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第一章 復讐編

26 - アラヤケイト

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「久しぶりだね、新谷啓人くん」

 練馬区にある東京少年鑑別所の一室で、そう言葉を放ったのは、各務家現当主、各務弦也だった。
 面会室ではなく、鑑別所の中にある会議室のような場所だ。
 久々に会った新谷啓人は――少しやつれたように見えた。

「今日は君に、話があって来た」

「……フィルはどうなった?」

 啓人の問いに、弦也はふっと、小さな笑みを浮かべた。

「君の希望通りだ。彼女の罪は一切問われることはない。今は、各務の家で預かっている。……ただ、メンタルケアの関係で、まだ病院のベッドの上だがね。じきに退院するだろう」

「そうか」

 啓人のつぶやきに、弦也は少しだけ、不満の色を見せた。

 ――新谷啓人は殺人犯である。内調や諜報部の調査で、各国で暗殺、破壊工作を行っていたことが明らかになっているし、本人もそれを証言している。日本の領空内でアサルトモービルを使い破壊活動も行っている。
 そして国防軍の目の前でも、ベリオス――本名、吾妻総一郎を殺害した。

 正当防衛、とは、言えない。
 コックピットに剣を突き刺し、とどめを刺した行為に関して、その残虐性は些か擁護しがたいものがある。
 さらに自分の搭乗機であった『アズール』までもを爆破し、その場にいた国防隊員に負傷を負わせた。

 ――だが、各務弦也が、それを握りつぶすことはできた。
 彼は例外なのだ。テロリストに囚われ、精神を操作され、殺人を強要され、極限状態に置かれていた。
 長期的に薬物を投与されていたことも明らかであり、精神鑑定においても心神喪失状態にあったことは明らかである。

「……この結果は、君にとって満足のいくものだったのだろうか」

 彼は自身の罪について、一切虚偽を言うことも、誤魔化すこともなかった。
 彼が弦也に望んだのは『フィルツェーンの保護』ただ一点。自分自身の罪について、何ひとつの弁明もしていない。
 だが弦也の目から見て、彼が罪を償うことを望んでいるようにも見えなかった。

「私は、君は自由になりたいのだと思っていた。ならば、こんなところで囚われているのは我慢のいかないことだと思うのだが」

 そうだ。自由も何もない、囚われの身であった彼が、自由を望まないはずがないのだ。
 だから抵抗もせずに囚われた彼の態度は、あまりに不自然だった。

「……そうだな。俺はただ、自由になりたかったのだと思う。本当の意味で自由に」

「本当の意味で?」

 ぼうっと天井を見上げていた彼は、わずかに笑って、弦也へと視線を向けた。

「なあ、自由とは何だと思う?」

 不意に、そんなことを言った。
 疑問に疑問を返されるのは好きではなかった。が、ここは付き合うべきだと弦也は思った。

「空でも飛んでみるかね? 鳥のように」

「鳥は自由のために空を飛ぶんじゃない。生きるために飛ぶんだ」

「……なら、誰にも縛られない。そういうことではないかな」

 冗談をあっさり返されて、弦也は肩をすくめた。
 こういう禅問答は嫌いではない。嫌いではないが、子供とする話ではない。さっさと終わらせようとしたのが失敗だったのかもしれない、と弦也は思った。

「誰にも縛られないというのは、つまり孤独であるということだと思う。人は、一人では生きられない。俺がもし一人だったら、今ここに、『新谷啓人』はいなかった」

 それはきっと――彼が保護した少女のことだろう。
 いや、それ以前に、もう一人いたという。
 啓人は言った。『自分の失敗で、一人死んだ』と。

「だがベリオスは、それは『自由ではない』と言った。あいつは俺に、自由を与えようとしたのかもしれない」

 後悔しているのか、と一瞬思った。
 だが違うことは、その目を見てすぐに分かった。

「だが、自由とは、人に与えられるものではない」

 静かに、彼はそう言った。

「自由とは、自分の意志を、自分の生きる意味を、自分で決めることだと俺は思う」

 自由になれば幸福だ、という保証など存在しない。
 その先にあるのは、ただの地獄かもしれない。

「それでも俺は、自分で選びたかった。何のために生き、何のために死ぬのかを」

 それを選び、決めるのは、ベリオスでも『ノイン』でもない、と啓人は言った。

 フィルを救い、ベリオスを殺し、たとえその結果命を落とそうと。
 それは彼が、彼自身の手で勝ち取った自由に他ならないと。

「俺が求めていたのは……『新谷啓人』として生きる。ただひとつの自由だった」

 弦也は、ただ静かに、それを聞いた。
 正直言って、すべて理解できたとは言えないだろう。
 『ノイン』と『新谷啓人』の違い、その差は、きっと彼自身の中でしか理解できないことなのだろうと、弦也は思った。

 そのうえで。

「新谷啓人として生きる、か。それを言われると、自分がとんでもない悪人に思えるな」

「……その契約を選んだのは俺だ」

 啓人の言葉に苦笑して、机に置いたファイルから、弦也は一枚の紙を取り出した。

「蒼い悪魔……その名で呼ばれていたパイロットは、あの戦闘で死亡した。国防軍の最終調査ではそう結論づけることになった」

 それは一枚の調査書だった。
 正式のものではなく、走り書きに等しいものだが。

「そして君と私の契約に基づき、君は、我が各務の一族の養子となる。正確には分家のほうだがね」

 新谷啓人という名前は消滅する。
 弦也は啓人の反応を伺ったが、彼は何の反応も示さなかった。

「君に求めることは二つだ。各務の家に降りかかる火の粉を払うこと。そして、日本の国防に協力すること、だ。そしてもうひとつ――」

 弦也が差し出したのは、一枚のチケットだ。
 それは、アメリカ・ロサンゼルス行きのフライトチケットだった。

「啓人くん。君には、アメリカに渡ってほしい」
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