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評定と稽古
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成政は評定に参加するため岡崎城の大広間へと向かった。
がらりと襖を開くと上座には酒井忠次や石川数正、大久保忠世といった重臣たちがぎろりと成政を睨む。相変わらず忌み嫌われているなと思いながら、成政は自分の席――上座から見て左で二番目の奥に座った。
「佐々殿。最近は工場とやらで忙しいらしいが、今回の議題のことは聞いているか?」
張り詰めた空気の中、そう投げかけたのは隣に座っている石川数正だった。
成政は「いえ。存じておりません」と比較的素直に答えた。
「そうか。実のところ私も知らんのだ。酒井殿も大久保殿もな」
「数正。何を親しげに話しておる」
家臣の中で一番上位の席に着いている、酒井が厳しい声で注意する――よっぽど気に食わないらしいと成政は判断した。
すると石川は「私は佐々殿をある程度評価している」と言う。これには成政も驚いた。
「まさか石川殿が、私を評価してくださるとは思いませんでした」
「勘違いするな。働きを評価しているだけで、気に食わないのは他の者と一緒だ。それに、お前なら何か知っているかもしれんと思っただけだ」
「はあ。左様ですか」
「酒井殿も目くじらを立てるな。評価はともかく、私はまだこの者を信用しておらん」
案外、柔軟な考え方をするのだなと成政は思った。ま、未来知識で石川がこれからどう行動するのか分かっているので、不思議ではないのかもしれない。
頑固で強情な三河武士の中で、心配りができるのは美徳であり、弱点でもある。
「ふん。貴様は日和見だ。数正」
「どう受け取っても構わん」
「……二人とも。殿がお見えになられるぞ。口を慎め」
大久保の注意で二人は喋るのをやめた。
そして上座から元康がやってくる――家臣一同、平伏をした。
「皆、楽にしていい。これより評定を始める」
元康の威厳ある声に、ああ立派な君主になられたと、幼い頃を知っている成政は感激した。
すると酒井が「今日はどのような議題ですか?」と訊ねる。
「ああ。本格的に西三河の攻略を進めたい。しかしできる限り戦はせず、説き伏せて味方を増やす戦略を取る」
「ええ。それがよろしいかと」
大久保が肯定すると、他の家臣団も頷いた。
元康は満足そうに「では各々、西三河の諸勢力と交渉するか決めよう」と言う。
「まず忠次が――」
「殿。そういうことでしたら、私は役に立てそうにありません」
発言したのは成政だった。一同の視線が成政に集まる。
元康は困ったように「何か、不満でもあるのか?」と問う。
「不満ではありません。むしろ良き戦略だと思います。敵の勢力を切り崩し、味方を増やす。理想的ですね」
「では、先ほどの言葉どういうことだ?」
「私は織田家から来た外様です。三河国の出ではありません。そんな余所者に地元の豪族が従うでしょうか?」
傍目から見れば道理であるが、成政の狙いは異なっていた。
彼には工場の仕事があった。それに専念したい気持ちがあったのだ。
それに諸勢力の交渉など、自分以外でもできる。
「ふむ、なるほどな。しかし外様でも高い地位になれるとそなたは体現しているのだ。だから役立ってもらいたかったのだが」
「お言葉ありがたく思います」
未練がありありと満ちた元康に様子に、成政はあくまでも固辞した。
無論、成政ならば豪族を従わせる交渉は楽にできるが、これ以上手柄を立てるのは悪目立ちし過ぎだとも考えた。地位は家老で不足なく十分だった。
「佐々殿は自信がないから主命を拒否するのか? ふん。それでよく松平家の家老が務まるものだな」
皮肉を述べたのは、酒井だった。
元康は「これやめよ」と叱るが、他の家臣たちも追従していた。
「殿の主命を断ると? 織田家の者は軟弱だな」
「尾張の兵は弱兵とは、よく言ったものだ」
そんな声が聞こえてくるが、成政は「それはおかしな話ですね」と声大きく張り上げた。
「殿はまだ、私に主命を下していませんでした。ですから断っておりません」
「屁理屈を言いよって……!」
「それに、殿が納得したことを、家臣が文句言うのは、いささか問題がございますね」
これには酒井も他の家臣も黙ってしまった。
三河武士にとって、松平元康という主君は絶対だったからだ。
「うむ。成政の言うとおりだ。では話を続けよう。忠次、そなたは――」
