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第二章 巨星堕つ
30 ユーリの長い一日(2)
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「不肖ながら謹んでお受け致します」
ザオラルの態度は予想外だったものの、もちろんユーリはそんな事で返答を変えるつもりはなかった。
「よかったです。エステルも喜ぶ事でしょう」
はっきりと意思を述べたユーリに満足そうに頷いたテオドーラは、そう言ってホッと息を吐くと柔らかな笑顔を浮かべる。そして側勤めを呼ぶと、もうひとりの主役であるエステルを呼ぶように命じた。
「お父様、お母様、お呼びでしょうか?」
しばらくして執務室に現れた彼女を見てユーリは思わず息を飲んだ。
普段は街の娘が身に着けるような活動しやすい格好を好んで着ているが、今日はいつもと違って山吹色のドレス姿だったのだ。
普段はツインテールにしている艶やかなオレンジ色の頭髪は、複雑に編み込まれて後ろで纏められ、小花をちりばめた色とりどりの花飾りで飾られている。
ふんわりしたドレープが美しいドレスは、肩から裾にかけて淡い黄色から山吹色へと鮮やかなグラデーションになっていて、胸元から肩に掛けてはふわりとしたクリーム色の透けたレース生地がヴェールのように優しく包んでいた。
「まあ! よくお似合いですよ。ねぇザオラル様?」
テオドーラが華やいだ声を上げ、隣で見とれていたザオラルの袖を引いた。
「あ、ああ。流石私の娘だ。綺麗だよエステル」
「まさかエステルのドレス姿を見る事になるとはな。明日は嵐になるんじゃないか?」
一瞬狼狽えたものの、直ぐに何事もなかったかのようにザオラルが嬉しそうに目を細めている。トゥーレはいつもの調子で毒を吐くが、その口調と裏腹に柔らかい笑顔を浮かべていた。
「お父様、お母様、ありがとう存じます。お兄様はこんな時は素直に褒めてくださいませ」
トゥーレの言葉は照れ隠しだということが分かっているからだろう。エステルはいつものように兄に食ってかかることはなく、恥ずかしそうに頬を染めるだけだった。
「ユーリ。ど、どうですか?」
彼女は見惚れて固まったままのユーリの傍まで進むと、恥ずかしそうに上目遣いで見上げる。
「っ! き、綺麗です! エ、エステル様!」
その瞬間、稲妻がユーリを貫いたのをトゥーレは幻視した。
ユーリは視線を狼狽えたようにあちこちを彷徨わせながら、上擦った声でなんとかそう答えた。平静を装おうとしているようだが、悉く失敗しそわそわと落ち着きがない。エステルの思わぬ攻撃力はユーリをあっさりと貫いたのだった。
改めて全員が席へと着く。
トゥーレが座っていた場所にエステルが座り、トゥーレはテオドーラの横に椅子を運び入れて腰を下ろしていた。
着飾ったエステルの姿を見たからなのか、それともここに至ってしまえば諦めるよりなかったのかは分からないが、ザオラルに先程まで刺々しさはなくなっていた。若干肩を落としてしょぼくれているように見えるのはきっと気のせいだろう。
和やかな雰囲気の中、テオドーラが口を開く。
「エステル」
「はいお母様」
「あなたが望んだ通り、ユーリがあなたとの婚約を受諾してくれました」
そうテオドーラが告げると、彼女は花が咲いたように嬉しそうな笑顔を見せた。
「わたくしの我が儘を聞いてくださり、ありがとう存じます」
両親に感謝を告げるとソファから立ち上がってユーリに向き直る。そして普段からは想像できない口調で礼を告げた。
「ユーリ様、わたくしの願いをお聞き入れいただき、ありがとう存じます」
これまた普段からは想像できないほど優雅にカーテシーでお辞儀をするのだった。
「い、いえ。私の方こそ、エステル様に選んでいただいた事を後悔させぬよう、これからも精進致します」
