首斬り源八郎と奇縁の亀若丸 ~刻まれる高貴な血~

橋本洋一

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「……それでも俺は継ぐ。山田朝右衛門の名を」

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「話は聞かせてもらったが……にわかに信じがたいな。どうして百姓の子が武士連中に狙われる?」
「それが分かれば苦労は要らない。知れば今すぐにでも首謀者に直談判しに行くさ」

 それから半刻後。
 八坂神社から離れて俺と亀若丸は周助の家にいた。
 俺たち三人以外、誰もいなかった。周助は一人暮らしで奥方とは別れたと言う。
 それでも意外と清潔で物も整頓されていた。

「三左衛門殿も人が悪い。手紙に詳細を書いてくれればいいのに」
「時間がなかったんだろ。そこは奴の代わりに謝る」
「謝罪が欲しいわけじゃない。ある程度対策が必要だと思ったんだ」

 周助の言い分はもっともだ。
 三左衛門は言葉足らずなところがあった。
 それなのに俳諧では見事な句を詠むのだからおかしな話だ。

「えっと。周助はおいらを守ってくれるの?」

 どうしたものかと亀若丸が訊ねた。
 内心、断られるのが不安なのだろう。
 けれども周助は「当たり前だ」と力強く頷いた。

「子供を見捨てるなんてみっともないことできるか」
「周助……ありがとう!」
「構わんよ。とりあえず俺の弟子……みたいな者たちを呼んでおく。それならしばらく大丈夫だろう。交代で見張ればそいつらも手出ししない。それで約束の五日間は凌げる」

 頼りになるものだ。これで俺の肩の荷も下りたな。弟子がどれだけ強いのかは分からないが、守りが堅いとなれば奴らも俺たちを無理に襲わないだろう。

「先生、失礼します……おや、先ほどの方ですか」

 今は夏で障子やふすまが開けっ放しだった。
 そこへ先ほど周助のことを聞いた百姓の若者がやってきた。
 がっしりとした体格で口が異様に大きい。百姓にしては鍛えられている印象だ。

「なんだ久次郎きゅうじろうか。というより源八郎殿と知り合いだったのか?」
「知り合いではない。お前の所在を訊ねただけだ」

 俺の言葉に「左様でございます」と若者――久次郎は頷いた。

「そういえば名乗りませんでしたね。俺は宮川みやがわ久次郎きゅうじろうといいます。嶋崎先生の門人をしております」
「おいおい。門人って言うなよ。俺は師匠の跡を継いでいない」
「前々から気になっていましたが、どうして天然理心流てんねんりしんりゅうを継がないんですか?」

 周助は俺をちらりと見てから「俺にも事情があるんだよ」と歯切れの悪い言い方をする。

「席を外そうか?」
「いや。それには及ばない。こら久次郎。余計なことを言うな」
「しかし、あの近藤こんどう三助さんすけ先生が亡くなってもうすぐ十年経とうとしています。皆さん待っていますよ」

 なおもしつこく言おうとしたのを「今はやめておけ」と周助は注意した。
 亀若丸のこともあり、これ以上余計な面倒に首を突っ込みたくないので「この者が守ってくれるのか?」と話を進める。

「うん? ああ、そうだな。久次郎、皆を集めてきてくれ。大事な話がある」
「ええ、構いません。すぐに呼んできますよ」
「あ。お前の用件はなんだ?」

 周助が訊ねると「実は変な人たちが村にいましてね」と久次郎が神妙な顔で言う。

「お武家様だとは思いますが、どうも役人でもないようで……」
「……周助。多分、俺たちの追っ手だ」

 やはり枯れ木の武士だけではなかったか。

「それを含め、皆を集めて話す。至急頼む。それと怪しいやからには近づくなよ」
「分かりました……先生もお気をつけて」

 久次郎は足早に去っていく。
 緊張感が漂う中、周助が背筋を伸ばしつつ空気を変えようとする。

「もうすぐ日が暮れる。飯の準備をしつつ待とう」
「手伝おう。亀若丸は少し休んでろ。疲れているだろう?」
「うん……でもいいの?」
「子供が気を遣うな」

 俺は周助の後に続いて台所に立つ。
 ここもまた綺麗に片付いていた。
 案外、まめな性格なのかもしれない。

「そこの包丁で漬物を切ってくれ……というか、作れるのか?」
「まあな。俺の師匠は夜中に飯を作れとわがままを言う人で、俺を含めた弟子たちはよく叩き起こされて作らされたものさ」

