東洲斎写楽の懊悩

橋本洋一

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誇張

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 稀代の絵師である歌麿は、江戸でも指折りの版元の重三郎と親しかった。
 仕事上の付き合いではあるが、互いを尊重している。
 だからこそ、心地良い関係を築けているのだろう。

「それで、蔦重さんは何を相談しに来たんですか?」

 歌麿の穏やかな声での促しに重三郎は「とある絵師の話です」と早速切り出した。

「ほう、絵師……新しく育てようとしている方ですか?」
「そう……いえ、手前にはそんなつもりはなかったのですが、しかしやはりそういうことになってしまいます」
「珍しく遠回しに言いますね」

 シャーロックの素性は明かせない。たとえ信頼を置いている歌麿であってもだ。
 逆に明かしてしまえば歌麿にも危害が加わる可能性がある――避けねばならない。
 重三郎は「その者はとても上手に絵を描きます」と言う。

「写実的と言いますか……見たものをそのまま描くことができます。それに墨だけなのに山や川、空を描き分けられる技量も持っています」
「素晴らしいですね。私でも至難の業です」
「なにより、彼は楽しそうに絵を描くんです」

 シャーロックのことを話す重三郎の顔は自然と笑みを浮かべていた。
 一人の芸術を愛する者として、素晴らしい才能の持ち主のことを話すのは楽しい。
 歌麿は「楽しく絵を描く、か……」と羨望を露わにした。

「久しく楽しいと思って描いていませんね」
「そうなのですか?」
「今も納得のいく絵が描けていないと悩んでいました……すみません、続けてください」

 重三郎は「その者はある壁にぶつかっています」と険しい顔になった。

「そのまま描くことができるからこそ――人が描けぬのです」
「人が描けない……はて、どうしてでしょう?」
「正確に言えば、人は描けるのですが……死体のようになってしまうのです」
「おっしゃっている意味が分かりませんが……」

 歌麿はよく分からないという顔になった。
 重三郎は「そのままを描くからこそ、生きた絵が描けぬのです」と説明する。

「生きていないのです。絵に躍動感や鼓動が感じられないのです。だから手前には死体に見えてしまう。描いている本人にもです」
「実際に絵を見てみないと判断付きませんが、蔦重さんがおっしゃるのならそうなのでしょう。そうですか、死体になってしまう……」

 歌麿は口髭を指でなぞりつつ「それが相談したいことですか」と確認する。

「その絵師が生きた人を描けるように助言してほしいと」
「ええ、そうです。彼を助けてやってほしいのです」
「その方の名は? 私が知っている人ですか?」

 重三郎は少し黙ってから「写楽、と言います」と答えた。

「写すことが楽しいと書いて写楽です。歌麿さんはご存じない方です」
「写楽……ふうむ、絵師らしい名とも言えますね」

 そのままの感想を言った歌麿は「いくつか解決する方法はありますが」と提案をしてきた。

「誰かに師事する。もしくは誰かの絵を模倣する……しかしそれで一応の解決をしても根本がどうなるのかは分かりません」
「根本ですか……」
「そもそも師事や模倣をして画風が変わるのが、その方にとって良いことなのかも不明です」

 重三郎がそれらを考えないわけがなかった。
 そして歌麿と同じ考えに至った――はたしてシャーロックはこれまでと同じく楽しんで絵を描けるのだろうかと。

「画風を狭めてしまったら楽しく絵を描けるでしょうか? 童心と等しい気持ちで描いているとしたら――余計なことをしてしまうかもしれません」
「…………」
「だとすれば下手な教えは逆効果になりえます」

 定石覚えて弱くなるという言葉がある。
 シャーロックは絵における基礎が積み重なっていない。無論、ないわけではないが――それゆえに自由な発想で描けている。今ここで師事や模倣をしてしまったら、彼の画風が崩れてしまう。それは脆くも儚いほどに。