普段と様子の違うエステルに戸惑いながらも、ユーリは慌てて立ち上がるとギクシャクとしたボウ・アンド・スクレープで何とか返答を返すのだった。
「二人とも、おめでとう」
三人からの祝福の言葉に、はにかんだ笑顔を浮かべる二人。
こうしてユーリとエステルの婚約は、トルスター家の承認するところとなったのである。
「ところで二人とも」
厳しい表情に戻ったザオラルが、緊張から解放され嬉しそうに見つめ合っていたユーリとエステルに声を掛けた。
再び殺気を向けられるのではと緊張した表情になるユーリと、何を言われるか分からずこてんと首を傾けたエステルが、ザオラルに顔を向ける。
「二人とも知っての通り、トゥーレは昨年ウンダルのリーディア姫と婚約した。しかし我らを取り巻く状況は厳しく、まだしばらくはリーディアの元に通いが続く見通しだ」
「はい」
続きを促すように静かにザオラルを見つめる。そんな二人を見ながら逡巡するように顔を歪めながら彼は続きを口にした。
「エステルはまだ十二歳だ。それにリーディア姫の輿入れが延びている状況で、お前たちをトゥーレよりも先に結婚させるのは早いと思う」
「お父様!」
エステルが軽く腰を浮かせながら抗議する。
「まて、慌てるな。結婚させないと言っているのではない。今も言ったようにお前はまだ十二歳だ。リーディアの輿入れが決まるか、お前が十五歳の成人を迎えるまでは我慢しろと言っているのだ」
右手を突き出してエステルを座らせると、噛んで含めるように丁寧に説明する。しかし彼女は理解は出来ていても不満そうに口を尖らせながら、とんでもないことを口にした。
「わたくしは確かにまだ十二歳ですけど、ちゃんともう月の印もきてましてよ」
「ぶほっ!」
「ば、馬鹿な事を口にするでない!」
「阿呆! ぶっちゃけすぎだ」
あっけらかんと自身に生理が来てることを披露したエステルに対し、ユーリは口に運んでいたお茶を吹き出して真っ赤に顔を染めた。ザオラルは逆に顔を青ざめさせて思わず声を荒らげる。トゥーレは知りたくもない妹の秘密に呆れた様に天を仰ぐのだった。
「エステル、早く嫁ぎたいというあなたの気持ちは分かります。わたくしも王都に行ってしまわれたザオラル様を十年近く待ちましたもの」
そう言ってテオドーラがザオラルを横目で見ると、ばつが悪そうにぷいとそっぽを向いて誤魔化した。くすりと笑みを浮かべた彼女は、視線をエステルへと戻す。
「ですが本来であれば、フィルベルへ嫁いでいたかも知れない所を、わたくしたちはあなたの願いを聞き入れたのです。今度はあなたが聞き入れる番ではないですか?」
彼女の言葉は柔らかな表情の中に有無を言わせぬ響きがあった。流石にエステルもそれ以上我が儘を通す訳にはいかず、居住まいを正すと若干気落ちしたようにうつむき加減で答える。
「・・・・申し訳ございません、承知いたしました。でも、お兄様が結婚されるのは遅くなりそうですから、わたくしは十五歳まで我慢します」
最後にトゥーレを見ながらそう言うと、勝ち誇ったように彼女は胸を張るのだった。
・・・・ふぅ
「ユーリ、大丈夫ですか?」
執務室を退出した途端、ホッとしたように大きく息を吐いたユーリを、エステルは気遣うように覗き込んだ。
「ええ、大丈夫です。少し疲れましたがね」
ユーリは気疲れで重くなった身体を引き摺るように歩きながら、隣を並んで歩く彼女には笑顔を見せた。
領主夫妻とは顔を合わせることがあっても、ここまで突っ込んだ話をすることはいままでなかった。ましてや殺気を向けられることや、ザオラルの今まで見たことのない素の表情などは、領主のお茶会ですら見ることは出来ないだろう。肉体よりも精神的な気疲れの方が大きく、彼は直ぐにでも帰って眠りたかったほどだ。
軽く首を振って笑顔を見せるが、心配そうなエステルの表情は晴れない。相当酷い顔をしているのだろう。
「こんなの少し休めば直ぐに元気になります。エステル様?」
努めて明るい口調で振り返ると、彼女は数歩後ろで立ち止まっていた。
先ほど嬉しそうに笑顔を見せていたのが嘘のように、今は重く沈んだ表情で彼を見上げている。
「・・・・ユーリは、・・・・本当にわたくしでよろしいのですか?」
彼女は不安そうに消え入りそうな声で問いかけた。
「エステル様でよいというのはどういうことでしょうか?」
ユーリはエステルの真意を測りかね、不安にさせないように笑顔を浮かべながらそう尋ねた。
「ユーリは本当はわたくしと一緒になるのは嫌ではありませんか? 九歳も年下の子供の我が儘に付き合ってくださっているだけではないのですか?」
思いつめた不安げな表情でそう訴えた。
この婚約は彼女自身が望んだことだ。
軽口を叩けるような仲になったとはいえ、相手は兄の部下で元坑夫だったどこの誰とも知れない男だ。それでも彼女はユーリと夫婦となることを望みその願いを口にした。口にしたこと自体、彼女は後悔していないし心から望んだことだ。
だが彼女が口にした途端、思った以上のスピードであっという間に婚約まで進んでしまった。
願いが叶ったことは良かったと心から思えたし、家族が祝福してくれた事は素直に嬉しく思った。だが順調に進んだことで逆に彼女の中に不安が芽生えてきたのだ。
―――果たしてユーリの気持ちは本当なのか?
それはユーリも同じだった。
散々釣り合いが取れないとごねていたが、本音では別の事を考えていた。
トゥーレには冗談めかして『傷物』と言ったがあれは半分本心だった。額に大きな傷があり、何年か前までは街で暴れ回っていたのだ。トゥーレに仕えるようになってからも、未だに街や古くからトルスター家に仕える騎士から陰口を叩かれていることは知っていた。そんな自分と一緒になることで、彼女も心ない中傷に晒されるかも知れない。
ユーリ自身に対する非難ならば甘んじて受けることができるが、それがエステルにまで及ぶことには、彼自身耐えられるとは思えなかった。
トゥーレから話を聞いてからずっと自問していたことだ。
―――エステルは本当に自分でいいのか? 俺は彼女を守れるのか?
「ユーリ!?」
ユーリは同じ視線の高さになるように彼女の前に跪いた。エステルが驚いて目を見開く中、彼女を安心させるようににこりと微笑む。
「それは私も同じです。このように醜い傷のある私で、エステル様は本当によろしいのですか?」
彼女の視線がゆっくりと動き、ユーリの額に止まる。
「・・・・醜くはないです」
そう言ってそっと伸ばした彼女の手が優しく傷痕に触れる。そして慈しむような眼差しで優しく語る。
「ユーリのこの傷は大切な家族を守ろうとした時に負った傷だと聞きました。そのような誇り高い傷が醜いなんてある筈がありません」
「・・・・残念ながら、当時の私は何ひとつ守ることが出来ず、大事なものは全て失いましたがね」
「それでも大きな力に立ち向かったのでしょう? ユーリにとってそれは決して後ろめたい事ではない筈です」
いつもの皮肉めいた口調で肩を竦めて見せたが、彼は目の奥が熱くなるのを感じていた。
紅い慈愛に満ちた瞳がユーリを見つめていた。触れられている傷痕からエステルの温もりが流れ込んでくる。瞳と同じ優しい温もりだった。堪えきれずユーリは天を仰いだ。そうしなければ涙が溢れそうだったからだ。
『まったく! ・・・・この兄妹はよく似ておられる』
トゥーレと同じようにエステルもまた当時のユーリの行動を肯定したのだ。
それは偶然だったが、彼の心の奥にこびり付くように残っていた悔恨を優しく溶かしていくようだった。図らずも兄妹二人の力で、ユーリの心的外傷は取り除かれたのだった。
「これからは、わたくしがユーリの家族になります。ユーリはわたくしを本当の家族のように守ってくださいますか?」
にっこりと笑みを浮かべるエステルに、彼もまた微笑みを返した。そして決意の籠もった目でしっかりと彼女の紅い目を見る。
