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第一章 復讐編
17 - 脱出
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「……ごめんなさい、天音」
怜奈は、ホテルの一室、倉庫の中で、天音の腕に包帯を巻きながら暗い顔をした。
天音の腕の傷は、テロリストたちとの銃撃戦で怜奈を庇ったためのものだった。天音が拳銃を装備しており、かつ訓練を受けた人間でなかったら、二人はとっくにこの世にはいなかっただろう。
「いいんです、お嬢様。名誉の負傷ですよ、これは」
天音はぐっと力こぶしを作ろうとするが、次の瞬間痛みに顔をしかめる。もう、と怜奈は頬を膨らませたが、照れたように笑う天音にすぐに毒を抜かれてしまう。
怜奈と天音。二人の付き合いは、ほとんど生まれてすぐの頃からのものだった。
怜奈は『四家』各務家の直系だ。
各務には表と裏の顔があるが、怜奈はその『表』の『姫』であった。日本の軍部に絶大な影響力を持つ武門の姫。怜奈はそれに相応しいだけの英才であった。
そして三枝天音は、そんな怜奈の護衛として生きることを、生まれる前から定められていた。三枝家とはそういう家であり、天音は三枝の長女であった。
しかし天音には後悔もなければ不満もない。
三枝天音にとって、各務怜奈は『主』である。誰に言われるまでもなく、天音は『お嬢様』を守ることを選んだ。
たとえ違う家、違う環境で育とうと、自分はこの道を選んだろうとすら思える。仮定など無意味に思えるほどに、彼女の忠誠心は絶対だった。
「……それより、状況がどうなっているかですね」
天音の言葉に、怜奈は小さくうなずいた。
「連中の狙いは、十中八九エネルギープラントでしょう」
フロートリゾート『スピカ』に備え付けられた新型の海洋エネルギープラント。もとより『スピカ』は、エネルギープラントの余剰エネルギーの有効活用を目的として作られている――というのは、一部の人間にしか知られていない話だ。
もっとも、発電と送電を行う以上、エネルギープラントの存在を完全に隠匿することは困難だが、この発電プラントが隠匿される理由は、その動力にある。
このエネルギープラントの動力はフロイトダイト……いわゆるFCR発電と呼ばれるものである。
原子力に代わる大規模クリーンエネルギーの開発は、第三次世界大戦以降、およそ一世紀に渡る人類の悲願であった。
第三次世界大戦、相互確証破壊が崩れことによる数発の核攻撃は、終末的核戦争に陥ることこそなかったが、一年に及ぶ終わらない冬『断罪の冬』を引き起こした。それに伴う世界各地で起きた深刻な食糧難と大幅な人口の減少は、世界的な反原子力運動を加速させる結果となった。
核兵器が『冬』を引き起こしたのであって、原子力は関係ない。その理屈は正しいが、合理的正しさなど民衆の恐怖と怒りの前では紙屑も同然だった。
フロイトダイトによる発電は、放射能のように人体に害となる影響をもたらすことはない。またフロイトダイトをコアとした発電システムはアサルトモービルの基幹技術とほぼ同一でもある。どこかの国のどこかの組織がそれを狙ったとしても不思議ではない。
「エネルギープラントの防衛力は尋常じゃないわ。そちらは心配いらないと思う」
「ええ。連中の装備では間違いなく突破できません」
怜奈の言葉に、天音が首肯する。
それはある種の希望的観測であった。テロリストが予想以上の戦力を整えている可能性はゼロではない。だがどのみちその場合、怜奈たちに出来ることなど何もない。
「じゃあ問題は――どうやって脱出するかね」
はい、と天音が頷いた。
「既に会社には緊急連絡を入れていますから、じきに応援が来るはずです」
「それにしては遅いわね……やはり足止めを受けているのかしら?」
このホテルだけが襲撃を受けた、という可能性はないだろう。
連中の目的がエネルギープラントだとしたら、こちらは誘導――。
「……もしかしたら、連中の目的はお嬢様かもしれません」
天音は、怜奈に真剣な目を向けて、そう言った。
なぜ、とは聞かない。
怜奈という存在が攫われても、日本にとって致命傷にはならない。外国のテロリストに国内から人間が攫われたとなれば警察も軍も赤っ恥だが、それは怜奈でなくとも同じことだ。
しかし、怜奈がただの人間、と言えないのは確かだった。
戦前ならばともかく、今では日本の各務といえば国際的な裏社会でもそれなりに通る名だ。その令嬢を攫ったとなれば、各務の名に少なからぬ傷がつく。
それを望む勢力が、ないとは言えない。
これが名誉の戦死であれば話は別だが――
「お嬢様、自棄を起こしてはいけませんよ」
「分かってるわ、天音」
自分の考えを見透かされて、怜奈は肩をすくめた。
