酒酔美人物語

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一帖 坂上

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華の都とは言うものだが、強く光が照らせば照らすほどにその影も濃くなるようにこの都も決して豪華絢爛ばかりの所ではなかった。
殊に、ここ数年というものの朱雀大路から西側の右京の凋落は日増しにあからさまになっており、地方から行脚する役人などは来る度ごとに廃れていく都の姿に嘆きの表情を浮かべる。先帝の御代にはあれだけ栄えた西の市も今では閑古鳥が鳴いている。貴族たちは右京住みというだけで毛嫌いし、ほとんどが左京に越してしまった。全くもって都の半分が朝廷に見放されてしまったのである。
羅城門に程近い九条、八条の通りには食いぶちをなくし餓死したものの死体が点在していた。それなのにひどい匂いのこの場所にもののけが潜んでいると朝廷は恐れ、どうしようともしなかった。であるから、右京の衛生環境というものは非常にひどいもので、昨晩まで溌剌としていた者が突然次の日倒れ込むなど日常茶飯事であった。右京の凋落は人々の左京への移動というよりも、このものむごい環境の中で人が矢継ぎ早に死ぬことによるものが大きそうだった。なんたる惨状であろう、まさしく生き地獄のようなものである。
しかしながら、どんな地獄にも人はいる。貧窮極まりない生活を細々と続ける者は依然として数多居た。そのような者の多くは古く200年の長い月日に渡る先祖伝来の京の一角を保持せんとの誇り高き貴い貴い意志からくるものであった。一族が宮仕えの功を認められて帝から都に住処を下賜された、この事実は長い年月を経ても依然として彼らの誇りとなっていた。そして、今やそれ以外によがる事実もなかった。彼らにはどんなに住処の周りが廃れようとも、我が家が没落しようとも先祖の栄華の証拠たるこの土地だけは守ろうという狂気に満ち満ちていた。恐ろしいこだわりようである。そもそも彼らのような没落貴族、今や古代貴族の末裔程度に成り下がった者どもがここまでこだわるのはやはり天朝の威厳なのだろうか。神武以来日の下を統べ続ける皇家の尊さに恐れ慄くところである。滅びゆく家柄は数多。よもや調停によって賜姓されたその姓を剥奪されんとしている古くからの貴族も多かった。
酒上家もそんな家の一つであった。坂上田村麻呂とは古の大将軍であるが、その血を細々ながらに紡いでいるのがこの家である。古とは言うもののその時期こそ平安への遷都の時期に当たる。田村麻呂は平安の遷都の直前、従六位の大将軍に列せられ北方の蝦夷の討伐に遣わされた。当時、田村麻呂の一族は所詮地方官僚の家であり、田村麻呂が朝廷から直々に大将軍を拝命したのは大躍進であった。田村麻呂は征夷大将軍の役目を十二分に果たし、蝦夷を平定して朝廷に戻った。そして改めて時の天皇陛下より「坂上」の姓を賜姓された。まさしく、この時中央貴族、「坂上家」が誕生したのである。坂上田村麻呂の功績は一族の栄達を促した。秀麻呂、唯秀など殿上人の位まで進む一族は急増した。けれども、それも長くは続かなかった。パッと光り輝き散りゆく花火のように宮中での栄華というのは儚いものなのかもしれない。栄華は決して青天井なわけではなく、一度極まってしまえば後は萎む一途とならざるを得ないもの。三代も当主が代わると目に見えてその凋落は現れ始める。京での住まいといえば天皇から下賜されるという形で土地を与えられ、その地に住むのが慣わしであった。最終的には従二位まで位を進めた田村麻呂の功績によって一族は代理の側、左京三条に大邸宅を構えていた。豪奢ないかにも時代の潮流に乗っていることを体現するような寝殿造の邸宅に貴族は皆、羨ましがった。しかし、三代北麻呂の代に邸宅をとり潰し左京四条に転居するよう勅命が降った。これは坂上家の凋落の始まりであった。それ以降、代を経れば経るほど坂上家の住まいは内裏から遠ざかっていった。そしてついには右京八条などという都の端に飛ばされてしまったのである。ここまで来るとその凋落は誰が見ても甚だしいものとなっていたから、中央の貴族の中では詠み合わせのときなどに「さかのうえ」と初句を読めば、枕詞を受けて「まろぶ」(転がるの意)と詠まれるのが皮肉として通っていた。とうとう坂上家は没落してしまったのである。今では坂上といえば陸奥の国司の一族に名を残すのみである。毎朝、登内していた華麗なる中央貴族の面影はもはやない。そして終いには、賜姓された「坂上」姓を剥奪する旨の太政官布告が張り出された。
こうなれば、もう「さかのうえ」は名乗れない。帝からの姓というのは「さかのうえ《の》たむらまろ」のように「の」の字を姓と名の間にいれることができるので、いかに今様がみすぼらしくとも一応の家格があることを姓名を名乗るだけで示せたものだが、これもできなくなった。結局、当時の家邸が酒屋の隣にあったという理由で読み方は同じくも漢字のみが違う「酒上」と名乗ることとした。それ以降、この一族は「坂上」の遺構とも言うべき、この右京九条六坊四町目にしがみつくように住み続けている。壮大な寝殿造とは無縁な恐ろしいほど簡素で寂しい家に。木造の粗末な作りの家はところどころ朽ちていて、何食わぬ顔でねずみやらなにやらが朽ちた壁の隙間から家の中へ侵入する。しかしながら、溢れかえるような米櫃や新鮮豊かな野菜などはそこにはない。獣がいくら侵入しようとも彼らの望むような食糧はほとんどないのだ。宮廷懐石など夢のまた夢。食卓にはいつでも侘しい料理が、いや、料理ともおぼつかない皿が並ぶ。なんと貧しく、物悲しい様相であろうか。この満目蕭条の中にのちの酒酔美人、酒上娘は生まれるのである。
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