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これからの主君、これまでの主君
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利家が清州城に入城したのと前後して、成政は松平元康がいるとされる三河国の寺、大樹寺に来ていた。しかし歓迎されたわけではない。元康以外、知り合いと呼べる者はおらず、彼らの主筋である今川義元を討ち取った織田家の武将ということで良い目で見られていなかった。
「それで、織田家の武将が何の用だ?」
大樹寺の本堂。
元康に近しい家臣、石川数正が警戒と疑惑の目を成政に向ける。その隣に座っている酒井忠次も、大久保や鳥居という名前の武将も同様だった。唯一、こちらを面白そうな目で見ている男がいたが、その者は足に怪我を負っていて、離れていた。
「松平様に会いに来ただけです。他意など……少しありますね」
成政は涼しい顔で含みがあることを明かした。
「な、なんだと!?」
動揺する三河の武士たち。それを見て成政は大したことないなこいつらと断じた。
丹羽長秀なら動揺を隠す。柴田勝家なら怒りで威圧する。森可成なら話を逸らす。
これでは張り合いがない……
「ではその他意とやらを教えてもらおうか」
「松平様以外に言うつもりはありません。これは我が殿の密命なので」
「……義元公を討ち取ったくらいでいい気になるなよ。三河武士の力をもってすれば、織田家など滅ぼせる」
「尾張一国の大半を治めている織田家と今川家の使い番が勝負すると? どうやら時勢が見えていないようですね」
先ほどから彼らを挑発しているのは、今後における主導権を握るためだった。
外様として松平家家臣となるにあたって、誰であろうと舐められてはならない。それは織田家と成政が侮られることと同じだ。
肝心なことは成政が今後、松平家で高い地位――重職に就くことである。そうでなければ松平家を史実よりも大きな大名家にできない。ここではっきりと言ってしまえば、成政の目的は三河国の発展である。織田家の強さとは商業がきちんとしていることだ。それを再現すれば、今後の敵である今川家や武田家を打倒できると彼は考えていた。
「無礼な! 我らをそのような――」
「しかし事実でしょう? それは受け入れてください」
無論、こうした言い争いをせずとも、上役に取り入るやり方もあったが、それでは時間がかかりすぎるし、三河武士の性質上、出世も遅くなる。だから論戦するしか道はなかった。たった一人で数人の男を相手にするのは骨が折れるが、単純な考え方しかできない三河武士を言葉で翻弄するのは、成政にしてみればできないことではなかった。
「――皆の者、静まれ」
場が熱くなった頃合いで本堂に現れたのは松平元康だった。この寺の住職である登誉天室と何やら話し合っていたのだが、ようやくそれが終わったらしい。
元康は成政の顔を一瞥して「そのほう、ついて参れ」と無表情で言った。
「殿! そのような者と二人きりなど!」
「……数正。私はこの者を兄のように慕っているのだ」
「はあ!? どういうことですか!?」
元康の口から出た意外な言葉に石川数正を始めとした、三河武士一同は驚天動地となった。成政は「もったいなきお言葉です」と頭を下げた。
「内蔵助……いや、成政。来てくれるか?」
「ええ。あなた様になら、どこにでも。どこまでも」
成政は元康に続いて本堂を出た。そんな二人を三河武士たちは呆然と見送った。
大樹寺の小さな個室に入ると、元康は喜色満面となり「上手くやってくれたな、成政!」と喜びの声を上げた。
「まさか、信長殿が義元公を討ち取るとは! 誰が予想できた? いや、そなたなら予想できたか?」
「そうなるように、努力しましたから。それで、今後のことをどうお考えですか?」
成政の問いに元康は笑顔を戻して「今、服部に岡崎城を確認してもらった」と答える。
「そなたの言ったとおり、城代の山田景隆が城を捨てて逃げ出した」
「それでは、いよいよ入城されますか?」
「ああ。当然、そなたも来てくれるのだろう?」
「無論です……と言いたいところですが、いろいろと織田家でやらねばならぬことがありまして。煩雑な事柄が済んだら向かいます」
元康は残念そうに「そうか……」と呟いた。
成政は「すぐに済みますよ」と明るく言った。
「しかし、先ほどのやりとりを見ていたが、家臣たちはそなたを敵視している。苦労をすると思うが……」
「約束は守らねばなりませんから」
「……そなたは律義者だな。感謝以外の言葉が見つからん」
元康は改めて成政を尊敬の眼差しで見つめた。
天下人にそんな目で見られるのは気恥ずかしい成政は誤魔化すように「登誉天室殿との話し合いは済みましたか?」と問う。
「ああ。かの者から『厭離穢土』と『欣求浄土』という言葉をもらった。これを旗印とする」
「……浅学非才で申し訳ないのですが、どういった意味でしょうか?」
「まず厭離穢土とは戦のある現世を厭うこと。欣求浄土は極楽浄土のような世界を望むということだ」
