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1最悪の出会い
1-3 追憶──カケラ
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(今日は早く帰れそうだな……。)
スマホの時計を見ると時刻は十七時半過ぎ。今日も普通に残業なわけだが。
『敏腕弁護士』と事務所内で謳われていることもあってか、新米にも関わらず私の元に来る仕事は複雑なものも少なくない。わからない事だらけの私にはまだ慣れない。
今日は運良くそういうのが回ってこなかった。私はスマホのロックを解除してメッセージツールを開き、葵の欄を押した。
『今日は早く帰れそうだ』
送るとすぐに既読がつく。コイツ、暇か?
『マジで!?』
次いで
『今日ご飯買わなくて良いよ~』
と送られてくる。
(??)
私は少し困惑した。ご飯を買わなくて良いとはどういう事だろうか。
『なんだ、自分で買ったのか?』
すると既読してしばらく、返信がない。しばらくといっても葵にしては、だが。
『うーん、まあそんな感じ?薫さんのもあるから!』
少し曖昧な返答なのは気になるが、ひとまずご飯は準備しなくて良いということなのは理解した。
『分かった。ではそのまま直帰しよう』
そのメッセージに葵がスタンプを送ったのを確認して、残りの仕事に取り掛かった。
「ただいま。」
ガチャリ、と扉を開ける。ウチは玄関から真っ直ぐにリビングが見え、ソファや葵が座る方の椅子は見える位置にある。のだが、いつもはソファにくつろいでいる葵がいない。リビングが明るく、自室は明かりが漏れていないのでリビングにいる事は確実なのだが。それに、いつもならおかえり、と声をかけてくれるのだが……。というか、リビングが騒がしい。
「……葵?」
靴を脱いでリビングに向かった。入ってすぐ右手には廊下からは見えなかったキッチンがある。そこに葵はエプロンをして立っていた。
「あお、い……ッ!」
その光景に思わず喉を詰まらせた。
別に葵が料理をしているのが不思議だったわけではない。驚いたのは、私が乗せておいた箱を退けて火を使って料理をしている事だった。
「あ、おかえり薫さん。思ってる以上に早かったね。」
「ぁ、ッ……!は、ァあ……!」
力が入らず鞄を派手に落とした。脚にも力が入らなくなって私は思わずその場に蹲るように倒れた。かけていたメガネがかしゃりと音を立てて落ちる。きつく締めたネクタイが苦しくて指をかける。
「え、ちょ、薫さん!?」
「はぁ、ゥ……ぐぁ、う……あ……!」
「どうしちゃったの!体調悪い……」
「……めろ…!」
「へ?」
「火を止めろ…ッ!」
その時の渾身の声量で、あくまでも蹲ったまま、葵にそう投げかけた。
背を撫でられている、と気付いたのは恐らく三分後……くらいだろうか。
「は、ぁ………。」
「良かった、だいぶ落ち着いたみたいだね。」
「……取り乱してすまない。」
落ちたメガネを掬いながら私はそう放った。顔は見ずに。
「いや、こっちこそ勝手にキッチン使ってすみません。」
「いいや、そこに関しては問題ない。」
「え、そうなんですか?」
「ただ、火を使うなら私に一言、申し立ててくれ。先に言っておくべきだった。」
「薫さん、あんた……」
「それより、一体何を作ったんだ?」
葵の言葉を遮って努めて平然に私は尋ねた。
「あ、えっと大したものじゃないんです。ただの野菜炒めなんで……。」
「材料は自分で?」
「ま、まあ。大学の時のバイト代で。なけなしだけどね。話の続きは後にしましょ?俺お腹空いたし。薫さんも着替えてくださいよ。火使い終わったら呼ぶんで。」
「……すまない。そうしてくれ。」
年下に気を遣われるなど情けない。そう思いながらも抗えないことを自覚し、私は部屋に向かった。目を、合わせられない。
「……美味い。」
口から自然と出た言葉だった。
「ホント!?良かった~!口に合わなかったらどうしようかと!あ、お世辞じゃない?」
「こんなことで嘘はつかん。……本当に美味い。」
そう放つ私を、葵は不思議そうに見つめていた。
「……顔に何か付いているのか?」
「あ、いや。しばらく薫さんといるけど、笑った顔初めて見たかもって。」
