猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一

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奇縁

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「私が奥方――志乃殿と出会ったのは、偶然だったんだ。数年前、志乃殿が行き倒れになっていた曲直瀬道三を介抱していたときに、手を貸したのがきっかけだった」

 そういえば――言っていた。志乃はいろいろあって、施薬院を作ることになったって。
 詳しく聞かなかったけど、そのいろいろというのは、細川さまのことだろうか。

「飯屋に連れて行って、曲直瀬殿に食事を取らせた後、私たちは現状について話し合った。戦乱によって人々は傷つき飢えている。なんとかしなければならないと。とはいえ、私は足利家を盛りたてるために必死だったので、ろくな意見は出せなかったが。しかし――私が光明皇后の話をしたときに、志乃殿は閃いたようだった」

 だから――農民の娘だった志乃が施薬院なんて言葉を知っていたのか。
 古来の作法や歴史を知っている教養人の細川さまが教えてくれたのか。

「施薬院を作るのに、私は柄にも無く尽力してしまったよ。しかし私が手伝えることなどほんの少ししかなかった。だが不可解なことに志乃殿は銭を持っていた。理由を知ったのは、半月経った頃だった。雲之介くん。志乃殿が君の奥方だと分かったのだ」

 そこで少しだけ、細川さまは淋しげな表情を見せた。

「利用しようとは思わなかったよ。たった半月の間に、私たちは親しくなりすぎてしまった。なんといえばいいかな。万葉集にも古今和歌集にも載っていない、感情だった。たとえば志乃殿のために何かしようとは思えないが、自分のために志乃殿をどうこうしようとは思わなかった」

 志乃は――思いやりのある優しい人だった。それこそ道三さんや玄朔、明里さんがその死を悲しんで惜しんだのだ。
少しでも関わればそう思ってしまうほど――善人だった。

「だからかな。雲之介くんが従うようにするには、志乃殿を人質にするべきだと頭では分かっていたのに、心が拒絶したのだ。最も有効的な方法を私は放棄したのだ。それは足利家の再興を諦めたことと同じだった。だってそうだろう? 何をしても目的を成し遂げるべきなのに、方法を選んでしまった。最適な方法を――否定してしまった」

 おそらく、細川さまは、悪人には成り切れなかったのだろう。
 成り切れない代わりに成り果てなかったと言うべきかもしれない。
 足利家の再興という大望があるから、僕と対立していたのだけど。
 それでも、良心は捨て切れなかったのだろう。

「志乃殿は、幸せになるべき人だったよ。この人は不幸になってはいけないと思った。戦国乱世といっても、この人は笑って生きてほしいと思ってしまったよ。我ながら甘いけどね。本当に情けない話だ」

 僕も――同じ気持ちだった。
 志乃のことを思うと、言葉も無い。

「だから、施薬院には干渉しないつもりだった。そのまま穏やかに暮らしてほしいと思った。しかし、それすら許されなかった。いや、そんな言い方は止そう。私のせいだ。私が止めれば、このようなことは起こらなかった」

 後悔しているのだろう。これも僕と同じ気持ちだった。
 どうして施薬院のことを慮らなかったのか。
 ただそれだけが悔やまれる。

「さて。ここまで話したのだから、私の言いたいことは分かるだろう」

 細川さまは刀をすらりと抜いた。
 僕は――動じなかった。分かっていたからだ。

「私は、君を斬らないといけない。大望を果たすために、君を斬って迷いを断たねばならない」

 細川さまの目は据わっていた。何事も揺るがない、覚悟をしていた。

「さあ。君も抜け。さもないとそのまま叩き切る」
「……少し、僕の話を聞いてくれませんか?」

 声が掠れていた。
 緊張とかじゃなくて、今まで黙っていたからでもなくて。
 志乃のことを思い出してしまったからだ。

「……なんだ?」
「足利家の再興について、案があります」

 その言葉に、揺らいでしまう細川さま。

「僕は、上様から織田家一門にならないかと誘いを受けました。ですから、僕の進言に耳を貸すかもしれません」
「話を、聞こうか」
「……上様の嫡男、信忠さまのご子息と義昭さんの娘を婚姻させるのです」

 思わぬ言葉に細川さまは息を飲んだ。

「もはや足利家の再興、というより足利家が天下の差配をするのは不可能でしょう。であるのなら、天下人になられる上様、並びに天下を治める織田家に足利の血を入れるのが、精一杯でしょうよ」
「しかし、それでは……」
「妥協なさってください、細川さま」

 何故か、酷く血が冷えている感覚がした。
 怒りでも憎しみでもない複雑な感情が生まれていた。

「もしもこの話を蹴れば、もはや可能性はないでしょう。それに僕を斬れば下手人が細川さまだと分かってしまいます。この場で細川さまと話していることは、家臣に伝えていますから。そうなれば、細川さまは何らかの処罰を受けるでしょう」
「……つまり、私に選択肢は無いと?」
「ええ。残念ですが」

 細川さまはふうっと溜息を吐いて、刀を納めた。

「それと、僕から二つ要求があります」
「……要求だと? 何を――」
「細川さまの家名は、由緒正しいものですよね?」

 細川さまは怪訝に思ったけど、答えてくれた。

「ああ。和泉上守護家という。私で十代目だ」

 僕は――きちんと目を見て、冷酷に言い放った。

「その家名を――捨ててください」

 しばしの沈黙が訪れた。
 僕が言ったことの意味を図りかねている細川さま――でも理解したようだった。

「足利家家臣であることを、辞めよと言うのだな」
「そうです」
「足利家の再興を諦めよと言うのだな」
「そうです」
「……誇りを捨てよと言うのだな」
「……そうです」

 ここで家名を捨てなければ、僕は提案したことをしないつもりだった。
 それはすなわち、足利家の血筋が天下人の家に入らないということだった。
 足利家が本当の意味で滅んでしまうということだった。

「……分かった。家名は――捨てる」

 これが落としどころだった。
 志乃を死に追いやったことに対する復讐であった。
 志乃のために尽力した恩義に報いることであった。
 恩讐を超えた要求だった。

「それで、もう一つの要求とは?」

 僕は刀を腰から抜いた。

「僕は織田家直臣、羽柴家部将の雨竜雲之介秀昭としてやらねばいけないことがあります」
「…………」

 やらねばならないこと。
 それはケジメでもあった。

「元凶である近衛前久のところに案内してください。僕は彼を斬らねばならないのですから」
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