都市伝説と呼ばれて

松虫大

文字の大きさ
45 / 205
第一章 都市伝説と呼ばれて

閑話 勇魚取り(2)

しおりを挟む
「合図きたぞ! 白旗だ!」

 獲物を目の前に焦れるような時間が過ぎていく中、待望の白旗を確認した船団のリーダーが拳を握り、上気した声で叫んだ。
 その声を合図に漕ぎ手たちが待ちかねたとばかりに、一斉に櫂を漕いで鯨に近付いていく。

「かかれぇぇぇ!」

 隊列が整ったのを見届けたリーダーが『さっ』と右腕を振り下ろす。その合図を皮切りに鯨の巨大な頭へと一斉に網が投下される。
 鯨はすぐに無数の網によって絡め取られるが、弱っているとはいえ大人しく捕まえられる筈もなく、巨体を活かして大いに暴れ回った。

「くそっ! 銛撃ちが近づけんぞ!」

「網が足りん! もっと網を落とせ!」

 老いた鯨といえ、勇魚取りたちも本来の半分ほどの編成だ。手数が足りずに鯨の動きを思ったように制限できない。

「舟をもっと寄せろ! 銛が撃てねぇ!」

「無理だ、近づけねぇ! もっと弱らせてからだ!」

 鯨に近付くことができない銛撃ちが声を荒らげるが船頭も負けじと言い返す。網に絡め取られながらも鯨が暴れるために、確実に撃てる位置まで舟を寄せることができない。
 彼らの舟は水に浮かべた木の葉のように波に翻弄される中、船頭は必死で漕ぎ手たちに指示を与え、巧みに波に乗せていく。
 戦場のように怒号が飛び交う中、隙を見て銛を撃ち込むが体勢が悪い状態で投げた銛では致命傷を与えることができずにすぐに抜け落ちてしまう。これまで深く刺さった銛はまだ数本しかなかった。
 男たちは必死でマッコウクジラといつ終わるとも知れない死闘を続けるのだった。



 鯨は力尽きたように静かに海面を漂っていた。
 男たちにとっては永遠に感じるほどの死闘の末、鯨は全身に数十帖の網を絡みつかせ、十数本の銛を針山のように身体に受け瀕死の状態だった。付近の海面は流れ出る血で赤黒く染まっている。
 勇魚取いさなとりたちは誰もが漁の終わりを感じ、疲れた顔の中にも達成感が滲んでいた。
 やがて瀕死の鯨へ、銛撃ちを乗せた一艘の小舟がゆっくり近付いていく。舳先に陣取った男は銛を手放すと、小刀を口に咥え赤く染まった海に飛び込んだ。
 鯨は息絶えると海中に沈んでしまう。その前にその身体によじ登り、小刀で噴気孔に穴を開けて曳航するための綱を通さねばならないのだ。
 銛撃ちの一番の見せ場であり、鯨は最後の力を振り絞って暴れ回るもっとも危険な仕事だった。
 通常であれば一番銛であるピエタリの出番となるところだったが、生憎と不在のため代わりを務めるのは、腕は立つがまだまだ経験の浅い十代の若者だった。
 若者は緊張した面持ちで、絡まった網と突き刺さった銛を足場にして鯨によじ登っていく。息を切らせながら噴気孔の傍までよじ登った若者は、咥えた小刀を手に持ち替え、覚悟を決めた顔で息を整えた。

「やぁっ!」

 気合いの言葉とともに噴気孔に刃を突き立てた。
 その刹那。

―――ヴオオオオオォォォォォォォォォ・・・・

 この世のものと思えない大音量で鯨が吠えた。
 その声は浜で男たちの帰りを待つ村人はもちろん、近隣の村でも聞こえるほどだったという。
 鯨は取り付いた若者諸共、どこにその力が残っていたのか網を引き摺りながら、何艘もの舟を道連れに海中へと潜っていく。

「網を切れ! 引き摺り込まれるぞ!」

「駄目だ、外せねぇ!」

「切れ! 早くっ! うわぁぁぁぁ・・・・」

 焦った男たちの声が飛び交った。
 一瞬のうちに海上は地獄絵図と化していた。
 激突や転覆する舟が続出し、網を切り放すことができない舟が他の舟を巻き込みながら、次々と海中に引き摺り込まれていく。
 巻き添えを免れた舟も鯨が潜ることで起こった渦潮に、木の葉のように翻弄された。
 潮の流れが治まったときには、海面に鯨の姿はなく海上には無数の破片や投げ出された勇魚取りが残されていた。