「…………私が?」
「私が、って。薫さん、ポーカーフェイス?」
「いや、そういうわけでは。ただ少し、笑い方をあまり覚えていないだけだ。」
「えー?どゆこと~?」
「私の事はいいだろう。それよりさっき材料はなけなしのお金で買っていたと言っていたが。」
「あ、話逸らした!」
「いいから。」
「むう……。そうだよ。今は大学院忙しくて慣れないからバイトとかしてる余裕なくて。薫さんに甘えるのは申し訳ないけどさ。だから今日はこうやって料理をしてみたんだけど……。」
葵は話を逸らされたことを不貞腐れながらも、そのまま質問に答えてくれた。
「料理、上手だと思うが……。練習でもしていたのか?」
「ううん。俺元々料理は好きな方なんだ。あ、別に親が作ってくれなかったとかそういうのじゃないよ?仕事忙しいから自分で作らないとお腹すいて限界なんだよね。」
「なるほど。」
「それに自炊はデリより安く済むし。もちろん米もおにぎり買うより安いけどさ。日持ちするタイプなら米以外も一緒だし。」
「え、そうなのか?」
思わず口に運んでいた箸を止めて顔を上げた。
「え、当たり前じゃん。」
葵も同じ動作をする。
「薫さん、まともに自炊したことない?」
「うぐ……。まあ、無い……だろうな。」
実際、ほとんどない。ご飯は自分で炊くがそれくらいだし、料理のレパートリーといえば、豆腐に醤油をかけるだとか、人参を細かく切って酢に漬けるとか、ちりめんじゃこに檸檬とポン酢をかけるとか………。要は完成されたものに調味料をかけるだけ、なのだ。
「ふーん、良い親御さんじゃん。たくさん愛情注がれてたんだね~!」
「………それだけが家族の形じゃないだろう?君ももっと家族を敬うことだ。」
「薫さんおかたーい。」
「葵。」
「んえ?」
「食費は渡そう。これからも作ってくれ。安く済むならそちらの方がお互い良いだろう。」
「え、マジ?!」
「ただし!」
喜ぶ葵の額に人差し指を当てる。まあ実際には、テーブルを挟んで会話をしているのでそういうジェスチャーなのだが。
「食費で無駄遣いはしないこと。レシートは必ず渡しなさい。」
「……はい。」
…………この反応は、するつもりだったな。こいつ。
スマホの時計を見ると時刻は十七時半過ぎ。今日も普通に残業なわけだが。
『敏腕弁護士』と事務所内で謳われていることもあってか、新米にも関わらず私の元に来る仕事は複雑なものも少なくない。わからない事だらけの私にはまだ慣れない。
今日は運良くそういうのが回ってこなかった。私はスマホのロックを解除してメッセージツールを開き、葵の欄を押した。
『今日は早く帰れそうだ』
送るとすぐに既読がつく。コイツ、暇か?
『マジで!?』
次いで
『今日ご飯買わなくて良いよ~』
と送られてくる。
(??)
私は少し困惑した。ご飯を買わなくて良いとはどういう事だろうか。
『なんだ、自分で買ったのか?』
すると既読してしばらく、返信がない。しばらくといっても葵にしては、だが。
『うーん、まあそんな感じ?薫さんのもあるから!』
少し曖昧な返答なのは気になるが、ひとまずご飯は準備しなくて良いということなのは理解した。
『分かった。ではそのまま直帰しよう』
そのメッセージに葵がスタンプを送ったのを確認して、残りの仕事に取り掛かった。
「ただいま。」
ガチャリ、と扉を開ける。ウチは玄関から真っ直ぐにリビングが見え、ソファや葵が座る方の椅子は見える位置にある。のだが、いつもはソファにくつろいでいる葵がいない。リビングが明るく、自室は明かりが漏れていないのでリビングにいる事は確実なのだが。それに、いつもならおかえり、と声をかけてくれるのだが……。というか、リビングが騒がしい。
「……葵?」
靴を脱いでリビングに向かった。入ってすぐ右手には廊下からは見えなかったキッチンがある。そこに葵はエプロンをして立っていた。
「あお、い……ッ!」
その光景に思わず喉を詰まらせた。
別に葵が料理をしているのが不思議だったわけではない。驚いたのは、私が乗せておいた箱を退けて火を使って料理をしている事だった。
「あ、おかえり薫さん。思ってる以上に早かったね。」
「ぁ、ッ……!は、ァあ……!」