「まったく、うじうじと悩んでた自分が恥ずかしいです。もちろん、私の全てを賭けてエステル様をお守り致します」
ユーリはそう言うと、エステルの右手を取り優しく甲に口づけるのだった。
ザオラルの態度は予想外だったものの、もちろんユーリはそんな事で返答を変えるつもりはなかった。
「よかったです。エステルも喜ぶ事でしょう」
はっきりと意思を述べたユーリに満足そうに頷いたテオドーラは、そう言ってホッと息を吐くと柔らかな笑顔を浮かべる。そして側勤めを呼ぶと、もうひとりの主役であるエステルを呼ぶように命じた。
「お父様、お母様、お呼びでしょうか?」
しばらくして執務室に現れた彼女を見てユーリは思わず息を飲んだ。
普段は街の娘が身に着けるような活動しやすい格好を好んで着ているが、今日はいつもと違って山吹色のドレス姿だったのだ。
普段はツインテールにしている艶やかなオレンジ色の頭髪は、複雑に編み込まれて後ろで纏められ、小花をちりばめた色とりどりの花飾りで飾られている。
ふんわりしたドレープが美しいドレスは、肩から裾にかけて淡い黄色から山吹色へと鮮やかなグラデーションになっていて、胸元から肩に掛けてはふわりとしたクリーム色の透けたレース生地がヴェールのように優しく包んでいた。
「まあ! よくお似合いですよ。ねぇザオラル様?」
テオドーラが華やいだ声を上げ、隣で見とれていたザオラルの袖を引いた。
「あ、ああ。流石私の娘だ。綺麗だよエステル」
「まさかエステルのドレス姿を見る事になるとはな。明日は嵐になるんじゃないか?」
一瞬狼狽えたものの、直ぐに何事もなかったかのようにザオラルが嬉しそうに目を細めている。トゥーレはいつもの調子で毒を吐くが、その口調と裏腹に柔らかい笑顔を浮かべていた。
「お父様、お母様、ありがとう存じます。お兄様はこんな時は素直に褒めてくださいませ」
トゥーレの言葉は照れ隠しだということが分かっているからだろう。エステルはいつものように兄に食ってかかることはなく、恥ずかしそうに頬を染めるだけだった。
「ユーリ。ど、どうですか?」
彼女は見惚れて固まったままのユーリの傍まで進むと、恥ずかしそうに上目遣いで見上げる。
「っ! き、綺麗です! エ、エステル様!」
その瞬間、稲妻がユーリを貫いたのをトゥーレは幻視した。
ユーリは視線を狼狽えたようにあちこちを彷徨わせながら、上擦った声でなんとかそう答えた。平静を装おうとしているようだが、悉く失敗しそわそわと落ち着きがない。エステルの思わぬ攻撃力はユーリをあっさりと貫いたのだった。
改めて全員が席へと着く。
トゥーレが座っていた場所にエステルが座り、トゥーレはテオドーラの横に椅子を運び入れて腰を下ろしていた。
着飾ったエステルの姿を見たからなのか、それともここに至ってしまえば諦めるよりなかったのかは分からないが、ザオラルに先程まで刺々しさはなくなっていた。若干肩を落としてしょぼくれているように見えるのはきっと気のせいだろう。
和やかな雰囲気の中、テオドーラが口を開く。
「エステル」
「はいお母様」
「あなたが望んだ通り、ユーリがあなたとの婚約を受諾してくれました」
そうテオドーラが告げると、彼女は花が咲いたように嬉しそうな笑顔を見せた。
「わたくしの我が儘を聞いてくださり、ありがとう存じます」
両親に感謝を告げるとソファから立ち上がってユーリに向き直る。そして普段からは想像できない口調で礼を告げた。
「ユーリ様、わたくしの願いをお聞き入れいただき、ありがとう存じます」
これまた普段からは想像できないほど優雅にカーテシーでお辞儀をするのだった。
「い、いえ。私の方こそ、エステル様に選んでいただいた事を後悔させぬよう、これからも精進致します」
普段と様子の違うエステルに戸惑いながらも、ユーリは慌てて立ち上がるとギクシャクとしたボウ・アンド・スクレープで何とか返答を返すのだった。
