「んだてめえは!くそ暑くらしい格好しやがって、なめてんのか!」


 紅は男に近づき襟のない胸ぐらを掴むと、顔を隠していたフードがはだけた。紅は男の顔を見て、表情を険しくさせた。コウモリのような逆毛立つ髪に白目の青白い肌色。ありえねえ…だが!


「てめえ…まさか!」
「会いたかったぞ、我が"友"エッジよ」


 白目のガンプは血色のない唇を歪ませ、紅を見て不敵に笑みをこぼした。
 
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