元康は成政に堂々と宣言した。
戦国乱世に生きる者にしてみれば、恥ずかしくて口に出せないような夢物語を、恥ずかしげもなく夢を語るように言った。
「私は日の本から戦を無くし、太平の世を築く。誰もが安心して暮らせる世を作りたい」
「元康様……」
「私のように、子供を人質に出すことがないようにな。成政、ついてきてくれるか?」
成政の胸が熱くなる。
この瞬間、目の前の若者は天下統一を志して、それに向かって前進していく。
それを成し遂げる第一歩を見届けたのだ。
さらに自分がそのことに必要とされている――
「……あなた様なら、必ずできます」
成政は自然と平伏した。
そして熱い思いを伝える。
「この佐々成政、身命を賭して、松平元康様について行きます」
成政は沈着冷静に思われがちだが、実のところ熱い男である。
特に人に期待されるときは顕著だった。
それもそのはず、前世で彼は実の親から見放されて、死を選んだのだから。
◆◇◆◇
松平家の軍勢が無事に岡崎城に入城したのを見届けて、成政は清州城へ帰還した。
すぐさま信長の元へ向かう。
「殿。約束通り、私は松平家に仕官します」
「であるか。寂しくなるな」
戦を終えて緩んだ精神であったものの、成政が決意を込めた顔をしていたのを見て、気を引き締める信長。
「佐々家のことだが、お前が当主となれ。そして一族郎党を率いて、三河国へ行くのだ」
「よろしいのですか? 新たな当主を立てなくても……」
「そのほうが松平家で侮られずに済むだろう」
成政の考えと同じなのは流石であった。
信長は名残惜しそうにしていたが、吹っ切るように「村井の娘との縁談は早いほうがいいな」と言う。
「一度だけ目にしたが、あの娘は良い女だ。きっとお前を助けてくれるだろう」
「些か強引なところがある娘ですが……」
「奥手なお前とお似合いだ。あ、そうそう。一つ言い残したことがある」
信長はなるべく平静を保った声で言う。
「利家の帰参を許さなかった」
「……そうですか」
「なんだ。俺を責めないのか? そして疑問に思わないのか?」
「責める道理はありませんし、殿の決定に疑問など言えません」
成政は信長の目を見て言った。
「殿のことですから、そのほうが利家のためになると分かった上でしょう」
「……ふふ。負けたわ。こういうことに関しては、お前のほうが一枚上手だな」
信長は「利家を許すのは、もう一度大きな手柄を立ててからだ」と言う。
「あいつならそれができる。それに忍耐というものを覚えさす必要がある」
「苦難を与えて乗り越えさせる、ですか」
成政の言葉に信長は頷いた。
そして昔のかぶき者だったときのように悪戯っぽい目つきで言う。
「成政。あいつが戻ってくるか賭けるか?」
「同じほうに賭けるのですから、無意味でしょう」
「であるか」
「それで、織田家の武将が何の用だ?」
大樹寺の本堂。
元康に近しい家臣、石川数正が警戒と疑惑の目を成政に向ける。その隣に座っている酒井忠次も、大久保や鳥居という名前の武将も同様だった。唯一、こちらを面白そうな目で見ている男がいたが、その者は足に怪我を負っていて、離れていた。
「松平様に会いに来ただけです。他意など……少しありますね」
成政は涼しい顔で含みがあることを明かした。
「な、なんだと!?」
動揺する三河の武士たち。それを見て成政は大したことないなこいつらと断じた。
丹羽長秀なら動揺を隠す。柴田勝家なら怒りで威圧する。森可成なら話を逸らす。
これでは張り合いがない……
「ではその他意とやらを教えてもらおうか」
「松平様以外に言うつもりはありません。これは我が殿の密命なので」
「……義元公を討ち取ったくらいでいい気になるなよ。三河武士の力をもってすれば、織田家など滅ぼせる」
「尾張一国の大半を治めている織田家と今川家の使い番が勝負すると? どうやら時勢が見えていないようですね」
先ほどから彼らを挑発しているのは、今後における主導権を握るためだった。
外様として松平家家臣となるにあたって、誰であろうと舐められてはならない。それは織田家と成政が侮られることと同じだ。
肝心なことは成政が今後、松平家で高い地位――重職に就くことである。そうでなければ松平家を史実よりも大きな大名家にできない。ここではっきりと言ってしまえば、成政の目的は三河国の発展である。織田家の強さとは商業がきちんとしていることだ。それを再現すれば、今後の敵である今川家や武田家を打倒できると彼は考えていた。
「無礼な! 我らをそのような――」
「しかし事実でしょう? それは受け入れてください」
無論、こうした言い争いをせずとも、上役に取り入るやり方もあったが、それでは時間がかかりすぎるし、三河武士の性質上、出世も遅くなる。だから論戦するしか道はなかった。たった一人で数人の男を相手にするのは骨が折れるが、単純な考え方しかできない三河武士を言葉で翻弄するのは、成政にしてみればできないことではなかった。
「――皆の者、静まれ」
