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魂章
正義の信徒
しおりを挟む≪その世界は危険です逃げて下さい!≫
誰もいない廃墟の地で、ルナムーン…いや、朝霧涼子の声が、天から響き渡った。
「逃げろ?って、どういう事なんだ涼子、それにオレのこの姿は…」
≪あなたはリュウキ=インストーであり、麻宮龍輝です、"夢見人である麻宮龍輝の魂"が強いため、今のあなたは"麻宮龍輝の性格"が色濃く出ているのです。…ですが、今はそんなことを言っている場合ではありません!一刻も早くその世界から脱出して下さい!≫
「そんなこと急に言われても、君はどこにいる?この世界はレム オブ ワールドなのか?」
≪その世界はひとつのレム オブ ワールドの姿、いえ…"元"レム オブ ワールドと言えばいいかも知れない、大きな力によって破壊されたエリアです、わたしはその世界にはいません、別の世界で肉体は深い眠りについています、今あなたに語りかけている声は精神の波長を利用した魂の言葉です≫
「…精神波長?魂の言葉?一体何の話なんだ!」
≪早くその世界から逃げて!龍輝…いえ、"リュウキ=インストー"あなたは感じるはずその世界に存在する大きな力に…≫
龍輝の思念に何かが走った。倒壊したビル、外壁が剥がれ、錆びつき折れ曲がった鉄骨。巨板やうち折られた街路樹、街の建築物の一部であろうか、その他もろもろの原型をとどめていない識別不明のクズの山が、辺り一帯に点在し、焦土と化していたその世界はまるで大災害にでもあったように破壊つくされていた。
…この世界、まるでオレのいた"元の世界"に似ている…
龍輝の足元に薄汚れた小さな熊のぬいぐるみが転がっていた。この破壊された街の中で奇跡的に原型をとどめている。
…でも違う。似ているがこの世界は何かが"おかしい"
龍輝の心に底しれない恐怖が湧きあがっていた。何か変だこの世界、誰もいないはずなのに、とてつもなく"危険なもの"が存在している。
恐ろしい心臓の高鳴りを感じ、龍輝は走りだす。姿は見えないが、何者かが追って来る気配を感じた。混沌の僕とは違う異質の者、この世界は何か"やばい"…
≪逃げて下さいリュウキ!"あの男"がやってくる!≫
涼子の声が再びこだました。
龍輝は全力で走り出す。目の前に見える崩壊した不揃いの高さのビルや建物を確認し、龍輝は距離を測る、高さは五、六メートルはあるだろう。普通なら人間が飛べる高さではない。だが、おそらくこの世界、今のオレなら…
それは確信していた。
龍輝は大きく地を蹴り、割れた窓枠のくぼみを蹴って、空中を蹴った。一気にビルの屋上に駆け上がり、建物の屋根に飛び移り、複雑にいりくんだ道を選択して崩壊した街中を走り抜けた。それぐらいやらなくては、"奴に"追いつかれる。
だが、不安が消えない。気を抜くとすぐに追いつかれる。
龍輝は辺りを見渡し、通りづらい道、障害物の多い路を探して後ろを振り向かず、前方だけを意識して走った。止まった瞬間、"奴は"すぐそばまで近づいてくる。
何者かわからない…だがとてつもなく、追って来るのは"やばい奴"だ。
真っ暗な闇の中…闇なのに空から黒い雨が降ってくる、その色ははっきりと龍輝の目に映り、さらに合わせて黒い霧がどことなく立ち込めていた。
龍輝は腰に装着している、黄金に輝く剣を抜き、霧を切り裂いた。浄化されるように黒霧は開き、視界が裂けた先を龍輝は走った。
その先には海があった。飛び込んだ先は断崖絶壁の赤い海が見える水平線。そして、その空は…
龍輝の目に信じられない光景が映った。
割れた空にはいくつもの孔が空いていた。赤い虚空が蠢く巨大な空間。龍輝はレム オブ ワールドでかつて"あれ"と同じもの見た。あれは異次元結界が破られた跡だ。だが、龍輝が今、見ている異次元結界はひとつではない、いくつも天を砕かれ、孔が存在している。
