38 / 117
本編
38.被新娘嘱咐(諭される)
しおりを挟む
朝食の席は当然のように紅夏と一緒だった。
おそらくまた今夜侍女たちに質問責めにあうに違いないと思いながらも、泣いた理由を詳しく聞かれなくてよかったとも思った。
養父が世話になっている家を出るのは明日の朝早くだろうと思う。できるだけ早く養母の元に帰りたいだろうから。
目の前でお茶を飲んでいる紅夏を窺う。
どんな形であれ、先程は助かった。だから、お礼を言うべきだろう。
「……あの……ありがとうございました……」
小声で言うと紅夏の口の端がクッと上がった。
「気にするな。そなたのことは我がことと同じ。だが、泣くならば我の胸で泣いてほしいものだ」
紅児は赤くなった。紅夏がこんなふうにさらりと甘い科白を口にするから平静ではいられないのだと思う。
未だどきどきと高鳴る胸をどうにか抑え、紅児は花嫁の部屋に入った。いつも通りあまり汚れていない居間を掃除していると珍しく花嫁が戻ってきた。
紅児と部屋付きの侍女は狼狽した。仕事につくのが遅すぎたのだろうか。平伏すると花嫁の方が慌てたように言う。
「清掃中だったのね。ごめんなさい、また後で戻るわ」
そして朱雀に抱かれたまま出て行ってしまった。
紅児は唖然とした。
侍女たちの存在を無視するというならわかるが、謝って出ていくなんて不思議な方だと思う。もちろん花嫁の言うことを聞いてそのまま戻ってしまう朱雀も朱雀だ。
「気を取り直して急いで掃除しましょ」
部屋付きのもう一人の侍女に言われて紅児は気を引き締めた。
しっかり清掃し、お茶の準備を終えて居間の隅に立つ。一息ついたところで花嫁が戻ってきた。
「さっきはごめんなさい。早く戻ってきすぎちゃったわ」
「花嫁様」
謝る花嫁を延が窘める。花嫁はいたずらが見つかった子供のように肩を竦めた。
「ちょっと庭でお茶をしたいのだけど、いいかしら。紅児も一緒にね」
「かしこまりました」
そして紅児は四神宮の庭にいた。
今日の花嫁は珍しく朱雀に抱かれている。紅児が目を白黒させている間に他の侍女にお茶を差し出された。
「これぐらいの時間だとまだ気持ちいいわね」
空気がということだろう。紅児は「そうですね」と相槌を打った。この頃は朝早い時間でもかなり暑くなってきていたが四神宮の中は別だった。
四神効果というか、きっと花嫁の為に過ごしやすい気候になっているのかもしれない。
朝紅夏に腫れた目を治してもらったことで、何が起きてもおかしくはないと実感したというのもある。
「……でも、四神宮の外はもっと暑いのかしら?」
朱雀を見ながら言う花嫁はやはりわかっているようだった。
「暑いやもしれぬが……我の側にいれば大丈夫だ」
やっぱり、と紅児は思った。四神というのは周りの空気まで操作してしまうものらしい。
それにしても朱雀と花嫁の組み合わせは圧巻である。同じ暗紫紅色の髪色もそうだが玄武と共にある時とは違った一体感があった。それは大祭の時も思ったが、本日のような略式の装いでも取り合わせの妙は変わらなかった。
だからといって白虎や青龍と共にいることが不自然というわけではない。ただ、よりしっくりくるのが玄武か朱雀というだけである。
気候や天気の話をした後、花嫁が言いづらそうに切りだした。
「早くから連れ出してしまって……でも、どうしても黙っていられなかったの」
真剣な表情に、紅児は居住まいを正す。とても大事な話をされるようだった。
「明日、お義父様が帰られるのですってね」
そう言われて紅児は体の力がへなへなと抜けていくのを感じた。張っていた気が今にも緩みそうになる。
紅児の目にうっすらと涙が浮かんだ。
「休暇を取り消したということは見送りにこないでほしいとか、言われたんでしょう?」
ずばりと言い当てられる。
ぶわっ、と昨夜流し尽したはずの涙が目を覆った。
茶杯を抱えた両手を包み込まれる。心配そうな表情で花嫁が紅児の顔を覗きこんでいた。
紅児はどうにかして泣き止もうとした。けれど意志の力では止められず、ぶわりぶわりと溢れた涙が頬を伝って落ちていった。
「……っ! ご、ご迷惑を……」
ここに来てからどれだけ自分は泣いているのかと情けなくなる。ただひたすらに心配をかけて申し訳なく思いながらどうにか言葉を紡ごうとしたが、花嫁の漢服の袖で涙を拭われてしまった。けれど涙は後から後から流れ花嫁の袖を濡らすばかり。きっとしとどに濡れてしまうのではないかと思うのに花嫁は優しく紅児の頬を拭っていた。
やがて涙も止まり、しゃくり上げるのも止まってから花嫁が口を開いた。
「……エリーザは聞きわけがよすぎるわ。子供はもっとわがままでいいの」
