月と海月と彼女

月樹《つき》

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一話完結

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 僕と沙羅は、学校の最寄り駅近くにある、大手進学塾で知り合った。

 沙羅が通う聖マグノリア学園は進学実績の高いお嬢様校として有名で、僕の通う英明学院は、まだ歴史こそ浅いけれど、難関国公立や医学部の合格実績を伸ばすことで知名度を上げている男子校だった。
 この2つの高校は最寄り駅は同じだけれど、どちらも進学校で…特にうちの英明学院は進学実績を上げることに重きを置いていたので、交流を持つことはなかった。

 まあ、同じくらいの時間帯に同じ駅で降りるので、
『あの娘可愛いな…』
 とか、そういう話で盛り上がりはしたけれど…うちの男子は真面目を絵に描いたような生徒が多かったから、告白するようなことも、滅多になかった。聖マグノリア学園の生徒も同様だ。

 僕のうちは普通の一般家庭で、英明学院は県内でも比較的高い授業料の学校だったため、1年、2年は独学で頑張った。
 けれど流石に3年は塾に通った方が良いだろうと親も勧めてくれ、難関国公立に強いと評判の塾に通うことになった。

 家の近くで通うか、学校の近くで通うか迷ったけれど、学校近くの方が友達もライバルも多くてやる気が出るだろうということで、こちらを選んだ。
 塾には、うちの生徒が半数近く、聖マグノリアの生徒が3割ぐらい、残りは他の学校の制服がチラホラしていた。

 初めてこの塾に来た時、オンライン授業の視聴の仕方がわからずに戸惑った。それを教えてくれたのが、隣の席に座っていた沙羅だ。

 塾の席は決まっていないので、適当に空いている席に座るため、その後、沙羅の隣の席に座る機会はなかなか来なかったけれど、姿勢の良い沙羅が入室してくると、思わず目で追っていた。
 仲良くなってから聞いたことには、沙羅の姿勢が良かったのは、子供の頃からバレーを習っていたからだそうだ。
 ピンと真っ直ぐに伸びた背筋が格好良く、指先までしっかりと意識して歩く彼女の姿は、とても綺麗だった。

 運良く彼女の隣が空いていた時に、思い切って隣に座り話しかけてみた。
『君、姿勢が良いけれど、何かやってるの?』
『えっ…私?小さい頃からバレーを習ってるから、それでかな?
 その制服は英明の人?この塾、英明の人が多いよね…話し掛けられたのは初めてだけれど…』
『うん。君は聖マグノリアだよね?
 僕らの学校、近いのに交流全然ないから…男子校だし、女の子に声掛けるのは勇気がいるからね…』
『その割には、君、普通に声掛けてきたよね?君って呼ぶのは、何か抵抗あるから、名前を聞いても良い?』
掛谷かけや宗介そうすけ。君は?』
『私は前野まえの沙羅さら

 こうして僕達は少しずつ距離を縮めていった。
 夏休みには、受験生だというのに、お互い勉強を頑張りつつも、付き合うことになった。
 僕の第一志望はとにかく国公立に入ることだった。あまり数学が得意ではないので、文系狙いだ。
 沙羅は、両親が医者なので、自身も医者となるため、学校よりも医学部に受かることにこだわっていた。
 全く目指すゴールの異なる二人だけれど、今は受験という共通の行動目標に向かい、それぞれ違う参考書を手に、同じ自習スペースやカフェで頑張った。
 ただやはり受験生という負い目もあったので、両親や友人達には、二人が付き合っていることは内緒にしていた。
 晴れて二人とも合格した暁には、周囲の人達にも話そうと言っていた。
 受験生の2人は、もちろんクリスマスもお正月も塾で過ごした。
 冬期講習最終日、これからはお互いラストスパートに入るため、テストが終わるまでは会うのをやめようと話しした。
 僕は何とか希望大学の文学部に合格し、彼女の合格発表も終わっているはずなので、連絡を取ろうとした。
 けれど彼女のSNSは全て連絡が取れず、沙羅と再び会うことはなかった…。
 交際していることを秘密にしていた僕と彼女には、共通の知り合いがおらず、彼女がどうしたのかを知ることもできなかった…ただ、塾に貼り出された合格者の名前の中に、彼女の名は無かった…。

 あれから12年の月日が流れた。
 僕は就職の際に東京に引っ越し、そこで知り合った会社の同期の野中のなか由希ゆきと3年前に結婚した。
 由希が出産のため里帰りしているので、今年のお盆は久しぶりに僕1人で、地元に戻っている。
 上京してからも、年に一度は帰省していたけれど、家と家の往復だけで、外に出掛けることはほとんどなかった。
 せっかくなので、久しぶりに高校の近くや塾の周辺も歩いてみたけれど…僕たちの学生時代とはすっかり様変わりしていた。

 そして今は、沙羅と初めてのデートで行った海に来ている。

 夏期講習の帰り、突然沙羅は
『せっかく夏なんだから海に行きたい』と言い出した。受験生の夏休みに1日たりとも無駄にできる時間はない。
 けれど、いつになく真剣な表情で懇願する彼女に『行かない』とは言えなかった。

 制服が汚れるのも気にせず、そのまま砂浜に腰を下ろした沙羅は、夕焼け空が段々濃い青に変わり、星が一つ一つと輝き出すのを黙って見ていた。
 完全に太陽が沈み、西の空に三日月が浮かび始めた頃、やっとこぼれた言葉は、

『わたし…ずっと一人っ子だと思ってたのに、違ったみたい…』

 一人っ子の彼女は、自分が病院の跡を継がなければならないと必死に勉強していた。
 その真剣さには、自分よりもはるかに強いプレッシャーが感じられた。
 けれど…

『わたしには、異母兄がいたんだって…しかもかなり優秀なの。わたしなんて、必死に勉強しても私立の医大に受かれば良い方なのに、兄はすでに東大医学部に現役合格で通ってるんですって…』

 声も立てずに、ただただ涙を流す沙羅に、何と声を掛ければ良いのか分からなかった…でも、小刻みに震える華奢な肩を抱きしめながら、仄暗い喜びを感じていたのは覚えている…。
 綺麗で優秀で家は両親揃ってお医者様で…そんな彼女に、僕は自分から声を掛けたくせに、引け目を感じていた。
 生々しい沙羅の叫びを聞いて、天上人のような彼女が、やっと地上に…自分の元に降りてきたような気がした。

 でも…それで彼女は頑張るのを止めてしまったかというと、そんなこともなく…それからも熱心に勉強を続けた。

 あの時の沙羅の体の温もりを思い出しながら、僕は空に浮かぶ月を見上げた。

『ねえ、知ってる?クラゲってまるで海に浮かぶ月のように見えるから、海月くらげって書くんだよ…』

 沙羅はクラゲが好きで、よく塾の帰り道にある熱帯魚屋でも、クラゲの水槽を見て癒されていた。

 あの時も…そう、僕達は受験直前のあの日、冬期講習の最終日もこの海に来ていた。
 冬の暗い海を見ていたら、波に打ち寄せられたのか、砂浜から近いところに一匹のクラゲが浮かんでいるのが見えた。

『ねえ、どうするの?』

 彼女の問いかけに…

『…今はそんなこと考えられない…もうすぐ共通テストもあるのに、急にそんなこと言われても…僕には他の事を考える余裕なんてないよ…』

 僕は彼女の目を見ないように、下を向いたまま呟いた。

『…でも、もともと生理不順気味で気付くのが遅くなったから…これ以上はもう決断を伸ばせないの…』

 縋り付くような目で僕を見る沙羅に、あの時の僕は…最低な言葉を告げた。

『…僕と君がそういう行為をしたのは、たった一度だけなのに…本当に僕の子供なの…?』

『…宗介は、私のことをそんな風に思っていたんだ…もういい…この忙しい時にごめん。
 私はもう少しここにいるから…1人で帰って…』

 そう言われた僕は…結局最後まで沙羅の目を見ることなく、1人家に帰った。
 それ以降、僕が彼女に会うことも、連絡を交わすこともなかった…。

 そんな僕が、もうすぐ父親になる。
 あの後、沙羅はどうしたのだろう…?

「ねえ、どうしてクラゲは水の母と書くのかな?」

 砂浜には誰もいなかったはずなのに…近づいて来る足音も聞こえなかったのに…突然声を掛けられ、驚いて横を向くと、そこには…

「沙羅…」

 あの頃と変わらない…聖マグノリアの制服を着た沙羅がいた。

 あの頃と同じ美しい横顔で、僕の隣に座り、海を見ている。

「私もなりたかったな…母に…」
 怒るでもなく、淡々と穏やかに話す沙羅。
 そんな彼女に、今さら言い訳することもできず、ただ…

「ごめん…」
 謝ることしか、僕にはできない…。

「それは何に対しての謝罪なの?」
 沙羅は問い詰めるわけでもなく、ただ疑問に思うことを聞いてくる。


「あの時…思い悩む君を1人置き去りにしたこと…音が聞こえ、君が海に入っていくことに気付いていたのに、止めなかったこと…次の日、事件になれば僕が一緒だったことが問い詰められるのではないか?と思い、保身のために、必死に新聞やニュースを調べていたこと…でも、ニュースにはならなくてホッとしたこと…あの時、君に何か起こったはずなのに…それを確認しようともせず、何もなかったことにして、自分1人幸せになろうとしたこと…」
 僕が告白するのを、彼女はただ静かに聞いてくれた。
 それはまるで告解を聞く神父のようだった。

