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第二章 ブラッド・レーベル

第23話 街の掃除屋⑤

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梯子を下り始めて30秒と経たないうちに、地面に足が付いた。先に降りていた八崎が、怪訝そうにあたりを見渡している。降りたところは地下道のようになっており、一定の間隔を置いて明かりが灯されていた。しかしその明かりは頼りなく、今にも消えてしまいそうだ。

俺たちが降りたのは地下道の途中らしく、右と左に道が続いている。
どちらにいけば、外に出られるんだ? そもそも、外に続く道があるのかこれ?
どこに敵が潜んでいるとも分からない。闇雲に動くのは危険な気もするが。

八崎を先頭に、俺と小宮山が続く。何かが腐ったような、鼻をツンと刺すような嫌な匂いが立ち込めている。汚水が流れているわけでもないのに、なんでこんなに匂うんだ?鼻を塞ぎながら、道を急ぐ。道がいくつも分岐しており、自分がいまどこを歩いているのか分からなくなってくる。ところどころ明かりが通っていて、それを頼りに歩を進める。しかし十分な明るさはなく、薄暗い。

「成瀬、一つ聞いてもいいか?」

「なんだ?」

視線を前に向けたまま、八崎が聞いてきた。

「お前、捕まってる時に誰かと話したのか?」

「捕まってる時……そうだな。赤と青の鬼の面をつけた奴らと話したぞ。ソイツらは背格好からして多分子どもだ。それに、かなり体のでかい男もいたな。ソイツも変な仮面をしてた」

「仮面?」

「そうだ。暗くてハッキリとは見えなかったけど、猿のお面だと思う」

「猿!?」

俺の言葉に反応したのは、小宮山だった。

「猿って、どんな感じのやった!?」

「どんなって……可愛らしい感じの猿じゃなくて、リアルな猿だったと思う。何か、耳を塞いでいるみたいな」

「……それがほんまやったら、ソイツは”聞こえ猿”や」

「聞こえ猿?」

「ブラッド・レーベルの幹部の1人や」

ブラッド・レーベル。俺たちが追っている金髪野郎を攫ったかもしれない連中。その幹部が、俺たちに接触してきたっていうのか? 一体、何のために?

「あの探偵、ブラッド・レーベルと繋がっているんじゃないか?」

「え?」

「俺たちがブラッド・レーベルについて探っていることを知った。だから、ブラッド・レーベルと協力して俺たちを拉致。情報の出所を聞こうとした、って考えるのが妥当だ」

「…………」

「もしくは、あいつがブラッド・レーベルのメンバーだったって可能性もある」

神崎さんが、ブラッド・レーベルと繋がっている、か。八崎が言っていることは確かに筋が通っている。ただ、意識を失う時の記憶がない以上、断言はできない。

「探偵事務所が、ブラッド・レーベルに襲われたって可能性もあるんじゃないか?俺たちは、意識を失ったときのことを覚えてないし。断定するのは早いと思う」

「なるほど。それもあるな。何にせよ、連中は俺等を狙ってるってことだ。ここから脱出できたとしても、それは変わらない」

「……それはむしろ好都合だな」

ブラッド・レーベルについての情報を集めていた俺からすれば、向こうから接触してきてくれるのは願ってもないことだ。金髪野郎の居場所を聞き出すことができるかもしれないからな。

とはいえ、こんなところにいては格好の的だ。相手がどんな奴らかも分からない以上、一旦ここを出てしっかりと対策を練るべきだ。次にまた接触できるかどうかも分からないけど、ずっとここに留まるわけにもいかない。

「先を急ごう」

俺は歩く足を速め、八崎を追い越した。しばらく沈黙の時間が流れる。
どれほど歩いただろうか。出口は一向に見えない。そもそも出口があるのかさえ分からないんだ。諦めるつもりは毛頭ないけど、このまま闇雲に歩き続けていていいのか?