「サビ! 俺の弟が引き摺り込まれた! 探してくれ!」

「おい、無事か!?」

「助けてくれぇ!」

 海上には肉親を探す声や助け出した仲間を引き上げる声が木霊していた。辛うじて無事だった舟には救出された遭難者ですぐに一杯になる。


 しかし、悲劇はまだ終わっていなかった。


 目を皿のようにして生存者を探していた若者が、海面が隆起しているのを見つけ、血相を変えながら叫んだ。

「に、逃げろ!」

 次の瞬間、海中に消えた鯨が再び姿を現したのだ。
 鯨は二十メートル近くある巨体を空中に踊り出すと、呆然と見上げる勇魚取りを嘲笑うかのように身体を捻り、男達の真上からその背中を海面に打ち付けたのだ。





 兵役が終わってピエタリが村に戻ったときには、村は見る影がないほど廃れていた。
 百名を超える若者が先の漁で遭難し、代々乗り継いできた舟をほとんど失ってしまった。村は人的にも装備でも立て直す力を失い、もはや捕鯨を続けることができなくなっていた。
 残された者は離散を余儀なくされ、村に残ったピエタリたちは残った舟で細々と漁をおこなうことで、食いつなぐ日々を送っていた。
 ヘカテは事故後、全ての責任をその一身に引き受けた。
 残された村人たちはヘカテを責めることはなかったが、彼は財産を全てなげうって被災した村人への補償をおこなった。

 そんなある日、ヘカテ宛に一通の手紙が届いた。

「・・・・」

 手紙を読んだヘカテは、無言でピエタリに差し出した。

「なんだ?」

「読め」

 少しの逡巡を見せた後、手紙を受け取ったピエタリは差出人を確認する。手紙には懐かしい名が記されていた。

「・・・・えっ!?」

 読み進めるにつれて書かれている内容に衝撃が走る。
 無難な時候の挨拶から始まった文面は、今まで幾度も父と手紙の遣り取りをおこなっていたことが分かる。
 さらに補償が無事に済んで安心したこと、他にも不自由があれば遠慮なく頼って欲しいこと等が綴られていた。
 読み終わって顔を上げたピエタリに、ヘカテは無言のまま別の手紙の山を差し出す。

「これは?」

「お前には言ってなかったが、今までずっとザオラル様の世話になっていた」

 ピエタリは手紙の束を受け取り、差出人の名を確認する。それは全てザオラルからの手紙だった。
 彼は片っ端から貪るように手紙を読んでいく。
 ザオラルとの手紙のやり取りは、およそ二十年前から始まっていた。
 当初は当たり障りのない時候の挨拶程度のやり取りだったが、ヘカテが村長になった際やザオラルに子供が生まれた際には、お互いに祝いの品を贈り合ったりしていた。
 また今回に限らず不漁が続いた際には、見舞金としてザオラルから金銭の支援を受けるなど、ピエタリの想像以上の深いやり取りが記されていた。
 ヘカテは面倒見の良い性格で、不漁が続いた際には私財を擲ってまで村に支援をおこなっていた。
 不漁から続く今回の遭難の補償により既にヘカテの私財は底をついていたが、ザオラルの支援があればこそ、その資金を賄うことができたのだった。
 これだけのやり取りがありながら、その事実をピエタリは今まで知らなかった。何より文字の読み書きが苦手だった父が、長年に渡って手紙を遣り取りしていたことが驚きだった。

「・・・・」

 彼は先ほど届いた手紙にもう一度手を伸ばした。
 手紙の最後にはピエタリたちの今後についても綴られていた。

『もしカモフに来られる意思がおありなら、迎え入れる用意がある』

 もちろんザオラルが置かれた状況も包み隠さず書かれている。その上で彼らに担って欲しい役割についても具体的に示されている。そして最後はこう締めくくられていた。

『こちらの状況は隠さず記したつもりだ。それを承知で力を貸してくれるなら、これほど心強いことはない』

 ピエタリは読み終わると上気した顔を上げた。
 幼い頃から憧れていたザオラルから必要とされる。ここ最近感じたことのない高揚感に包まれていた。海のないカモフへ行くことに不安がないといえば嘘になる。だが駄目だったとしても今の暮らし以上に悪くなることはないだろう。

