その日に出会うものたちへ ~東の巫女姫様は西の地でテイマーとなり、盗まれた家宝を探して相棒の魔獣と共に旅をする~

杵島 灯

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第1章

11.声の主は、なんと

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 カブレイの港街から商人たちと行動を共にしていたリディは、三つ目の町で彼らと別れた。
 リディはルフザ村のある北西方面へ向かうが、商人たちはしばらくこの町で商売をするためだ。

 昨日のうちに別れは済ませてあったので、宿を出たリディは朝の清涼な空気の中をひとり北西へ向けて歩き出す。ラットガットがくれた地図によれば、次の集落へは徒歩で半日程度の距離にあった。

「今日も天気は良さそうだねー」

 呟いてリディは木の骨に布を張り付けた“傘”を開く。

 これはくだんの商人たちが売っていたもののひとつだ。このところ上流階級の女性たちの間で人気になっているらしい。その傘をリディは、道すがら商人たちの雑用を手伝っていた礼として一本手に入れていた。

 傘は完全な影を作るわけではないが、日差しを直接浴びるよりはずっと暑くない。

「うん。いいね」

 リディは傘を見上げる。白い布を通して見る光は、まるで故郷の自室のようだった。

 の部屋は大社おおやしろの東側にあった。下働きの者が木戸を開ける音で目を覚ますのだが、まだ夜が明ける前なので室内は暗い。
 物の形も判然としない中で身支度を始め、身なりが整っていくうちに室内の明るさも増して行く。やがてすっかり準備を終える頃に部屋は十分明るくなっているのが常だ。すっきりと晴れ渡っている日であれば、障子越しの陽光はちょうどこの傘と同じような柔らかさで室内を照らしてくれているのだった。

 清々しい気持ちになりながら紗綾が部屋を出ると、合わせて隣室の障子が開く。そちらからは眩い金色の髪を結い上げたオレリアが姿を見せて、微笑みながら「おはよう、紗綾さや」と――。

『おはようございます』

 記憶の中の言葉と、耳に届く言葉がほのかに被った。
 は左右を見回す。

 聞こえてきたのは高めの男性の声だったが、北西方面へ続くこちらは主要街道ではないので朝も早いこの時間は誰もいない。実際に道の右側には黄色の花と短い草の姿しかなく、左側からは背の高い草が揺れる音と、その奥にある川からのせせらぎが聞こえるばかりだ。

 おそらく何かの音を人の声と聞き間違えたのだろう。
 そう判断したリディは歩みを止めず道を進んでいたのだが。

『あの……馬の尾のような、黒く美しい髪をしたあなた。私のことを覚えていらっしゃいますか……?』

 何かの聞き間違いではなく、声はちゃんと声だ。しかも『覚えて』というからには少なくともリディはこの声の主に会っている。そしてこの西方で会ったうち、黒髪を殊更に強調する相手となれば記憶があるのはひとりだけだった。
 リディは足を止め、今度は前と左右だけでなく後ろも見て誰もいないことを確認し、とりあえず正面に向かって声を張り上げる。

「えーっと、違ってたらごめんね。もしかして港街近くの丘で話した?」
『はい、話しました、話しました! 良かった、覚えていただけてましたか!』

 おずおずとしていたやや高めの男性の声が一転して弾んだ。それが嬉しくてリディも微笑む。

「こんなとこで会うなんて思わなかったな。すごい偶然だね」
『偶然ではありませんよ。私はあなたを追いかけてきたんです』
「……追いかけてきた?」

 港街カブレイからここまでは馬車で5日かかっており、移動距離もずいぶんなものになっている。リディは驚いて目を瞬かせたが、声は今日の天気を語るかのようなごく普通の調子で続けた。

『ええ。追いかけました。ここまでの道中で声をかけられたら良かったのですが、あなたは大勢の人と一緒におられましたからね。なかなか機会を見つけられなかったのですよ』

 人里離れた場所でひとり暮らしていたという彼は人に会うのを躊躇っていた。商人たちと旅をしていた時のリディは雑用を手伝っていたのでほとんど単独にはならなかったし、確かに声は掛けにくかっただろう。