「確かにそれなら、こんなホテルを狙った理由もわからなくはないわね。ここからの脱出が難しくなったってことでもあるけど」
「ええ。連中はきっと、お嬢様を捕まえるまでは諦めないでしょう」
良くもあり、悪くもある。
テロリストの狙いが怜奈だというのなら、ホテルの裏口から逃げた人たちは、おそらく無事に逃げられたはずだ。
「よし、それなら――」
「シッ」
天音の手が、怜奈の口を押える。口元に当てた手と目線で「静かに」と伝える天音に従い、怜奈はうなずいた。
音は何も聞こえないように思える。思えるが――おそらく天音にとっては違うのだろう。
異常聴覚。生まれながらに有する彼女の特技だが、彼女のそれは特技という形容が陳腐に思えるほど耳が良すぎる。どんなに離れた位置でも、壁を隔てた先でも、囁きすらも拾う、もはや一種の異能だ。
しばらくしてようやく、カツン、と誰かの靴底が床を擦る小さな音が聞こえた。
天音はゆっくりとハンドサインを広げる。
倉庫の先に二人。武装済み。自分が制圧する。ここで待機しろ――天音のハンドサインに、怜奈はゆっくりと頷いた。
『私も行く』などと駄々はこねない。
天音は自分の一つ年上、まだ中学生の少女だが、その実力はプロに引けを取らないレベルだ。彼女が最善と判断したのなら、きっとそれが最善なのだ。
天音は、音もなく移動する。
音もなく――というが、その技術は簡単なことではない。体の運び方、靴の材質、装備、服装、あらゆる準備を怠らない者だけが可能となる。
三枝天音の服装は『あられもない』と言って間違いないかもしれない。ズボンは脱ぎ捨てて下着一枚、裸足で、服はシャツだけだ。
無論、最近の中学一年生の平均からすれば発育に乏しい天音であっても、羞恥心ぐらいは持ち合わせている。
しかしこの場面を前にして、羞恥心を捨てられないほど素人でもなければ、平和ボケもしていなかった。
音もなく敵のすぐそばまで移動した天音は、ほんのわずかに息を吸い、そして飛び出した。
低く疾走する天音は、体格の小ささ、廊下の暗さ、加えてヘルメットによる視野狭窄も相まって、テロリスト二名の反応を許さなかった。
天音は呼気を吐き出して跳躍。手に握っていたコンバットナイフで一人の首を掻き切った。
赤い鮮血に頬を濡らされて、もう一人の男はようやくライフルを構えたが、もはや遅い。
まるで猿のように男の首に組み付くと、ねじ切るように体重を落とし、鈍い音と共に首が異常な角度に折れ曲がった。
声を上げることも、発砲を許すことも、それこそ音もなく、天音は二人のテロリストを無力化させた。
怜奈は、ホテルの一室、倉庫の中で、天音の腕に包帯を巻きながら暗い顔をした。
天音の腕の傷は、テロリストたちとの銃撃戦で怜奈を庇ったためのものだった。天音が拳銃を装備しており、かつ訓練を受けた人間でなかったら、二人はとっくにこの世にはいなかっただろう。
「いいんです、お嬢様。名誉の負傷ですよ、これは」
天音はぐっと力こぶしを作ろうとするが、次の瞬間痛みに顔をしかめる。もう、と怜奈は頬を膨らませたが、照れたように笑う天音にすぐに毒を抜かれてしまう。
怜奈と天音。二人の付き合いは、ほとんど生まれてすぐの頃からのものだった。
怜奈は『四家』各務家の直系だ。
各務には表と裏の顔があるが、怜奈はその『表』の『姫』であった。日本の軍部に絶大な影響力を持つ武門の姫。怜奈はそれに相応しいだけの英才であった。
そして三枝天音は、そんな怜奈の護衛として生きることを、生まれる前から定められていた。三枝家とはそういう家であり、天音は三枝の長女であった。
しかし天音には後悔もなければ不満もない。
三枝天音にとって、各務怜奈は『主』である。誰に言われるまでもなく、天音は『お嬢様』を守ることを選んだ。
たとえ違う家、違う環境で育とうと、自分はこの道を選んだろうとすら思える。仮定など無意味に思えるほどに、彼女の忠誠心は絶対だった。
「……それより、状況がどうなっているかですね」
天音の言葉に、怜奈は小さくうなずいた。
「連中の狙いは、十中八九エネルギープラントでしょう」
フロートリゾート『スピカ』に備え付けられた新型の海洋エネルギープラント。もとより『スピカ』は、エネルギープラントの余剰エネルギーの有効活用を目的として作られている――というのは、一部の人間にしか知られていない話だ。
もっとも、発電と送電を行う以上、エネルギープラントの存在を完全に隠匿することは困難だが、この発電プラントが隠匿される理由は、その動力にある。
このエネルギープラントの動力はフロイトダイト……いわゆるFCR発電と呼ばれるものである。
原子力に代わる大規模クリーンエネルギーの開発は、第三次世界大戦以降、およそ一世紀に渡る人類の悲願であった。
第三次世界大戦、相互確証破壊が崩れことによる数発の核攻撃は、終末的核戦争に陥ることこそなかったが、一年に及ぶ終わらない冬『断罪の冬』を引き起こした。それに伴う世界各地で起きた深刻な食糧難と大幅な人口の減少は、世界的な反原子力運動を加速させる結果となった。
