柳友哉のあやかし交幽録

橋本洋一

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玉藻前

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 ふらりと現れる大物ほど、対処の仕方が分からない。

「管狐に名前……ですか?」
「ええ。私にとって家族のようなものですから」

 外はどしゃぶりで風が強い。
 それもそのはず、時期外れの台風がやってきたからだ。

 これでは客も来ないなと思っていると、雨女が手土産を持って訪れてくれた。
 それは最高級品の玉露だった。雨女曰く、たまたま手に入ったらしい。
 さっそく急須――瀬戸大将から詫びの品でもらったものだ――で丁寧に淹れる。

 お茶を飲んで一息入れて、他愛の無い話をしている中、私は砂江さんのことを思い出し、管狐に名前を付けることも思い出した。

 さっそく、雨女に相談すると「そんなに必要なものですか?」と彼女は怪訝な顔をした。

「別に管狐でも良いではないですか」
「管狐のままですと、なんというか、飼い猫を『猫』と呼んでいる気分でして」
「なるほど。それは分かります」

 雨女は悩ましげな顔で、頬に手を当てた。
 存外、絵になる仕草だった。

「それで、砂江さん――砂かけババアの例もありますし、名前を付けても良いものかと」
「ああ。それは問題ありません。名付けられた名は関係ありませんから」

 私は雨女の言っている意味が分からなかったので、詳しく聞いた。

「人間でも、本当の名とは違う呼び名で呼ばれることがあるでしょう?」
「うん? ああ、仇名のことですか」

 実際、私も『無感情の友哉』とか『ゆうくん』と呼ばれていた。

「ですから、あなたが名付けても何も問題ございませんよ」
「そうですか。なら良かった」

 私は管狐を呼んだ。
 管狐は竹筒からするすると出てきて、私の腕に巻きついた。
 自分の身体を擦り付けるので、少しくすぐったい。

「ふふ。本当に懐かれていますね」
「ええ。可愛いやつです」

 思えば子泣きジジイや瀬戸大将のときはよく助けてくれたものだ。
 最近は油揚げだけではなく、売れ残った和菓子を食べてくれる。

「さて。問題はどんな名前にするか、ですね」

 私は真剣な顔で悩んだ。
 以前飼っていた猫は三毛猫だからミケだった。
 物事は単純明快なほうがいい。
 そう考えていたので、いくつかある候補の中で、シンプルかつ呼びやすい名前にしよう――

「妖怪と交友し、妖怪を飼育するとは。流石は魔王の子孫ですわね」

 妖怪が現れるのはいつも唐突だが、それは少しばかり違った。
 空間が歪み、形容しがたい『穴』が生まれた。
 その穴は紫と黒が混じった、異界と通じているであろうものだった。

 ばちばちと放電しながら、そこからひょっこり出てきたのは――女性だった。
 狐面を斜めに頭で被り、神社の巫女さんのような赤と白の装束で、年齢は私よりちょっと年上の二十代後半だった。

 まるで人形のように美しい。表情もうっすら笑って柔らかい。
 だが恐ろしい。その表情の奥にある笑みの意味を想像すると、とても恐ろしい。
 はっきり言えば――ぞっとした。

「あ、あなた様は……!」
「雨女、久しぶりね」

 狐面の女は慄く雨女を余所に「初めまして、柳友哉」と言う。

「あなたは……誰ですか?」
「ふふふ。誰ですか、か。なんですかとは聞かない辺り、礼儀は最低限あるのね」

 腕を見ると、管狐は既に離れていて、以前見たような大きな狐に変化して、私の横で頭を下げている。
 敬意を表しているのだと分かったので、よほどの大物だと理解できた。

「私は、玉藻前たまもまえ
「玉藻前……あの、九尾の狐ですか?」
「あら。知っているみたいね」

 妖怪のことを調べていると、目に付かないわけがない。
 ある学者は、酒呑童子しゅてんどうじ大嶽丸おおたけまると並んで日本三大妖怪の一つと定義していた。
 多くの小説や漫画の題材にもなっている。
 かなりの知名度を誇る妖怪と言えよう。

 管狐は最上位の妖狐だから敬意を払っているのだろう。
 さらに雨女も動揺している。
 名ばかりの妖怪ではないのか。

「ふふふ。怯えてないけど、畏れているのは分かるわ。顔に出ないのは立派ね」
「感情の起伏が少ないだけですよ」
「そうなの? それより興味深い話ね。管狐を名付けようだなんて」

 それまで表面上にこやかだった玉藻前が急に無表情で凄む。

「私の眷属をペット扱いするなんて、いい度胸じゃない」

 怒っているのか分からないが、とりあえず「あなたに許可がいるのですか?」と問う。

「もし、そうだったなら、すみませんでした」

 私としては極普通の対応をしたのだが、玉藻前は虚を突かれた顔になった。
 はっきり言えばきょとんとした。
 それから、次第に笑顔になって、吹き出してしまった。

「ふふふふ! あなた、面白いわね! 神野はともかく、山ン本が気に入るわけだわ!」
「はあ……山ン本が」
「雨女! あなたもそう思うでしょう?」

 雨女は既に落ち着いたのか「まこと、そう思います」と返した。

「ふふふ。意地悪言ってごめんなさいね。別に名付けてもいいわよ。私の許可なんて要らないわ」
「ああ、そうだったんですね」
「ただ、その管狐の両親とは親しかったから。気になったのよ」

 私は「悪五郎には聞かなかったんですが」と前置きをして訊ねた。

「管狐の両親はどこにいるんですか?」
「死んだわよ。父親は人間に殺されて、母親は妖怪に殺された」

 それ以上語らないらしい。
 私は管狐の頭を撫でた。
 そうか、お前も私と一緒なのか。

「それで、名前はどうするの?」

 玉藻前が催促してきたので、私は「決めている名前があります」と言った。

「鳴き声から『コン』にしようと思います」
「コン、ねえ。単純だけど呼びやすくていいじゃない」

 玉藻前は最後にもう一度管狐――コンを見た。
 それから「じゃあ帰るわね」と私にウインクする。

「妖狐の元締めだから、いろいろ忙しいのよ」
「そうですか。あ、良ければ和菓子いかがです?」

 私は展示ケースからいくつか和菓子を見繕って渡した。
 玉藻前はにっこりと微笑んで「ありがとう」と言った。

「いつかまた、会いましょうね。雨女、あなたもね」

 玉藻前がすうっと消えると雨女は「まさか、あの方が来るとは思いませんでした」と言う。

「喉がからからです」
「ちょうど良かった。あなたから頂いた玉露がありますから」
「常より美味しゅう感じそうですね」
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