「気が付かなくてごめんね。でもあの港街からずっとだなんて、ちょっと驚いたな。私に何か重要な用でもあったの?」
『いえ、重要というわけではないのですが……』

 声は逡巡した調子になった後、思い切ったように続ける。

『実はですね。あなたと話をした翌日、思い切って街まで下りて人に声をかけたのですが……なんというか、失敗しまして』

 彼は大きなため息を吐く。同時に左手側の草むらから草の揺れる音が聞こえた。

『今後のことを悩みながら歩いてましたら、馬車に乗ったあなたが手を振る姿を偶然見かけましてね。もしかするとあなたならまた私の話を聞いてくれるかもしれないと思って、慌てて追いかけたというわけですよ』

 言って彼は安堵したような声で「声が掛けられて、本当に良かった」と何度も繰り返す。おかげでリディもこの北西の道を進んだこと、ひいてはテイマーへの道を選んだのが良かったことのように思えてきた。

「そう言ってもらえて私も嬉しくなってきたよ、ありがとう。――ところであなたは、ここまでどうやって来たの?」
『奇妙なことを聞きますね。もちろん走って来たんですよ』
「走って……って自分の足で? 馬に乗ったとかじゃなく?」
『私の足で走ったに決まっていますよ。馬なんて逆に足手まといです。何しろ速度でも持久力でも、馬は私の足元にすら及びませんからね』
「それはすごいね」

 自慢げな声を聞きながら、リディの頭の中には話し相手の姿が少しずつ形作られて行く。

 ――声からするとおそらく二十代の男性。速度でも持久力でも馬に勝るというのだから、体格はとても良い。そうしてリディの長い黒の髪に興味があるのだから、きっと本人の髪は黒以外の色で短いのだ。

 そんな人物がこの左手の草むらの中にじっと立っているのは少々窮屈だろう。それにリディも先を急ぎたい。ひとつうなずき、リディは「ところで」と言って道の先へ顔を戻す。

「私で良かったらいくらでも話は聞くけど、歩きながらでもいいかな。急がないと今日の夕方までに次の町へ行けないかもしれないんだ」
『今日の夕方……ああ、人の歩く速さでしたらそのくらいかかってしまうのかもしれませんね。私はこのまま草むらを歩きますから、あなたはどうぞ道を進んでくださいな』
「ありがとう。ところで今、人の歩く速さって言った?」
『……いいえ。あなたの歩く速さと言いました』
「そっか、聞き間違えちゃった」

 こうしてリディには一風変わった道連れができた。

 彼は自身が言う通りとても足が速かった。
 リディが話し、彼が聞き手になっている時は良いのだが、逆になると彼は話に夢中になって辺りが見えなくなるらしい。リディの歩く速度を失念して話しながらどんどん先へ進む彼を、リディは何度も追いかけるはめになった。

「すごいね。こんなに足の速い人を私は見たことがないよ」
『当然です』

 ぶふふふん、という大きな音が聞こえる。一緒に歩いて何度か聞いたこれは、どうやら彼が鼻を鳴らす音のようだ。リディの頭の中では横を歩く彼の姿に“鼻の穴が大きい”という特徴が追加されている。

『私は一族の中でもずば抜けた足の速さで有名だったんです。そもそも私の名の由来は種族語の“速さ”から来ているのですが……あ、私は「※*#@♪△」といいましてね――』

 言いながら彼の声はまたどんどん遠ざかる。片手で傘を持ち、片手で袴をからげ持ったリディは何度目かの駆け足をして彼の声を追いかけ――立ち止まり、首を傾げた。

 ずっと続いていた背の高い草むらは目の前で一時的に途切れている。代わりに道があり、リディの進んでいる道と交わって十字を描いていた。どうやら背の高い草むらは道のある部分だけ刈られているようだ。
 そんな横からきた道を、奥の草むらに向けて縦断している存在がある。

 まず目についたのは黒く長い尾だ。わずかに波打つ様子がまるで炎のようにも見える。
 次に堂々とした体躯。これは艶々とした短い黒い毛が四本の足まで覆っている。
 更に、長い首では黒いタテガミが陽を弾いて輝いており、まるで豪奢な飾りのようだ。

『――この時、私の走る姿には皆が見惚れたと後から聞かされましたよ。いやあ、何とも誇らしかったですね』

 そして、周囲に人はいないというのに、話し声だけはリディの前から聞こえ続けている。これらのことを鑑みるに、リディがずっと話していた相手は人間ではなかったらしい。どうやら、

「……馬?」

 ――だったようだ。
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