39 / 46
妖狐
しおりを挟む
大きな選択を迫られたとき、人は大いに迷う。
だがそれは、人だから迷うのだ。
「あなたは――迷っている」
差し出した和菓子を口にした妖怪――妖狐は険しい顔で厳しいことを言う。
図星を突かれた気分だった。胸の内を言い当てられた心地だった。
だから私は、反論できずに、黙るしかなかったのだ――
小屋に泊まって翌朝。
いつもの習慣どおりに早起きして、私は和菓子を作り始めた。
用意された調理場で、小豆やもち米を蒸かし、餡と餅を作る。
最近はしぐれとミケが手伝っていた。こうして一人で作るのは久しぶりだった。
「――うん。いいだろう」
下ごしらえと味の確認が終わった。
後はどの和菓子を作るかだ。
和菓子と言っても千差万別だ。その妖怪の好みもある。
だいたい、妖怪に和菓子を振舞えという八岐大蛇の試練もおかしなものだった。
妖気を瓢箪に集めるだけで良いのなら、私が知り合った妖怪に頼めば良いのだ。
人間になったしぐれは無理だとしても、ミケやコン、満天沼の河童など、協力してくれる妖怪はたくさん居る。
これも悪五郎が私の先祖だったから――うん? 待てよ?
もしも私が神野の血を引いていなかったら、どうなっていたんだ?
しぐれとは会えなかったのか?
普通の人間として、日常生活を過ごしていれば、妖怪に遭遇しない。
現に、母が死ぬ前は妖怪と会わなかったではないか。
だとしたら、私は一体何をしているのだろうか。
別に妖怪と会うのが嫌なわけではない。中には悪い妖怪も居るし怖い妖怪も居る。
だがそれは人間にも同じこと言えるのではないか?
種族が違うだけで、善悪があるのは変わらない。
もちろん、人と妖怪が交わるのは難しい。寿命や特性が違うのだから。
もしも妖怪大翁がしぐれを人間にしてくれなかったら、一緒には暮らせなかっただろう。愛していることに変わりはないが、雨の日にしか会えないのはつらい。
今度はマイナスなことを考えてみよう。
神野の血を引いてつらかったのは、地獄巡りだった。
罪人が刑罰に苛まれているところを見るのは、本当に悲しかった。
自分が受けているわけではないのに、苦しくて仕方なかった。
運良く地獄巡りを達成できたが、私の子供や孫は乗り越えることができるのだろうか?
できると信じたい――でも、地獄巡りなどやらないほうがいい。
あんな目に遭わせるのなら、神野の血を受け継がせたくない。
そこまで考えたとき、私はどうしていいのか分からなくなった。
妖怪との交友を楽しんだ思い出と地獄巡りでの悲惨な経験。
どちらを重んじれば良いのか、まったく分からなかったのだ。
「柳さん。お客さんですよ」
雪女が調理場の外から声をかけてきた。
私は「お客さんですか?」と多少上ずった声で答える。
「ええ、妖狐です。それも力を持った。瓢箪に妖気を満たしてくれますよ」
「分かりました。少し待ってください」
私は手を洗って、調理場を出て、雪女の案内で奥の間に通された。
そこには正座をしている妖狐が居た。
狐の妖怪だが、姿形は男性だった。変化しているのだろう。
精悍な顔立ち。歌舞伎役者のようだ。短髪で三白眼。着流しを着ている四十代前半の男。
正面に座ると、妖狐は軽く頭を下げた。
「お初にお目にかかります」
「ええ。柳友哉です。よろしくお願いします」
「玉藻前様から話は伺っております。管狐を大切に扱ってくださると」
私は「コン――管狐は大切な家族ですから」と言う。
