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歴史が動く
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「わしは今まで武家奉公していたのだがな。暇(いとま)をもらって尾張に戻るところだったのだ」
夜が明けるまでここにいて良いと藤吉郎に言われた。優しさに甘えるように僕は頷いた。だけど警戒はしていた。悪人には見えないけど、人は信用しすぎるのは良くない。そうでなければ今まで生きていけなかった。
「武家奉公? 藤吉郎は武士だったのか?」
「武士と言っても陪々臣だったがな」
「陪々臣?」
聞き慣れない言葉に思わず問うと「簡単に言ってしまえば家臣の家臣の家臣だ」と焚き火に木の枝を入れながら藤吉郎は答えた。よく見ると右手の指が一本多い。六本指だった。
「今川家家臣の飯尾連龍様の寄子――家臣だな――の松下嘉兵衛様の家臣だった。三年ほど仕えていたが、辞めてしまったよ」
「どうして? 武士が嫌になったのか?」
「違うな。ある程度松下様に目をかけられるようになったわしを他の者どもが妬み始めた。まあはっきり言ってしまえば嫌がらせを受けるようになったのだ」
そのときの藤吉郎の顔は笑っていたけど、どこか寂しそうだった。
「元は農民の出であるわしが出世するのを疎む気持ちはよう分かる。初めは耐えていたのだが、耐え切れんようになって、それで暇をもらったのだ」
「……主人の松下様は、止めなかったのか?」
「引き止めはしてくれたがな。事情を話したら哀れんでくださって、金子をいただいた」
僕は嫌がらせを止めなかったのかという意味で訊いたけど、藤吉郎は別の解釈をしてしまったらしい。それ以上は訊けなかった。
「それで三河で木綿を買って、熱田の町に戻るところよ」
「うん? 木綿? そんなもの買ってどうするんだ?」
「ああ。熱田では高値で売れるのだ。木綿針が盛んだからな。これで金を稼いだ後は尾張の信長でも見に行こうと思っている」
尾張の信長――その名前くらいは知っている。そしてそのあだ名も。
「尾張の大うつけなんて見て、どうするんだ?」
「くっくっく。だから見る価値があるのよ。見聞を広めることは重要だからな」
藤吉郎は笑って再び木の枝を焚き火に入れた。
「尾張の大うつけ殿の顔を拝んだら、いずこへ行こうか……ま、なんとかなるだろう」
「楽観的だな。それに意味があるのか? 尾張の大うつけなんて、今川に滅ぼされてしまうかもしれないのに」
「確かにな。義元公と太原雪斎様が居る限り、織田家に勝ち目はないだろうよ。ま、どちらかが欠けてしまえば、分からんがな」
義元公は知っているけど、太原雪斎は知らなかった。それほどの人物なんだろうか。
「それで、おぬしはどうする?」
藤吉郎が訊ねてきた。僕は「……考えていない」と答えた。
本当は考えていないのではなく、何も考えが無かったんだ。
「見たところその日暮らしをしていたようだが、そのままでいいのか?」
そのままで良いはずがない。でも何の考えも浮かばない……
しばらく沈黙が続いた。洞窟の外ではぽつりぽつりと雨音がしてる。
「このままだとろくなことにならんぞ」
「…………」
「おぬしにはやりたいこと、成し遂げたいことはないのか?」
「…………」
「ないのなら、わしと一緒に来るか?」
思いがけない言葉にハッとして藤吉郎の顔を見る。
猿がにこやかに笑っていた。
「ここで会ったのも多生の縁というものだ。少なくとも一人で生きられるように、世渡りを教えてやってもよい」
「……どうして、そんなことが言えるんだ?」
本当に不思議に思っていた。だからさらに問う。
「見ず知らずの僕に、どうしてそこまでしてくれようとするんだ?」
「……見ず知らずの子供に親切してやることが、そんなに不思議なのか?」
藤吉郎がそれこそ不思議そうに首を傾げた。
