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もともとウィルフレッドとベルティーユは幼なじみ同士で婚約者だった。ウィルフレッドはフェザーストン伯爵の長男。ベルティーユはノーランド男爵の長女。理知的で穏やかなウィルフレッドが、ベルティーユは大好きだった。大好きなウィルフレッドと結ばれる日を、楽しみにしていた。
それが揺らいだのは、忘れもしない。ベルの社交界デビューの日。
ひとしきりダンスを楽しんだ二人は、少し休憩することにした。
「飲み物をとってくるよ。ここで少し待っていて、ベル」
「ええ。ウィル様」
王宮の中庭。
噴水近くのベンチに腰かけたベルティーユが頷いたのを確認して、ウィルフレッドはその場から離れた。
「お前がウィルフレッドの婚約者のベルティーユか?」
ぼんやりと宵闇に浮かぶ噴水を眺めていたベルティーユは、ふいに声をかけられて顔を上げた。黒髪に黒目、筋肉質で精悍な顔立ちの男性だ。年のころはウィルフレッドと同じ二十代半ばくらいだろうか。
「はい。そうです」
怪訝に思いながらも、ベルティーユが肯定すると、男性は隣に座ってきた。
「ふぅん。そうか、お前がベルティーユか」
じろじろと上から下まで舐めるように見られて、居心地悪くなったベルティーユはうつむいた。まるで野菜を値踏みするかのようだ。
(……ウィル様、早く帰ってこないかしら)
「あいつが執着するわけだな。顔は悪くない」
「あ、の……?」
顎を無理やりつかまれて、顔を持ち上げられる。男性の顔が間近にあって、ベルティーユは困って目を反らした。
当然未婚の淑女に対して、かなり失礼な行為だ。
「オレにとっても幸いだ。どんな女であろうとオレのモノにするつもりだったが、見栄えはいいほうがいい。跡継ぎを作るのに支障が出るからな」
(オレのモノ……? 跡継ぎ……?)
不穏な言葉にベルティーユは、困惑する。
「失礼ですが、あなたはどなたですか?」
ふん、と男性は鼻を鳴らす。
「本当に失礼だな。オレを知らないとは」
ベルティーユの顎から手を離した。と思ったら、なんといきなり口づけてくる。前振りがなさすぎて、よけることなどできなかった。
「んんっ」
(え? なぜ初めて会ったこの人が、わたしにキスするの?)
驚いてぼんやりしてしまっていたが、唇の間を舌が割り入ってきそうになったので、慌てて思いっきり男性の胸を突き飛ばす。
「わたしはウィルフレッド様の婚約者です。人を呼びますよ」
にらみつけると、男性は目を細めて笑う。
「人を呼んだら、困るのはお前も同じはずだが? 大好きな婚約者に、他の男とキスをしたなんて知られたくないだろ」
「……!」
確かにその通りで、ベルティーユは黙り込んでしまった。
「ああ。もうすぐうるさいやつが、戻って来るだろうな」
男性はベンチから立ち上がった。
「オレはオースティン・スウィフト辺境伯。少しは勉強しておけ。次に会うまでにな」
一方的にそれだけ言いおいて、男性――オースティンはさっさと暗闇に消えてしまった。
「え? あ、あの……」
辺境伯とは国境を守る重要な地位である。ベルティーユですらそれくらいは知っている。年若いオースティンがそのような立場にあることに驚いたが、父親を早くに亡くすなどして継ぐことになったのだろう。
「一体……何だったのかしら……」
(次に会うときにって……?)
暗闇に姿を消したオースティンを見送っていたベルティーユは、我に返ってハンカチで唇をごしごしと痛いくらいに拭く。
「初めてじゃなくてよかった……」
悔しくて、ベルティーユの瞳に涙が浮かぶ。瞬きしたら、こぼれてしまうだろう。
まだ結婚していないので、体こそ結ばれてはいないが、キスはウィルフレッドと何度か交わしていてよかった。初めては、絶対にウィルフレッドがいいから。
(犬か猫に舐められたと思えばいいんだわ! 忘れよう)
ウィルフレッドが心配しないよう、瞳に浮かんでいた涙をハンカチでぬぐう。
「お待たせ、ベル」
声のしたほうを見ると、両手にグラスを持ったウィルフレッドがベンチに座ってきた。
「すまない。国王陛下につかまってしまったものだから……。ベル?」
ウィルフレッドの姿を見た途端、安心してベルティーユは思わず彼に抱き着いてしまった。
「申し訳ございません。少し疲れてしまって……。しばらくこのままでいさせてください」
「甘えてくれる君は可愛いけれど、私の両手がふさがっているときにこんなことをするなんて、ひどいね?」
苦笑しながらもウィルフレッドは、ベルティーユを拒むことなどない。一息にひとつグラスを飲み干すと、それをベンチにおいて、開いた片手でベルティーユの背中を優しく抱きしめる。
「疲れたのなら帰る? 君の社交界デビューは無事にすんだから。慣れないことに疲れたのだろう」
「はい。せっかく来たのにゆっくり滞在できず、申し訳ございません」
ウィルフレッドの首元に顔をうずめたまま、ベルティーユは頷いた。
あの男とキスをしてすぐに、ウィルフレッドと顔を合わせたりなどできない。このままダンスを楽しむ気分でもないし、オースティンと会ってしまうのも嫌だった。
オースティンは、ベルティーユをウィルフレッドの婚約者だと知っていた。ならば、ウィルフレッドに聞けば彼のことが分かるだろうが……。
(聞けないわ。ウィル様には)
