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松永久秀という男

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 大和国の大名、松永久秀。
 天下の大悪人であり天下の大罪人と評される男。
 俗に三悪事と言われる常人には真似できない行ないをした。
 一つ、三好家の後継者、義興を毒殺して、主君である長慶の心身を追い込み、殺害した。
 二つ、東大寺の大仏殿を焼き払った。
 三つ目は――義昭さんの兄、十三代将軍、足利義輝公を弑逆した。
 そんな男が――義昭さんの目の前に居る。
 堂々と――座っている。
 何ら恥じることがないと思っているらしい。

「お初にお目にかかる。公方さま、織田弾正忠殿。わしが松永久秀にございます」

 頭を下げる松永に僕は唖然としてしまった。
 本来なら殺されても仕方ないのに、そんな恐れが感じられなかった。
 むしろ何故か誇らしげだった。

「……よくもまあ堂々と顔を出せたものだ」

 怒りを通り越して呆れている義昭さん。心中察するにあまる。
 この場に居るのは、僕と義昭さん、大殿と細川さまの四人だった。秀吉と明智さまは隣の部屋で控えている。一覚さんは同時期に来たとある公家の応対をしていた。

「それで、そなたは何をしに来たのだ?」
「当然、この度の将軍就任のお祝いですな」

 しれっと言う松永。義昭さんは「お祝いされる道理はないわ」と苛立ち始めた。

「我が兄を殺したそなたが、何故祝う――」
「それは誤解ですな。わしは義輝公を殺してなどおりませぬ」

 にやにや笑いながら松永は弁明し始めた。

「実行したのは三好三人衆と我が息子久通。わしは直接手を下しておりません」
「そいつらを唆したのは、貴様ではないのか!」

 我慢の限界を迎えた細川さまが松永に向かって怒鳴った。
 それに対して――冷笑する松永。

「相変わらず古臭い考えを重んじる藤孝殿らしいですな。根拠がない。証拠もない――」
「貴様、そのような詭弁に――」

 細川さまが思わず刀に手をかけた――

「細川殿。それはならん」

 大殿がすかさず止めた。しかしそれは嫌々止めたという印象だ。

「織田殿、なにゆえ――」
「他の悪事について、聞きたい」

 大殿は面白そうにやりとりを見つめていた松永に訊ねる。

「三好義興を殺したのは貴様か?」
「根も葉もない噂でございます」
「そのせいで主君、長慶が死んだが?」
「痛ましい思いですな。存命であれば、わしも三好家のために尽くしたと言うのに」
「……奈良の大仏殿を焼いたのは?」
「それは陣取った三好三人衆の責任ですな。まあ戦の混乱でどちらが火をつけたのかは判然としません」

 どれもこれも曖昧で、本当に行なったのかどうか、定かではない。
 何が本当で、何が偽りなのか――虚実が入り混じっている。

「それで、本当は何をしに来たのだ?」

 大殿の問いに「あっはっは。弾忠殿も人が悪いな」と大笑いする松永。

「約束を果たしてもらいに来たのですよ。上洛の手助けをする代わりに、本領を安堵してもらう約束をね」
「な、なんだと!? 信長殿、それはまことか!?」

 義昭さんが驚きの声をあげる。大殿は言い訳がましく言う。

「……近畿における協力者、松永の手助けが無ければ、上洛は不可能でした」
「し、しかし、兄上を殺した――」
「それは異なことを申される」

 松永は――義昭さんの心を抉るような一言を発した。

「その兄上が死んだおかげで、あなたさまは将軍になれたのでは?」
「――っ! 貴様!」

 義昭さんが思わず立ち上がろうとした――

「公方さま。堪えてくだされ」

 またも止めたのは――大殿だった。

「何故止める!」
「今ここでこやつを殺すのは容易いですが、その後が不味い。近畿を制圧するのが遅れます」

 義昭さんはわなわなと震えて――それからどかりと座り直した。

「ふふ。流石に時勢を見るのに聡いですな」
「その言葉、そっくり返す。殺されないと分かった上での降伏。天晴れとしか言いようがない。不本意だがな」

 上機嫌な松永と対称的に不機嫌な大殿。

「まあ降伏の手土産と言ってはなんですが、こちらを献上させていただく」

 松永は懐から小さな箱を取り出し、中身を開ける。
 それは茶入――唐物の茄子茶入だった。

「九十九髪茄子にてございます。お納めください」

 九十九髪茄子! 先ほど話に上がった東山御物で大名物の茶器じゃないか!