そんなことを考えていると、ふと目の前に誰かが蹲っているのが見えた。それに、すすり泣くような声が聞こえる。よく見ると、高校生くらいの年の女の子だった。蹲っているので正確には分からないが、たぶんそうだ。

「成瀬、注意しろ。あいつらの仲間かもしれない」

「あ、ああ。そうだな」

とはいえ、このまま放っておくわけにもいかない。俺は慎重になりながらも、その子に話しかけた。

「あ、あの。大丈夫ですか?」

八崎の言う通り、この子がブラッド・レーベルの仲間である可能性は十分にある。だけど、この子の纏っている不思議なオーラのようなものを、俺は感じていた。悪い人ではない、そう思える何か。八崎たちもそれは同じようで、強くは止めてこなかった。

「ひっ……!! だ、誰ですかあなた達!?」

俺に気づいた彼女は、パッと立ち上がり俺たちと距離を取った。こちらに向けられた目には、恐怖が滲んでいた。

やはり、女子高校生くらいの子だった。目鼻立ちのしっかりした整った顔をしていて、綺麗な黒髪を腰くらいまで伸ばしている。黒い作業着のようなものを身にまとっていて、顔や体の至る所に汚れが付着していた。一体、この子は……?

「俺たちはここから出るために出口を探してる。アンタは?」

「…………」

八崎が早口に言うと、彼女はまだ警戒の色を隠せない様子だった。あの状態では、すぐに話を聞くのは難しいかもしれない。


「わ、私……私もここから、出たい」

消え入りそうな声で彼女は言った。その目には涙が浮かんでおり、今にも泣き叫んでしまいそうなくらいだ。彼女も、ブラッド・レーベルに捕まっていたのだろうか? もしかして、連中が言ってた脱走者って、彼女のことなんじゃ?

「……成瀬、どう思う?」

「どうって言われてもな……」

正直、情報が少なすぎる。見た感じでは、敵意は感じないし、悪い人ではないと思う。だけど、それはあくまで見える情報だけだ。実際のところは分からない。

「わ、私、出口は知ってるんですけど、一人でいるのが怖くって……」

「何?」

八崎が怪訝そうに聞いた。ここの出口を知ってる? 今、そう言ったのか?

「私、なんか黒いコートを着てる人たちに捕まってたんですけど、隙を見て逃げ出したんです……。それで、逃げ出す前にこの地下道の地図? を持ち出したんです」

「それは本当か?」

「う、嘘じゃありません……! こ、これです!」

八崎の問いに対し、焦った様子で、彼女は手に持っていた紙の束を差し出した。一応警戒しながら、それを受け取る。それは確かにこの地下道の地図らしく、地下道の全貌が何枚かに分けて描かれていた。


「今、いるところも分かっているので、出口はもう少しだと思うんですけど……」

彼女もこちらを警戒しながら話しかけてきた。あちらからすれば、俺たちがブラッド・レーベルの仲間に見えているのだろうか。彼女が白なら、その誤解は解かないといけないが、もし黒なら……。


「……八崎、彼女を連れて行こう」

「理由は?」

「一番の理由は、このまま闇雲に歩き回っていても、出口にたどり着けるか分からないからだ。もし彼女の話が本当なら、ここから出ることができる」

「……あいつが敵だったらどうする?」

「俺と八崎で挟むようにして移動しよう。そうすることで、彼女の動きを監視できる。もし彼女に怪しい動きがあれば、八崎が対応してくれ。ブラッド・レーベルの連中が現れたら、彼女を人質にして逃げればいい。どちらにせよ、俺たちだけで探索を続けるよりは、状況を打開できると思う」

俺の考えを聞いた八崎は一瞬何かを考えている様子だったが、すぐに頷き、「わかった」と短く返事をした。小宮山も、俺の考えに賛同してくれたようだった。

「俺たちと、一緒に行こう」

「え?」

「俺たちも、早くここから出たいんだ。出口まで案内してほしい」

彼女はしばらく俯いていたけど、パッと顔を上げ、決意したように頷いてくれた。まだ油断をしてはいけないのは分かっているけど、心のどこかでは彼女は敵ではないと思っている自分がいた。
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