その姿に龍輝は青ざめた。
「…涼子、これは一体…」
龍輝は言葉を失う。
くぐもった声で涼子は声を発した。
≪わたしにもわからない…なぜ、なぜ"あの男"が"夢見人"の力を持っているのか…≫
涼子の声に龍輝はおそるおそる後ろを振り向いた。
崩壊した街中から火山の噴射口のように瓦礫を吹き飛ばし、真っ直ぐこの場に近づく男の姿が龍輝の目に止まった。
その男は黒い甲冑を装着している体をマントでくるめ、強烈な波動を全身から撒き散らし、赤い瞳を光らせ近づいていた。
龍輝はあの男を見るのは初めだ。だが男の放つ強力な波動と気配には記憶があった。
「涼子…あの男、もしかしたら…」
≪レオンハルト=ディスバーン。ルースの宿縁の男であり、"狂"の称号を持つ三狂士、なぜ、あの男が"夢見人"の能力を持っているの?≫
「…ど、どうすればいい?」
あの男は何か危険だ。三狂士のひとりだからとかそういう問題じゃない。あの男は怖い、恐ろしい、その心理が走り龍輝は戦慄した。
奴は…リュウキ=インストーの力を宿したオレでも勝てない。100%…絶対に…あの男は"普通"じゃない。
≪その世界から逃げる以外、方法はありません、あなたが感じている通り、あの男は"あなたでは勝てません"≫
朝霧涼子ことルナムーンの言っていることはおそらく事実だ。近づいてくるあの三狂士は"やばい"龍輝は本能的に感じた。一刻も早くこのレム オブ ワールドから抜け出さなくては…
龍輝はいつかやった夢から目覚める方法、瞼を閉じて元の世界に戻るのを強く念じた。だが何も変化は起きない。
レオンハルト=ディスバーンはフシャャャャッー!と奇声を吐き出し、辺り一帯を波紋のような叫びで空気を震わせた。その圧力は離れている龍輝にも伝わり、彼の全身は震えた。
龍輝は再び目を閉じるが、このレム オブ ワールドから脱出できない。なぜだ?なぜ目が覚めない!
赤い瞳を光らせている長い髪のレオンハルト=ディスバーンはフラッシュのように一定の距離を瞬間移動をし、どんどん近づいていた。明らかに龍輝を標的に移動している。
男が…レオンハルト=ディスバーンは刀身の黒光りする剣を抜くその姿が龍輝の目に映った。奴の攻撃を食らうのはとても"危険"な気がする。
龍輝は五十メートルはある、断崖絶壁の下に流れる赤い海を見た。悪夢が目覚めない以上、かくなる上は海に飛び込むしかない。
荒く波立つ赤い海に龍輝は恐怖を感じた。この世界では麻宮龍輝の性格が強く出ている、もう一人のリュウキ=インストーなら"躊躇いなく"海に飛び飛び込むだろう。
度胸のない麻宮龍輝はこの高さから飛び降りるのはとても怖かった、恐ろしかった。まるで自殺志願者のような心境だ。だが、一か八かこれにかけるしかない。もしこれで目が覚めなかったら…
レオンハルト=ディスバーンが黒く禍々しい妖気を放つ"魔剣ソウルイータ"を振り抜いた時、龍輝は意を決して断崖絶壁の海へ飛び降りた。
苦しい…もうやだー…!真っ逆さまに落下し意識が遠のく龍輝の恐怖は最高潮に弾けた。
羊毛が敷き詰めた寝台の上でリュウキ=インストーは目を覚ました。激しい動悸とびっしょりと肌に張りつく汗、見開いた自分の目に気がつき、一度深呼吸をして、彼は張った目を緩やかに閉じた。
…夢、オレはまた、夢を見たのか?赤い瞳…あれは
リュウキはこめかみに手を置いて考える、うまく思い出せない。また、いつかのように記憶が遠のく。
隣の寝台で眠っていたヒューが「うわっ!」と叫び、跳ね起きる。その表情は青ざめ、凍りついている。
「どうした…!ヒュー?」
同じ部屋にいたリュウキは彼に近づいた。
「…黒い甲冑の男」
唇を震わせ呟いたヒューの言葉にリュウキの遠のく夢の記憶に何かが引き戻された。…三狂士ディスバーン!そうだ、赤い瞳の男は確かその名を持っていた。
「黒い甲冑の男が、君を狙って、君は高い所から飛び降りて…」
