おれはお前なんかになりたくなかった

倉入ミキサ

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第十五章:最後の修学旅行 第一夜

合言葉はマカダミアナッツ

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 「月野内小学校 6年1組 様」
 高速道路を走る大型バス。フロントガラスの団体だんたい名札なふだしには、そう書かれている。
 
 ついにその日がやって来た。2泊3日の修学旅行が始まった。月野内小学校の6年生たちは、この小学校生活最大のイベントが、一生の想い出になるかもしれないと、期待に胸を膨らませてソワソワしていた。
 貸し切りバスの車内は、すでに騒がしい。男子も女子も、それぞれの自由な時間を、楽しく有意義に過ごしている。

 「はい。次は風太くんの番だよ」
 「うん……。うん?」

 真後ろの席の雪乃から、『風太ミハル』は一枚の紙を受け取った。
 そして、そこに描かれている絵を見て、首をかしげた。
 
 バスの一番後ろの席は、5人掛け。そこを陣取っているのは、左から順に、緩美、雪乃、実穂、亜矢、笑美のイツメン女子5人組。席取り争いに敗れた男子たちは、仕方なくその近くに座っている。

 (お絵かきしりとり……。初めて触れる遊び……)

  バスの後方で始まった、「お絵かきしりとり」という、なごやかなレクリエーション。ルールはとても簡単で、しりとりを言葉ではなくイラストで伝えるというもの。
 こんな他愛たあいのない遊びでさえも、今まで独りで過ごすことが多かった美晴にとっては、初めての経験だった。

 (雪乃ちゃんが描いたこの絵は、『おすし』かな? それじゃあ、わたしは『し』から始まるものを……)
 
 『風太』はシャーペンを使い、さらさらと「し」から始まるものの絵を描き上げた。
 しりとりなので、雪乃から回ってきたバトンを、次の人に渡さなくてはならない。『風太』はきょろきょろと周囲を見回し、自分のとなり(バスの窓側の席)に座っているソラに、絵を描いた紙を渡そうとした。

 「お絵かきしりとりだって。宙くんもやらない?」

 ソラ。6年1組の男子生徒。
 6年生の男子のなかでは小さいが、がんばり屋でガッツのある少年だ。宙は昆虫に詳しく、夏になると風太や健也は宙と一緒に虫とりに出かける。アメ玉やガムなどの駄菓子が好きで、あげると喜ぶ。
 『風太』は以前、サッカーの試合でゴールキーパーの宙に助けられている(第7章『男の子になった女の子』)。その時から、『風太』のなかでは話しやすい相手として認定され、『風太』の方から宙に声をかけることも、これまで何度かあったのだが……。

 「……」

  今日は、返答が帰ってこなかった。

 「うん? 宙……くん……?」

 『風太』は、宙の様子をうかがった。
 暗い顔で、うつむいている。まるで、誰かに怒られた後のように、とても重い空気をまとっている。いつものような明るさはなく、今から(修学)旅行に行く子どもの顔とは思えない。

 「まさか……!」

 何かを察した『風太』は、すぐさまビニール袋を取り出し、宙の前にサッと差し出した。
 いきなり袋を差し出された宙は、びっくりして小さくぴょんと跳ねた。

 「わっ! な、何だよ、風太っ!」
 「酔い止めの薬、持ってる? もし持ってないなら、わたしのを使って」
 「バカ! 違うって!」
 「え……」
 
 早とちりだった。
 ビニール袋は、突き返された。

 「そんなに吐きそうな顔してる? おれ」
 「うん。吐きそうっていうか、辛そう」
 「そっか……。辛そう、かぁ……」
 「何かあったの?」
 「いや、別に、なんでも……ない」
 
 この「なんでもない」は、明らかに何かある時の「なんでもない」だ。『風太』でもそれくらいは分かる。
 しかし、これ以上は踏み込めない。今は深い話ができるような状況じゃないと判断し、『風太』は大人しく引き下がることにした。
 
