利家と成政 ~正史ルートVS未来知識~

橋本洋一

文字の大きさ
80 / 182

桶狭間の戦い

しおりを挟む
 信長が僅かな小姓を引き連れて、熱田神宮に到着したのは朝方であった。
 無論、戦勝祈願で立ち寄ったわけではない。自分に付き従う者たちを待つためだ。
 清洲城から軍勢を出陣させたとなれば、今川家の間者や物見に気づかれる可能性があった。だから少しずつ兵を集めなければならなかった。

「殿! 出陣するなら言ってくださらないと!」
「危うく大戦に乗り遅れるところでしたよ!」

 文句というより、呆れの声で毛利新介と服部小平太は信長に言う。鎧姿で今にも戦に臨めそうな出で立ちだった。

「二人とも、殿に無礼だぞ。間に合ったなら良いじゃないか」

 柳に信長が中島砦に向かうと連絡していたため、遅れて参陣した成政は二人を宥めた。彼もまた戦支度を整えている。
 信長は「許せ、皆の者」と微笑んだ。とても死地に向かう大将とは思えない表情に、成政たちは黙ってしまう。

「集まったのはどのくらいだ?」
「……およそ一千ですね」

 主君の問いに、皆を代表して答えたのは池田恒興だった。その後ろには何かを気にしている森可成もいる。
 信長は「これより丹下砦に向かう」と大声で言う。

「順次、砦の兵を集め今川家の軍勢に挑む」
「殿! 兵を集めて小競り合いしても、勝ち目は……」

 恒興の弱音に近い進言に信長は「小競り合いをするつもりはない」と不敵な笑みを見せた。先ほどから何の確信を持って笑っているのか、恒興には分からない。

「――今川義元を討つ」

 周囲の者は一瞬、信長の言葉を分かりかねて、それからどよめき始めた。
 あの可成さえ信長の正気を疑った。
 ただ成政だけはいよいよかと持っていた槍を握り締める。

「義元がいる本隊に奇襲をかけるのだ」
「ど、どうやって――」

 恒興が蒼白な顔で問おうとするが、信長は「ふふふ。まだ言えぬ」と悪戯小僧みたいな物言いをした。そこでようやく、成政は気づいた――信長は楽しんでいると。
 今まで今川義元を討つために、様々な布石を打ってきた。それが今、集約されて実ろうとしている。これほど楽しいことはないだろう。

「いいか皆の者、よく聞くがいい」

 信長のよく通る声が熱田神宮に集まった武将と兵たちに届く。
 どよめきが水を打ったように静まり返る。

「こたびの戦は、日の本開闢以来の戦となるだろう。何故なら二万五千の大軍勢に対し、僅かな兵で勝つからだ。きっと後世の民は俺たちの戦働きを天晴れと褒め称えるに違いない。あるいは信仰すら興るかもしれん」

 信長の声以外、小鳥の声さえ耳に入らないほど、千人近い人間は傾聴していた。

「その偉大な戦いに貴様らは参戦している。何十年、何百年語り継がれる戦に、貴様らはいる! 今、この瞬間、貴様らは生きていた証を遺している! 今川義元を見事に討ち取った軍勢の一員として!」