そこで花嫁は言葉を切った。
「……え……でも来年には……」
紅児は戸惑った。この国では、紅児は来年成人を迎える。いつまでも子供だなどと言っていられない歳だろう。
なのに。
「エリーザの国の成人は18歳でしょう? まぁ……帰国しなければこちらに合わせるしかないでしょうけど、貴女は18歳が成人という文化で育ってきたはずよ。そうしたら貴女はまだまだ子供じゃない?」
当り前のように言われ、紅児は目を丸くした。
そしてまた文化の違いを思い出した。
「あ……でも私の国では、早い子は14歳でその……」
花嫁は眉根を寄せた。
「……それはそうかもしれないけど、それとこれとは別!」
ばっさりと切られ、紅児は恥ずかしくなり俯いた。
紅児が言おうとしたのは性行為のことだった。紅児の国が性に奔放なところだということは前述した。
ただ、本来国にいれば13歳で受けられるべき性教育を紅児は受けていない。だから実際のところはよくわかっていないのだった。
花嫁は嘆息した。
「単刀直入に聞くわね。エリーザ、貴女はお義父様の見送りに行きたいの? それとも行きたくない?」
「行きたいです!」
即答だった。
花嫁は満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、いってらっしゃいな」
紅児は絶句した。
そして、翌朝早く紅児は紅夏と共に見送りの為馬車に乗っていった。
おそらくまた今夜侍女たちに質問責めにあうに違いないと思いながらも、泣いた理由を詳しく聞かれなくてよかったとも思った。
養父が世話になっている家を出るのは明日の朝早くだろうと思う。できるだけ早く養母の元に帰りたいだろうから。
目の前でお茶を飲んでいる紅夏を窺う。
どんな形であれ、先程は助かった。だから、お礼を言うべきだろう。
「……あの……ありがとうございました……」
小声で言うと紅夏の口の端がクッと上がった。
「気にするな。そなたのことは我がことと同じ。だが、泣くならば我の胸で泣いてほしいものだ」
紅児は赤くなった。紅夏がこんなふうにさらりと甘い科白を口にするから平静ではいられないのだと思う。
未だどきどきと高鳴る胸をどうにか抑え、紅児は花嫁の部屋に入った。いつも通りあまり汚れていない居間を掃除していると珍しく花嫁が戻ってきた。
紅児と部屋付きの侍女は狼狽した。仕事につくのが遅すぎたのだろうか。平伏すると花嫁の方が慌てたように言う。
「清掃中だったのね。ごめんなさい、また後で戻るわ」
そして朱雀に抱かれたまま出て行ってしまった。
紅児は唖然とした。
侍女たちの存在を無視するというならわかるが、謝って出ていくなんて不思議な方だと思う。もちろん花嫁の言うことを聞いてそのまま戻ってしまう朱雀も朱雀だ。
「気を取り直して急いで掃除しましょ」
部屋付きのもう一人の侍女に言われて紅児は気を引き締めた。
しっかり清掃し、お茶の準備を終えて居間の隅に立つ。一息ついたところで花嫁が戻ってきた。
「さっきはごめんなさい。早く戻ってきすぎちゃったわ」
「花嫁様」
謝る花嫁を延が窘める。花嫁はいたずらが見つかった子供のように肩を竦めた。
「ちょっと庭でお茶をしたいのだけど、いいかしら。紅児も一緒にね」
「かしこまりました」
そして紅児は四神宮の庭にいた。
今日の花嫁は珍しく朱雀に抱かれている。紅児が目を白黒させている間に他の侍女にお茶を差し出された。
「これぐらいの時間だとまだ気持ちいいわね」
空気がということだろう。紅児は「そうですね」と相槌を打った。この頃は朝早い時間でもかなり暑くなってきていたが四神宮の中は別だった。
四神効果というか、きっと花嫁の為に過ごしやすい気候になっているのかもしれない。
朝紅夏に腫れた目を治してもらったことで、何が起きてもおかしくはないと実感したというのもある。
「……でも、四神宮の外はもっと暑いのかしら?」
朱雀を見ながら言う花嫁はやはりわかっているようだった。
「暑いやもしれぬが……我の側にいれば大丈夫だ」
やっぱり、と紅児は思った。四神というのは周りの空気まで操作してしまうものらしい。
それにしても朱雀と花嫁の組み合わせは圧巻である。同じ暗紫紅色の髪色もそうだが玄武と共にある時とは違った一体感があった。それは大祭の時も思ったが、本日のような略式の装いでも取り合わせの妙は変わらなかった。
だからといって白虎や青龍と共にいることが不自然というわけではない。ただ、よりしっくりくるのが玄武か朱雀というだけである。
気候や天気の話をした後、花嫁が言いづらそうに切りだした。
「早くから連れ出してしまって……でも、どうしても黙っていられなかったの」
