猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一

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複雑に絡み合う関係

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 上様の娘婿、徳川信康さまを探れと命じられたので、とりあえずそれなりの親交のある本多忠勝さんに話を伺おうと思い、遠江にある浜松城の屋敷を訪ねた。
 どうやら来客中だったらしく、小者の男にしばらく別室で待ってほしいと言われる。時間がかかるようなら日を改めると言ったが、すぐに終わるとのことだった。

 主命が主命だけに、家臣の誰かを連れてくるわけには行かなかった。そこで口の堅くて義理堅い丈吉を連れて行くことにする。二人で一緒に別室で待っていたのだけど、彼は寡黙なので、何一つ話さない。ちょっと退屈だった。

 そのまましばらくして、本多さんがやってきた。それも一人ではなく、服部正成さんも一緒だ。なるほど、客は服部さんだったのか。

「おお。雲之介か! 久しぶりだ、長篠以来だな!」

 嬉しそうに僕に近寄る本多さん。しかし対照的に服部さんは「どうして忍びが居るんだ?」と訝しげな表情をした。
 丈吉は「……よくお分かりになりますね」と小声で言った。

「これでも伊賀の名家だったんだ。服部家はね。でも伊賀者じゃないな?」
「……ご明察。甲賀の抜け忍です」

 本多さんは不思議そうに「うん? 服部殿は伊賀者を斡旋したのではなかったか?」と僕に訊く。

「それとは別件で雇ったんですよ。詳しく話すと長くなります」
「そうか……それで、何の用だ?」

 僕の正面にどかりと座る本多さん。
 その横に座る服部さん。
 僕は率直に言う。

「徳川信康さまについてお聞きしたいです」

 訊いた瞬間、場の空気がひやりとした。

「……若のことを聞いて、どうするつもりだ?」

 用心深く本多さんが質問で返した。
 服部さんも疑惑の目を向けている。
 探りを入れるのは難しいな。

「上様からの主命で、探るように言われているんです」

 仕方ないので単刀直入に切り込む。
 無策のように、真っ直ぐ訊く。

「い、意外と素直だな……いや、昔からそうだったな」

 不意を突かれたようで本多さんは動揺した。
 服部さんはそれを補うように「若に疚しいところはない」と言う。

「探られるようなことは何もない」
「僕もそう思います。独自に調べた結果だと信康さまに責はなさそうです」

 これは上様からあらかじめ聞いていた話から、僕がそうではないかと思ったのである。
 上様は嫁いだおごとくさまと姑の瀬名さまが折り合いが悪いから、そのような告げ口に似た書状が送られたと推測していた。
 僕も同意見である。瀬名さまは今川家の人間だった。かの家が凋落するきっかけとなった織田家の娘と仲良くできるわけがない。
 しかし真実とは限らない。そこでカマをかけてみようと思ったのだ。

「まあそうだな。周りの人間があれこれ言うからいけないのだ」

 本多さんが見事にかかった。
 服部さんが余計なことを言いやがってという顔をした。

「周りの人間? それはどなたでしたっけ?」
「それは石川さまと酒井さま――」
「本多殿! 言わなくて良いことを言うな!」

 服部さんが大声で怒鳴った。本多さんはきょとんとしていたが、次第に嵌められたことに気づき、僕を睨む。

「お、お前、まさか、引っ掛けたのか……?」
「……ここまで見事にかかるとは思いませんでしたよ」

 逆に呆れる思いだ。
 本多さんが顔を真っ赤にした――刀に手をかける。

「……それ以上、動かしたらただじゃ済まさない」

 丈吉が素早く反応して僕の前に出る。

「はっ。忍び風情が、俺に敵うとでも?」
「……たとえ相打ちになっても、必ず殺す」

 殺気がぶつかり、部屋中を反響して、沈殿していく――

「丈吉。やめるんだ」
「本多殿もこらえてくれ」

 僕と服部さんがそれぞれを諌める。

「だが服部殿――」
「計略にひっかかったあなたが悪い」

 本多さんはしばらく僕を睨んでいたが、刀から手を離した。
 丈吉もそれを見て下がる。

「すみませんでした。騙すような真似をして」
「……俺が言ったと他の者に言うなよ」
「分かっています。しかし徳川家の家老が……」

 何となく状況が掴めてきた。
 要するに派閥争いだ。
 確か、石川数正さまは信康さまの後見人で西三河の旗頭。それに対立するように酒井さまは東三河の旗頭だ。もしも信康さまが家を継げば、石川さまが筆頭家老になることは間違いないだろう。
 それに今川家の血筋である信康さまが継ぐのを厭う勢力も居ると聞く。
 ……結構ややこしくなってきたな。

