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十二月には期末試験がある。
調理科は英数なんかの学科は少ないけど、その分、調理科目でペーパーテストがある。
栄養素、カロリー、アレルギーとか、食品衛生とか、覚えることはいっぱいあって、このときだけは普通科の方が楽だったかもなんて思ってしまう。
実習の方も、地元のホテルや料亭から本職の人が来てクリスマス・ディナーやおせち料理の仕込みを教わるので、いつも以上にいそがしい。
今教わったことを必ずその場で復唱させられる。
メモをとっている暇はないからだ。
少しでも違っていると叱られる。
実際に働くようになったら、そのくらいのことで弱音を言っているようでは務まらないんだろうけど、失敗すればやはりヘコむし、泣き出しちゃう子もいる。
「学校は失敗してもいいんだから、失敗して学ぶの! だけど、立ち止まっちゃだめ。お客さんに出さなきゃいけないんだからね。プロの仕事を意識して」
そう。
立ち止まってはいけない。
あたしも前を向いて生きていかなくちゃ。
試験や実習に集中していると、悩み事を忘れられるような気がする。
休憩時間になると、ふと、それがなんだったかを思い出す。
でも、記憶を深く掘り下げる暇はないから、あまり心が傷つかない。
まあ、実習とは関係ないことを考えていたらだめだな。
調理は頑張ったことが報われるからやればやるほど面白くなるのがありがたい。
うまくいったときはもちろんうれしいし、おいしい。
他の班が作った料理を味見するのも楽しみだ。
批評し合わなければいけないから、遊びじゃないんだけどね。
だから、ぼんやりしている場合じゃないんだ。
サキが呼んでいる。
「西谷ちゃん、アク抜き終わってる?」
「あ、うん」
講師の先生が駆け寄ってくる。
「そこ、火が強いよ。じっくりって言ったろ」
「はい、すみません」
「熱の伝わり方と、素材の変化の観察。料理は物理と化学のバランスが大事だ。つねに方程式を意識して」
「はい」
バランスか。
康輔のことを思い出しても、ちゃんと心のバランスを保てるようになってきた。
はじめは綱渡りみたいだったけど、最近は平均台くらいになったような気がする。
落ちそうなら立ち止まればいいし、べつにこわがって目を閉じる必要もない。
気持ちが落ち着いたらまた進めばいい。
慣れたわけじゃないけど、向き合っていける。
叫び出したいほどのさびしさとか、張り裂けそうなほどの悲しみに襲われても、いつしかそれは色あせていく。
冬至に向かうにつれて日が短くなって、現実の風景も色あせていく。
春めく季節の華やぎも、真夏の強烈なコントラストも、紅葉に彩られる秋の鮮やかさも、記憶の奥に追いやられて、冬の斜光が単一に染め上げてしまう。
でも、それでいいんだ。
ねじれてしまった世界の中で、記憶と感情のバランスをとりながら進んでいくには、そのくらいでちょうどいい。
康輔のいない世界を歩いていくには、そのくらいで丁度いいんだ。
「はあ、今日も疲れたよ」
帰り道、ミホがため息をつく。
「でも、ミホの班の、おいしかったじゃん。先生も褒めてたし」
「まあ、そうだけどね。疲れることに変わりはないじゃん」
ミホの言うことも分かる。
教わったことを覚えるだけでなく、その場で言われたとおりに実行できなければいけない。
味も見た目も完璧を求められるし、時間との勝負だから手際の良さも必要だ。
そのどれか一つが欠けてもお客さんに満足してはもらえない。
実際、褒められているときほど、喜んでいられるような余裕がなかったりする。
仕事って難しい。
「まあ、そうだけどね」
「あ、真似した」とミホがあたしの腕をつつく。
「まあ、そうだけどね」とあたしも返す。
「うわ、かさねてきたよ」
「あたし、かさねだから」
「うわ、ダジャレで逃げたよ。ていうか、そこは『まあ、そうだけどね』で押し切らなきゃ」
「まあ、そうだけどね」
イエーイと、こぶしをぶつけあう。
疲れすぎて、テンションがおかしい。
「じゃ、また明日ね」
「うん、ばいばい」
勾玉神社の前でミホと別れる。
あたしも疲れたな。
これは家に着いたらベッドに倒れて爆睡かな。
竹藪の坂道を下ろうとしたとき、呼ばれたような気がした。
……かさね……。
振り向いてもそこにはだれもいなかった。
ミホ……じゃないよね?
何か用でもあったのかな?
念のため神社の前まで戻ってみたけど、やっぱり誰もいない。
本当に何か用事があるのなら、スマホにメッセージが入っているはずだ。
やっぱり、風が運んできた空耳か。
ただの幻だと分かると、さびしさがこみあげてくる。
もういいよ。
あたし、疲れましたよ。
どこの誰だか知らないけど、どこかであたしのことを見ているんでしょう。
そんなにあたしを落ち込ませて楽しいんですか。
そんな文句を言ったところで、誰にも届かないし、返事も来ない。
早くもすっかり傾いた冬の夕日に照らされて神社が浮かび上がるように輝いている。
黄金色に包まれた境内はまわりから切り離された別世界のようだった。
引き寄せられるように、あたしは一人、鳥居をくぐった。
右側の鼻の潰れた狛犬様と向き合う。
お願いを聞いてくれますか。
あたし、もう、あきらめます。
康輔のこと、忘れます。
運命と闘うだけが解決方法ってわけじゃないですよね。
だから……、もう、いいんです。
忘れさせてください。
お願いします。
あたしの心の中から康輔の記憶をすべて消し去ってください。
二度と思い出さないように。
あたしの心を押しつぶしてください。
もう、いいんです。
だから、お願いです。
忘れさせてください。
そっと目を閉じて祈った、そのときだった。
「かさね」
え?
声が聞こえた。
間違いない。
空耳じゃない。
確かに呼んでいる。
「かさね」
あたしはこの声を知っている。
懐かしい声。
あたしが聞きたかった声。
あたしは目を開けることができなかった。
うれしさに体が震え出す。
ちょっとだけ怖くなってギュッと目を閉じる。
目を開けたらいなくなってたなんて、いやだよ。
「なあ、かさね」
大丈夫。
聞こえる。
だけど、あたしは振り向くことができなかった。
なんで?
どうして?
忘れようとすればするほど、忘れさせてくれないの?
どうして、あきらめるって言ってるのに、あきらめさせてくれないのよ。
……だけどね。
だけどね。
たとえどんなに苦しくても、どんなに心を引き裂かれても、あたしは会いたかったよ。
いるんでしょ。
康輔!
やっぱり、いたんでしょ。
「おい、かさね」
うん、何?
もう、今までどこにいたのよ。
ぎゅっと目を閉じているのに、涙がにじみ出してくる。
あたしは涙をぬぐって目を開けた。
待ってた。
ずっと待ってたよ。
今、あたしのとびきりの笑顔を見せるからね。
ほら、あたしだよ。
……え?
あれ?
振り向くとそこには男子高校生がいた。
うちの高校の制服を着た男子だ。
「よう、かさね」
声も間違いなく康輔だ。
でもそれはあたしの知らない人だった。
そこにいるのは、うちの高校の制服を着たイケメン男子だった。
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