「親父、俺は行くよ」

 ピエタリは迷うことはなかった。
 その数週間後、ヘカテを始めとする老人達を村に残し、ピエタリは家族や仲間二〇〇名を引き連れて村を旅立つのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

生贄にされた少年。故郷を離れてゆるりと暮らす。

水定ゆう
ファンタジー
 村の仕来りで生贄にされた少年、天月・オボロナ。魔物が蠢く危険な森で死を覚悟した天月は、三人の異形の者たちに命を救われる。  異形の者たちの弟子となった天月は、数年後故郷を離れ、魔物による被害と魔法の溢れる町でバイトをしながら冒険者活動を続けていた。  そこで待ち受けるのは数々の陰謀や危険な魔物たち。  生贄として魔物に捧げられた少年は、冒険者活動を続けながらゆるりと日常を満喫する!  ※とりあえず、一時完結いたしました。  今後は、短編や別タイトルで続けていくと思いますが、今回はここまで。  その際は、ぜひ読んでいただけると幸いです。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

平凡なサラリーマンが異世界に行ったら魔術師になりました~科学者に投資したら異世界への扉が開発されたので、スローライフを満喫しようと思います~

金色のクレヨン@釣りするWeb作家
ファンタジー
夏井カナタはどこにでもいるような平凡なサラリーマン。 そんな彼が資金援助した研究者が異世界に通じる装置=扉の開発に成功して、援助の見返りとして異世界に行けることになった。 カナタは準備のために会社を辞めて、異世界の言語を学んだりして準備を進める。 やがて、扉を通過して異世界に着いたカナタは魔術学校に興味をもって入学する。 魔術の適性があったカナタはエルフに弟子入りして、魔術師として成長を遂げる。 これは文化も風習も違う異世界で戦ったり、旅をしたりする男の物語。 エルフやドワーフが出てきたり、国同士の争いやモンスターとの戦いがあったりします。 第二章からシリアスな展開、やや残酷な描写が増えていきます。 旅と冒険、バトル、成長などの要素がメインです。 ノベルピア、カクヨム、小説家になろうにも掲載

【完結】小さな元大賢者の幸せ騎士団大作戦〜ひとりは寂しいからみんなで幸せ目指します〜

るあか
ファンタジー
 僕はフィル・ガーネット5歳。田舎のガーネット領の領主の息子だ。  でも、ただの5歳児ではない。前世は別の世界で“大賢者”という称号を持つ大魔道士。そのまた前世は日本という島国で“独身貴族”の称号を持つ者だった。  どちらも決して不自由な生活ではなかったのだが、特に大賢者はその力が強すぎたために側に寄る者は誰もおらず、寂しく孤独死をした。  そんな僕はメイドのレベッカと近所の森を散歩中に“根無し草の鬼族のおじさん”を拾う。彼との出会いをきっかけに、ガーネット領にはなかった“騎士団”の結成を目指す事に。  家族や領民のみんなで幸せになる事を夢見て、元大賢者の5歳の僕の幸せ騎士団大作戦が幕を開ける。

SSSレア・スライムに転生した魚屋さん ~戦うつもりはないけど、どんどん強くなる~

草笛あたる(乱暴)
ファンタジー
転生したらスライムの突然変異だった。 レアらしくて、成長が異常に早いよ。 せっかくだから、自分の特技を活かして、日本の魚屋技術を異世界に広めたいな。 出刃包丁がない世界だったので、スライムの体内で作ったら、名刀に仕上がっちゃった。

おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう

お餅ミトコンドリア
ファンタジー
 パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。  だが、全くの無名。  彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。  若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。  弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。  独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。  が、ある日。 「お久しぶりです、師匠!」  絶世の美少女が家を訪れた。  彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。 「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」  精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。 「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」  これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。 (※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。 もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです! 何卒宜しくお願いいたします!)

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

処理中です...