酒井は元康の主命を聞きながら、腸が煮えくり返る思いをしていた。
殿に気に入られ、しかも自由気ままに主命を選べる成政に憎悪を感じていた。
一方、成政は酒井とは仲良くなれそうにないなと思っていた。
筆頭家老と言うべき男と決定的な亀裂が入ったのは痛い。
ならば派閥を作らねばならないと彼は感じた。
それは自分を守るため、いわば保身のためだった――
◆◇◆◇
「……佐々様。少しよろしいか」
大広間から出ると、本多忠勝に声をかけられた。
その隣には忠勝ど同世代の若武者が、疑わしそうな目で成政を見ている。
「これは忠勝殿。いかがした?」
「稽古をつけて、もらいたい」
「ああ。それは構わないが……そちらは?」
成政の問いに若武者が少しだけ頭を下げた。
「どうも。榊原康政と言います」
「榊原……ああ、あの」
「うん? 知っているんですか? 俺のことを?」
未来知識で後の重臣だと知っていたが、そんなことは当然言えないので「噂で聞いていた」と誤魔化した。
「強くて優秀な若武者だと。そうか、あなたが榊原康政殿か」
細目でがっしりとした体格。日に焼けているからか色黒で、よく見かける漁師のような風貌だった。忠勝と違って普通に喋る若者らしく「佐々様に言われるのは恐縮ですね」と照れている。
「先ほどの評定で、印象が悪かったですけど、話すとそうでもないんですね」
「あなたは正直な男だな。普通、そんなにはっきりとは言わない」
「ありゃ。そうですか?」
空気が読めない、というよりは思ったことを隠さずに言える性格なのだろう。
忠勝と正反対だなと成政は思った。
「それで、稽古のことだが……槍で構わないか?」
「……いや。刀を教えてもらいたい」
成政は首を傾げた。戦場では主流と言えない刀を教えてほしいとは珍しい。
忠勝が黙っているので、康政が代わりに説明する。
「こいつ、意外と書物読むんですよ。軍記物語とか武芸書とか。その中で『刀の兵法は万物に通じる』って一節を読んで感銘を受けちゃって。単純だから」
「なるほどな……よし、良いだろう。訓練場に向かうか」
成政は戦場では槍を用いるが、刀を扱えないというわけではない。むしろ槍と同じく得意でもあった。
三人は木刀を借りて訓練場に行く。すると先に武芸の訓練をしていた三河武士が注目してきた。まあ三河国でも随一の強さを誇る本多忠勝と家老の成政が入ってきたら、見てしまうのは仕方がなかった。
「それでは稽古をしようか」
「そうですね。なあ、忠勝。どっちが――」
先にやると言いかけた時に「二人ともかかってきなさい」と成政が気軽に言った。
一瞬、何を言っているのか理解できなかった康政だったが、自分と忠勝が舐められていることに気づく。
「……佐々様。そりゃあ俺たちを馬鹿にしすぎじゃないですか?」
「馬鹿にはしていない。そうでないと稽古にならないと言っている」
「…………」
忠勝は黙って木刀を中段に構えた。
康政は苛つきながら「舐めやがって」と呟く。
「後悔しても、遅いですよ――っと!」
不意を突くように、康政が距離を詰めて成政の顔面に向かって横なぎをする。
その素早さと遠慮なさに、一本取られたと見ていた者は思ったが、成政はしゃがむことで回避する――それどころか足払いして康政を倒してしまう。
「んな――」
「まずは一本だな」
仰向けに倒れた康政の顔の真横に、木刀と突き刺す成政。
呆然としている康政を見下ろす成政――背後から大柄の忠勝が接近する。
上段に振りかぶった木刀を振り落とす前に、成政が神速の動きで木刀を逆手で掴んで振り返りながら、抜き胴をした。
打つ、というより当てるという、もっと言えば優しく触ったようだったので、忠勝は怪我を負うことは無かったが、もしこれが真剣だったが死んでいたと、忠勝は思ってしまった。
「それぞれ、一本ずつだな」
成政は木刀を肩に置いて笑う。
康政は倒れたまま「参りました……」と言う。
悔しいなどと思わなかった。むしろ感心していた。
「槍だけじゃなくて、刀も使えるとは……」
「まあな。利家――まあ、とある馬鹿に勝つために、自己流だがやっていた」
その様子を利家は見ていたと、成政は思い出していた。
今となっては懐かしい記憶だ。
「槍が駄目になったら、刀を使うしかないからな。ま、用心のためだ」
「……佐々様。教えてくれ」
言葉少ない忠勝の言葉に「いいだろう」と頷く成政。
「そうだな。もしも格上か同等の使い手と会ったとき、使える技がある。相手も刀を持っているという条件だけどな。それを教えよう」
未来知識で知っていた、剣術の技だった。