「あなたは、いま幸せ?」
 沙羅は、あの頃と…付き合っていた頃と変わらぬ優しい口調で尋ねてきた。

 あの後、希望の大学に入った僕は、それなりに大学生活を謳歌し、第一希望は落ちたけれど、2番目に入りたかった会社に勤め、そこで出会った由希とは、ちゃんと恋愛して結婚した。子供ももうすぐ産まれる。でも…

「あの時のことをずっと後悔している…。幸せだと感じれば、感じるほど…こんな僕が幸せになって良いのか?と罪悪感でいっぱいになる…」
 今回、この海に来たのも、こんな僕が本当に父親になって良いのか…?という思いに駆られ…気がつけば、ここにいた。

、私のことなんて忘れて、幸せになれば良いのに…」
 彼女はいつの間にか空の高いところに昇った月を見上げながら、そう呟いた。

 こちらに帰ってきた時、やはり気になって、彼女の実家がいまはどうなっているのかを調べた。
 ご両親は健在だけれど、今はそこにと呼ばれる、新しい医師が増えている。
 東大卒のエリートで、腕も確かで、人当たりも良いと、評判の先生だ。
 彼はまるで最初からその場所にいたかのように…そして沙羅という娘など初めからいなかったかのように…前野家は穏やかに変わることなく存在した。

 しんみりしてしまった空気を変えるように、彼女は立ち上がるとこちらを振り返り言った。

「前に宗介、受験が終わったら、私のバレーを踊るところが見てみたいと言っていたでしょ?今から見せてあげる」

 彼女は月をライトに、波音を伴奏に、海を舞台にして、ダンスを踊り始めた。
 それはとても幻想的で美しく…そしてとても悲しいダンスだった。
 たった1人で踊る彼女に寄り添うのは、クラゲのような月だけ…。

 僕は思わず彼女に手を伸ばそうとしたけれど…止められた。

「ダメよ。こっちに来ては駄目」

 踊り終わった後、お辞儀をし、微笑みながら彼女は、あの頃の気持ちを話してくれた。

「ずっと寄り添ってくれてありがとう。あの頃の私にとって、宗介と過ごした時間だけが生きていると実感できたの。
 努力しても認めてもらえない、優れた両親から生まれたのに出来損ないの私に、あの人達は期待していなかった…。ただ、これ以上家の恥にならないでくれたらいいとぐらいに思われていたのに…結局最後は思い切り泥を塗っちゃったな…」

「出来損ないなんかじゃない…。綺麗で優しくて優秀な君に、僕は憧れるとともに、ずっと嫉妬していた…」 

 沙羅はちょっと驚いた顔をした。
「そうなの?宗介はいつも余裕な感じで…そんな風にはちっとも見えなかった…」

 それからも、僕達は時間を忘れたように、あの頃話せなかったお互いの気持ちを素直に語り尽くした。

 空が白み始めた頃、彼女が呟いた。
「もう私、行かなくちゃ…」

 そう言って海に向かおうとする沙羅の手を、今度はしっかり握りしめた。
 あの時、彼女を1人で行かせたことを、僕はずっと後悔していた。

「宗介、駄目よ。あなたはこちらの世界に必要とされる人なの。あなたには待っている人達がいる」

「じゃあ、沙羅は?これからもずっと1人で淋しいダンスを踊るの?
 僕の家族には、僕以外にも愛してくれる人達がいるし、僕がいなくなっても支えてくれる人達がいる…でも君には…」

 沙羅は悲しそうな目をして、首を振った。
「私は自分の身勝手でを犠牲にした。だから、これは当然の報いなの…」

 それが当然の報いだと言うのなら…
「父親なのに、子供も君も見捨てた僕はもっと罪深い…。そんな僕に幸せな家庭を築くことなんて許されるのだろうか…?」

「許されなくても、そうしなければいけない。あなたには今の家族を守る責任があるのだから…。
 もう、ここには来ないで。
 そして、私のことは忘れて…できれば幸せになって…」


 結局、僕はまた彼女を置いていってしまった…。

 沙羅は『私のことは忘れて…』と言ったけれど、こうやって満月を見ると思い出す。

 今でも彼女は月の下、哀しくも美しいダンスを踊っているのだろうか…?



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お読みいただきありがとうございます。
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