「加えて名刀吉光も添えさせてもらいます」

 茶器だけじゃなくて、名刀まで……ただの悪人だと思っていたけど、これはとんでもない大悪人だ。

「くれるというのなら、遠慮なくもらっておく。本領もそのままにしてやる。約束だからな。しかし松永、これだけは覚えておけ」

 大殿の言葉に義昭さんは何か言いたげだったけど、結局は何も言わなかった。
 細川さまはじっと我慢している。

「はい。なんでしょうか?」
「いつまでも己の思うとおりに生きられると思うな。いずれ思い知らされるぞ」

 何を意図しているのか、僕には判断つかなかった。
 でも松永は最後に――反撃した。

「その言葉、自分に言い聞かせているのですか? 弾忠殿?」

 流石に大和国の大名。ただでは終わらなかった。

「しからば御免。また会える日を待ちわびておりますぞ」
「……雲之介。見送ってやれ」
「はっ。かしこまりました」

 本当はこんな危険人物に関わりたくないけど、義昭さんの命令ならば、聞かなければいけない。
 僕は松永の後ろをついて行く。
 松永は何も話さない。まあ身分の低い僕に話すことはないだろう。
 だけど――僕はどうしても聞きたかった。

「松永さま。一つ質問よろしいでしょうか?」
「うん? なんだ?」

 意外と気さくに応じた松永。僕は気になっていたことを訊ねる。

「どうして――織田家に協力したのですか?」

 協力しないという道もあっただろう。現に大殿は松永の協力がなければ上洛できなかったと言っていた。
 松永は「単純な理由よ」と答えた。

「織田家が強いから、従ったまでだ」
「強い――そんな理由ですか?」
「ああ。強い者に従うのがこの世の道理、このわしの法度よ。それに今しかなかった。わしの協力が必要なときに、このわしが降伏することで大和国の本領安堵がなされた。それに弾忠殿ならば時間がかかってしまうが、わしの協力なしに上洛を果たせただろう」

 なるほど。自分を高く売ったというわけか。
 なかなかに計算高い。まあそうでなければここまで成り上がれないだろう。
 元々は出自の分からない人だと聞くし――

「それで満足できたかな? 興福寺の火付け人よ」
「――えっ?」

 冷水を浴びたような心地だった。
 どうやって情報を手に入れたのか分からないけど、僕のことを知っていたようだった。

「見送りはここで良い。それではさらばだ」

 門の入り口で松永と別れた。
 家来を伴って意気揚々と帰る松永を見て。
 とてもじゃないけど、敵わないなと思ってしまった。
 あれが――松永久秀か。



「雲之介。そなたに会わせたい人が居るのだ。今、一覚に相手させている」

 戻ると義昭さんが暗い顔から無理矢理笑顔になって、僕と話してくれた。大殿はもう居ない。秀吉を連れて織田家に用意された屋敷に向かったそうだ。
 細川さまと明智さまは傍に控えている。

「会わせたい人? 誰でしょうか?」
「以前話した――」
「失礼します。公方さま」

 一覚さんがそう言って襖を開けて入ってくる音。

「おお。一覚。連れてきてくれたか。雲之介、この方が――」

 義昭さんの言葉を待たずに振り返る。
 そこには一覚さんの他に、公家姿の白髪の老人――

 ずきりと頭が痛んだ。

 驚愕している老人。まるで幽霊でも見たような。

 ガンガンと響く。頭が割れそうだ。

 目がちかちかする。痛くてその場にうずくまる。

「どうした? 雲之介――」

 義昭さんの声が遠くに聞こえる。
 視界が暗転して――

 僕は気絶した。
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