言葉を続けるヒューにリュウキの見た夢の記憶が徐々に蘇る。オレはレム オブ ワールドという奇妙な世界に迷い込んで、ディスバーンという赤い瞳の男に襲われかけたところ、断崖絶壁を飛び降りた…彼ははっとした。
「ヒュー、なぜ君がそれを…」
「わからない…寝てる時そういう映像を見たんだ、もしかしたらこれが君の言っていた"夢"ってやつ…」
ヒューが夢を…しかも自分と同じ夢を、だがあの世界には彼がいた記憶はない。もしかしたらディスバーンという男の正体はヒューなのでは…一瞬そう思ったが、リュウキはすぐに否定した。まず性格が違う。ヒューはあの男のような怖さはない、そして彼は映像を通して黒い甲冑の男を見ている、ヒューが甲冑の男ではないことは確かだ。
しかし、それ以上に驚いたことがあった、ヒューが"夢"を見たという事実だ。この世界の人間に夢の概念などないはず。リュウキには麻宮龍輝というもう一人の自分がいる、故、彼は"夢"という言葉の意味を理解していた。
「はは…なんかおかしいねオレ、そんな"幻覚"みたいなものを寝てる時に見るなんて」
「…おかしくとも幻覚でもないさ、それがオレの知っている"夢"というやつ…なのだから」
声色を落とすヒューにリュウキは答えた。
彼が目覚めたのは太陽が真上に差しかかる頃、昼の時間帯であった。夜、リュウキは中々寝付けなかった、彼がようやく眠りについたのは、外が薄日差す夜明け頃であった。目を覚ましたリュウキは肩を掻いて上体を起こすと辺りを窺った。同じ部屋で寝ていたヒュー=ハルツはすでに目を覚まして部屋にはいない。リュウキは下着のシャツの上から袖のある服を着ると部屋を出て一階にある宿の酒場へ向かった。
≪彷徨う魂が蠢く森で≫ 魂狩りをした後、リュウキたちはジャスティス国領に属するサンという街にいた。人口10万人ほどの交易が盛んな街で多くの商人や旅人たちが立ち寄る、ジャスティス国きっての中規模都市であった。
端のテーブルで座っているシンたちと合流したリュウキはヒューのいる隣の席につくと果実を絞った飲み物を手前に置き、
「魂を喰らう魔物?」
「そ、アルヴァーズとフロイアとの国境にある"コールド砂漠"でその魔物が存在しているらしい、なんでもその場所では彷徨う魂が集まり、近づくと魂が吸い込まれ消えてなくなるとか…」
「なんだよその魔物っていうのは?」
「さあね…調査に行った者、誰ひとり帰ってこないらしいから詳細は不明、でも何か大きな力が働いていることは確かだね」
「なんか胡散臭せー話だな」
と会話しているシンとハンをよそにリュウキはテーブル中央、籠に添えてあったパンを取って噛り、この場にハーマンがいないことに気付いた。
「ヒュー、ハーマンはどうしたんだ?」
「ハーマンならミウと一緒に出かけたよ、彼女の"買い出し"の手伝いに出かけるって」
「買い出しの手伝い?なぜ、彼女の買い出しにハーマンが付き合うんだ?」
「さあ…でもハーマンはそのままついていっちゃたから…ねえリュウキ、あの二人ってやっぱり"デキてん"のかなあ?」
いたずらっぽく言うヒューの言葉にリュウキは返答に困った。そんな事オレに聞かれても…確か二人は同郷の友とか、歳も同じだし、恋人であっても不思議ではないが…
この宿にはキメラハンターの≪レッドエンジェル≫も一緒に泊まっていた。彼女たちもこの酒場の宿にいるはずだが、姿を見せていない。エルフのシェリカ、ホビットのルザリィ、それともう一人…
「"デキて"るってどういう意味ですの?」
ヒューの耳元からもう一人のレッドエンジェル、青い髪をした精霊の化身、シェリカの"血の絆の姉妹"シルフィが顔を覗かせる、忽然と現れた彼女に驚き、ヒューは思わず顔を退けた。いつも、このコは突然、顔を出す。
美しき精霊シルフィにヒューは顔を紅潮させ声を返した。
「えと…その、デキてるって付き合っているって意味だよ、ハーマンとミウは恋人同士なのかなって…」