 とんとんとんと小気味よく漬物の大根を切っていく。
 周助は「師匠って剣術のか?」と作り置きした汁物に火を点けた。

「剣の達人だが、そうじゃない。道場主でもないしな」
「じゃあ何の師匠なんだ?」
「俺の師匠の名は――山田朝右衛門さ」

 周助はお玉で鍋をかき回していた手を止めた。
 それから驚いた顔で「あの御様御用のか?」と訊いてくる。

「そのとおりだ。でも俺は今、破門の身だけどな」
「亀若丸のことしか聞いていなかったが、あんたもいろいろ事情がありそうだな」
「簡単に言えば破門を取り消してもらうために、亀若丸を守っているんだ」

 切った漬物を皿にのせる。
 みずみずしくて美味しそうだ。

「師匠の跡、継ぎたいのか?」
「四十過ぎまでそのために生きてきたんだ。そうに決まっているだろ」
「介錯人ということは、人を殺めるんだろう?」
「それが公儀から申し渡された務めだからな」

 汁物を椀によそう周助は「余計なことを言うが」と断りを入れた。

「人を殺めるのに罪悪感はないのか?」
「剣客がおかしなことを言う。あるに決まっているだろ」
「ならなんで継ごうとするんだ?」

 何故不思議に思われているのかまるで分からないが、俺は至極当たり前に答えた。

「それしか道がないからだ」
「そうじゃない。罪悪感があるのに継ごうとする気持ちが分からないんだ」
「……もし、腕が確かではない者が介錯をしたならば、仕損じて苦痛を与えるかもしれない」

 師匠の受け入りだが、話さないよりはマシだろう。

「俺が行なえば痛みもなく安らかに逝ける。誰かがやるべきことを成す。ただそれだけだ」
「…………」
「お前は人を斬ったことあるんだろう?」

 疑問ではなく確信をもって言ったのは先ほどの戦いを見たからだ。
 人を斬った者でなければあのような容赦のない攻撃はできない。

「夜盗を殺したことはある。しかし功名心で斬ったわけではない。あくまでも自衛のためだ」
「功名だろうが自衛だろうが、人を斬ったことには違いない」
「何のために斬ったのかは重要だろう。それが無ければ辻斬りと変わらないことになる。俺も、あんたも」

 本質的には何の違いもないだろう。
 人が人を殺すのはとても罪深いことだ。やってはならないことだ。
 しかし自衛のためや苦しめないための殺しは正当化される。
 やむを得ず殺さなければならない状況は泰平の世にもある。
 とても悲しいが――事実としてある。

「御様御用は幕府に必要な務めだ。たとえ人殺しと非難されても続けなければならない」
「そのための人柱ひとばしらになるのか?」
「自己犠牲のつもりはない。幕府の要請に従うのは武士の責務だ」

 話は以上だと俺は漬物の皿をもって亀若丸のところへ持っていく。
 余程疲れたのか、床に転がって眠っていた。
 とりあえずちゃぶ台の上に漬物を置き、腹が冷えないようにその辺の手拭いを被せる。

「……優しいんだな」
「勘違いするな。風邪をひかれたら面倒になるだけだ」

 亀若丸の寝顔は穏やかなものだった。
 出会ったばかりのとき、うなされていたのが嘘のようだ。
 このまま守り通せればいいのだが。

 唐突に周助は「俺は人を斬ったことを後悔している」と言う。
 軟弱とは思わない。
 俺も最初はそうだった。

「度胸がついて技量が上がったが……斬らなかったほうが良かったと思っている」

 剣客は人を斬って一人前になる。
 逆に言えば人を斬らねば半人前ということだ。
 それはいつの時代でも変わらない。

「あんたは後悔していないのかい?」

 周助は問う。
 俺の心に、俺の性根に、俺の信念に――問う。

 だけど、俺の答えは決まっていた。
 養子に出されたときから――決まっていたのだ。

「……それでも俺は継ぐ。山田朝右衛門の名を」
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