妖狐はにっこりと微笑んだ。
「そう言ってくださる人で良かった。それではさっそく、和菓子をいただきましょうか」
「お好きなものはなんですか? 作れるものなら作れますよ」
「それでは、練り切りをお願いします」
練り切りとは白あん、練り切りあんを用いた和菓子である。
ちょうど今、餡が出来上がったところだったので、時間がかかるが作ることができる。
「分かりました。少々時間がかかりますが、よろしいでしょうか?」
「ええ。その間、雪女さんとお喋りしていますから」
私は頭を下げて「しばしお待ちください」と部屋から出た。
調理場に戻ると、さっそく練り切りを作り始める。
練り切りは味だけではなく、見た目も同じくらい重要だ。
冬の季節で狐の妖怪なので、私は雪兎を模した練り切りを作った。
ここまでで四十分かかってしまった。
私がお茶と一緒に練り切りを持っていく。
和室なので「お待たせしました」と声をかけた。
ふすまが開いて中に入り、妖狐にそれらを差し出した。
「ほう。素晴らしい見た目ですね。これは期待できそうだ」
妖狐は皿に添えられた竹楊枝を手に取って、少し切って口に入れる。
咀嚼して味わうと、手を膝に置いて、彼は言った。
「味に、迷いがありますね――」
だがそれは、人だから迷うのだ。
「あなたは――迷っている」
差し出した和菓子を口にした妖怪――妖狐は険しい顔で厳しいことを言う。
図星を突かれた気分だった。胸の内を言い当てられた心地だった。
だから私は、反論できずに、黙るしかなかったのだ――
小屋に泊まって翌朝。
いつもの習慣どおりに早起きして、私は和菓子を作り始めた。
用意された調理場で、小豆やもち米を蒸かし、餡と餅を作る。
最近はしぐれとミケが手伝っていた。こうして一人で作るのは久しぶりだった。
「――うん。いいだろう」
下ごしらえと味の確認が終わった。
後はどの和菓子を作るかだ。
和菓子と言っても千差万別だ。その妖怪の好みもある。
だいたい、妖怪に和菓子を振舞えという八岐大蛇の試練もおかしなものだった。
妖気を瓢箪に集めるだけで良いのなら、私が知り合った妖怪に頼めば良いのだ。
人間になったしぐれは無理だとしても、ミケやコン、満天沼の河童など、協力してくれる妖怪はたくさん居る。
これも悪五郎が私の先祖だったから――うん? 待てよ?
もしも私が神野の血を引いていなかったら、どうなっていたんだ?
しぐれとは会えなかったのか?
普通の人間として、日常生活を過ごしていれば、妖怪に遭遇しない。
現に、母が死ぬ前は妖怪と会わなかったではないか。
だとしたら、私は一体何をしているのだろうか。
別に妖怪と会うのが嫌なわけではない。中には悪い妖怪も居るし怖い妖怪も居る。
だがそれは人間にも同じこと言えるのではないか?
種族が違うだけで、善悪があるのは変わらない。
もちろん、人と妖怪が交わるのは難しい。寿命や特性が違うのだから。
もしも妖怪大翁がしぐれを人間にしてくれなかったら、一緒には暮らせなかっただろう。愛していることに変わりはないが、雨の日にしか会えないのはつらい。
今度はマイナスなことを考えてみよう。
神野の血を引いてつらかったのは、地獄巡りだった。
罪人が刑罰に苛まれているところを見るのは、本当に悲しかった。
自分が受けているわけではないのに、苦しくて仕方なかった。
運良く地獄巡りを達成できたが、私の子供や孫は乗り越えることができるのだろうか?