 兵たちの目に熱が篭もっている。
 付き従う武将たちも心動かされている。
 成政も同様に、感じ入っていた。

「さあ行くぞ! 勝利と今川義元の首は、この織田信長が約束する!」

 信長が右手を大きく突き上げた。

「――おお!」

 やや遅れて、立ち直った兵たちが次々と声を上げる。
 その声は徐々に大きくなり――狂気すら帯びた。

「……凄い」

 周りが喚く中、成政はそれしか言えなかった。
 全身がぶるぶる震えている。武者震いと立ち会えた感動だった。
 自分は今、歴史の上に立っていると、成政は確信した――


◆◇◆◇


「悪いな、可成兄い。少し手間取っちまった」
「遅いですよ。もうすぐ戦が始まります」

 可成が率いる部隊に、利家が合流したのは正午前だった。
 空から大粒の雨が降り注いでいる。中には雹が混じっていた。

 馬上の可成は利家を叱責したものの、間に合ったことに安堵もしていた。
 利家と共にいた藤吉郎は「それがしは自分の部隊に戻ります」と頭を下げた。

「なんだ。せっかくだから一緒に戦おうぜ」
「そうしたいのは山々ですが……」
「いえ、藤吉郎。あなたは俺の部隊ですよ」

 どんな女でも振り向くであろう、美男子特有の甘い笑顔で可成は言った。

「既に殿から許可を得ました」
「殿直々に、ですか?」
「ええ。どうやら利家が参戦することもお見通しのようでしたよ」

 利家は苦い顔で「だろうな。きっとあの野郎が言いやがったんだ」と呟く。

「それも違います。俺の様子を見て分かったらしいですから」
「兄いの様子?」
「あなたが遅いせいで、ついそわそわしてしまいました。流石に殿は視野が広い」

 くすくす笑う可成に「笑えねえよ」と利家はそっぽを向いた。
 信長が自分を気にかけていると分かって照れてしまったのだ。

「この戦で手柄を立てれば、帰参が許されるかもしれませんね」
「森様。失礼ながらそれがしは確実だと思っております」
「物事に確実などありませんよ」

 可成と藤吉郎のやりとりを聞きながら「それで、殿はどこを攻めるつもりなんだ?」と利家は腕を回しながら問う。

「獲られた砦を取り戻しに行くのか? それともどっかの軍勢を襲うのか?」
「いいえ。狙うのは――義元公です」
「はあ!? 敵の大将じゃねえか!」

 流石の利家もそれは難題だと思った。敵の大将を討ち取れば勝利間違いなしだが、二万五千の大軍勢のどこにいるのか、分からなければできるわけがない。

「どうやら分かるようですよ。梁田という家臣が探り当てたようです」
「梁田? 誰だそいつは?」
「俺も詳しくは知りません。しかし今、殿と俺はその場所に向かっています」

 利家は「その場所ってどこだ?」と槍を握り締めながら言う。
 可成は穏やかな笑みで答えた。

「――桶狭間です」


◆◇◆◇


 低地で囲まれており、雨でぬかるんだ地面のため戦いにくい状況の桶狭間にて、今川義元は小休止を取った。

 油断や軽率で片付けてしまうのは容易いが、どうして大大名の義元が自ら不利な土地で立ち止まったのか。それは急に降り出した雨がやむのを待つためや村々の貢物を受け取るためなど様々な要因がある。

 しかし信長が今までに行なった策略がほとんど嵌ったのが一番の理由だろう。
 成政に命じたことや松平元康への依頼など、この状況を作り出すために心血を注いだ結果が実っただけなのだ。

 そして今、信長の眼下には今川義元の輿がある。
 信長は兵に命じた。

「狙うは今川義元の首一つ! 皆の者、かかれ!」

 織田家の兵二千は大声を上げながら、今川家の本隊に攻めかかる。
 数は減ったとしても、本隊の数は五千。けれど勝負にならない数ではない。

 雨が降りしきる中、激突する両軍。
 馬廻り衆と共に、成政は敵兵に挑む。

 激闘の中、成政は見た。
 混戦になった戦場で、奇跡と評すべき現象だった。

 利家が敵兵と戦って、首級を挙げていた。

「――利家!」

 成政は可成の旗印を背負っている利家に近づいた。
 利家も驚いた表情で、成政に応える。

「なんだ成政。お前、生きてやがったか」
「ふざけるなよ。私が死ぬわけないだろう」
「はん。違げえねえ。それより何の用だ?」

 利家と成政は背中合わせになった。十数人の今川家の兵に囲まれたからだ。
 成政は「別に用はない」と素っ気無く答える。

「とりあえず、こいつらを片付けてからだ」
「そうだな――話はそれからだ!」

 彼らは互いに相手を気に食わない奴だと思っている。
 各々の考え方や価値観が違うためである。

 しかし同時に、互いの実力を認めていた。
 だから十数人囲まれても、五千の兵が相手でも。
 協力すれば決して負けない。全て打破できると信じていた。

「どっちが義元の首獲れるか、競争だな」
「結果は分かっているが、乗ってやろう」

 利家と成政は自然と笑みを浮かべた。
 二人とも相手に信頼を感じていたからだ。
 このときばかりは、心が通じ合っていた――
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件

さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。 数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、 今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、 わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。 彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。 それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。 今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。   「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」 「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」 「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」 「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」   命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!? 順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場―― ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。   これは―― 【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と 【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、 “甘くて逃げ場のない生活”の物語。   ――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。 ※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~

シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。 木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。 しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。 そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。 【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

処理中です...