首斬り源八郎と奇縁の亀若丸 ~刻まれる高貴な血~

橋本洋一

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「――介錯つかまつる」

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「首斬り源八郎げんぱちろうさん、ご無沙汰しております。今日も不機嫌そうですね」

 文政ぶんせい十一年の夏、江戸。
 俺が行きつけの店で蕎麦を啜っているところに友人の川路かわじ三左衛門さんざえもんがやってきた。
 夕焼けが綺麗ですっきりとした夜風が吹く時刻だった。

「三左衛門。人の面見て不機嫌とか言うなよ。これでも上機嫌なほうなんだ」
「へえ。そりゃあ何か良いことでもあったんですか?」
「美味しい美味しい蕎麦を食っているからよ……とりあえずお前も座れや」

 真向いの空いている席を勧めると「ではお邪魔します」と言って三左衛門は座った。
 そしてかけ蕎麦を頼む。
 こいつは夏だと言うのに熱い蕎麦が好きなのだ。
 相変わらず、変な野郎だ。

「それでどうだ? 幕府の仕事は順調か?」
「ええまあ。いろいろと経験させていただいていますよ」

 三左衛門は二十半ばだというのに幕府の要職を歴任している。生まれも育ちもいいが、こいつの器量が優れているからだろう。
 こっちは浪人で門人だってのに、恵まれていやがるな。

 恵まれていると言えば容姿もそこそこ良い。
 目は小さいが端正な顔つきで面長だ。かといって軟弱な雰囲気ではない。むしろ剃刀を思わせるような印象を受ける。それこそ切れ者なのだ。

「源八郎さんは師匠の跡を継ぐらしいですね」
「まあな。だけど浪人には変わりない」
「今よりずっといい暮らしができるじゃないですか」
「代わりに血生臭いことをせにゃならん……お前も承知しているだろう」

 曖昧な言い方なのは蕎麦屋の中だからだ。
 お世辞にも広いとは言えない。しかも裏路地の近くで立地も悪く、建物自体もガタがついている。けれども、客は絶えないので誰が聞き耳を立てているか分からない。だから互いに身分を知られないように会話している。

 三左衛門は今、勘定吟味役かんじょうぎんみやくを仰せつかっている。こんな四十過ぎの初老に丁寧に接するのがおかしいくらいの立場の人間だ。たまたま俳諧はいかいの寄合で知り合っただけの間柄だが、常に俺を立ててくれている。慇懃無礼いんぎんぶれいな口を利かれるが、それは甘んじて受け入れよう。

「そういえば、この前越後国えちごのくにに行っていたのですが――」

 改めて話をしようと三左衛門が言いかけたとき、俄かに蕎麦屋の外が騒がしくなってきた。
 三左衛門は話をやめて「どうかしたんですかね?」と怪訝そうにする。

「さあな。馬鹿が喧嘩でもしてんだろ」

 ほっとけと俺は言うと、ちょうど店の者がかけ蕎麦を持ってきた。
 それもそうですね、と三左衛門はふーふーと蕎麦を冷まして啜る。
 猫舌のくせに熱いもの頼みやがってとは思うが、そこは奴の自由だから何も言わない。

「た、大変だ! 人が斬られている!」

 大声でとんでもないことが聞こえてくる。
 三左衛門がぶっと蕎麦を吐き出す――ごほんごほんと咳き込むがどうでもいい。

「ちょっと様子を見てくる。お前はここで待て」
「何を言っているんですか。私も行きますよ」

 勘定を置いて外に出ると、やけに熱い空気に覆われる。
 数人の人だかりの中心に一人の男が倒れていた。

 武家風の装いでそれが血まみれになっている。
 おそらく袈裟斬りに斬られたのだろう。荒い息遣いで仰向けに倒れていた。
 多分、この怪我では助からない――

「どうした? 何があった?」

 俺が近くにいた男に訊ねると「う、裏路地から突然、出てきたんです!」とつっかえながら答えた。かなりうろたえている。隣の三左衛門は吐きそうな顔をしていた。

「血まみれで、この場で倒れて――」
「医者を呼べ。それと奉行所に行って岡っ引き呼んで来い」

 俺が指示をすると数人が駆け出した。
 三左衛門は吐き気を我慢しつつ「どうしたんだ!」と倒れている男に言う。

「誰に斬られた!?」
「はあ、はあ、ぶ、武士とお見受けいたす……」

 男は俺たちに縋るように手を伸ばしてきた。

「か、亀、若丸、様を……」
「かめわかまる? そいつがどうしたんだ?」
「狙われている……守ってくだされ……」

 そう言った瞬間、多量の血を吐き出す。
 三左衛門は一歩下がったが、俺は伸ばした手を掴んだ。

「亀若丸はどこにいる?」
「裏路地の奥……隠れている……は、早く……」
「三左衛門。この者を頼む」
「源八郎さん、どうするつもりですか? まさか、助けるんですか?」
「当たり前だ。死にかけの男が頼んでいるんだぞ? 聞き入れるのは武士の責務だ」