 「そう……。じゃあ、もし体調が悪くなったら、すぐに言ってね」
 「ああ。ありがとう」

 そして会話が終わると、宙はぼんやりと窓の外を眺めていた。時々、深いため息をついて。
 お絵かきしりとりのバトンは、宙には繋がらなかった。『風太』はくるりと向きを一転させ、通路を挟んだ向こう側の席にいる健也ケンヤに、声をかけた。
 
 「健也くん。これ」
 「おっ、次はおれか。さーて、風太はどんな絵を描いたのかなーっと。……ん?」
 
 お絵かきしりとりは、健也に繋がった。

 「この絵、お前が描いたのか?」
 「うんっ。伝わったかな?」
 「へぇー、意外だな。けっこう上手いじゃん」
 「ほんとっ!? えへへ……」

 頭文字は「し」。その条件で『風太』が描いた絵は、誰が見ても分かるような、「しらゆきひめ」だった。
 
 「一年生くらいの時、休み時間にいつも描いてたの。童話の表紙の、お姫様の絵。みんなドレスがかわいくて、アクセサリーがキラキラしてて……」
 「え? 一年生の時、おれと同じクラスだったよな? お前、休み時間に絵なんか描いてたっけ?」
 「あっ!? いや、そのっ! 親戚のお姉ちゃんが、そうだったの! その影響かなっ! あ、あはは……」
 「まあ、いいや。おれは次の絵を描けばいいんだよな? よーし……!」
 
 「しらゆきひめ」の「め」。健也は自分のシャーペンを取り出し、「め」から始まるものの絵を描き始めていった。
 その様子を、少しの間眺めていた『風太』だったが、しばらくして健也の耳にそっと近づき、とても小さな声で言葉を流し込んだ。

 「健也くん、ちょっといい?」
 「どうした? 風太」
 「宙くんのこと。何か知ってる?」
 「宙?」

 健也は絵を描く手を止め、さりげなくかつ自然に、宙の様子をチラッと見た。

 「元気がないみたいだな」
 「うん。なんだか気になっちゃって。本人に尋ねてみたけど、なんでもないって」
 「うーん、おれは何も知らないな。誰かとケンカでもしたのかな」
 「同じ班のメンバーだし、放っておけないよね」
 「もちろんだ。おれたちで解決できることなら、なんとかしてやりたいな。せっかくの修学旅行なんだから」
 「うんっ。宙くんの明るい顔、わたしも見たいっ!」
 「まずは、近くで様子を見よう。あまり大ごとにはならないようにな。事情が見えてきたら、先生に相談するかを考えよう」
 「分かった」

 ヒソヒソ話は無事にまとまり、『風太』は健也から離れた。
 健也は何事もなかったかのように、お絵かきしりとりの続きに戻っている。あくまで、いつも通りの振る舞いをしながら、宙の様子をこっそり観察するのだ。
 『風太ミハル』はスッと両目を閉じて、自分自身に言い聞かせるように、心のなかで言葉を発した。

 (きっと風太くんだって、こうしたよね? 風太くんにとって大切なものは、わたしが守るからね)

 *

 「なんで……短いのに……!」

 短。

 「なんで……長いんだよ……!」
 
 長。

 「なんで……ガマンできる……時間は……短いのに……、トイレの列は……長いんだよ……! 女子トイレ……!!」

 美晴が風太の想いを受け継いでいたころ、一方の風太は、高速道路のサービスエリアにて、女子トイレの洗礼を受けていた。
 
 (ションベンションベンションベンションベンションベンションベンションベンションベンションベンションベン) 

 頭の中は、小便ションベンのことでいっぱい。サービスエリアでの休憩時間もあまりは長くはないので、早く用事を済ませて、素早く6年2組のバスに戻らなくてはいけない。とにかく『美晴フウタ』は焦っていた。

 「う……くぅ……」

 顔を歪ませ、太ももをモジモジさせながら、順番を待つ。『美晴』が並んでいる女子トイレは、未だ長蛇の列だ。
 しかしその一方で、男子トイレには行列がなく、6年2組の男子や見知らぬおっちゃんが、すいすいと出入りしていく。