「こんな時代、いやこんな時代だからこそ、人は助け合わんといけないと思うが」
「……綺麗事を言わないでくれ」
「汚いことよりもいいだろう? それとも綺麗なことが嫌いなのか?」
ここに来て藤吉郎は口が上手いと思った。次第に丸め込まれる自分が居た。
「子供は大人の親切を受け入れろ。善意の大人は少ないが、悪意の大人は圧倒的に多いが、それでもみなしごの可哀想な子供を見捨てるのなら、それは大人でも人間でもない」
「…………」
「ま、見返りとして荷物ぐらい持ってもらうがな。木綿は意外と重いのだ」
「…………」
「わしと一緒に来い。一人前の男にしてやる」
藤吉郎はそう言って僕の返事を待った。決断するのは僕だと言わんばかりだった。
どうするべきか、迷っていた。悩んでいた。
目の前の大人について行くべきか、分からなくて不安だった。
でも、同時について行きたい気持ちもあった。
藤吉郎は信用できるかもしれない。
もちろん打算があるかもしれない。良からぬことを考えているのかもしれない。
それでも――ついて行きたかった。
何故なら、こんなに優しくしてもらったのは、初めてだったから。
「……分かった。僕は藤吉郎について行く」
悩んだ末に、決断した。決断してしまった。
すると藤吉郎はにかっと笑った。よく笑う人だなと思った。
「そうか。では尾張に向かうぞ。まずは信長を見てみよう。そこからはまあ、ゆっくり考えよう」
そして僕の肩に手を置いて、優しく言ってくれた。
「今まで一人でよく頑張ったな。これからはわしが面倒を見てやろう」
その言葉に目頭が熱くなって、泣きそうになったけど、何とか堪えた。
「ありがとう。藤吉郎」
それしか言えなかった。それ以上言えば、零れてしまいそうだったから。
洞窟内に光が差し込んできた。夜が明けて、雨も上がったのだ。
藤吉郎の後に続いて洞窟を出る。
煌々と輝く朝日が綺麗だった。
何度も見てきた日輪が、何故か物凄く美しく思えた。
「さあ。行くぞ!」
「……うん!」
僕は一歩踏み出した。
記憶を失くしてから、初めて生きている気分になった。
夜が明けるまでここにいて良いと藤吉郎に言われた。優しさに甘えるように僕は頷いた。だけど警戒はしていた。悪人には見えないけど、人は信用しすぎるのは良くない。そうでなければ今まで生きていけなかった。
「武家奉公? 藤吉郎は武士だったのか?」
「武士と言っても陪々臣だったがな」
「陪々臣?」
聞き慣れない言葉に思わず問うと「簡単に言ってしまえば家臣の家臣の家臣だ」と焚き火に木の枝を入れながら藤吉郎は答えた。よく見ると右手の指が一本多い。六本指だった。
「今川家家臣の飯尾連龍様の寄子――家臣だな――の松下嘉兵衛様の家臣だった。三年ほど仕えていたが、辞めてしまったよ」
「どうして? 武士が嫌になったのか?」
「違うな。ある程度松下様に目をかけられるようになったわしを他の者どもが妬み始めた。まあはっきり言ってしまえば嫌がらせを受けるようになったのだ」
そのときの藤吉郎の顔は笑っていたけど、どこか寂しそうだった。
「元は農民の出であるわしが出世するのを疎む気持ちはよう分かる。初めは耐えていたのだが、耐え切れんようになって、それで暇をもらったのだ」
「……主人の松下様は、止めなかったのか?」
「引き止めはしてくれたがな。事情を話したら哀れんでくださって、金子をいただいた」
僕は嫌がらせを止めなかったのかという意味で訊いたけど、藤吉郎は別の解釈をしてしまったらしい。それ以上は訊けなかった。
「それで三河で木綿を買って、熱田の町に戻るところよ」
「うん? 木綿? そんなもの買ってどうするんだ?」
「ああ。熱田では高値で売れるのだ。木綿針が盛んだからな。これで金を稼いだ後は尾張の信長でも見に行こうと思っている」
尾張の信長――その名前くらいは知っている。そしてそのあだ名も。
「尾張の大うつけなんて見て、どうするんだ?」
