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   ◇

 教室に入って机に鞄を置くと、いつものように同級生のミホがやってきた。
「はあい、ヤッホー、かさね」
「おはよう、ミホ。元気だね」
「なによ。なんかテンション低いじゃん」
「べつにそうでもないよ」
 ふうんと軽く首をかしげると、ミホはとりとめのない話をし始めた。
 これもいつもと同じだ。
 勘が良くて気配りのできる子で、あんまり深く踏み込んでこない。
 絶妙な距離感をキープしてくれる居心地のいい友達だ。
 ミホは人の悪口も言わない。
 誰かがそういう話をしそうになると、こっそりと距離を取ったり、よそ見をして聞いていなかったふりをする。
 べつに性格がいいからというわけではないらしい。
 本人が言うには、巻きこまれるのは面倒だからなのだそうだ。
 ミホとは入学式の日にすぐ仲良くなった。
 春、高校生になった時、あたしだって少しは新しい恋の出会いに期待していた。
 初めてのカレシができる時ってどんな感じなんだろうなんて、漫画とかドラマで見たようなシチュエーションに憧れているときもあった。
 でもさすがに、パンをくわえて角でぶつかるとか、図書室で同じ恋愛小説に手を出しかけてなんて、そんな場面、あるわけないのは分かってた。
 そもそもあたし、朝はパンより断然ご飯派だし、活字の本は自慢じゃないけどまったく読まないし。
 料理のレシピ本なら見るけどね。
 でもやっぱり、カレシができる時って特別な瞬間であってほしい。
 忘れっぽいあたしでも忘れないくらい印象的な出会いであってほしい。
 それくらい望んだっていいんじゃない?
 ちょっとでもいいからロマンティックであってほしいって思う。
 ベタでいいから。
 ううん、逆。
 ベタなロマンがほしいんだ。
 夜景とか花火とか。
 素敵なカフェでハートのラテアートに顔を寄せ合って写真を撮ったりしてもいいな。
 康輔だったら『どうせ飲んだら何でも同じだろ。コーヒー牛乳じゃねえかよ』って言うに決まってる。
 桜の花散る散歩道で花びら追いかけて転びそうになって、『おい気をつけろよ』なんて腕をつかまれたり、そんなのでもいい。
 その後で、『きれいだよね』なんて言われて照れてたら、『桜がさ』ってからかわれて、ちょっとムスッっとふくれたところで、『本当はおまえのことだよ』なんて言われてみたい。
 べつに、『おまえさ、鏡見たことある?』って笑わなくたっていいじゃん。
 見なくたって知ってる。
 かわいくない。
 ニキビできてるって言われちゃうし。
 それに、康輔のことを悪く言ってばかりいるくらい中身だってひねくれてるし。
 本当はいいやつだって分かってるのにね。
 でも、ほめてやらないんだから、ひねくれてることにかわりはないか。
 そんなあたしが入学式の日に調理科教室の窓から校庭の桜並木を眺めていたら、『ホント、きれいだよね』って声をかけてくれたのがミホだった。
 ハスキーと言うほどではないけどやや落ち着いた声で、ベリーショートの髪型がボーイッシュな雰囲気によく似合っていた。
 くだらない妄想をしていたところだったから、イケメン登場かと動揺して、思わず顔が熱くなってしまった。
 すぐに女子だと気がついたけど、きっと相当変な顔をしてたんだと思う。
 ミホが当惑した表情であやまりだした。
『あ、話しかけてごめんね』
『ううん、ちがうの、こっちこそごめんね』
 ミホが気まずそうにしているから何を考えていたか正直に話したら笑ってくれた。
『イケメンかあ。入る高校間違えちゃったんじゃん。元女子校で男子少ないし、全員バカだし』
『ホントだ』
『気がつかなかったの?』
『だって、しょうがないじゃん。あたしだって、他に行ける高校なかったし。調理科なんてあるの、ここだけだし』
 知り合ったばかりなのに自然と会話が続いた。
『ねえ、ミホはどんな人がタイプ?』
