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覚醒
無職青年、徴兵される
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「――六十万とはどういうことだ‼」
一人の壮年の男が勢いよく机を拳で叩いた。
場所はセント・イスラシオ帝国中央議事堂内のとある大会議室である。
そこには息が詰まるほどの重鎮がそろっていた。
先ほどの声の主は帝国軍参謀本部司令長官、グラウロ・エストリウス・ジン・エマヌエーレ。
帝国の皇族に名を連ねる皇位継承権第一位、軍部の最高権力者である。
「第六軍団によれば、確かにその数だったということです。かの国が大陸最大の軍事規模を持つとはいえ、あれほどとは思いもしなかったですが」
そう言ったのは帝国軍第三軍団長、ローグ・エイジスである。
角刈りの頭が特徴的で、熊のような圧倒的な体格を軍の制服で包んでいる。
「徴兵したかどっかの国と組んでんじゃないのお? そんな数字あり得ないでしょ。ウチらの軍だって国中かき集めても五十万とかでしょ? 無理じゃん」
手を頭の後ろに組みながらだるそうに言ったのは、長い亜麻色の髪の女性である。彼女の肩書は帝国軍第五軍団長。
名はルカ・メビウ、広大な帝国の防御を担う最重要人物の一人である。
帝国の軍事機構は一から六までの軍団から成り立っており、各々規模はまちまちだが、それぞれ特殊な役割が割り当てられている。
第三軍団は遊撃、第五軍団は国境の要塞の管理と防衛、第六軍団は隠密行動や内偵といった具合である。
「エイジスの言う通りだ。あの国がそこまでの兵力を備えているなど聞いていない。宣戦布告もなければ全兵力を我らに向けてきた? 意味が分からん!」
あの国とは隣国にある大国、グリアモス公国の事である。
一党独裁の軍事主義国家であり、すべての大陸の領土は我が国の物だといわんばかりの粗暴な外交を行う、ある意味問題児的な国である。
そして、ルカが言ったように、公国の総人口はおよそ三千万人であり、周辺国家とも小競り合いを繰り返していて敵も多い。
そのような国がそれほどの大軍勢を挙げて帝国を突然潰しに来たのは一体何故か。
「そもそも外務庁は何をしていた! これまでに何の予兆も掴めなかったのか?あの国とは今は膠着状態にあると――」
「――もうよいでしょう、長官」
『!』
グラウロの言葉を遮ったのは鈴の音のような一人の女性の声であった。
全員の視線が彼女の方へと集まり、場の空気が一気に張り詰めた。
視線の先にいたのは、厚手の白い礼装を羽織り、肩で一直線に切り揃えられた金髪が特徴的な「少女」がいた。
「此度の事態は我が国の誰のせいでもありません。考えるべきは我が国をいかに防衛するかということです。違いますか?」
「陛下……」
グラウロは反抗したいのにできない子供のように眉を顰めた。
そう。部屋の最も上座に座っていたのは一人の少女だが、ただの子供ではない。
セント・イスラシオ帝国第十三代皇帝、シャルル・ローラン・ジン・エマヌエーレ。
帝国の最高権威にして行政の最終決済権を掌握する絶対的存在。それが彼女の正体である。
ちなみに、彼女の父である先代皇帝、ガリウス・ファーロン・ジン・エマヌエーレは一年前に死去しており、彼の遺言で十五歳のシャルルが次期皇帝となったのである。
グラウロはこれほど屈辱的なことはないと内心憤慨していたようであるが、それはまた別の話。
「これは宣戦布告がない故、戦争ではありません。侵略です。私たちは断固とした姿勢で対峙しなければなりません。すでにこの事態を重く見たヴィングスコルニル共和国から同盟の受諾を頂いております」
「ヴィングスコルニル共和国だと?」
「あの軍隊を持たないと噂の? 信用できるのか……?」
ある国の名前が出た瞬間、周囲が困惑しながらざわつき始めた。
しかし、すぐにシャルルが言葉を紡ごうとすると一瞬にして静寂が戻ってくる。
「当方の想定をはるかに超える戦力が目の前にある以上、それに合わせた対策を練らなければなりません。いつ仕掛けてくるかもわからないならばなおさらです。メルヴィン軍団長、お願いできますか?」
「はっ」
シャルルが一人の男に声をかけ、彼は長い黒髪を揺らしながらすぐに席を立った。
アイリス・メルヴィン。帝国軍第四軍団長兼参謀本部副指令であり、軍の戦略を立案する任務を担っている。
「現在の我が軍の戦力は割けても二十が限度です。そして公国が拠点を敷いている場所はこの平原になります」
アイリスは地図を広げ、指揮棒で場所を指しながら状況を説明していく。そして方々から意見が次々と出されていく。
「――戦力が圧倒的に足りない中、一番取りたくない手だな……」
「これじゃあ私が一番前じゃん。めんどくさあ」
ローグは手を口にやり、ルカは人目を気にすることなく愚痴を吐いた。
「陛下、恐れながら、これが最善の手かと思われます。どうかご決断を」
「国家の一大事だ! ここまで来たら国民にも負担を強いることはやむをえまい!」
「……」
アイリスとグラウロの言葉を聞いたシャルルは机の上で組んだ両手を口に当てた。
「このような事は帝国史上三百年で初めての事です。国民からの反発は大きいでしょう。ですが……」
シャルルは小さく言うと、しばらく目を瞑り、すっと鋭い視線を全員に向けた。
「これより、帝国憲章第九十五条に基づき非常大権を発動します。国民にはすぐに避難の準備をさせてください。〈漆黒の聖女〉及びシャルル・ローラン・ジン・エマヌエーレの名に於いて各軍団長に〈神具〉の武装、並びに万が一における『解放』を許可します。すぐに部隊編成を行い各自、国民のために己が使命を全うせよ!」
『はっ!』
シャルルの命を受け、その場の全員が立ち上がり、胸に手を当て敬礼の姿勢を取った。
◇
一か月後、シグルは未だに仕事を見つけられずにいた。
「俺、大道芸でも極めようかな。ジャグリングと玉乗りくらいならできる気がする。バランス感覚には自信があるんだ……」
既にほぼやる気をなくしていたシグルはとうとう荒唐無稽なことまで考え始めていた。
意外と周囲の目線を気にするシグルにとって、引き籠り呼ばわりされることは何としても避けたい。そう思いながらとぼとぼと家路についていた。
「そういえばリリィは親父と出掛けてたっけか」
シグルはふと思い出した。
あのリリィが仕事の手伝いなどあり得ないので、なぜグレンに付いていったのかがよくわからない。
「まあ、どうせどっかで遊んでんだろ。いいよな若いのは」
自分の事を棚に上げながら言ったシグルは、家の前に一人の少女がいるのを見つけた。
「何やってんだ? あいつ」
シグルはその少女に近づいて声を掛けた。
「おい」
「……っ! シグル!」
その少女とは、ミィハ・フロスト。シグルの幼馴染である。
腰まで伸びた少しクセのある長い茶色の髪の左右を纏め、ぱっちりとした目が特徴的な実家の果物店の人気看板娘だ。
何かあったのだろうか。ミィハは顔を真っ青にしながら赤い紙きれを持っている。
「どうしたんだよ。こんなところで」
「どうしたじゃないわよ! こ、これがドアに挟まってて……」
「はあ? 見せてみろ」
ミィハが震える手で紙をシグルに手渡し、それを見たシグルの体が固まった。
「……召集令状?」
その赤い紙には、「セント・イスラシオ帝国軍第三軍団第一補充歩兵 シグル・アトラス 右召集ヲ命セラルニ依リテ左記日時到着参集スへシ」と書かれており、その隣に集合場所と日時、そして召集に応じない場合の罰則まで付記してあった。
「な、何だよこれ……」
「町で噂になってたんだけど、こ、公国が戦争を仕掛けてくるかもしれないって……」
「は? なんだそりゃ! どっから出た話だよ⁉ ていうか何でそれで俺が呼び出されなきゃいけないんだよ!」
ミィハの言葉に混乱しているシグルは声を荒げた。
無理もない。いきなり紙を渡されて突然お前は兵士だ、今すぐ戦争の準備をしろと言われて戸惑わない者などいない。
「わ、私に言われても分からないよ……」
「ごめん……」
思わず強い口調になってしまったことに気づき、シグルは深呼吸をして何とか冷静になろうと努める。
「とにかく、これは俺だけじゃなくて、ロキも受け取ってるかもしれない。ちょっと話してくる」
「う、うん。わかった」
シグルはそう言うと、ロキの居酒屋に向けて走り出した。
この召集令状は国内の十五歳から二十五歳までの男子、延べおよそ三十万人に配られていた。
この日を境に、シグルがこっそり大切にしていた日常は届かないほど遠ざかっていく。
一人の壮年の男が勢いよく机を拳で叩いた。
場所はセント・イスラシオ帝国中央議事堂内のとある大会議室である。
そこには息が詰まるほどの重鎮がそろっていた。
先ほどの声の主は帝国軍参謀本部司令長官、グラウロ・エストリウス・ジン・エマヌエーレ。
帝国の皇族に名を連ねる皇位継承権第一位、軍部の最高権力者である。
「第六軍団によれば、確かにその数だったということです。かの国が大陸最大の軍事規模を持つとはいえ、あれほどとは思いもしなかったですが」
そう言ったのは帝国軍第三軍団長、ローグ・エイジスである。
角刈りの頭が特徴的で、熊のような圧倒的な体格を軍の制服で包んでいる。
「徴兵したかどっかの国と組んでんじゃないのお? そんな数字あり得ないでしょ。ウチらの軍だって国中かき集めても五十万とかでしょ? 無理じゃん」
手を頭の後ろに組みながらだるそうに言ったのは、長い亜麻色の髪の女性である。彼女の肩書は帝国軍第五軍団長。
名はルカ・メビウ、広大な帝国の防御を担う最重要人物の一人である。
帝国の軍事機構は一から六までの軍団から成り立っており、各々規模はまちまちだが、それぞれ特殊な役割が割り当てられている。
第三軍団は遊撃、第五軍団は国境の要塞の管理と防衛、第六軍団は隠密行動や内偵といった具合である。
「エイジスの言う通りだ。あの国がそこまでの兵力を備えているなど聞いていない。宣戦布告もなければ全兵力を我らに向けてきた? 意味が分からん!」
あの国とは隣国にある大国、グリアモス公国の事である。
一党独裁の軍事主義国家であり、すべての大陸の領土は我が国の物だといわんばかりの粗暴な外交を行う、ある意味問題児的な国である。
そして、ルカが言ったように、公国の総人口はおよそ三千万人であり、周辺国家とも小競り合いを繰り返していて敵も多い。
そのような国がそれほどの大軍勢を挙げて帝国を突然潰しに来たのは一体何故か。
「そもそも外務庁は何をしていた! これまでに何の予兆も掴めなかったのか?あの国とは今は膠着状態にあると――」
「――もうよいでしょう、長官」
『!』
グラウロの言葉を遮ったのは鈴の音のような一人の女性の声であった。
全員の視線が彼女の方へと集まり、場の空気が一気に張り詰めた。
視線の先にいたのは、厚手の白い礼装を羽織り、肩で一直線に切り揃えられた金髪が特徴的な「少女」がいた。
「此度の事態は我が国の誰のせいでもありません。考えるべきは我が国をいかに防衛するかということです。違いますか?」
「陛下……」
グラウロは反抗したいのにできない子供のように眉を顰めた。
そう。部屋の最も上座に座っていたのは一人の少女だが、ただの子供ではない。
セント・イスラシオ帝国第十三代皇帝、シャルル・ローラン・ジン・エマヌエーレ。
帝国の最高権威にして行政の最終決済権を掌握する絶対的存在。それが彼女の正体である。
ちなみに、彼女の父である先代皇帝、ガリウス・ファーロン・ジン・エマヌエーレは一年前に死去しており、彼の遺言で十五歳のシャルルが次期皇帝となったのである。
グラウロはこれほど屈辱的なことはないと内心憤慨していたようであるが、それはまた別の話。
「これは宣戦布告がない故、戦争ではありません。侵略です。私たちは断固とした姿勢で対峙しなければなりません。すでにこの事態を重く見たヴィングスコルニル共和国から同盟の受諾を頂いております」
「ヴィングスコルニル共和国だと?」
「あの軍隊を持たないと噂の? 信用できるのか……?」
ある国の名前が出た瞬間、周囲が困惑しながらざわつき始めた。
しかし、すぐにシャルルが言葉を紡ごうとすると一瞬にして静寂が戻ってくる。
「当方の想定をはるかに超える戦力が目の前にある以上、それに合わせた対策を練らなければなりません。いつ仕掛けてくるかもわからないならばなおさらです。メルヴィン軍団長、お願いできますか?」
「はっ」
シャルルが一人の男に声をかけ、彼は長い黒髪を揺らしながらすぐに席を立った。