真剣な表情に、紅児は居住まいを正す。とても大事な話をされるようだった。
「明日、お義父様が帰られるのですってね」
そう言われて紅児は体の力がへなへなと抜けていくのを感じた。張っていた気が今にも緩みそうになる。
紅児の目にうっすらと涙が浮かんだ。
「休暇を取り消したということは見送りにこないでほしいとか、言われたんでしょう?」
ずばりと言い当てられる。
ぶわっ、と昨夜流し尽したはずの涙が目を覆った。
茶杯を抱えた両手を包み込まれる。心配そうな表情で花嫁が紅児の顔を覗きこんでいた。
紅児はどうにかして泣き止もうとした。けれど意志の力では止められず、ぶわりぶわりと溢れた涙が頬を伝って落ちていった。
「……っ! ご、ご迷惑を……」
ここに来てからどれだけ自分は泣いているのかと情けなくなる。ただひたすらに心配をかけて申し訳なく思いながらどうにか言葉を紡ごうとしたが、花嫁の漢服の袖で涙を拭われてしまった。けれど涙は後から後から流れ花嫁の袖を濡らすばかり。きっとしとどに濡れてしまうのではないかと思うのに花嫁は優しく紅児の頬を拭っていた。
やがて涙も止まり、しゃくり上げるのも止まってから花嫁が口を開いた。
「……エリーザは聞きわけがよすぎるわ。子供はもっとわがままでいいの」
そこで花嫁は言葉を切った。
「……え……でも来年には……」
紅児は戸惑った。この国では、紅児は来年成人を迎える。いつまでも子供だなどと言っていられない歳だろう。
なのに。
「エリーザの国の成人は18歳でしょう? まぁ……帰国しなければこちらに合わせるしかないでしょうけど、貴女は18歳が成人という文化で育ってきたはずよ。そうしたら貴女はまだまだ子供じゃない?」
当り前のように言われ、紅児は目を丸くした。
そしてまた文化の違いを思い出した。
「あ……でも私の国では、早い子は14歳でその……」
花嫁は眉根を寄せた。
「……それはそうかもしれないけど、それとこれとは別!」
ばっさりと切られ、紅児は恥ずかしくなり俯いた。
紅児が言おうとしたのは性行為のことだった。紅児の国が性に奔放なところだということは前述した。
ただ、本来国にいれば13歳で受けられるべき性教育を紅児は受けていない。だから実際のところはよくわかっていないのだった。
花嫁は嘆息した。
「単刀直入に聞くわね。エリーザ、貴女はお義父様の見送りに行きたいの? それとも行きたくない?」
「行きたいです!」
即答だった。
花嫁は満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、いってらっしゃいな」
紅児は絶句した。
そして、翌朝早く紅児は紅夏と共に見送りの為馬車に乗っていった。
11
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる
しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。
いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに……
しかしそこに現れたのは幼馴染で……?
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜
美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】
Lynx🐈⬛
恋愛
ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。
それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。
14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。
皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。
この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。
※Hシーンは終盤しかありません。
※この話は4部作で予定しています。
【私が欲しいのはこの皇子】
【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】
【放浪の花嫁】
本編は99話迄です。
番外編1話アリ。
※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる