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「行くぞ――嶋田ぁ!」
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「源八郎。おいら待っているからね」
昼前にはすべての準備が整っていた。
昨日の雨が嘘のように、雲一つない快晴だった。
亀若丸に見送られて俺は村長の家を出た。
「ああ。必ず戻ってくる……村長、亀若丸のこと頼んだぞ」
「ええ。お任せください」
最後に俺は亀若丸の頭を撫でた。
さらさらとした髪がふと吹いた風と共に流れていく。
力強く頷いて――門を出た。
「源八郎! 絶対に勝って!」
振り返ることなく、俺は手を振って応じた。
負けられない戦いに臨むのは初めてだった。暑い日なのに血がひんやりと冷えるのを感じる。程よい緊張感が俺を包んでいた。
村の者に訊いて鷲宮神社の裏手までやってきた。鬱蒼とした森を抜けると花々が咲いていて、小川の流れている場所に出た。足元はぬかるんでいる。勝負に影響が出なければいいと思う。
「よう。逃げずに来たんだな」
既に嶋田と三人の武士が待ち構えていた。
腕組みをして気合が充実しているのが分かる。
「もう一人はどこだ?」
昨日、嶋田と話していた武士が見当たらない。
嶋田は「あの人――佐伯殿ならここにはいない」と言う。
「ご家老様へ報告に行った。俺が亀若丸を連れてくるってな」
「信用されているんだな……いや、敢えて軽率だなと言っておく。俺が勝つとは思わないのか?」
「思わねえよ。昨日も言ったがあんたじゃ俺に勝てない」
嶋田はゆっくりと刀を抜いた。
応じるように俺も刀を抜く。
「約束の刻限だ。始めようぜ」
「ああ。そうだな……」
ちらりと三人に視線を向けると「そいつらは見届け人だ」と嶋田は失笑した。
「安心しろ。俺が死んでも手は出さねえよ」
「そうかい……」
ゆっくりと俺たちは移動していく。
戦いやすい場所を選んでいるのだ。
やがて足場がしっかりしているところで止まった。水溜まりもなく足が取られることはないだろう。
「行くぞ……三輪源八郎!」
「来い! 嶋田四之助!」
俺たちの気力が十分高まった時点で――互いに斬りかかった。
がぎん! という刀と刀がぶつかり合う音が辺りに響く。
あまりの力強さで刀から火花が散る――
「あんた、この前より強くなってんな……!」
「当たり前だ……!」
ほぼ同時に離れて、正眼に構える俺たち。
嶋田がゆっくりと右へ移動する。
俺もまた円を描くように移動した。
「流石に乃村を倒しただけはある」
「そういえば知り合いだったか」
「あいつがどう思っていたかは知らねえが……好敵手だったな」
嶋田は正眼から下段へと構えを変えていく。
以前出さなかったあの技を繰り出すつもりなのか……
「一撃だ。これで仕留める。覚悟はいいか?」
「はん。覚悟なんて既に決まっているぜ」
嶋田は見たことがないくらい、刀の切っ先を下に向けた。
おそらく奴の得意とする斬り上げ技だとは思う。
ならば躱してしまえばいい――その後の隙を狙う。
「行くぞ――嶋田ぁ!」
俺は上段に構えて嶋田に迫る。
足元がぬかるんで、止まりかけた。
すると嶋田は――
「でりゃあああああ!」
気合を込めた咆哮が俺の耳に届いた――その直後、俺は、刀の軌道を見切れずに、血飛沫が飛ぶのだけ、見られた。
何が起こったのかまるで分からない。
ただ自分が仰向けに倒れた……それしか認識できない。
「はあ、はあ、はあ……」
俺の口から荒い呼吸が漏れる。
斬られた、だけど、まだ生きていた。
「……ちっ。半歩間合いから逃れたか」
嶋田の悔しそうな声が聞こえた。
ぬかるみが無ければ、俺は一刀の元、斬り捨てられていた。
わき腹が軽く斬られている……血が流れていた。
「く、そ……」
立ち上がって、よろよろと、嶋田から離れる。
「おいおい。どこに行くんだよ。勝負はまだついてねえぞ?」
一転して嶋田は呆れと失望が入り混じった声になる。
それでも俺は背を向けて歩く。
ここでは駄目だ……
「はあ。そんな卑怯者だとは思わなかったぜ。介錯人のくせに、死ぬのが怖いのか」
俺の後をついてくるのが背中越しに伝わった。
まだだ。あと少し……
「おい! いい加減に――」
嶋田が怒鳴ろうとして、ようやく気づいた。
俺は振り返って「ここじゃ、その技、使えねえだろ」と刀を構えた。
逃げるふりをして――ぬかるみの多い場所へ誘導した。
焦る嶋田に対して「あの技は足場がしっかりしてねえと出せない」と言ってやる。
「昨日、雨が降っていたとき、お前は勝負を避けた……ぬかるんで足をしっかり踏ん張れないのを怖れたんだ」
雨さえ止めば足場がしっかりしているところが分かる。
だから明日の正午にしようと指定したのだ。
今は夏だから乾くだろうと予想していたようだが……案外残っていた。
「なあ嶋田よ。地の利は俺にあるぜ」
「何を馬鹿なことを。足場が不安定なのはあんたもそうだろ」
「そうかな? まあやってみれば分かることだ」
俺は正眼に構えた。
嶋田は下段に構えているが、あの技は出せない……
「オラァアアア!」
気合を上げて俺は嶋田に近づいた。
嶋田は「なめんじゃねえ!」と斬り上げ技を繰り出した――しかし踏ん張れないせいで、刀があらぬ方向へと向かった。
それを躱すのは容易かった――俺は嶋田に接近した。互いの刀が届く位置にいた。
だけど斬撃を放ち、死に体となっている嶋田では俺を斬ることは叶わない。
「うぉおおおおおおおおお!」
そのまま嶋田を――袈裟斬りした。
左肩から右わき腹まで、一刀に斬り捨てた。
「が、は……」
嶋田はその場に崩れ落ちた。
俺もまたその場に膝をついた。
「お、俺の……負けだな」
嶋田はまだ生きていた。
わき腹を斬られていた俺もまた力を出し切れていなかった。
「さあ。とどめを刺せよ。介錯人だろ」
「…………」
「刺さねえと俺は亀若丸を殺すぜ」
覚悟を決めている嶋田に対して「そんな気力はない」と断った。
すると怪訝そうな顔で「どうしたんだ?」と問う。
「ご家老様から聞いたぜ。あんた、首斬り源八郎って呼ばれてんだろ」
「よく知っているな。でもな、首を斬るには今の状態じゃできねえ」
「なら俺を見逃すのか?」
「そうなるな。それと頼みがある」
俺は嶋田に「亀若丸を狙うのやめてくれ」と頼んだ。
「お前がこの勝負で負けたと感じているのなら……頼むよ」
「意味が分からねえ。俺を殺したほうが話は早い――」
「俺はいつだって、人を殺すのは怖いんだ」
昨夜、亀若丸と話したせいか、自分の心境を吐露してしまった。
嶋田は「そうなのか?」と意外そうな顔になった。
「ああ。それにお前は今、殺すのに惜しい使い手だ。見逃したい気分になっている」
「……そりゃどうも」
「亀若丸を殺すのに、どれだけの報酬があるのか分からねえ。だけどな、見逃してもらえねえか」
嶋田はゆっくりと起き上がった。
傷から血が流れているが、死ぬような傷ではないようだ。
「はあ。五十両の仕事だったが……負けちまったのなら仕方ねえな」
「そうか。安心したぜ」
「あんたはどこまで知っているんだ?」
俺は「花房が喜連川藩の家老だと知っている」と答えた。
「亀若丸の出生のことも知っている」
「それでも守るってのか」
「亀若丸と銀次郎に約束したからな」
「銀次郎……ああ、佐伯殿が斬ったあいつだな」
その言葉に「お前が斬ったんじゃないのか?」と不思議に思った。
「途中まで戦っていたのだが、佐伯殿が代われと言ってな」
「じゃああいつが銀次郎の仇か」
そんな話をしているうちに三人の武士――喜連川藩の藩士だろう――がやってきた。
「嶋田殿。負けてしまうとは情けない」
「必ず勝つって豪語していたのに悪いな」
「かくなる上は――」
三人の武士は一斉に刀を抜いた。