アイリス・メルヴィン。帝国軍第四軍団長兼参謀本部副指令であり、軍の戦略を立案する任務を担っている。
「現在の我が軍の戦力は割けても二十が限度です。そして公国が拠点を敷いている場所はこの平原になります」
アイリスは地図を広げ、指揮棒で場所を指しながら状況を説明していく。そして方々から意見が次々と出されていく。
「――戦力が圧倒的に足りない中、一番取りたくない手だな……」
「これじゃあ私が一番前じゃん。めんどくさあ」
ローグは手を口にやり、ルカは人目を気にすることなく愚痴を吐いた。
「陛下、恐れながら、これが最善の手かと思われます。どうかご決断を」
「国家の一大事だ! ここまで来たら国民にも負担を強いることはやむをえまい!」
「……」
アイリスとグラウロの言葉を聞いたシャルルは机の上で組んだ両手を口に当てた。
「このような事は帝国史上三百年で初めての事です。国民からの反発は大きいでしょう。ですが……」
シャルルは小さく言うと、しばらく目を瞑り、すっと鋭い視線を全員に向けた。
「これより、帝国憲章第九十五条に基づき非常大権を発動します。国民にはすぐに避難の準備をさせてください。〈漆黒の聖女〉及びシャルル・ローラン・ジン・エマヌエーレの名に於いて各軍団長に〈神具〉の武装、並びに万が一における『解放』を許可します。すぐに部隊編成を行い各自、国民のために己が使命を全うせよ!」
『はっ!』
シャルルの命を受け、その場の全員が立ち上がり、胸に手を当て敬礼の姿勢を取った。
◇
一か月後、シグルは未だに仕事を見つけられずにいた。
「俺、大道芸でも極めようかな。ジャグリングと玉乗りくらいならできる気がする。バランス感覚には自信があるんだ……」
既にほぼやる気をなくしていたシグルはとうとう荒唐無稽なことまで考え始めていた。
意外と周囲の目線を気にするシグルにとって、引き籠り呼ばわりされることは何としても避けたい。そう思いながらとぼとぼと家路についていた。
「そういえばリリィは親父と出掛けてたっけか」
シグルはふと思い出した。
あのリリィが仕事の手伝いなどあり得ないので、なぜグレンに付いていったのかがよくわからない。
「まあ、どうせどっかで遊んでんだろ。いいよな若いのは」
自分の事を棚に上げながら言ったシグルは、家の前に一人の少女がいるのを見つけた。
「何やってんだ? あいつ」
シグルはその少女に近づいて声を掛けた。
「おい」
「……っ! シグル!」
その少女とは、ミィハ・フロスト。シグルの幼馴染である。
腰まで伸びた少しクセのある長い茶色の髪の左右を纏め、ぱっちりとした目が特徴的な実家の果物店の人気看板娘だ。
何かあったのだろうか。ミィハは顔を真っ青にしながら赤い紙きれを持っている。
「どうしたんだよ。こんなところで」
「どうしたじゃないわよ! こ、これがドアに挟まってて……」
「はあ? 見せてみろ」
ミィハが震える手で紙をシグルに手渡し、それを見たシグルの体が固まった。
「……召集令状?」
その赤い紙には、「セント・イスラシオ帝国軍第三軍団第一補充歩兵 シグル・アトラス 右召集ヲ命セラルニ依リテ左記日時到着参集スへシ」と書かれており、その隣に集合場所と日時、そして召集に応じない場合の罰則まで付記してあった。
「な、何だよこれ……」
「町で噂になってたんだけど、こ、公国が戦争を仕掛けてくるかもしれないって……」
「は? なんだそりゃ! どっから出た話だよ⁉ ていうか何でそれで俺が呼び出されなきゃいけないんだよ!」
ミィハの言葉に混乱しているシグルは声を荒げた。
無理もない。いきなり紙を渡されて突然お前は兵士だ、今すぐ戦争の準備をしろと言われて戸惑わない者などいない。
「わ、私に言われても分からないよ……」
「ごめん……」
思わず強い口調になってしまったことに気づき、シグルは深呼吸をして何とか冷静になろうと努める。
「とにかく、これは俺だけじゃなくて、ロキも受け取ってるかもしれない。ちょっと話してくる」
「う、うん。わかった」
シグルはそう言うと、ロキの居酒屋に向けて走り出した。
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