「恋人ってどういう意味ですの?」
「どういう意味って、そのつまり…」
しどろもどろにヒューは言葉を詰まらせる。このシルフィってコ、精霊のせいかちょっと変わっている、天然というか、世間知らずというか、子供のように無邪気で無垢だ。
ヒューは視線でリュウキに助けを求めるが、彼もどう対応すればいいかわからない。"こういうの"はリュウキも苦手であった。
「そんな事より、わたくしと踊りませんかヒュー様」
「え?踊るこんな昼間から…」
「はい」
頑是ない笑顔で答えるシルフィにヒューは当惑する。細い指で彼の手を取ろうとするシルフィにシェリカがその後ろから声を跳ねた。
「だめよ!シルフィ…!」
艶やかな柄のカーチフを頭全体に巻きつけたシェリカは姿を見せ、細い眦をつり上げて勝手な行動を取るシルフィを制止させた。
ゆったりとした袖にヒラのある服と長いスカートで身を包んでいるシェリカは周りの客の目を気にしながら、狭い歩幅で靴音を響かせた。
「…エス」
「勝手に出歩いちゃだめよシルフィ、無闇に部屋の外を出ないよう、ミウから言われてるでしょ、この街はアタシたちに取って、"危険な"ところなのよ」
「…危険なところ?」
リュウキは黄金色の長い髪をカーチフで覆うシェリカの顔を見る。外にいた時とは違い、今の彼女の姿は武器を携帯しておらず普段着そのままだ。
シェリカはカーチフで埋もれている長く尖った耳を気にしながら、シルフィの背中に手を回して踵を返し、数秒リュウキをじっと見たのち、無言で二階に続く階段を登っていった。
「なんだありゃ?」
同じ席にいたシンは勝手に現れ、勝手に去っていった二人を見て、ハンとの会話を中断する。ヒューは残念そうに肩を落とし、リュウキは訝るように去っていく、シェリカとシルフィを見送った。
ハンはこぶしで下顎で支え、何か考え込む仕草を見せて、目の前に置いてある自分の飲みかけの水に目をやった。
「…そうか、そういう事ね」
「なにが?」
ヒューはこぶしを解いたハンを見る、今日も彼はいつものように左目に片眼鏡を掛けている。ハンはひとつ呼吸をおいて飲みかけの水に手をつけ、リュウキとシンも彼に注目した。
「このサンの街はジャスティス国管轄の街だ、アルヴーズ、フロイアに比べて治安がよく物資も豊富で過ごしやすい街だけどひとつ"注意する点"がある」
酒場の外から金属音が擦れあう音が聞こえ、ラッパと笛を吹きながら銀色の鎧兜で身を包んだ騎士団が、白と黒で縫い込まれた…盾の上に剣を交差させその間から兜をつけた騎士の横顔の紋章が入った…ジャスティス国旗を怪しげに揺らげて、行進する姿が開けっ放しの両手を拡げる扉から顔を見せた。
"悪を穿つ正義の刃、我らはジャスティスの導き手、正義の信徒の名の元に、正義の信徒の名の元に"
彼らは人目を憚らず真っ直ぐ前を見据え、行進し、言葉を繰り返し謳っている。扉越しから見たシンはなるほど…と声を潜め、「ジャスティス国、裏の騎士団"正義の信徒"か?」と 野太く声を走らせ、干し芋を咥えてハンの言った意味を理解した。
「ジャスティス国裏の騎士団…」
「正義の信徒…」
リュウキは"インストー"の記憶を網羅させた。
ジャスティス国には国を守る正規の騎士団と己の正義に手段を選ばない裏の騎士団、正義の信徒と呼ばれる狂信的な騎士団がいる、彼らは己の主張を第一とし、他に一切妥協はしない。それが例え、非人道的な事であっても力づくで正当化させる。
正義の信徒は魔法や異種族を嫌い、魔法を使うハンや、異種族のシェリカ、ルザリィに取っては天敵ともいえる存在であった。彼らの前で魔法を使えばたちまち拘束され、悪と見なされ地獄の苦しみを味あわされ殺されてしまう。シェリカとルザリィが表立って姿を見せないのはその為だろう。
…正義の信徒…リュウキの頭に"嫌な予感"が走った。
正義の信徒が歩く先々は、人がさざ波のように避けて道をあけた。何度も何度も連呼し彼らは正義の美学を謳う、足並み揃えて行進をする正義の信徒を見てハーマンは気分悪く唾を吐いた。人ごみの陰からその光景を見ながら、太い腕を組んで彼は建物の壁にもたれて、ミウが買い物から戻るのを待っていた。
ミウがバックパックを担いで戻ってきた。彼女は荷物を置き、袋の口を紐で縛り直し、不機嫌な面持ちのハーマンを見た。
正義の信徒の狂気な謳が耳障りに聞こえている、ハーマンの機嫌が悪いのは買い付けの付き合いをさせたからではなかった、"正義の信徒"と名乗る彼らの存在が気に入らないのだ。
「相変わらずふざけた連中だぜ、何が"正義だ"自分たちの思想を正当と押し付ける、エゴイストどもじゃねえか」
「声が大きいわハーマン、ここで彼らの事を悪く言うのは得策ではないわ」
「わかってる、だから腹が立つ、あの連中を見てると胸がムカムカする」
ジャスティス国出身のハーマンは正義の信徒の存在を知っていた。彼らに目をつけられたら地の果てまで追ってくる。自分たちに敵対する者は天誅と称して、一族郎党みな殺し、子供であろうと女であろうと容赦はしない。
正義の信徒の所業をハーマンは幼いころに見ていた。彼らは自分たちの言葉を聞かぬものは耳を削ぎ、反論するものは舌をペンチで引きちぎる、無表情に息を吐くように…支離滅裂な殺し文句を唱えながら、自分たちの行動を絶対だと信じている。
ハーマンの幼い記憶に、正義の信徒に顔を剥がされた母親にしがみつき、泣き叫ぶ赤ん坊の目と舌をくり抜いた彼らの姿が蘇った、正義の信徒は口々にこう叫ぶ。正義の信徒の名の元に…正義の信徒の名の元に…そこには彼らの行為が当たり前だと思っていた"幼い自分"がいた。
思い出したくない記憶であった。目の前で残虐な仕打ちをうけ、殺されたあの母子の死に様を抵抗なく見ていた自分の無感情さに、ハーマンは虫酸が走った。まるで人の皮を被った悪魔の手先だ。奴らを見ていると頭が"ブチキレ"そうだ。
ミウはハーマンの顔を気にしながら、荷物を肩に担いだ。
同郷の友である彼女もジャスティス国出身であった。ミウは高名な騎士貴族の令嬢で、ジャスティス国の内情を知っている。ジャスティス国領主アレクトテウスは騎士道精神を重んじ武力には絶対的自信を持っている、遠隔で相手を殺す魔法など邪道。自らの力で相手を屈服させてこそ本物の支配者であり正義である。幼い頃からミウはそのことを父から聞かされていた、しかしミウは父の言葉、領主アレクトテウスの提唱する"力で相手を支配する"には疑問を感じていた。
力で相手を押さえ込むことが正義なのか?この世には様々な人間がいる。能力に恵まれない者もいれば、不幸な境遇から生まれる者もいる、確かにその中から這い上がって世に踊り出た者が頂点に立つことはある、しかしそういうのはごく"稀な存在"だ、どんなに努力しても報われない、大多数はそんなものだろう。力あるもの、頂点に立つものはある意味、選らばれし者だ。それを"かま"にかけて相手を屈服させる"力の支配"など違う気がする。そう考えミウは貴族の令嬢という身分を捨て家を飛び出した、世間一般に考えれば彼女は力のある身分だ、だが本物の強さ、正義とは上ではなく下にあるような気がする、そう思いミウはギルドのハンターとして下にいる者の目線に立つことを選んだのだ。
「あの…」
赤い頭巾を頭に巻いた少女が二人に声をかける、歳は十歳ほどの華奢な体つきで手籠を持って、いたいけな瞳で見上げている。
ミウは「どうしたの?」と前屈みに聞き返すと、少女は腕に下げている籠に手を入れ、先端が丸く尖った奇妙な棒状なものをミウに差し出した。
「ライター買いませんか?異国の珍しい品です」
「ライター?」
「はい、簡単に火を起こせる便利な道具です」
少女は細長い棒状の下部にあるボタンを押すと、先から小さな炎が渦巻き、ハーマンは少し驚いた顔で、まじまじと先端の炎を見つめた。
「なんだこりゃ?魔法じゃねえよな?」