「二人とも、おめでとう」
三人からの祝福の言葉に、はにかんだ笑顔を浮かべる二人。
こうしてユーリとエステルの婚約は、トルスター家の承認するところとなったのである。
「ところで二人とも」
厳しい表情に戻ったザオラルが、緊張から解放され嬉しそうに見つめ合っていたユーリとエステルに声を掛けた。
再び殺気を向けられるのではと緊張した表情になるユーリと、何を言われるか分からずこてんと首を傾けたエステルが、ザオラルに顔を向ける。
「二人とも知っての通り、トゥーレは昨年ウンダルのリーディア姫と婚約した。しかし我らを取り巻く状況は厳しく、まだしばらくはリーディアの元に通いが続く見通しだ」
「はい」
続きを促すように静かにザオラルを見つめる。そんな二人を見ながら逡巡するように顔を歪めながら彼は続きを口にした。
「エステルはまだ十二歳だ。それにリーディア姫の輿入れが延びている状況で、お前たちをトゥーレよりも先に結婚させるのは早いと思う」
「お父様!」
エステルが軽く腰を浮かせながら抗議する。
「まて、慌てるな。結婚させないと言っているのではない。今も言ったようにお前はまだ十二歳だ。リーディアの輿入れが決まるか、お前が十五歳の成人を迎えるまでは我慢しろと言っているのだ」
右手を突き出してエステルを座らせると、噛んで含めるように丁寧に説明する。しかし彼女は理解は出来ていても不満そうに口を尖らせながら、とんでもないことを口にした。
「わたくしは確かにまだ十二歳ですけど、ちゃんともう月の印もきてましてよ」
「ぶほっ!」
「ば、馬鹿な事を口にするでない!」
「阿呆! ぶっちゃけすぎだ」
あっけらかんと自身に生理が来てることを披露したエステルに対し、ユーリは口に運んでいたお茶を吹き出して真っ赤に顔を染めた。ザオラルは逆に顔を青ざめさせて思わず声を荒らげる。トゥーレは知りたくもない妹の秘密に呆れた様に天を仰ぐのだった。
「エステル、早く嫁ぎたいというあなたの気持ちは分かります。わたくしも王都に行ってしまわれたザオラル様を十年近く待ちましたもの」
そう言ってテオドーラがザオラルを横目で見ると、ばつが悪そうにぷいとそっぽを向いて誤魔化した。くすりと笑みを浮かべた彼女は、視線をエステルへと戻す。
「ですが本来であれば、フィルベルへ嫁いでいたかも知れない所を、わたくしたちはあなたの願いを聞き入れたのです。今度はあなたが聞き入れる番ではないですか?」
彼女の言葉は柔らかな表情の中に有無を言わせぬ響きがあった。流石にエステルもそれ以上我が儘を通す訳にはいかず、居住まいを正すと若干気落ちしたようにうつむき加減で答える。
「・・・・申し訳ございません、承知いたしました。でも、お兄様が結婚されるのは遅くなりそうですから、わたくしは十五歳まで我慢します」
最後にトゥーレを見ながらそう言うと、勝ち誇ったように彼女は胸を張るのだった。
・・・・ふぅ
「ユーリ、大丈夫ですか?」
執務室を退出した途端、ホッとしたように大きく息を吐いたユーリを、エステルは気遣うように覗き込んだ。
「ええ、大丈夫です。少し疲れましたがね」
ユーリは気疲れで重くなった身体を引き摺るように歩きながら、隣を並んで歩く彼女には笑顔を見せた。
領主夫妻とは顔を合わせることがあっても、ここまで突っ込んだ話をすることはいままでなかった。ましてや殺気を向けられることや、ザオラルの今まで見たことのない素の表情などは、領主のお茶会ですら見ることは出来ないだろう。肉体よりも精神的な気疲れの方が大きく、彼は直ぐにでも帰って眠りたかったほどだ。
軽く首を振って笑顔を見せるが、心配そうなエステルの表情は晴れない。相当酷い顔をしているのだろう。
「こんなの少し休めば直ぐに元気になります。エステル様?」
努めて明るい口調で振り返ると、彼女は数歩後ろで立ち止まっていた。
先ほど嬉しそうに笑顔を見せていたのが嘘のように、今は重く沈んだ表情で彼を見上げている。