「それではどうすれば良いのでしょうか……手前は写楽のために何かしてあげられないのですか……?」

 重三郎の悲しみに「それでも残された道はあります」と歌麿は提示した。

「一つは人を描かない道。私の弟子にも人や生き物を描くのが苦手な者がおります。しかし風景画などで大成はできます。だから特段、重い枷というわけではありますまい」
「それでも手前は、写楽に人を描かせたい。つらいことだと分かっていますが」
「そうでしょうな。ではもう一つ、道を示しましょう」

 歌麿は真っ白な紙を取り出して、さらさらと絵を描き始めた。
 重三郎が黙して見ていると、次第に滑稽な絵が出来上がっていく。

 極端に眼がでかい者、極端に鼻が小さい者、口が顔の半分まである者、耳が鋭くて触ると刺してしまいそうな者、肉体が針金細工のように細い者、腹が出っ張って太っている者。各々の特徴が眼に見えて分かるほど強調されている。

 重三郎は歌麿の意図が分からず「この絵はなんでしょうか?」と問う。
 筆を置いた歌麿は「一つの答えですね」と答えた。

「物事を歪めて伝える……それは本来、絵の美しさとは別です。けれど、歪めて強調させることで本質を伝えられることがあります」
「歪めて、強調させる……」
「何か心に伝えられることがあるのでしょう。美しさではなく、面白さや滑稽さを見た者に感じさせることができます」

 歌麿は描いた紙を重三郎に差し出す。

「これをお渡しください。私も若い頃、画風で悩んでいました。この道を選びませんでしたが、その方――写楽さんなら掴めるかもしれません。歪ませて協調する、いわゆる誇張した絵で大成するかもしれません」
「歌麿さん……ありがとうございます。それしか言葉がありませんよ」

 重三郎は深く頭を下げた。ようやくシャーロックに道を示せると安堵した。
 歌麿から絵を受け取る。
 そこには何とも自由な絵が躍るように描かれていた。シャーロックにぴったり似合っているようだった。

「このお礼は必ずします」
「いいですよ。蔦重さんの悩みを解決しただけですから。写楽さんによろしくお伝えください」

 もう一度、重三郎は頭を下げて歌麿の元から退席した。
 一人きりになった歌麿は「一度、見てみたいものですね」と呟く。

「美しさと相反した、歪んで強調した絵……ふふふ、誇張とはよく言ったものです。誇らしげに胸を張ってください、蔦重さん、写楽さん――」


◆◇◆◇


「シャーロック。絵、描かないの?」
「オユキサン。ワタシ、カケナイ……」

 晩のご飯を食べているときだった。
 別宅の奥の間で元気無さそうに漬物を食べているシャーロックに、お雪は同情の眼を向けている。食欲はあるのが幸いだと彼女は考えていた。

 絵を描かなくなって眼に見えて憔悴しているシャーロックは心底悲しく思える。
 助けてあげたいと願うが、芸術を解さない自分には何もできないと、無力感に襲われるお雪。はたしてどうすればいいのか――

「シャーロック! ああ、ここにおったか!」

 がらりと襖が開いて重三郎が奥の間に入る。
 唐突にやってきたので「どうしたのですか、義父上!?」と驚くお雪。
 シャーロックも思わず摘まんだししゃもを落としてしまう。

「シャーロック、落ち着いてこれを見てくれ!」
「義父上が落ち着いてください……なんですかそれは?」

 重三郎が懐から取り出したのは歌麿の絵だった。
 先ほどの歪んで強調させた、誇張の絵。
 それを見たシャーロックは不思議そうに「ソレハナニ?」と訊ねた。

「お前はありのまま描くことが得意だが、それでは人を描くことができぬ! ならば歪ませろ! 強調するんだ! 誇張した絵を描け!」

 重三郎の熱のこもった言葉を聞いたシャーロック。
 言っている言葉が半分も分かっていないが、何を言いたいのかは分かる。
 シャーロックは青天の霹靂のような顔になった。

「コチョウシタ、エ……カンガエタコト、ナイ……」
「ならば考えろ。懸命に考えるのだ」

 そして重三郎はシャーロックに道を示した。

「誇張の画風を手に入れるのだ。それが人を描く絵の始まりだ」
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