核兵器が『冬』を引き起こしたのであって、原子力は関係ない。その理屈は正しいが、合理的正しさなど民衆の恐怖と怒りの前では紙屑も同然だった。
フロイトダイトによる発電は、放射能のように人体に害となる影響をもたらすことはない。またフロイトダイトをコアとした発電システムはアサルトモービルの基幹技術とほぼ同一でもある。どこかの国のどこかの組織がそれを狙ったとしても不思議ではない。
「エネルギープラントの防衛力は尋常じゃないわ。そちらは心配いらないと思う」
「ええ。連中の装備では間違いなく突破できません」
怜奈の言葉に、天音が首肯する。
それはある種の希望的観測であった。テロリストが予想以上の戦力を整えている可能性はゼロではない。だがどのみちその場合、怜奈たちに出来ることなど何もない。
「じゃあ問題は――どうやって脱出するかね」
はい、と天音が頷いた。
「既に会社には緊急連絡を入れていますから、じきに応援が来るはずです」
「それにしては遅いわね……やはり足止めを受けているのかしら?」
このホテルだけが襲撃を受けた、という可能性はないだろう。
連中の目的がエネルギープラントだとしたら、こちらは誘導――。
「……もしかしたら、連中の目的はお嬢様かもしれません」
天音は、怜奈に真剣な目を向けて、そう言った。
なぜ、とは聞かない。
怜奈という存在が攫われても、日本にとって致命傷にはならない。外国のテロリストに国内から人間が攫われたとなれば警察も軍も赤っ恥だが、それは怜奈でなくとも同じことだ。
しかし、怜奈がただの人間、と言えないのは確かだった。
戦前ならばともかく、今では日本の各務といえば国際的な裏社会でもそれなりに通る名だ。その令嬢を攫ったとなれば、各務の名に少なからぬ傷がつく。
それを望む勢力が、ないとは言えない。
これが名誉の戦死であれば話は別だが――
「お嬢様、自棄を起こしてはいけませんよ」
「分かってるわ、天音」
自分の考えを見透かされて、怜奈は肩をすくめた。
「確かにそれなら、こんなホテルを狙った理由もわからなくはないわね。ここからの脱出が難しくなったってことでもあるけど」
「ええ。連中はきっと、お嬢様を捕まえるまでは諦めないでしょう」
良くもあり、悪くもある。
テロリストの狙いが怜奈だというのなら、ホテルの裏口から逃げた人たちは、おそらく無事に逃げられたはずだ。
「よし、それなら――」
「シッ」
天音の手が、怜奈の口を押える。口元に当てた手と目線で「静かに」と伝える天音に従い、怜奈はうなずいた。
音は何も聞こえないように思える。思えるが――おそらく天音にとっては違うのだろう。
異常聴覚。生まれながらに有する彼女の特技だが、彼女のそれは特技という形容が陳腐に思えるほど耳が良すぎる。どんなに離れた位置でも、壁を隔てた先でも、囁きすらも拾う、もはや一種の異能だ。
しばらくしてようやく、カツン、と誰かの靴底が床を擦る小さな音が聞こえた。
天音はゆっくりとハンドサインを広げる。
倉庫の先に二人。武装済み。自分が制圧する。ここで待機しろ――天音のハンドサインに、怜奈はゆっくりと頷いた。
『私も行く』などと駄々はこねない。
天音は自分の一つ年上、まだ中学生の少女だが、その実力はプロに引けを取らないレベルだ。彼女が最善と判断したのなら、きっとそれが最善なのだ。
天音は、音もなく移動する。
音もなく――というが、その技術は簡単なことではない。体の運び方、靴の材質、装備、服装、あらゆる準備を怠らない者だけが可能となる。
三枝天音の服装は『あられもない』と言って間違いないかもしれない。ズボンは脱ぎ捨てて下着一枚、裸足で、服はシャツだけだ。
無論、最近の中学一年生の平均からすれば発育に乏しい天音であっても、羞恥心ぐらいは持ち合わせている。
しかしこの場面を前にして、羞恥心を捨てられないほど素人でもなければ、平和ボケもしていなかった。
音もなく敵のすぐそばまで移動した天音は、ほんのわずかに息を吸い、そして飛び出した。
低く疾走する天音は、体格の小ささ、廊下の暗さ、加えてヘルメットによる視野狭窄も相まって、テロリスト二名の反応を許さなかった。
天音は呼気を吐き出して跳躍。手に握っていたコンバットナイフで一人の首を掻き切った。
赤い鮮血に頬を濡らされて、もう一人の男はようやくライフルを構えたが、もはや遅い。
まるで猿のように男の首に組み付くと、ねじ切るように体重を落とし、鈍い音と共に首が異常な角度に折れ曲がった。
声を上げることも、発砲を許すことも、それこそ音もなく、天音は二人のテロリストを無力化させた。
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