「はい、これは"ガス"というものを成分として摩擦で火花をおこして炎を発生させる道具です、このあたりでは手に入らない珍しい品です、おひとついかがですか?」
ハーマンは首を傾げる。確かに珍しい道具だが、うちには魔法で炎を起こせるヒューや火薬をうまく使いこなすシンがいる。火に関してはそれほど不自由はしない。
少女は少し慌て気味に手籠に手を突っ込んだ。
「でしたら、この小さなタイプのライターはどうですか?携帯で持ちおもりしないタイプです」
少女は赤肌の手で、平におさまるドラム式の回転軸があるライターを見せた。どうやら少女はライターを売って生計を立てているようだ。
ミウは優しく少女の差し出した手を覆って、傷ついている彼女の手肌をいたわるように声を返した。
「ひとつ貰おうかしら、おいくら?」
「え?銅貨2枚になります…」
「そちらの大きい方のライターは?」
「銅貨5枚になります」
「それじゃ両方貰おうかしら」
そう言ったミウは少女に銀貨1枚を握らせる。
少女は手渡された銀貨1枚に驚いたように目を丸くさせる。銀貨1枚は銅貨50枚分に相当する。そんなお釣りを返せる持ち合わせはない。ミウは「お釣りはいらないから」と言って、先端の尖ったライターとドラム式のライターを手に取った。
「おい、ミウ」
「いいのよ、これぐらいサービスよ」
「そうじゃなくて使い道あるのか?」
「あるわよ、この地方じゃ魔法は御法度だし、火を起こせる便利な道具であることは確かだわ…それに」
少女は深くお辞儀をしてみずみずしいミカンのような表情で、嬉しそうに去っていく。あの少女は幼いながらも、自らの手で物を売って、懸命に生きている。ただ座ってあさましく他人から恵みを貰おうとする物乞いとは違う。どんなに貧しくとも、人は動きを失ってしまっては終わりだ。それは身分を捨て下から目線でミウが学んだことだった。
ミウはドラム式の携帯用のライターを軽く放り、ハーマンは片手でそれを受け止めた。
「そのライター、あなたにあげるわ」
「…別にいらねえよ」
「人の好意は素直に受け取るものよ、わたしが銀貨1枚出して買ったものなのだから」
銀貨1枚は気前良すぎだろ…ハーマンはそう思いながら、ドラム式のライターを親指で弾いて、小さな炎を出して見せた。
離れた場所で悲鳴が聞こえてきた、人の波がざわめき、ハーマンとミウが駆けつけると、銀色の鎧兜を装着した、正義の信徒がライター売りの少女の細い腕を掴み、数人で取り囲んで彼女を尋問をしていた。
「離して下さい!あたし、魔女じゃありません!」
「魔女め!正義の信徒をたばかりおって、なんだその"道具"はそんな小さな物から火を噴き出すなどありえぬ事だ、悪魔の手先め!正義の信徒の名の元にお前には地獄の苦しみを味あわせてやる!」
少女は泣きながら腕を振りほどこうとする。正義の信徒は二人で彼女の両脇に掴み、奇妙な言葉を口ずさみ、足並み揃えて連行しようとする。
ミウは動き出そうとするが、ハーマンは太い腕で彼女を制止させ「オレが行く」と言って
少女の救出に向かった。
「おい、待てよあんたらその子は魔女じゃねえ、普通のカタギの人間だ」
「正義の信徒の名の元に…正義の信徒の名の元に…」
少女を掴んだ鎧兜に身を包んだ騎士は白面の目と口だけのある仮面を被っている。彼らハーマンの声を無視して、少女の体を引きずり無理矢理連れて行こうとしている。
虎髭の恰幅のある隊のリーダーらしき男が前に立ち、自慢の髭を弄って、現れたハーマンを値踏みするようにじろじろ見た。
「なんだお前は?我らは偉大なるジャスティスの守り手、正義の信徒なるぞ、魔女は誅すれねばならん」
「その子は魔女じゃねえって言ってるだろ、その子はただのライター売りだ」
「ライターだと、それがあの魔女の使う"魔法"か、やはりあの魔女は張りつけにして火炙りをしなくてはいけない、正義の信徒の名の元に」
虎髭男…ドラド少将はハーマンの話を聞こうとせず、部下に少女の手首を鎖の手枷を嵌めるように命じた。
