都市伝説と呼ばれて

松虫大

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第三章 カモフ攻防戦

77 槌音

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――カーン、カーン、カーン

 小気味のよい槌音つちおとが街の至る所で響いていた。
 季節は夏の盛りだ。
 男たちは上半身裸か下着姿となって、多くの者が汗水垂らしながら忙しそうに働いていた。
 そんな男たちに混ざって上半身を肌着姿になったトゥーレもいた。
 彼は作業現場であれこれと指示を出しながら、自らも率先して槌を振るっては作業を手伝っていた。

 ネアンをストール軍から解放して三ヶ月経っていた。
 あの日、火災に加えて暴動や略奪が横行していたネアンは、既にトゥーレたちが手に負える状態ではなかった。
 呆然とする彼らの目の前で、三日三晩燃え続け市街の殆どが灰燼かいじんに帰した。
 後に残ったのは市街を囲う城壁のみといってよい有様だった。
 一方で梟隊ふくろうたいの活躍によりネアンから救出されたオイヴァは、衰弱していたものの命に別状はなく、サザンでの彼の家族やハンヌの献身的な介護により、数日後には会話ができるまで回復していた。
 しかし一年に及ぶ監禁によって足腰が衰えていて、最早自力での歩行は困難となってしまっていた。また拘束されていた影響で脱臼していた両肩も、完治は難しく自由に動かす事はできなくなった。
 体力回復後にトゥーレとの面会を果たしたオイヴァは、ネアンの再建を彼に託し騎士の引退を表明するのだった。
 オイヴァからネアンを託されたトゥーレは、カモフの領都をネアンに移すことを布告すると、焼け野原のネアンに仮設の住居を建てて一人移り住んだ。
 街の復興を優先したかった彼は、仮設住まいのままでいつ終わるとも知れない復興作業を手伝っていた。
 住み慣れた家を焼け出される恰好となった住民たちは、街の外にユルトを建てて避難生活を送っていた。彼らは兵に混ざって積極的に復興を手伝っていた。

「トゥーレ様、土台となる石が足りなくなってきました」

「そうか、石は城壁から拝借すればいい。南門にユーリがいる筈だ。ユーリに言えば用意してくれるだろう。誰か案内してやれ」

 トゥーレはそう言って兵に案内させてユーリの下へと向かわせた。
 ネアン再建に当たってトゥーレは街の拡張を計画していた。
 サザンやネアンはこの国では珍しい城郭都市となっていたが、これは商人が主体となって発展してきた事に起因している。
 賊などから自らの利益を守るため、城郭で囲われた街を作ったことが始まりとされているからだ。
 外敵からの守りを主目的として造られていたため、街の防御力は高くなっているがその分拡張性が悪く、狭い城郭内に住居が密集していた。
 密集はしばしば火災や疫病の流行を招く事となり、昔から住民たちを大いに苦しめてきた。
 また街に入りきれない人が城郭の外にも家を建てて暮らしていたが、その城郭を隔てただけの差が差別を生む温床にもなっていた。
 トゥーレはネアン再建に際して、アルテミラの他の都市のように城郭を取り払う方針を示した。
 港に面した南門周辺の城郭から解体に取りかかっていて、将来的には公館を囲んでいた城郭も取り払う計画だ。
 またカントに築いていた城壁も既に解体されていて、建築資材として既にネアンに運び込まれていた。
 サザンについては先の戦いでの被害はないため、今までと変わらず城郭は残され、シルベストルの市長と共にそのまま継続する事が発表されていた。
 そのシルベストルは最後まで市長の辞任を主張してトゥーレと揉めていたが、結局は彼の長年の忠義に報いるという建前でトゥーレから押しつけられてしまった形だ。オイヴァが引退した今、現時点ではサザンを任せられる人材はいない事もあって、実際はシルベストルが受けざるを得なかったのだ。

――カーン、カーン、カーン

「トゥーレ様、少し休憩しましょうや」

 共に作業をおこなっていた街の男が、汗を拭きながら声を掛けてきた。
 トゥーレが共に作業する事に最初こそ恐縮していたが、今では共に作業する仲間として彼らは受け入れていた。

「おう、そうだな。休憩しよう」

 トゥーレも笑顔を見せて大きく息を吐く。
 ネアンは瓦礫の撤去が漸く終わった所で、再建への作業は始まったばかりだ。
 更地が広がる市街の彼方此方あちこちに監督用のユルトが建てられ、各所で進捗の確認や資材の調達などがおこなわれていた。
 そのユルトに併設されているのが休憩所だった。
 ちょっとした広場となっている休憩所では、女たちが炊き出しをおこなったり、子供たちが作業員に飲み物を配ったりしていた。

「トゥーレ様、お疲れでしょう?」

 子供たちから受け取った飲み物をトゥーレが飲んでいると、住民たちがひっきりなしに声を掛けてくる。それらひとり一人に嫌な顔ひとつせずに、時に冗談を交えながら受け答えする。
 そのためトゥーレの周りには常に人が集い笑顔が溢れていた。