「当人である若はさほど気にしていないのだが、それはそれで問題だ。おごとくさまと瀬名さまの仲を取り持とうともしない」

 誤魔化すのが面倒になったのか、不満を吐露する本多さん。
 服部さんはもうどうでもいいとばかり勝手にさせていた。

「よく分かりました。徳川家の派閥争いで、武田家と内通してないのであれば、上様も安心するでしょう」
「まあ内輪揉めというか、主家の恥を晒す真似はしたくないが、致し方ないな」

 これにて主命は終わった。
 後は報告だけだ――

「ちょっと、困ります!」

 外が何やら騒がしい。先ほどの小者の男の声だけど――

「――やはり、ですか。お久しぶりですね」

 本多さんと同じことを言う、乱雑に障子を開けた男は――本多正信だった。

「貴様! 主の許可を得ずに、屋敷に入るとはどういう了見だ!」
「ふん。どうせ雨竜殿に唆されてべらべら余計なことを話したのだろうが」

 鋭くて図星を突かれた本多さんは顔を真っ赤にして、ぐぬぬと唸った。

「しかし無礼であることには変わりない。正信。余程の用があって無礼を働いたのだな?」

 服部さんは嫌悪感を隠そうともしない。
 ……正信は結構な嫌われ者なのかな?

「殿から、伝言を預かってきたのだ。あまり騒ぐな」

 徳川さまから? ということは正信は徳川さまと口が利ける、かなり上の地位についているわけで、帰参者にしては破格の待遇だ。二人はそれが気に入らないのかもしれない。

「……さっさと話せ」

 本多さんは低い声音で言う。
 正信は「殿はこう言われた」とはっきりと言う。

「嫡男、信康さまとご正室、瀬名さまを――斬らねばならぬと」

 一瞬、何を言っているのか理解できず。
 数瞬経ってから、服部さんが声を発した。

「ば、馬鹿な……何を言って――」
「尽きましては、雨竜殿にお頼み申す」

 正信は真っ直ぐ僕の目を見て告げた。

「数日前、徳川家家老の酒井忠次さまが安土へと出立しました。おそらく織田家の許可は受けられるでしょう。そこで信康さまの切腹を見届けてほしいのです」

 そして正信は懐から書状を取り出した。

「殿がしたためた、このたびのいきさつです。本多さまも服部さまもご確認を」

 僕はその書状を広げた。
 ざっと見たが、正信の言ったとおりだった。
 しかも――

「……介錯人を、私がやるのか?」

 服部さんが震える声で呟いた。
 本多さんはしばらく黙っていたが、やがて勢いよく立ち上がり、正信の胸ぐらを掴んだ。

「ふざけるなよ! おい正信! まさか貴様の入れ知恵か!?」
「はっきりと言いましょう。違います。これは殿の決断です」
「なんだと――」

 僕は本多さんが激高する中、静かに問う。

「信康さまは、武田家と内通していたのか?」
「……その件については、何も証拠は出てきませんでした」

 単なる嫁姑問題だと思っていたのだが、案外根深いものだったんだな……

「俺は認めないぞ! こうなれば若をお助けして――」
「そのようなことをすれば、謀反人扱いになるぞ! 落ち着け!」

 本多さんを止める服部さん。
 すると本多さんが「お前はそれでいいのか!」と逆に詰め寄った。

「介錯人を請け負うということは、若を――」
「重々承知している! 殿が命じたことだ! それが逆らえないということも! いいから黙ってくれ!」

 服部さんが悲鳴のような叫び声を発して、本多さんが黙ってしまって。
 そんな様子を僕はずっと見ていた。

「徳川さまは、嫡男を斬ることを了承なさっているのか?」
「……書状に書いてあるとおりです」

 正信が努めて無感情に言う。

「いいや。本心じゃ望んでいないはずだ」
「……雨竜殿?」

 正信が怪訝そうに言う。
 僕はこの場に居る者全てに問う。

「信康さまの命を救いたいと思いますか?」

 本多さんが憮然として答える。

「当たり前だ!」

 服部さんは悲しげに答える。

「若を斬りたくない……」

 正信は無表情で言う。

「殿の命令でなければ、斬りたくないです」

 それぞれの答えを聞いて、僕は傍に控えていた丈吉に言う。

「甲賀には、顔を変える変装術があると聞くけど、本当か?」
「瓜二つとまではいきませんが、似せられるとは思います」

 即座の返しで僕は確信を得た。

「お、おい。雲之介。何を考えて――」

 本多さんが戸惑っている。
 僕はこれしかないという手段を選んだ。

「信康さまには悪いけど、死んでもらう。代わりに新しい人生を与えよう」
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