成政はまるで若き日の自分と利家に教える、森可成の気持ちになっていた。
「まず相手が上段に構えていて――」
がらりと襖を開くと上座には酒井忠次や石川数正、大久保忠世といった重臣たちがぎろりと成政を睨む。相変わらず忌み嫌われているなと思いながら、成政は自分の席――上座から見て左で二番目の奥に座った。
「佐々殿。最近は工場とやらで忙しいらしいが、今回の議題のことは聞いているか?」
張り詰めた空気の中、そう投げかけたのは隣に座っている石川数正だった。
成政は「いえ。存じておりません」と比較的素直に答えた。
「そうか。実のところ私も知らんのだ。酒井殿も大久保殿もな」
「数正。何を親しげに話しておる」
家臣の中で一番上位の席に着いている、酒井が厳しい声で注意する――よっぽど気に食わないらしいと成政は判断した。
すると石川は「私は佐々殿をある程度評価している」と言う。これには成政も驚いた。
「まさか石川殿が、私を評価してくださるとは思いませんでした」
「勘違いするな。働きを評価しているだけで、気に食わないのは他の者と一緒だ。それに、お前なら何か知っているかもしれんと思っただけだ」
「はあ。左様ですか」
「酒井殿も目くじらを立てるな。評価はともかく、私はまだこの者を信用しておらん」
案外、柔軟な考え方をするのだなと成政は思った。ま、未来知識で石川がこれからどう行動するのか分かっているので、不思議ではないのかもしれない。
頑固で強情な三河武士の中で、心配りができるのは美徳であり、弱点でもある。
「ふん。貴様は日和見だ。数正」
「どう受け取っても構わん」
「……二人とも。殿がお見えになられるぞ。口を慎め」
大久保の注意で二人は喋るのをやめた。
そして上座から元康がやってくる――家臣一同、平伏をした。
「皆、楽にしていい。これより評定を始める」
元康の威厳ある声に、ああ立派な君主になられたと、幼い頃を知っている成政は感激した。
すると酒井が「今日はどのような議題ですか?」と訊ねる。
「ああ。本格的に西三河の攻略を進めたい。しかしできる限り戦はせず、説き伏せて味方を増やす戦略を取る」
「ええ。それがよろしいかと」
大久保が肯定すると、他の家臣団も頷いた。
元康は満足そうに「では各々、西三河の諸勢力と交渉するか決めよう」と言う。
「まず忠次が――」
「殿。そういうことでしたら、私は役に立てそうにありません」
発言したのは成政だった。一同の視線が成政に集まる。
元康は困ったように「何か、不満でもあるのか?」と問う。
「不満ではありません。むしろ良き戦略だと思います。敵の勢力を切り崩し、味方を増やす。理想的ですね」
「では、先ほどの言葉どういうことだ?」
「私は織田家から来た外様です。三河国の出ではありません。そんな余所者に地元の豪族が従うでしょうか?」
傍目から見れば道理であるが、成政の狙いは異なっていた。
彼には工場の仕事があった。それに専念したい気持ちがあったのだ。
それに諸勢力の交渉など、自分以外でもできる。
「ふむ、なるほどな。しかし外様でも高い地位になれるとそなたは体現しているのだ。だから役立ってもらいたかったのだが」
「お言葉ありがたく思います」
未練がありありと満ちた元康に様子に、成政はあくまでも固辞した。
無論、成政ならば豪族を従わせる交渉は楽にできるが、これ以上手柄を立てるのは悪目立ちし過ぎだとも考えた。地位は家老で不足なく十分だった。
「佐々殿は自信がないから主命を拒否するのか? ふん。それでよく松平家の家老が務まるものだな」
皮肉を述べたのは、酒井だった。
元康は「これやめよ」と叱るが、他の家臣たちも追従していた。
「殿の主命を断ると? 織田家の者は軟弱だな」
「尾張の兵は弱兵とは、よく言ったものだ」
そんな声が聞こえてくるが、成政は「それはおかしな話ですね」と声大きく張り上げた。
「殿はまだ、私に主命を下していませんでした。ですから断っておりません」
「屁理屈を言いよって……!」
「それに、殿が納得したことを、家臣が文句言うのは、いささか問題がございますね」
これには酒井も他の家臣も黙ってしまった。
三河武士にとって、松平元康という主君は絶対だったからだ。
「うむ。成政の言うとおりだ。では話を続けよう。忠次、そなたは――」
酒井は元康の主命を聞きながら、腸が煮えくり返る思いをしていた。
殿に気に入られ、しかも自由気ままに主命を選べる成政に憎悪を感じていた。
一方、成政は酒井とは仲良くなれそうにないなと思っていた。