場が熱くなった頃合いで本堂に現れたのは松平元康だった。この寺の住職である登誉天室と何やら話し合っていたのだが、ようやくそれが終わったらしい。
元康は成政の顔を一瞥して「そのほう、ついて参れ」と無表情で言った。
「殿! そのような者と二人きりなど!」
「……数正。私はこの者を兄のように慕っているのだ」
「はあ!? どういうことですか!?」
元康の口から出た意外な言葉に石川数正を始めとした、三河武士一同は驚天動地となった。成政は「もったいなきお言葉です」と頭を下げた。
「内蔵助……いや、成政。来てくれるか?」
「ええ。あなた様になら、どこにでも。どこまでも」
成政は元康に続いて本堂を出た。そんな二人を三河武士たちは呆然と見送った。
大樹寺の小さな個室に入ると、元康は喜色満面となり「上手くやってくれたな、成政!」と喜びの声を上げた。
「まさか、信長殿が義元公を討ち取るとは! 誰が予想できた? いや、そなたなら予想できたか?」
「そうなるように、努力しましたから。それで、今後のことをどうお考えですか?」
成政の問いに元康は笑顔を戻して「今、服部に岡崎城を確認してもらった」と答える。
「そなたの言ったとおり、城代の山田景隆が城を捨てて逃げ出した」
「それでは、いよいよ入城されますか?」
「ああ。当然、そなたも来てくれるのだろう?」
「無論です……と言いたいところですが、いろいろと織田家でやらねばならぬことがありまして。煩雑な事柄が済んだら向かいます」
元康は残念そうに「そうか……」と呟いた。
成政は「すぐに済みますよ」と明るく言った。
「しかし、先ほどのやりとりを見ていたが、家臣たちはそなたを敵視している。苦労をすると思うが……」
「約束は守らねばなりませんから」
「……そなたは律義者だな。感謝以外の言葉が見つからん」
元康は改めて成政を尊敬の眼差しで見つめた。
天下人にそんな目で見られるのは気恥ずかしい成政は誤魔化すように「登誉天室殿との話し合いは済みましたか?」と問う。
「ああ。かの者から『厭離穢土』と『欣求浄土』という言葉をもらった。これを旗印とする」
「……浅学非才で申し訳ないのですが、どういった意味でしょうか?」
「まず厭離穢土とは戦のある現世を厭うこと。欣求浄土は極楽浄土のような世界を望むということだ」
元康は成政に堂々と宣言した。
戦国乱世に生きる者にしてみれば、恥ずかしくて口に出せないような夢物語を、恥ずかしげもなく夢を語るように言った。
「私は日の本から戦を無くし、太平の世を築く。誰もが安心して暮らせる世を作りたい」
「元康様……」
「私のように、子供を人質に出すことがないようにな。成政、ついてきてくれるか?」
成政の胸が熱くなる。
この瞬間、目の前の若者は天下統一を志して、それに向かって前進していく。
それを成し遂げる第一歩を見届けたのだ。
さらに自分がそのことに必要とされている――
「……あなた様なら、必ずできます」
成政は自然と平伏した。
そして熱い思いを伝える。
「この佐々成政、身命を賭して、松平元康様について行きます」
成政は沈着冷静に思われがちだが、実のところ熱い男である。
特に人に期待されるときは顕著だった。
それもそのはず、前世で彼は実の親から見放されて、死を選んだのだから。
◆◇◆◇
松平家の軍勢が無事に岡崎城に入城したのを見届けて、成政は清州城へ帰還した。
すぐさま信長の元へ向かう。
「殿。約束通り、私は松平家に仕官します」
「であるか。寂しくなるな」
戦を終えて緩んだ精神であったものの、成政が決意を込めた顔をしていたのを見て、気を引き締める信長。
「佐々家のことだが、お前が当主となれ。そして一族郎党を率いて、三河国へ行くのだ」
「よろしいのですか? 新たな当主を立てなくても……」
「そのほうが松平家で侮られずに済むだろう」
成政の考えと同じなのは流石であった。
信長は名残惜しそうにしていたが、吹っ切るように「村井の娘との縁談は早いほうがいいな」と言う。
「一度だけ目にしたが、あの娘は良い女だ。きっとお前を助けてくれるだろう」
「些か強引なところがある娘ですが……」
「奥手なお前とお似合いだ。あ、そうそう。一つ言い残したことがある」
信長はなるべく平静を保った声で言う。
「利家の帰参を許さなかった」
「……そうですか」
「なんだ。俺を責めないのか? そして疑問に思わないのか?」
「責める道理はありませんし、殿の決定に疑問など言えません」
成政は信長の目を見て言った。
「殿のことですから、そのほうが利家のためになると分かった上でしょう」
「……ふふ。負けたわ。こういうことに関しては、お前のほうが一枚上手だな」
信長は「利家を許すのは、もう一度大きな手柄を立ててからだ」と言う。
「あいつならそれができる。それに忍耐というものを覚えさす必要がある」
「苦難を与えて乗り越えさせる、ですか」
成政の言葉に信長は頷いた。
そして昔のかぶき者だったときのように悪戯っぽい目つきで言う。
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