「くっくっく。だから見る価値があるのよ。見聞を広めることは重要だからな」
藤吉郎は笑って再び木の枝を焚き火に入れた。
「尾張の大うつけ殿の顔を拝んだら、いずこへ行こうか……ま、なんとかなるだろう」
「楽観的だな。それに意味があるのか? 尾張の大うつけなんて、今川に滅ぼされてしまうかもしれないのに」
「確かにな。義元公と太原雪斎様が居る限り、織田家に勝ち目はないだろうよ。ま、どちらかが欠けてしまえば、分からんがな」
義元公は知っているけど、太原雪斎は知らなかった。それほどの人物なんだろうか。
「それで、おぬしはどうする?」
藤吉郎が訊ねてきた。僕は「……考えていない」と答えた。
本当は考えていないのではなく、何も考えが無かったんだ。
「見たところその日暮らしをしていたようだが、そのままでいいのか?」
そのままで良いはずがない。でも何の考えも浮かばない……
しばらく沈黙が続いた。洞窟の外ではぽつりぽつりと雨音がしてる。
「このままだとろくなことにならんぞ」
「…………」
「おぬしにはやりたいこと、成し遂げたいことはないのか?」
「…………」
「ないのなら、わしと一緒に来るか?」
思いがけない言葉にハッとして藤吉郎の顔を見る。
猿がにこやかに笑っていた。
「ここで会ったのも多生の縁というものだ。少なくとも一人で生きられるように、世渡りを教えてやってもよい」
「……どうして、そんなことが言えるんだ?」
本当に不思議に思っていた。だからさらに問う。
「見ず知らずの僕に、どうしてそこまでしてくれようとするんだ?」
「……見ず知らずの子供に親切してやることが、そんなに不思議なのか?」
藤吉郎がそれこそ不思議そうに首を傾げた。
「こんな時代、いやこんな時代だからこそ、人は助け合わんといけないと思うが」
「……綺麗事を言わないでくれ」
「汚いことよりもいいだろう? それとも綺麗なことが嫌いなのか?」
ここに来て藤吉郎は口が上手いと思った。次第に丸め込まれる自分が居た。
「子供は大人の親切を受け入れろ。善意の大人は少ないが、悪意の大人は圧倒的に多いが、それでもみなしごの可哀想な子供を見捨てるのなら、それは大人でも人間でもない」
「…………」
「ま、見返りとして荷物ぐらい持ってもらうがな。木綿は意外と重いのだ」
「…………」
「わしと一緒に来い。一人前の男にしてやる」
藤吉郎はそう言って僕の返事を待った。決断するのは僕だと言わんばかりだった。
どうするべきか、迷っていた。悩んでいた。
目の前の大人について行くべきか、分からなくて不安だった。
でも、同時について行きたい気持ちもあった。
藤吉郎は信用できるかもしれない。
もちろん打算があるかもしれない。良からぬことを考えているのかもしれない。
それでも――ついて行きたかった。
何故なら、こんなに優しくしてもらったのは、初めてだったから。
「……分かった。僕は藤吉郎について行く」
悩んだ末に、決断した。決断してしまった。
すると藤吉郎はにかっと笑った。よく笑う人だなと思った。
「そうか。では尾張に向かうぞ。まずは信長を見てみよう。そこからはまあ、ゆっくり考えよう」
そして僕の肩に手を置いて、優しく言ってくれた。
「今まで一人でよく頑張ったな。これからはわしが面倒を見てやろう」
その言葉に目頭が熱くなって、泣きそうになったけど、何とか堪えた。
「ありがとう。藤吉郎」
それしか言えなかった。それ以上言えば、零れてしまいそうだったから。
洞窟内に光が差し込んできた。夜が明けて、雨も上がったのだ。
藤吉郎の後に続いて洞窟を出る。
煌々と輝く朝日が綺麗だった。
何度も見てきた日輪が、何故か物凄く美しく思えた。
「さあ。行くぞ!」
「……うん!」
僕は一歩踏み出した。
記憶を失くしてから、初めて生きている気分になった。
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