力が入らず鞄を派手に落とした。脚にも力が入らなくなって私は思わずその場に蹲るように倒れた。かけていたメガネがかしゃりと音を立てて落ちる。きつく締めたネクタイが苦しくて指をかける。
「え、ちょ、薫さん!?」
「はぁ、ゥ……ぐぁ、う……あ……!」
「どうしちゃったの!体調悪い……」
「……めろ…!」
「へ?」
「火を止めろ…ッ!」
その時の渾身の声量で、あくまでも蹲ったまま、葵にそう投げかけた。
背を撫でられている、と気付いたのは恐らく三分後……くらいだろうか。
「は、ぁ………。」
「良かった、だいぶ落ち着いたみたいだね。」
「……取り乱してすまない。」
落ちたメガネを掬いながら私はそう放った。顔は見ずに。
「いや、こっちこそ勝手にキッチン使ってすみません。」
「いいや、そこに関しては問題ない。」
「え、そうなんですか?」
「ただ、火を使うなら私に一言、申し立ててくれ。先に言っておくべきだった。」
「薫さん、あんた……」
「それより、一体何を作ったんだ?」
葵の言葉を遮って努めて平然に私は尋ねた。
「あ、えっと大したものじゃないんです。ただの野菜炒めなんで……。」
「材料は自分で?」
「ま、まあ。大学の時のバイト代で。なけなしだけどね。話の続きは後にしましょ?俺お腹空いたし。薫さんも着替えてくださいよ。火使い終わったら呼ぶんで。」
「……すまない。そうしてくれ。」
年下に気を遣われるなど情けない。そう思いながらも抗えないことを自覚し、私は部屋に向かった。目を、合わせられない。
「……美味い。」
口から自然と出た言葉だった。
「ホント!?良かった~!口に合わなかったらどうしようかと!あ、お世辞じゃない?」
「こんなことで嘘はつかん。……本当に美味い。」
そう放つ私を、葵は不思議そうに見つめていた。
「……顔に何か付いているのか?」
「あ、いや。しばらく薫さんといるけど、笑った顔初めて見たかもって。」
「…………私が?」
「私が、って。薫さん、ポーカーフェイス?」
「いや、そういうわけでは。ただ少し、笑い方をあまり覚えていないだけだ。」
「えー?どゆこと~?」
「私の事はいいだろう。それよりさっき材料はなけなしのお金で買っていたと言っていたが。」
「あ、話逸らした!」
「いいから。」
「むう……。そうだよ。今は大学院忙しくて慣れないからバイトとかしてる余裕なくて。薫さんに甘えるのは申し訳ないけどさ。だから今日はこうやって料理をしてみたんだけど……。」
葵は話を逸らされたことを不貞腐れながらも、そのまま質問に答えてくれた。
「料理、上手だと思うが……。練習でもしていたのか?」
「ううん。俺元々料理は好きな方なんだ。あ、別に親が作ってくれなかったとかそういうのじゃないよ?仕事忙しいから自分で作らないとお腹すいて限界なんだよね。」
「なるほど。」
「それに自炊はデリより安く済むし。もちろん米もおにぎり買うより安いけどさ。日持ちするタイプなら米以外も一緒だし。」
「え、そうなのか?」
思わず口に運んでいた箸を止めて顔を上げた。
「え、当たり前じゃん。」
葵も同じ動作をする。
「薫さん、まともに自炊したことない?」
「うぐ……。まあ、無い……だろうな。」
実際、ほとんどない。ご飯は自分で炊くがそれくらいだし、料理のレパートリーといえば、豆腐に醤油をかけるだとか、人参を細かく切って酢に漬けるとか、ちりめんじゃこに檸檬とポン酢をかけるとか………。要は完成されたものに調味料をかけるだけ、なのだ。
「ふーん、良い親御さんじゃん。たくさん愛情注がれてたんだね~!」
「………それだけが家族の形じゃないだろう?君ももっと家族を敬うことだ。」
「薫さんおかたーい。」
「葵。」
「んえ?」
「食費は渡そう。これからも作ってくれ。安く済むならそちらの方がお互い良いだろう。」
「え、マジ?!」
「ただし!」
喜ぶ葵の額に人差し指を当てる。まあ実際には、テーブルを挟んで会話をしているのでそういうジェスチャーなのだが。
「食費で無駄遣いはしないこと。レシートは必ず渡しなさい。」
「……はい。」
…………この反応は、するつもりだったな。こいつ。
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