筆頭家老と言うべき男と決定的な亀裂が入ったのは痛い。
ならば派閥を作らねばならないと彼は感じた。
それは自分を守るため、いわば保身のためだった――
◆◇◆◇
「……佐々様。少しよろしいか」
大広間から出ると、本多忠勝に声をかけられた。
その隣には忠勝ど同世代の若武者が、疑わしそうな目で成政を見ている。
「これは忠勝殿。いかがした?」
「稽古をつけて、もらいたい」
「ああ。それは構わないが……そちらは?」
成政の問いに若武者が少しだけ頭を下げた。
「どうも。榊原康政と言います」
「榊原……ああ、あの」
「うん? 知っているんですか? 俺のことを?」
未来知識で後の重臣だと知っていたが、そんなことは当然言えないので「噂で聞いていた」と誤魔化した。
「強くて優秀な若武者だと。そうか、あなたが榊原康政殿か」
細目でがっしりとした体格。日に焼けているからか色黒で、よく見かける漁師のような風貌だった。忠勝と違って普通に喋る若者らしく「佐々様に言われるのは恐縮ですね」と照れている。
「先ほどの評定で、印象が悪かったですけど、話すとそうでもないんですね」
「あなたは正直な男だな。普通、そんなにはっきりとは言わない」
「ありゃ。そうですか?」
空気が読めない、というよりは思ったことを隠さずに言える性格なのだろう。
忠勝と正反対だなと成政は思った。
「それで、稽古のことだが……槍で構わないか?」
「……いや。刀を教えてもらいたい」
成政は首を傾げた。戦場では主流と言えない刀を教えてほしいとは珍しい。
忠勝が黙っているので、康政が代わりに説明する。
「こいつ、意外と書物読むんですよ。軍記物語とか武芸書とか。その中で『刀の兵法は万物に通じる』って一節を読んで感銘を受けちゃって。単純だから」
「なるほどな……よし、良いだろう。訓練場に向かうか」
成政は戦場では槍を用いるが、刀を扱えないというわけではない。むしろ槍と同じく得意でもあった。
三人は木刀を借りて訓練場に行く。すると先に武芸の訓練をしていた三河武士が注目してきた。まあ三河国でも随一の強さを誇る本多忠勝と家老の成政が入ってきたら、見てしまうのは仕方がなかった。
「それでは稽古をしようか」
「そうですね。なあ、忠勝。どっちが――」
先にやると言いかけた時に「二人ともかかってきなさい」と成政が気軽に言った。
一瞬、何を言っているのか理解できなかった康政だったが、自分と忠勝が舐められていることに気づく。
「……佐々様。そりゃあ俺たちを馬鹿にしすぎじゃないですか?」
「馬鹿にはしていない。そうでないと稽古にならないと言っている」
「…………」
忠勝は黙って木刀を中段に構えた。
康政は苛つきながら「舐めやがって」と呟く。
「後悔しても、遅いですよ――っと!」
不意を突くように、康政が距離を詰めて成政の顔面に向かって横なぎをする。
その素早さと遠慮なさに、一本取られたと見ていた者は思ったが、成政はしゃがむことで回避する――それどころか足払いして康政を倒してしまう。
「んな――」
「まずは一本だな」
仰向けに倒れた康政の顔の真横に、木刀と突き刺す成政。
呆然としている康政を見下ろす成政――背後から大柄の忠勝が接近する。
上段に振りかぶった木刀を振り落とす前に、成政が神速の動きで木刀を逆手で掴んで振り返りながら、抜き胴をした。
打つ、というより当てるという、もっと言えば優しく触ったようだったので、忠勝は怪我を負うことは無かったが、もしこれが真剣だったが死んでいたと、忠勝は思ってしまった。
「それぞれ、一本ずつだな」
成政は木刀を肩に置いて笑う。
康政は倒れたまま「参りました……」と言う。
悔しいなどと思わなかった。むしろ感心していた。
「槍だけじゃなくて、刀も使えるとは……」
「まあな。利家――まあ、とある馬鹿に勝つために、自己流だがやっていた」
その様子を利家は見ていたと、成政は思い出していた。
今となっては懐かしい記憶だ。
「槍が駄目になったら、刀を使うしかないからな。ま、用心のためだ」
「……佐々様。教えてくれ」
言葉少ない忠勝の言葉に「いいだろう」と頷く成政。
「そうだな。もしも格上か同等の使い手と会ったとき、使える技がある。相手も刀を持っているという条件だけどな。それを教えよう」
未来知識で知っていた、剣術の技だった。
成政はまるで若き日の自分と利家に教える、森可成の気持ちになっていた。
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