「・・・・ユーリは、・・・・本当にわたくしでよろしいのですか?」
彼女は不安そうに消え入りそうな声で問いかけた。
「エステル様でよいというのはどういうことでしょうか?」
ユーリはエステルの真意を測りかね、不安にさせないように笑顔を浮かべながらそう尋ねた。
「ユーリは本当はわたくしと一緒になるのは嫌ではありませんか? 九歳も年下の子供の我が儘に付き合ってくださっているだけではないのですか?」
思いつめた不安げな表情でそう訴えた。
この婚約は彼女自身が望んだことだ。
軽口を叩けるような仲になったとはいえ、相手は兄の部下で元坑夫だったどこの誰とも知れない男だ。それでも彼女はユーリと夫婦となることを望みその願いを口にした。口にしたこと自体、彼女は後悔していないし心から望んだことだ。
だが彼女が口にした途端、思った以上のスピードであっという間に婚約まで進んでしまった。
願いが叶ったことは良かったと心から思えたし、家族が祝福してくれた事は素直に嬉しく思った。だが順調に進んだことで逆に彼女の中に不安が芽生えてきたのだ。
―――果たしてユーリの気持ちは本当なのか?
それはユーリも同じだった。
散々釣り合いが取れないとごねていたが、本音では別の事を考えていた。
トゥーレには冗談めかして『傷物』と言ったがあれは半分本心だった。額に大きな傷があり、何年か前までは街で暴れ回っていたのだ。トゥーレに仕えるようになってからも、未だに街や古くからトルスター家に仕える騎士から陰口を叩かれていることは知っていた。そんな自分と一緒になることで、彼女も心ない中傷に晒されるかも知れない。
ユーリ自身に対する非難ならば甘んじて受けることができるが、それがエステルにまで及ぶことには、彼自身耐えられるとは思えなかった。
トゥーレから話を聞いてからずっと自問していたことだ。
―――エステルは本当に自分でいいのか? 俺は彼女を守れるのか?
「ユーリ!?」
ユーリは同じ視線の高さになるように彼女の前に跪いた。エステルが驚いて目を見開く中、彼女を安心させるようににこりと微笑む。
「それは私も同じです。このように醜い傷のある私で、エステル様は本当によろしいのですか?」
彼女の視線がゆっくりと動き、ユーリの額に止まる。
「・・・・醜くはないです」
そう言ってそっと伸ばした彼女の手が優しく傷痕に触れる。そして慈しむような眼差しで優しく語る。
「ユーリのこの傷は大切な家族を守ろうとした時に負った傷だと聞きました。そのような誇り高い傷が醜いなんてある筈がありません」
「・・・・残念ながら、当時の私は何ひとつ守ることが出来ず、大事なものは全て失いましたがね」
「それでも大きな力に立ち向かったのでしょう? ユーリにとってそれは決して後ろめたい事ではない筈です」
いつもの皮肉めいた口調で肩を竦めて見せたが、彼は目の奥が熱くなるのを感じていた。
紅い慈愛に満ちた瞳がユーリを見つめていた。触れられている傷痕からエステルの温もりが流れ込んでくる。瞳と同じ優しい温もりだった。堪えきれずユーリは天を仰いだ。そうしなければ涙が溢れそうだったからだ。
『まったく! ・・・・この兄妹はよく似ておられる』
トゥーレと同じようにエステルもまた当時のユーリの行動を肯定したのだ。
それは偶然だったが、彼の心の奥にこびり付くように残っていた悔恨を優しく溶かしていくようだった。図らずも兄妹二人の力で、ユーリの心的外傷は取り除かれたのだった。
「これからは、わたくしがユーリの家族になります。ユーリはわたくしを本当の家族のように守ってくださいますか?」
にっこりと笑みを浮かべるエステルに、彼もまた微笑みを返した。そして決意の籠もった目でしっかりと彼女の紅い目を見る。
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