 返ってきたのはあたしも知っているアニメキャラの名前だった。
『へえ、そうなんだ』
『まあ、そういうことにしておいてよ』
 今でこそ、ミホが『そういうことにしておいて』というのはウソか何かを隠しているときだってことは分かっているけど、その時は素直に受け止めていた。
 出会って少しした頃に、『かさねのそういうところがいいなと思ったんだよね』と言われた。
『そういうところって?』
『深く追及しないところ。気まずくならないし、本当にあっさり受け流してくれるじゃん』
 ちょっとため息をつきながらミホが一言付け加えた。
『やたらと絡んでくる子って、メンドクサイじゃん』
 つまり、あたしは『合格』だったというわけだ。
 もしかしたら、康輔にもそう思われてるのかな、なんて思わなくもない。
 そうだとしても、べつにそれで構わない。
 あたしがミホに感じていることだって同じだし。
 そういう割り切りが、まさに『合格』なんだろうな。
 そんな話をしていた春から半年、二人ともカレシはいない。
 ミホとあたしは二人ともペタンコ胸で、入学当初は康輔にからかわれていた。
『おまえら、ほんと、ガッカリ体型だよな』
『ひどいよ、八重樫君のバカ』
 あたしはべつに二人でペタンコ同盟を組んでもいいかと思ってたんだけど、マジ泣きするミホを見て、そんなにまずいのかと焦っちゃったのよね。
 あたしに冗談を言ったときと明らかに反応が違ったから、さすがに康輔もやばいと思ったらしく本気で謝ってたけど、ミホは半年たった今でも康輔の前では目が笑っていない。
「ねえ、鷹宮先輩って知ってる?」
 あたしは康輔が拾った定期券のことをミホに話した。
「二年生でしょ。有名じゃん。いろんなうわさ聞くよ」
「どんな?」
 ミホがにやける。
「何よ、気になるの?」
「まあ、少しはね。そんなに有名なのか、知らなかったな。普通科なの?」
 首をかしげながらミホがため息をつく。
「ちがうでしょ。八重樫君の方でしょ」
 はあ?
「美人に取られちゃうかも、なんて心配なんでしょう?」
 いやいや、どうしたらそういう話になるのよ。
「また、いつもみたいに、べつにつきあってるわけじゃないからとか言うわけ?」
 ミホはあたしの言いたいことを先回りしてくれる。
「いつまでもごまかしてないで、認めちゃえばいいのに」
「何を?」
 分かってるくせにと言ったきり、ミホは口をつぐんでしまった。
 開いた窓から風に乗って凜とした香りが漂ってくる。
 ミホが深く息を吸う。
「キンモクセイだよ」
 花の名前を教えてあげると、意外なことを言い出した。
「それも八重樫君に聞いたの?」
『それも』ってどういうこと?
「え、違うよ。なんで?」
 ふうん、と微笑みながらミホが匂いをたどるように窓辺に歩み寄った。
 あたしも並んで外の景色を眺める。
 目の前は葉が焦げ茶に色づいた桜並木で、どこからキンモクセイの香りが漂ってきているのかは分からなかった。
「入学式の日にさ、かさねと初めて話したときのこと覚えてる?」
「イケメンの妄想のこと?」
「それもあるけど……」とミホが桜並木を指した。「ほら、ここから桜の花を見ていて、八重樫君の話を聞かせてくれたんじゃん」
「あたし、なんか言ったっけ?」
「やだ、忘れてる。八重樫君、かわいそう」
 秋の桜は春とは趣が違うせいか、記憶を呼び起こしてくれそうにない。
 全然思い出せない。
 ねえ、何の話したっけ?
 聞いてみようとしたけど、ちょうど予鈴が鳴ってしまって、話はそこで終わってしまった。
 クラスのみんなが移動を始める。
「かさね、ミホ。一限から実習でしょ。ホームルームなしだよ」
 あ、そうだった。
 今日は野菜の切り方の実技試験があるのだ。
 準備も評価に入るんだった。
 あたしたちも早く調理室に行かなくちゃ。
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