「いい加減トゥーレ様もいつまでも仮住まいでなく、ちゃんとしたお屋敷建ててくださいよ」

「そうだぜ。トゥーレ様が儂らの作業を手伝ってくれるのは有難いし大助かりだが、肝心のトゥーレ様が仮住まいのままじゃ申し訳なくていけねぇ」

 一人の言葉を切っ掛けにして、口々にトゥーレへの非難が上る。
 だがその顔は皆笑顔に溢れていた。
 トゥーレは拠点をネアンに移したが、住まいは焼け落ちた公館跡に建てた仮設の住まいのままだった。住民たちが避難しているユルトよりはしっかりした住居だったが、如何いかんせん部屋数も少なく謁見の広間もないため、会議や謁見の場は露天に仮設の大屋根を付けただけのものだ。
 流石に冬までにはある程度整備はする予定だったが、住民は自分の住まいを後回しに復興を優先させているトゥーレに恐縮していたのだ。

「今でも寝室と執務室はあるから不満はないぞ。謁見の広間は確かにあれじゃ格好はつかないが、今のところ王都や他領から客を迎える予定もないしな。来年くらいから取り掛かれればいいさ」

 申し訳なく考えている住民に対してトゥーレは気にするなと素っ気ない。
 実際に多少不便は感じるが執務は滞りなくおこなうことができている。今のところ天露をしのぐことのできる寝室があれば不満など感じなかったのだ。

「それは聞き捨てなりませんな!」

 トゥーレの背後から突然怒鳴り声が降り注ぎ、トゥーレは思わず首をすくめた。
 声の主に心当たりがありまくるトゥーレは、まさかといった表情を浮かべて油の切れた機械のようにぎこちなく振り向いた。その先にはトゥーレの想像通りの人物が仁王立ちして彼を睨み付けていた。

「シ、シルベストル!? どうしたんだ突然」

 珍しく狼狽うろたえるトゥーレの姿に、住民たちも何事かといぶかしんだ。

「どうしたではございません。ネアンに領都を移したかと思えばトゥーレ様はそれっきりサザンに戻ってこられないではございませんか!?
 その内に連絡があるだろうと思って黙っておりましたが何の連絡もいただけず。仕方なくこうやって足を運んでみればまさか大工仕事をされておられるとは!
 これまで馴染みのなかったネアンの住民との交流が重要なことは分かります。ですが素早く屋敷を構えてリーディア様をお迎えする事も大事な事だと私は考えますが、どうやらトゥーレ様はそうではないご様子でございますな?」

「シルベストル、ちょっと落ち着こうじゃないか」

 鋭い据わった目付きで睨み付け、剣呑けんのんな雰囲気を漂わせているシルベストルを、慌てたトゥーレが必死でなだめようとする。

「これが落ち着いていられますか!
 トゥーレ様はリーディア姫様をどうされるおつもりですか?
 こちらが落ち着けばお呼びになられるかと思い黙っておりましたが、様子を見に来てみれば領主様は仮住まいのままで新しく領主邸を建てるおつもりがないご様子。この調子ではリーディア姫様をお迎えする気がないと受け取られ兼ねませんぞ!」

「そ、そんなつもりはないぞ。遅れているが建てたらちゃんと呼ぶつもりだったさ」

 シルベストルの剣幕にたじたじになりながら取り繕おうと言葉を繋いでいると、思いもよらぬ声が掛かった。

「あら、それでしたらこちらの準備も必要でございます。それは何時頃のご予定なのかお聞かせいただいてよろしいでしょうか?」

「リーディア!? 何故君がここに?」

「わたくしがここに来るのはいけなかったかしら?」

 表情を消しすっと目を細めたリーディアが睨む。
 見た目には笑顔を浮かべているように見えるが目には感情がない。トゥーレには背筋が凍りそうな笑顔に見えた。

「いや、そんなことはないんだが・・・・」

 リーディアの視力はまだ回復してはいない。足場の悪いこの地に来るだけでも一苦労だった筈だ。またその事を公表していないため、衆人が見ている前では詳細に理由を尋ねる事もできず言葉を濁す事になる。
 だがここでのその言い回しは悪手だった。周りにはトゥーレが言い淀んでいるように見えてしまった。そのことを理解しているリーディアが氷の笑顔を更に深めてトゥーレを追い詰めていく。