 「おれも……ほんとは……男子……なのにっ……! あっち側の……人間……なのにっ……!」

 残念ながら、今の風太は『美晴』。

 (元に戻りたい。元の身体に戻りたい。今だけ。今だけ風太になりたい。男になりたい。今だけ。本当に今だけでいいから。身体を返してくれ。おれと入れ替わってくれ美晴。そのあと一週間くらいは女でもいいから。頼む。お願いします。お願いです)

 ボソボソと、淡々と。声にもならないくらいの声でつぶやく。自分への気休めとして。
 プライドも何もない。とても情けなくてみっともないが、人間は便意と尿意には逆らえない。男としての自尊心を持った『美晴』でさえも、こんな風になってしまう。

 「や、ヤバいっ……! もう出るっ……!」
 
 と、決壊寸前になったところで、やっと順番が回ってきた。『美晴』は小走りで女子トイレ内の個室に入り、カチャリとカギをかけた。

 「はあぁ……。間に合った……」

 修学旅行始まっていきなりのピンチだったが、なんとか乗り切ることができた。ジャーっと、勢いよく水に流してしまえば、すっかりいつもの『美晴』に元通りだ。さっきまでの情けなさは消えた。

 「ふぅ……。そろそろ……バスに……戻らないと……」
 「ずいぶん時間がかかったわね。またおらしでもしちゃったのかと思ったわ」
 「!?」

 手洗いを終えて、女子トイレから出たところで、『美晴』は五十鈴イスズに出会った。

 「なんの……用だ……! 蘇夜花ソヨカの……手下め……!」
 「またバカなこと言って。……わたしは学級委員。クラス全員がバスに乗っているかどうか、人数確認をするのが仕事。つまり、今おかしなことをやってるのはあなたよ。戸木田美晴さん」
 「そ、それは……トイレの列が……長くて……。今終わったところ……なんだよ……!」
 「そうね。トイレには行っておいた方がいいものね。尿意や便意に……あなたはこれまで、何度苦しめられたかしら? ふふっ」
 「黙れ……! お前も……ブッ飛ばして……やっても……いいんだぞ……? あのときの……蘇夜花と……同じように……!」

 確かに、『美晴』は蘇夜花を殴り飛ばしている。あの時初めて、いじめっ子連中に一矢いっしむくいることができたのだ。
 その成功体験が、現在の『美晴フウタ』の自信へと繋がっていた。蘇夜花も、五十鈴も、界も、決して敵わない相手じゃない。貧弱な身体でも、折れない心さえあれば、どんな敵にも立ち向かうことができる。
 
 「来るなら……来い……! どんな勝負も……受けて立ってやる……! おれは……いや、『戸木田美晴』は……もう……弱くない……!!」
 
 改めて、宣言した。

 「……!」

 五十鈴は驚き、目を丸くしていた。
 その驚いた顔は、ほんの少し喜びも含まれているものだったが、『美晴』は全くそれに気付いていない。『美晴』の心は、ついに言ってやったぞという気持ちでいっぱいだった。

 「……」

 五十鈴は視線を落とし、『美晴』が左肩から襷掛たすきがけしているポシェットを見た。
 なにやらゴワゴワしたものが入っているらしく、ポシェットの形を不格好にしている。

 「それは何?」
 「え……?」
 「そのポシェット、何が入っているの? 修学旅行に持ってきてもいいものかしら?」
 「こ、これは……ただの……デジカメだよ……! カメラは……持ってきてもいいって……しおりに……書いてあるだろ……!」
 「確かにそうね。でも、トイレにまでカメラを持ち込むのは、ちょっとおかしいんじゃない?」
 「大切なもの……なんだよ……! ずっと……持ってて……悪いのかよ……!」
 「そうじゃないけど……たとえば、盗撮とうさつとか?」
 「盗撮……?」
 「最近できたヤンチャな男友達に、修学旅行の風呂やトイレを撮ってこいと頼まれた……なんて」
 「言い掛かりだ……。妄想も……いい加減にしろ……」
 「ふふっ、何を撮りたいの? もしかして、イジメの決定的証拠? 下手な動きをされる前に、今そのカメラをつぶしちゃおうかしら」
 「ああ、もうっ……! 面倒くさいな……! 普通に……修学旅行の想い出を……撮りたいだけだよ……! これは……そのための……カメラ……!」
 「楽しい想い出なんて、あなたが作れるわけないのに?」
 「そう……思ってろよ……バーカ……。おれは……絶対に……この修学旅行を……楽しかった想い出に……する……!」
 「へぇ、そうなの。じゃあ、どうぞお好きに」
 