当然なぜそんなことを訊くのか、と聞かれるだろう。その問いに、ベルティーユはうまく答える自信がない。
(明日にでも、お父様に聞いてみることにしましょう)
だが、男爵に聞くまでもなく、彼のことを知る機会は訪れた。
それが揺らいだのは、忘れもしない。ベルの社交界デビューの日。
ひとしきりダンスを楽しんだ二人は、少し休憩することにした。
「飲み物をとってくるよ。ここで少し待っていて、ベル」
「ええ。ウィル様」
王宮の中庭。
噴水近くのベンチに腰かけたベルティーユが頷いたのを確認して、ウィルフレッドはその場から離れた。
「お前がウィルフレッドの婚約者のベルティーユか?」
ぼんやりと宵闇に浮かぶ噴水を眺めていたベルティーユは、ふいに声をかけられて顔を上げた。黒髪に黒目、筋肉質で精悍な顔立ちの男性だ。年のころはウィルフレッドと同じ二十代半ばくらいだろうか。
「はい。そうです」
怪訝に思いながらも、ベルティーユが肯定すると、男性は隣に座ってきた。
「ふぅん。そうか、お前がベルティーユか」
じろじろと上から下まで舐めるように見られて、居心地悪くなったベルティーユはうつむいた。まるで野菜を値踏みするかのようだ。
(……ウィル様、早く帰ってこないかしら)
「あいつが執着するわけだな。顔は悪くない」
「あ、の……?」
顎を無理やりつかまれて、顔を持ち上げられる。男性の顔が間近にあって、ベルティーユは困って目を反らした。
当然未婚の淑女に対して、かなり失礼な行為だ。
「オレにとっても幸いだ。どんな女であろうとオレのモノにするつもりだったが、見栄えはいいほうがいい。跡継ぎを作るのに支障が出るからな」
(オレのモノ……? 跡継ぎ……?)
不穏な言葉にベルティーユは、困惑する。
「失礼ですが、あなたはどなたですか?」
ふん、と男性は鼻を鳴らす。
「本当に失礼だな。オレを知らないとは」
ベルティーユの顎から手を離した。と思ったら、なんといきなり口づけてくる。前振りがなさすぎて、よけることなどできなかった。
「んんっ」
(え? なぜ初めて会ったこの人が、わたしにキスするの?)
驚いてぼんやりしてしまっていたが、唇の間を舌が割り入ってきそうになったので、慌てて思いっきり男性の胸を突き飛ばす。
「わたしはウィルフレッド様の婚約者です。人を呼びますよ」
にらみつけると、男性は目を細めて笑う。
「人を呼んだら、困るのはお前も同じはずだが? 大好きな婚約者に、他の男とキスをしたなんて知られたくないだろ」
「……!」
確かにその通りで、ベルティーユは黙り込んでしまった。
「ああ。もうすぐうるさいやつが、戻って来るだろうな」
男性はベンチから立ち上がった。
「オレはオースティン・スウィフト辺境伯。少しは勉強しておけ。次に会うまでにな」
一方的にそれだけ言いおいて、男性――オースティンはさっさと暗闇に消えてしまった。
「え? あ、あの……」
辺境伯とは国境を守る重要な地位である。ベルティーユですらそれくらいは知っている。年若いオースティンがそのような立場にあることに驚いたが、父親を早くに亡くすなどして継ぐことになったのだろう。
「一体……何だったのかしら……」
(次に会うときにって……?)
暗闇に姿を消したオースティンを見送っていたベルティーユは、我に返ってハンカチで唇をごしごしと痛いくらいに拭く。
「初めてじゃなくてよかった……」
悔しくて、ベルティーユの瞳に涙が浮かぶ。瞬きしたら、こぼれてしまうだろう。
まだ結婚していないので、体こそ結ばれてはいないが、キスはウィルフレッドと何度か交わしていてよかった。初めては、絶対にウィルフレッドがいいから。
(犬か猫に舐められたと思えばいいんだわ! 忘れよう)
ウィルフレッドが心配しないよう、瞳に浮かんでいた涙をハンカチでぬぐう。
「お待たせ、ベル」
声のしたほうを見ると、両手にグラスを持ったウィルフレッドがベンチに座ってきた。
「すまない。国王陛下につかまってしまったものだから……。ベル?」
ウィルフレッドの姿を見た途端、安心してベルティーユは思わず彼に抱き着いてしまった。
「申し訳ございません。少し疲れてしまって……。しばらくこのままでいさせてください」
「甘えてくれる君は可愛いけれど、私の両手がふさがっているときにこんなことをするなんて、ひどいね?」
苦笑しながらもウィルフレッドは、ベルティーユを拒むことなどない。一息にひとつグラスを飲み干すと、それをベンチにおいて、開いた片手でベルティーユの背中を優しく抱きしめる。
「疲れたのなら帰る? 君の社交界デビューは無事にすんだから。慣れないことに疲れたのだろう」
「はい。せっかく来たのにゆっくり滞在できず、申し訳ございません」
ウィルフレッドの首元に顔をうずめたまま、ベルティーユは頷いた。
あの男とキスをしてすぐに、ウィルフレッドと顔を合わせたりなどできない。このままダンスを楽しむ気分でもないし、オースティンと会ってしまうのも嫌だった。
オースティンは、ベルティーユをウィルフレッドの婚約者だと知っていた。ならば、ウィルフレッドに聞けば彼のことが分かるだろうが……。
(聞けないわ。ウィル様には)
当然なぜそんなことを訊くのか、と聞かれるだろう。その問いに、ベルティーユはうまく答える自信がない。
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