「やめろって言ってのがわからねえのか!」
ハーマンは鎖を持った正義の信徒の体を突き飛ばす、倒れた拍子に男の被っている仮面がパカリと割れる、その素顔を見てハーマンは全身に鳥肌が立つぐらいの怒りが煮えたぎった。
男の顔は唇と鼻が削ぎ落とされ、剥き出しの肉厚は赤茶けに変色して、筋肉の繊維が露になっている。これは顔の皮が鋭利な刃物で剥がされた痕、ハーマンが幼少の頃に見た惨殺されたあの母親と同じ…
男はその素顔を隠そうとはせず、地に伏しま ま、地下水脈を突き抜けるヘドロのような低い声で"いつも"の言葉を発していた。…正義の信徒の名の元に…
その姿を見て、少女は座り込んだまま口元に手をあて、青ざめた顔で小さな体を震わせた。
「我々の邪魔をするな!すべては"正義の信徒の名の元"に!」
ハーマンの頭に"何かが"キレた。彼は拳を硬く握り込み、力任せにドラド少将の顔面を真っ向から殴りつけた。脂ぎったドラド少将の鼻は陥没しふさふさした髭にへし折られた歯の糸を引いた赤い唾液が付着した。
「人の皮を被った悪魔どもが!踏み潰してやる!」
「き、き、きひゃま…正義の信徒のわたひぃにこんな真似をして、ただですむと…」
ハーマンはドラド少将の喉笛を掴み、地面にはたきつけた。大きく股を開き、踏み潰そうとする。
群衆のざわめく間から様子を見たミウは強い危機感を感じ、ハーマンを止めに入ろうとする。普段は気がよく滅多なことでは怒らない彼がキレた。彼はキレると押さえが効かなくなり、旧知の友であるミウさえも怖さも感じるぐらい、収拾がつかなくなる。正義の信徒と揉め事を起こすのは得策ではない。だが、今はそうも言ってられない状況だった。
近づこうとするミウに気が付くとハーマンはライター売りの少女の襟を掴み、彼女に向かって放り投げた。少女の体を受け止めたミウは目を丸くさせると、怒りで目を血走らせながらも、どこか意思の通った視線で何かを訴えていた。
≪その子を連れてこの場を離れろ!≫
その思いをミウは感じ取った。
「正義の信徒の名の元に…正義の信徒の名の元に…」
抵抗するハーマンに向けて、回りの正義の信徒たちは集まりだす。そんな彼らをハーマンは容赦なく蹴散らした。何が正義だ!腐れ従者が!
喧騒と争いが立ち回るなか、ミウは戸惑いを感じながらもハーマンが暴れる混乱に乗じて少女の手を引いた。
…ハーマン…
ミウの目に五、六人からなる正義の信徒たちを素手でぶっ飛ばしているハーマンの暴れている姿が映った。武器を携帯しているわけではないので、殺すことはないと思うが、相手はジャスティス国の裏の騎士団正義の信徒だ。奴らは蛇のようにしつこく、狂信的だ。出来れば関わりは避けたかったが…
「…あたし、魔女じゃない」
「わかってる、わかってるわよ…」
涙目を擦るライター売りの少女の手を引きながら、柔らかな物腰でミウは答えた。しかしその言葉と裏腹に、彼女の胸には不安がよぎった。…正義の信徒、あれは人ではない。あの騎士団は心を壊された狂人たちだ。力によって支配された弱者たちのなれ果て、それが裏の騎士団正義の信徒であった…
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母を責め使用人を責めて暴れ回って、僕は自らの身に降りかかった突然の不幸を嘆いた。まだ、結婚して3年もたっていないというのに……。
そんな中。僕は遺品の整理中に隠すようにして仕舞われていた妻の日記帳を見つけてしまう。愛する妻が最後に何を考えていたのかを知る手段になるかもしれない。そんな軽い気持ちで日記を開いて戦慄した。
日記には妻がこの家に嫁いでから病に倒れるまでの――母や使用人からの壮絶な嫌がらせの数々が綴られていたのだ。
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