話が違うじゃねえかと思ったが、嶋田を見ると驚愕していた。
「――両者とも斬る。ご覚悟召されよ」
昼前にはすべての準備が整っていた。
昨日の雨が嘘のように、雲一つない快晴だった。
亀若丸に見送られて俺は村長の家を出た。
「ああ。必ず戻ってくる……村長、亀若丸のこと頼んだぞ」
「ええ。お任せください」
最後に俺は亀若丸の頭を撫でた。
さらさらとした髪がふと吹いた風と共に流れていく。
力強く頷いて――門を出た。
「源八郎! 絶対に勝って!」
振り返ることなく、俺は手を振って応じた。
負けられない戦いに臨むのは初めてだった。暑い日なのに血がひんやりと冷えるのを感じる。程よい緊張感が俺を包んでいた。
村の者に訊いて鷲宮神社の裏手までやってきた。鬱蒼とした森を抜けると花々が咲いていて、小川の流れている場所に出た。足元はぬかるんでいる。勝負に影響が出なければいいと思う。
「よう。逃げずに来たんだな」
既に嶋田と三人の武士が待ち構えていた。
腕組みをして気合が充実しているのが分かる。
「もう一人はどこだ?」
昨日、嶋田と話していた武士が見当たらない。
嶋田は「あの人――佐伯殿ならここにはいない」と言う。
「ご家老様へ報告に行った。俺が亀若丸を連れてくるってな」
「信用されているんだな……いや、敢えて軽率だなと言っておく。俺が勝つとは思わないのか?」
「思わねえよ。昨日も言ったがあんたじゃ俺に勝てない」
嶋田はゆっくりと刀を抜いた。
応じるように俺も刀を抜く。
「約束の刻限だ。始めようぜ」
「ああ。そうだな……」
ちらりと三人に視線を向けると「そいつらは見届け人だ」と嶋田は失笑した。
「安心しろ。俺が死んでも手は出さねえよ」
「そうかい……」
ゆっくりと俺たちは移動していく。
戦いやすい場所を選んでいるのだ。
やがて足場がしっかりしているところで止まった。水溜まりもなく足が取られることはないだろう。
「行くぞ……三輪源八郎!」
「来い! 嶋田四之助!」
俺たちの気力が十分高まった時点で――互いに斬りかかった。
がぎん! という刀と刀がぶつかり合う音が辺りに響く。
あまりの力強さで刀から火花が散る――
「あんた、この前より強くなってんな……!」
「当たり前だ……!」
ほぼ同時に離れて、正眼に構える俺たち。
嶋田がゆっくりと右へ移動する。
俺もまた円を描くように移動した。
「流石に乃村を倒しただけはある」
「そういえば知り合いだったか」
「あいつがどう思っていたかは知らねえが……好敵手だったな」
嶋田は正眼から下段へと構えを変えていく。
以前出さなかったあの技を繰り出すつもりなのか……
「一撃だ。これで仕留める。覚悟はいいか?」
「はん。覚悟なんて既に決まっているぜ」
嶋田は見たことがないくらい、刀の切っ先を下に向けた。
おそらく奴の得意とする斬り上げ技だとは思う。
ならば躱してしまえばいい――その後の隙を狙う。
「行くぞ――嶋田ぁ!」
俺は上段に構えて嶋田に迫る。
足元がぬかるんで、止まりかけた。
すると嶋田は――
「でりゃあああああ!」
気合を込めた咆哮が俺の耳に届いた――その直後、俺は、刀の軌道を見切れずに、血飛沫が飛ぶのだけ、見られた。
何が起こったのかまるで分からない。
ただ自分が仰向けに倒れた……それしか認識できない。
「はあ、はあ、はあ……」
俺の口から荒い呼吸が漏れる。
斬られた、だけど、まだ生きていた。
「……ちっ。半歩間合いから逃れたか」
嶋田の悔しそうな声が聞こえた。
ぬかるみが無ければ、俺は一刀の元、斬り捨てられていた。
わき腹が軽く斬られている……血が流れていた。
「く、そ……」
立ち上がって、よろよろと、嶋田から離れる。
「おいおい。どこに行くんだよ。勝負はまだついてねえぞ?」
一転して嶋田は呆れと失望が入り混じった声になる。
それでも俺は背を向けて歩く。
ここでは駄目だ……
「はあ。そんな卑怯者だとは思わなかったぜ。介錯人のくせに、死ぬのが怖いのか」
俺の後をついてくるのが背中越しに伝わった。
まだだ。あと少し……
「おい! いい加減に――」
嶋田が怒鳴ろうとして、ようやく気づいた。
俺は振り返って「ここじゃ、その技、使えねえだろ」と刀を構えた。
逃げるふりをして――ぬかるみの多い場所へ誘導した。
焦る嶋田に対して「あの技は足場がしっかりしてねえと出せない」と言ってやる。
「昨日、雨が降っていたとき、お前は勝負を避けた……ぬかるんで足をしっかり踏ん張れないのを怖れたんだ」
雨さえ止めば足場がしっかりしているところが分かる。
だから明日の正午にしようと指定したのだ。
今は夏だから乾くだろうと予想していたようだが……案外残っていた。
「なあ嶋田よ。地の利は俺にあるぜ」
「何を馬鹿なことを。足場が不安定なのはあんたもそうだろ」
「そうかな? まあやってみれば分かることだ」
俺は正眼に構えた。
嶋田は下段に構えているが、あの技は出せない……
「オラァアアア!」
気合を上げて俺は嶋田に近づいた。
嶋田は「なめんじゃねえ!」と斬り上げ技を繰り出した――しかし踏ん張れないせいで、刀があらぬ方向へと向かった。
それを躱すのは容易かった――俺は嶋田に接近した。互いの刀が届く位置にいた。
だけど斬撃を放ち、死に体となっている嶋田では俺を斬ることは叶わない。
「うぉおおおおおおおおお!」
そのまま嶋田を――袈裟斬りした。
左肩から右わき腹まで、一刀に斬り捨てた。
「が、は……」
嶋田はその場に崩れ落ちた。
俺もまたその場に膝をついた。
「お、俺の……負けだな」
嶋田はまだ生きていた。
わき腹を斬られていた俺もまた力を出し切れていなかった。
「さあ。とどめを刺せよ。介錯人だろ」
「…………」
「刺さねえと俺は亀若丸を殺すぜ」
覚悟を決めている嶋田に対して「そんな気力はない」と断った。
すると怪訝そうな顔で「どうしたんだ?」と問う。
「ご家老様から聞いたぜ。あんた、首斬り源八郎って呼ばれてんだろ」
「よく知っているな。でもな、首を斬るには今の状態じゃできねえ」
「なら俺を見逃すのか?」
「そうなるな。それと頼みがある」
俺は嶋田に「亀若丸を狙うのやめてくれ」と頼んだ。
「お前がこの勝負で負けたと感じているのなら……頼むよ」
「意味が分からねえ。俺を殺したほうが話は早い――」
「俺はいつだって、人を殺すのは怖いんだ」
昨夜、亀若丸と話したせいか、自分の心境を吐露してしまった。
嶋田は「そうなのか?」と意外そうな顔になった。
「ああ。それにお前は今、殺すのに惜しい使い手だ。見逃したい気分になっている」
「……そりゃどうも」
「亀若丸を殺すのに、どれだけの報酬があるのか分からねえ。だけどな、見逃してもらえねえか」
嶋田はゆっくりと起き上がった。
傷から血が流れているが、死ぬような傷ではないようだ。
「はあ。五十両の仕事だったが……負けちまったのなら仕方ねえな」
「そうか。安心したぜ」
「あんたはどこまで知っているんだ?」
俺は「花房が喜連川藩の家老だと知っている」と答えた。
「亀若丸の出生のことも知っている」
「それでも守るってのか」
「亀若丸と銀次郎に約束したからな」
「銀次郎……ああ、佐伯殿が斬ったあいつだな」
その言葉に「お前が斬ったんじゃないのか?」と不思議に思った。
「途中まで戦っていたのだが、佐伯殿が代われと言ってな」
「じゃああいつが銀次郎の仇か」
そんな話をしているうちに三人の武士――喜連川藩の藩士だろう――がやってきた。
「嶋田殿。負けてしまうとは情けない」
「必ず勝つって豪語していたのに悪いな」
「かくなる上は――」
三人の武士は一斉に刀を抜いた。
話が違うじゃねえかと思ったが、嶋田を見ると驚愕していた。
「――両者とも斬る。ご覚悟召されよ」
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