できると信じたい――でも、地獄巡りなどやらないほうがいい。
あんな目に遭わせるのなら、神野の血を受け継がせたくない。
そこまで考えたとき、私はどうしていいのか分からなくなった。
妖怪との交友を楽しんだ思い出と地獄巡りでの悲惨な経験。
どちらを重んじれば良いのか、まったく分からなかったのだ。
「柳さん。お客さんですよ」
雪女が調理場の外から声をかけてきた。
私は「お客さんですか?」と多少上ずった声で答える。
「ええ、妖狐です。それも力を持った。瓢箪に妖気を満たしてくれますよ」
「分かりました。少し待ってください」
私は手を洗って、調理場を出て、雪女の案内で奥の間に通された。
そこには正座をしている妖狐が居た。
狐の妖怪だが、姿形は男性だった。変化しているのだろう。
精悍な顔立ち。歌舞伎役者のようだ。短髪で三白眼。着流しを着ている四十代前半の男。
正面に座ると、妖狐は軽く頭を下げた。
「お初にお目にかかります」
「ええ。柳友哉です。よろしくお願いします」
「玉藻前様から話は伺っております。管狐を大切に扱ってくださると」
私は「コン――管狐は大切な家族ですから」と言う。
妖狐はにっこりと微笑んだ。
「そう言ってくださる人で良かった。それではさっそく、和菓子をいただきましょうか」
「お好きなものはなんですか? 作れるものなら作れますよ」
「それでは、練り切りをお願いします」
練り切りとは白あん、練り切りあんを用いた和菓子である。
ちょうど今、餡が出来上がったところだったので、時間がかかるが作ることができる。
「分かりました。少々時間がかかりますが、よろしいでしょうか?」
「ええ。その間、雪女さんとお喋りしていますから」
私は頭を下げて「しばしお待ちください」と部屋から出た。
調理場に戻ると、さっそく練り切りを作り始める。
練り切りは味だけではなく、見た目も同じくらい重要だ。
冬の季節で狐の妖怪なので、私は雪兎を模した練り切りを作った。
ここまでで四十分かかってしまった。
私がお茶と一緒に練り切りを持っていく。
和室なので「お待たせしました」と声をかけた。
ふすまが開いて中に入り、妖狐にそれらを差し出した。
「ほう。素晴らしい見た目ですね。これは期待できそうだ」
妖狐は皿に添えられた竹楊枝を手に取って、少し切って口に入れる。
咀嚼して味わうと、手を膝に置いて、彼は言った。
「味に、迷いがありますね――」
0
あなたにおすすめの小説
翡翠の歌姫-皇帝が封じた声【中華サスペンス×切ない恋】
雪城 冴 (ゆきしろ さえ)
キャラ文芸
宮廷歌姫の“声”は、かつて皇帝が封じた禁断の力? 翠蓮は孤児と蔑まれるが、才能で皇子や皇后の目を引き、後宮の争いや命の危機に巻き込まれる【詳細⬇️】
陽国には、かつて“声”で争い事を鎮めた者がいた。田舎の雪国で生まれ育った翠蓮(スイレン)。幼くして両親を亡くし孤児となった彼女に残されたのは、翡翠の瞳と、母が遺した小さな首飾り、そして歌への情熱だった。
宮廷歌姫に憧れ、陽華宮の門を叩いた翠蓮だったが、試験の場で早くもあらぬ疑いをかけられる。
その歌声が秘める力を、彼女はまだ知らない。
翠蓮に近づくのは、真逆のタイプの二人の皇子。優しく寄り添う“学”の皇子・蒼瑛(ソウエイ)と、危険な香りをまとう“武”の皇子・炎辰(エンシン)。
誰が味方で、誰が“声”を利用しようとしているのか。歌声に導かれ、三人は王家が隠し続けてきた運命へと引き寄せられていく。
【中華サスペンス×切ない恋】
ミステリー要素あり/ドロドロな重い話あり/身分違いの恋あり
旧題:翡翠の歌姫と2人の王子
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
【完結】『左遷女官は風花の離宮で自分らしく咲く』 〜田舎育ちのおっとり女官は、氷の貴公子の心を溶かす〜
天音蝶子(あまねちょうこ)
キャラ文芸
宮中の桜が散るころ、梓乃は“帝に媚びた”という濡れ衣を着せられ、都を追われた。
行き先は、誰も訪れぬ〈風花の離宮〉。
けれど梓乃は、静かな時間の中で花を愛で、香を焚き、己の心を見つめなおしていく。
そんなある日、離宮の監察(監視)を命じられた、冷徹な青年・宗雅が現れる。
氷のように無表情な彼に、梓乃はいつも通りの微笑みを向けた。
「茶をお持ちいたしましょう」
それは、春の陽だまりのように柔らかい誘いだった——。
冷たい孤独を抱く男と、誰よりも穏やかに生きる女。
遠ざけられた地で、ふたりの心は少しずつ寄り添いはじめる。
そして、帝をめぐる陰謀の影がふたたび都から伸びてきたとき、
梓乃は自分の選んだ“幸せの形”を見つけることになる——。
香と花が彩る、しっとりとした雅な恋愛譚。
濡れ衣で左遷された女官の、静かで強い再生の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる