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特別編 その1
一年前 二学期 最初の日の朝
しおりを挟む◇ (おれ=風太) ◇
これは、おれと美晴が入れ替わる前の話。
おれが、戸木田美晴とかいう厄介すぎる女子の、存在すら知らなかったころの話。
*
「おはよー!」
「……」
「ねぇ、風太くん! おはよー!」
「ごめん、眠くて……」
「お! は! よー!」
「うわぁっ、お、おはようっ。雪乃っ!」
夏休み明けの、朝の通学路。夏休みが終わっても元気が有り余っている幼なじみと一緒に、おれは学校へ向かう。
「雪乃にも、女子の友達がたくさんできるといいけど……」なんて、少し心配していたのが、8年前の幼稚園時代。小学校に上がり、『吉槻実穂』という女子のリーダー格(姉貴分?)と最初に仲良くなった雪乃は、現在、クラスの女友達と一緒に毎日楽しく学校生活を送っている。
「ん? なぁに? わたしの顔、じーっと見て」
「なんていうか、雪乃は変わったなーって、思ってさ」
「えへへっ、分かる? 今日はね、いつもと違う、水色のヘアピンなんだー」
「いや、そういう意味じゃないんだけど……」
「えっ、違うの!? もうっ、ちょっと見直したのに! 風太くんにはがっかりだよ!」
「な!? なんで怒るんだよっ!」
「勘違いさせた罰として、これ持って。はい」
「手提げ袋か……。ん!? 重いっ! 何が入ってるんだ、これ!」
「習字セット、絵の具セット、リコーダーに、お裁縫セット! これで、二学期も忘れ物の心配ナシ! 賢いでしょ?」
「お前さぁ、最初からおれに持たせるつもりで、これだけの荷物を……」
「文句言わないの。男の子でしょ? 男の子は、女の子の荷物を持ってあげるものなの!」
雪乃がよく言う、この「男子は女子に○○してあげるものなの!」という理屈には、一度も納得したことがない。おれを都合良く使いたいだけだと思う。
しかし、もう雪乃からは、この手提げ袋を持とうとする姿勢は見られない。仕方なく、不本意ながら、全然納得していないけど、おれは学校まで荷物持ちをしてやることにした。
*
小学校に近づくにつれ、通学路を歩く小学生たちは増えていった。
やはり夏休み明けなので、日焼けをしているやつが多い。5年生のおれたち二人は、夏休みの思い出を大声で語る真っ黒に日焼けした下級生の集団を、その後ろで微笑ましく見守っている。
「ねぇ、風太くん。あの子たち、プールに行ったんだってさ。うらやましいね」
「おれたちも行っただろ、海に。クラゲだらけだったけど」
「うぅー……。今年の夏休みは、全然楽しめなかったよぉー!」
「何言ってるんだよ。映画館とか、植物園とか、今年の夏休みはいろんな場所に行っただろ。お前も『キレイなお花がいっぱいだねっ!』って、はしゃいでたじゃん」
「そんなの、夏限定のイベントじゃないっ! 来年はプール行こうねっ! ぜっっっったいっ! 小学生最後の夏なんだから、思い出いっぱい作らなきゃ、だよ!」
「そう言われてもなぁ。みんなと予定合わせるの、大変なんだぞ? おれたちはケータイも持ってないから、急な連絡とかできないし……」
「とにかく、来年は一生の思い出に残る夏休みにしてよね! 頼んだよ風太くんっ! ほら、小指出して約束して」
「えぇっ!? あっ、あそこに健也がいるっ! おーい、健也ー!」
「ちょっと待って! 約束がまだだよっ! やーくーそーくー!」
無理な約束をさせられる前に、おれは雪乃から逃げ、少し前を歩いていた健也の元へと向かった。そして、男子同士のカブトムシについての熱いトークが始まると、雪乃は横で退屈そうにその話を聞いていた。「虫の話はもういいよー。わたし、全然わかんないもん」なんて、文句を言いながら。
6年生の夏休みは……なんて、一年も先の話だから、あんまり具体的な約束はできないけど、また来年も、みんなと楽しく過ごす夏休みは、きっとやってくる。雪乃が願う以上に、おれもそうなるように願ってる。
来年は絶対に、「一生の思い出に残る夏休み」を……。「一生の」……「思い出に」……。
◇ ◆ ◇
◆ ◇ ◆
◇ (わたし=美晴) ◇
これは、わたしと風太くんが入れ替わる前の話。
わたしが、二瀬風太という男子に不思議な気持ちを抱くようになる日より、少し前の話。
*
「はい。みんな、一つずつとって」
「「「「わーっ! なにこれーっ!」」」」
「おみやげよ。夏休みに、ハワイに行って来たの」
「『まけだみやんなっつ』……だっけ? すごいね、一個もらうよ」
「奈好菜、男子たちにも回してあげて。真実香も、一つどうぞ」
「では、お一ついただきますわ、五十鈴お嬢様。おほほほ」
「もうっ、からかわないで。みんな、お菓子だから先生には内緒にしてね」
夏休み明け。朝の5年2組には、賑やかで楽しそうな友達の輪ができていた。その輪っかの中心では、学級委員の五十鈴ちゃんが、みんなにお土産を配っている。
わたしはというと、その輪っかの遥か遠く。静かに自分の席に座り、長い前髪の奥にある瞳で、クラスの風景をさりげなく見ているだけ。誰にも気付かれないように、さりげなく。
「……」
わたしの夏休みの思い出。
図書館で、これまでにないくらいたくさんの本を読んだこと。
お母さんと二人で、おばあちゃんの家に泊まりに行ったこと。
どこかに発表するわけでもないオリジナルの小説を、ひっそりと書き始めたこと。
……そのくらい。「クラスの友達とどこかへ遊びに~」なんて、わたしには縁の無い話。
まるで、空気。
友達のいないわたしは、この5年2組ではそういう存在だった。特別に注目されることもなく、何か嫌がらせを受けているわけでもなく。一日に発する言葉は、必要最低限だけ。授業中などのグループ活動では、同じ班の他の子たちだけで話が全て進み、休み時間は、雨の日も晴れの日も、誰とも話すことなくひたすら読書。別にそうなりたかったわけじゃないけど、そんな毎日が5年続いて現在、わたしはもう変わることを諦めかけていた。
せめて、わたしの喉がみんなと同じだったら、もう少しは……。
「美晴」
「……」
「ねぇ、美晴?」
「えっ……!?」
誰かが、わたしに話しかけてきた。このクラスでは「空気」であるハズの、わたしに。
「ハワイのおみやげよ。あなたも食べるでしょ?」
「あっ……」
五十鈴ちゃん。さっきまで、あの輪の中にいたハズの五十鈴ちゃんが、そこにいた。
クラスの楽しげな輪からそっと抜け出して、こんな輪の外の辺境まで出てきてしまっている。そして、みんなに配っていたマカダミアナッツを、わたしにも差し出している。
「ほら、一つとって」
「あ……。わ……ぁの……」
とにかく、何か言わないと。「ありがとう」とか、「一つもらうね」とか。言われたことに対して、自然な返事をしないと……!
しかし、突然のことにひどく動揺し、わたしは緊張してしまっていた。汗がぶわっと噴き出て、心臓はバクバクするし、声は上手く出てこない。
「うん? ナッツは嫌い?」
「い……! な……違っ、ぁ……」
苦しい。勝手に喉がぎゅっと絞まって、まともに言葉が話せなくなっていく。人と話す機会が来ると、いつもこうなってしまう。しっかりと、感謝の気持ちを伝えなきゃダメなのにっ……!
「あっ……、の、ぁり……が……」
その時、横から謎の手が出てきて、わたしが取ろうとしたマカダミアナッツを先につまんだ。
「なんだこりゃ? もらってくぞ、五十鈴」
ひょいっ、ぱくっ。
「うんむっ、うまいな。お前の手作り?」
「あっ、こらっ! ダメでしょ、界くん。おみやげなんだから」
「みやげェ? へぇ、どこのみやげなんだ? 福岡か?」
「違うわよ、もうっ」
「まぁ、そう怒るなって。おれも夏休みの旅行のみやげ、持ってきたからさ。こっちに来いよ」
「ええ……」
五十鈴ちゃんとマカダミアナッツは、横からひょっこり現れた界くんに、そのまま連れ去られてしまった。
「あっ……。わ、わた……し……の……!」
もう遅い。何もかも手遅れなわたしの前から、五十鈴ちゃんは消えた。
精神の弱さと、異常な喉の圧迫のせいで、わたしはまた空気に戻ってしまった。五十鈴ちゃんから話しかけてくるという、千載一遇の仲良くなれるチャンスを、みすみす逃して……。
キンコーン。
ガラッ。
「はい、みんなおはよう。ほらほら席に着いて、静粛に!」
担任の先生が教室に入ってきて、クラスのおみやげ交換タイムは強制終了となった。
「……!」
悔しい。すごく、悔しい。あともう少しで、何か変えられたかもしれないのに……!
そんな無力で勇気の欠片もないノロマでグズな戸木田美晴という女の子を、わたしは強く憎み、嫌悪し、そして恨んだ。
「えーっと……。早速ですが、まずは転校生を紹介します」
「「「おおーっ!?」」」
「はいはい、みんな静かに」
黙ってうつむいていると、周囲の音が、ポツポツと耳に入ってきた。
転校生……?
「じゃあ、小箱さん。自己紹介して」
「はい。名前は、小箱蘇夜花です。5年2組のみなさん、今日からよろしくお願いしまーすっ」
ふと、顔を上げてその子を見る。
「……」
*
その日を境に、わたしの人生は変わった。
もちろん良い方ではなく、考えられる限りの最悪な方向へと。
応援ありがとうございます!
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