 美晴のお母さんに見せるためのカメラなので、トイレの盗撮やイジメの証拠撮影など、するわけがない。しかし、五十鈴はやたらとそのカメラに興味を示し、しつこいくらいに使用目的を聞いてきた。『美晴』は不自然に感じ、6年2組の連中には決してカメラに触れさせないでおこうと、固く心に誓った。

 「さて、そろそろバスに戻らなきゃ。行きましょう、美晴」
 「お前とは……行きたくない……! 一人で……行くから……先に……戻ってろよ……!」
 「分かったわ。あとは……そうね。一つだけ良いことを教えてあげる」
 「良いこと……?」
 
 『美晴』に背を向け、五十鈴は言った。
 
 「ハワイのおみやげのマカダミアナッツ。あなたには、まだ渡してなかったわね。その代わりってわけじゃないけど……合言葉は、『マカダミアナッツ』にしましょうか」
 「な、なんだよ……急に……。ハワイの……おみやげ……? 何の……話……?」
 「修学旅行の間だけ使えるおまじないよ。何かあった時、わたしに聞こえるように、その言葉を言いなさい」
 「え……? 言ったら……何か……起こるのか……? じゃあ……『マカダミアナッツ』……」

 五十鈴はチッと舌打ちして、『美晴』のおデコにデコピンを喰らわせた。
 
 「痛ってぇ……! 何するんだっ……!!」
 「今じゃないでしょ、おバカ。もう少し頭を働かせなさい」
 
 *

 同時刻。
 残るは『美晴』と五十鈴の乗車を待つのみとなった、6年2組のバス車内。修学旅行というイベントで浮かれたざわつきの中で、『美晴』にとって最大の敵とも言える女子生徒、小箱こばこ蘇夜花ソヨカは、一人の男子生徒に接触をしていた。

 「そ、そそれはっ! かか解放的な、き気持ちにな、る、キャンディ!?」
 「あなたのお兄さんは、そう呼んでたね。正しい名前は『セイゲントウ』。ウィスキーボンボンに近いお菓子らしいよ。入っているのはアルコールじゃなくて……ちょっぴりのクレイジーだけど」
 
 雪乃が持っているものと同じもの。宝石のように美しいキャンディの袋が、蘇夜花の前に置かれていた。それも一袋ではなく、大量に。

 「な、なな、なんで君がそれをっ!?」
 「もらったんだよ。わたしに声をかけてきた、あなたのお兄さんから」
 「こ、こんなにたくさんっ!? きき貴重なものな、のにっ……!」
 「ちょっとおどしたらいっぱいくれたよ。優しいよね、牟田くんのお兄さんって」
 
 蘇夜花と話しているのは、牟田ムタという少年。6年2組の男子たちからは、「キモムタ」と呼ばれ、殴られたり蹴られたり私物を隠されたりしている。

 「そ、そそれで……ぼぼぼくに、どうしろって言うんだよぉ」
 「あははっ、話が早いね。この星幻糖を使って、何かできないかなーって思っててさ。そのために動いてほしいんだよ」
 「も、ももし、そそれを断ったら……?」
 「あなたはカイくんにボコボコにされて、大学生のあなたのお兄さんは退学程度じゃ済まない事態になって……ゲームオーバーとか?」
 「ひぃっ!?」
 「でも、安心して。わたしは界くんとは違うから。あなたをいじめたいわけじゃなくて、味方になってほしいだけ」
 「え……? ど、どういう意味?」
 
 蘇夜花はにっこりと笑い、星幻糖の袋を一つ手に取った。そして、牟田にそれを握らせ、優しい両手で牟田の手を包みながら、言った。
 5つ目の『刑』の名前を。
 
 「もうすぐ7月だもん。『アマガワ』だって見られるよ。きっと」
 
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