 返事を待たずに俺は裏路地へ入る。
 入り組んだ道だが、よく通る俺にしてみれば慣れている。
 すると甲高い子供の声が聞こえてきた。

「嫌だ! 放せよ!」
「この――いい加減にしろ!」

 三人の武士が子供を囲んでいる。
 帯刀しているが、抜いてはいない。
 どこかにかどわかすつもりだ――

「待て……待て! 貴様ら、その子供に何をするつもりだ?」

 油断なく刀の柄に指をかけてじりじりと三人に寄る。
 振り返って睨んでくる――その目は血走っていた。

「なんじゃ貴様は! 関係ないだろうが!」
「てめえらが斬ったんだろ……あの男を。俺はそいつから頼まれたんだ」

 すると子供が「銀次郎が、斬られたの!?」と大声を上げた。
 あいつ、銀次郎って名前なのか。

「死に際の頼みなんだ……その子を返してもらうぞ」
「はん。酔狂な野郎だ。死んでも後悔するなよ!」

 二人の武士が刀を抜き、一斉に襲い掛かる。
 一人は子供を逃がさないためか――

「きええええい!」

 気合を込めた袈裟斬りに対し、俺は半身になって――素早く脇を斬る。
 浅く斬ったが思いのほか血が噴き出た。
 倒れ伏す武士に臆したのか、もう一人は上段に構えたままこちらの様子を窺っている。

「どうした? かかってこないのか?」

 俺は平正眼ひらせいがんに構えて――振り下ろされた刀を弾く。
 力の込め方がなっていない。あれでは軽い力でも弾き返せる。
 その勢いで尻餅を突いた武士。目に怯えが浮かんでいる。

「動くな! この子供がどうなってもいいのか!」

 見ると残りの武士が脇差を子供に向けている。
 子供は蒼白な顔で脇差を見ていた。

「おい。お前、覚悟はあるんだろうな?」
「な、なにを――」
「子供を刺したら必ず殺す」

 俺は脇を斬られて苦しんでいる武士に近づいた。
 他の二人と子供は俺の意図が分からないようだ。

「――介錯かいしゃくつかまつる」

 頭を垂らした格好だったので容易かった。
 俺は――武士の首を叩き斬った。
 ぶしゃあと噴き出る血。
 だけど完全に首は落とさない。皮一枚でつながっていた。

「な、な、お、お前……」
「どうする? 命を懸けたやりとり、するか?」

 言い切ると子供の力が抜けた。
 首を落としたのを見て気を失ってしまったのだろう。
 完全に力が抜けたのに動揺して武士たちは俺から目を切った。

 その瞬間、俺は子供を抱えていないほうに突進した。
 こちらを向いたときはもう遅い。
 刀を斬り上げて右手首を――落とした。

「ぐぎゃあああああああああ!」

 不明瞭な悲鳴を上げて倒れる仲間を見て、もう一人の武士は子供をほっぽり出して逃げてしまう。
 俺は気絶している子供を見た。身なりは百姓の子のようだ。しかし知性を感じる顔つきをしている。話してみないと分からないが賢そうだとは思う。歳は……十歳くらいか。

「おいお前。どうしてこの子供を狙う?」

 右手を失った男に訊ねる。
 苦痛に喘ぎながら、男は「お前は、何も知らないのか……」と逆に問う。

「この子が何者なのか、知らないのか……それで助けたというのか……」
「それがどうした?」
「お前は、後悔する……それも遠くないうちに……!」

 話す気がないと分かったので喉を刺した。
 男は口をパクパク開けた後――死んだ。
 首を斬るまでもない。

「さてと。これからどうしたもんかねえ」

 子供を脇に抱えていると「動くな!」と声がした。
 新手か? と思い振り向くとそこには同心と岡っ引きがいた。

「お前が、斬ったのか!?」
「ああ、全員殺した」
「なんだと!? ……いや、その顔、見覚えがあるな」

 同心が油断なく俺の顔をまじまじと見る。
 直後、ハッとして二歩下がった。

「お、お前は……!」
「俺もあんたの顔、見覚えがあるぜ。師匠に頼んでいたな――罪人の処罰を」

 すっかり暗くなった裏路地の中、俺は何の気負いもなく告げた。

御様御用おためしごよう山田朝右衛門やまだあさえもん吉睦よしむつが門人――三輪源八郎みわげんぱちろう吉昌よしまさ。それが俺の名だ」
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