「いつになればわたくしを迎えていただけるのかと首を長くしてお待ちいたしておりましたが、残念ながらトゥーレ様はわたくしを迎える気はないようですね」

 その言葉で周囲の目がトゥーレを責めるような視線へと変わった。

「ちょ、リーディア、何てことを言うんだ! 周りが誤解するじゃないか」

 トゥーレはたじたじになりながらも慌てて否定した。
 その慌てて誤魔化す様子が余計に怪しく見え、周りからジトッとした視線がトゥーレに突き刺さっていく。

――クスリ

 それまでの能面のような表情を浮かべていたリーディアが、突然花が咲いたような笑顔に変わった。
 呆気に取られるトゥーレを尻目に、悪戯いたずらが成功した子供のようにリーディアが軽く舌を出して笑う。

「うふふ、シルベストル様、うまくいきました」

 そう言ってシルベストルと顔を見合わせて頷き合う様子に、暫くトゥーレは視線を二人の間を彷徨さまよわせた。
 やがて二人の悪戯だったと気付いたトゥーレは、疲れた表情を浮かべてホッとしたように項垂うなだれるのだった。

「いつもやきもきさせられるトゥーレ様には、これぐらいせねば私たちの気持ちは伝わりませんからな」

「もう解ったから。すまなかった」

 忙しさにかまけてサザンに戻らなかったのは事実のため、トゥーレはバツが悪そうに素直に謝った。

「あんまり責めないでください。トゥーレ様にはあたしらも何度も言ってるんだよ。でもあたしらがユルト生活で不便な中、自分だけのうのうと屋敷に住む訳にはいかないからって、言うこと聞いてくれないのさ」

「そうだぜ。それよりトゥーレ様にはこんな美しいがいたんだな。逢いたいのを我慢して儂らのために働いてくれてたとは。泣かせる話じゃないか」

 事情を察した住民たちは、てのひらをくるりと返して今度は口々にトゥーレの擁護ようごに回り始めた。
 リーディアも『奥方様』と呼ばれて満更でもない様子で、真っ赤になった両頬に手を当ててもじもじと照れている。
 それを皮切りに住民たちがトゥーレに感謝していることを次々に口にしていった。
 それを聞くシルベストルやリーディアが、嬉しそうに聞き続けるため住民の勢いはますます盛んとなって途切れそうになかった。
 だがその途中で何かを察したトゥーレの顔色は、慌てたようにどんどんと青くなっていく。

「これは新しい都市伝説の誕生ですね」

 その声にギクリと動きを止めたトゥーレが振り返ると、ニヤニヤした笑顔を浮かべたユーリが立っていた。
 リーディアたちと一緒に来たのだろう。彼の傍には妹のエステルも同じように満面の笑みを湛えていた。

「ちっ、お前たちか」

 トゥーレは露骨に嫌そうな表情を浮かべた。
 最近になってからの都市伝説の発信源はユーリたちだ。
 彼らはトゥーレの噂を尾鰭おひれを付けて、面白おかしく住民たちに語って聞かせるため、今では実在が証明される以前の数を軽く上回っている程だった。

「久しぶりに会ったのにそんなに顔をしないでくださいませ」

「お前は俺じゃなくユーリに会いに来たのだろうが?」

 エステルはユーリと手を繋いでいたが、トゥーレに指摘されると顔を真っ赤にして慌てて離れた。

「何にせよトゥーレ様が元気そうで何よりです。しかし私はともかくリーディア様には連絡を差し上げてもよろしいのではないでしょうか? リーディア様は恋物語の登場人物ヒロインのようにトゥーレ様からの便りを一日千秋いちじつせんしゅうの思いで待ち続けておられましたのでな」

「シルベストル様!? わ、わたくしはそんな・・・・」

 図星だったのだろう。耳まで赤く染めながら消え入りそうな声で呟くと、リーディアは小さくなって俯いてしまった。

「お義姉様ねえさまは毎日ネアンの空を見上げながらお兄様のことをそれはもう心配しておりましてよ」

「おや? 毎日空を見上げて溜息を吐いておられたのは、リーディア姫様だけではなくエステル姫様もそうだったと記憶しておりますが違いましたかな?」

 エステルが笑顔を浮かべてリーディアの様子を暴露するが、直ぐにシルベストルからエステルも同様だったと暴露されてしまい、リーディアと並んで身をよじらせることになった。

「お二人ともいくら婚約者だからとはいえ余りにも無頓着すぎます。街の再建でお忙しくともせめて十日に一度ぐらいは顔を見せにサザンに戻ってきてください。姫様お二人とも恋い焦がれて燃え尽きてしまいますぞ」

「それは大変だ。今度からは気を付けるよ」

 最後の冗談めかしたシルベストルの言葉に、苦笑を浮かべたトゥーレがそう言って、ユーリも同様に頷いた。

「約束ですぞ!
 もしたがえるような事があれば今度はテオドーラ様を連れてきますからな。今日も最後まで怨みがましい目で嫌みを言われたのです。言えば喜んで同行していただけますぞ!」

「ちょっ、母上を呼ぶとか流石にそれは勘弁してくれ!」

 心底嫌そうな顔でトゥーレがそう言うと、辺りには笑顔が広がっていくのだった。
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