紳士は若女将がお好き

LUKA

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 夕貴ら明日葉一族が経営するホテルが開業し、約一か月が経った。

内心どうなるだろうかと不安だった旅館への客足は、若干遠のいた気がしないでもなかったが、ほぼ一定の数を保っており、香はひとまず胸を撫で下ろした。

互いの仕事もあり、頻繫に会うことは叶わなかったが、時折、好奇心旺盛で新しい物好きの仲居たちが、物見遊山としてホテルへ茶をしに行った際の話などを小耳に入れては、香は夕貴を想った。


 とある日、表へ出た香は、軒先で落ち葉を掃いていた。

“Excuse me?”(すみません)

香が声に振り向くと、輝く金の髪が波打つ長身の女性が、暗いサングラス越しに彼女へ視線を注いでいた。

異国の言葉。

筋の通った高い鼻梁。

いきなり外国人に話しかけられた若女将は動揺して、日本語で答えた。

「は、はい!何でしょうか!?」

“Do you have a room for tonight?”(部屋、空いてる?)

ルーム。

彼女は宿泊したいのだろうか。

“I wanna stay.”(泊まりたいの)

ステイ。

やっぱり?

しかしながら十分な自信がないため、香は口を開け閉めしていると、業を煮やした女性は、突如片言の日本語で疎通を試みた。

「ワタシ!ココ!トマル!」

「は、はい!こちらへどうぞ!」

続いて、女性は若女将の後へ続き、暖簾をくぐり、玄関を跨ぐと、物珍しそうに家屋の中を見回した。

それから、宿帳の記入を終えた女性は、客室へ案内された。到着すると、またしても見慣れないといった様子で、彼女は和室のあちこちへ顔を巡らせた。

“Are you Kaori?”(香ってあなた?)

下がろうとした時、香は尋ねられた。

刹那、どうして自分の名を知っているのだろうと、きょとんとしたが、彼女はイエスと答えた。

すると、かけていたサングラスを突然外し、女性は青い瞳で香をじいっと覗き込んだ。

“You――”(あなたが――)

瞬間、バッグから着信音が鳴り、女性は電話に出ると、背をくるりと向けた。

電話口の彼女は一段高い声でまくし立て、機嫌のよさがありありと見て取れた。

「・・・失礼いたします」

膝をついた若女将は、頭を軽く下げてから、部屋を後にした。


 一夜が明け、香は女性の出立を見送るため、共に門構えの外へ出た。

すると五分も経たないうちに、黒塗りの高級車が車道から彼女たちの目前へ停まり、中から一人の男が降りた。

「あっ・・・」

男の凛々しい容貌に、香は小さく吃驚を漏らしたが、女性の大きな声音によって打ち消されてしまった。

“Yuki!”(夕貴!)

女性は夕貴を認めると、喜び勇んで、車から降りたばかりの彼に抱きつき、頬への接吻をねだった。

今日の彼はオフなのだろうか、髪は無造作に梳かれ、ジーンズとTシャツをカジュアルに着こなし、普段目にする整った髪型と紳士的なスーツより、幾分親しみが感じられた。

しかしながら当の本人は、女性の存在から、やや困惑しているようだった。

「シンシア・・・!本当に来てたのか」

「やだ、夕貴。畏まらないで、いつもみたいにシンディって呼んで?」

「すみません、香さん。彼女がご迷惑をおかけしませんでしたか?」

「い、いえ・・・。お知合いですか?」

「ええ、まあ・・・」

「夕貴~、早く行きましょう?わたしもうお腹がペコペコなの!」

「参ったな・・・。香さん。また連絡します」

夕貴は恋人へ一瞥を投げかけると、シンシアという女性と車中へ戻り、行ってしまったのだった。


 車は明日葉のホテルへ到着し、先に降りた夕貴はドアを開け、降りるシンシアの手を取った。

彼らの優雅な振る舞いもそうだったが、何より地面へ降り立つシンディが、ちょうど、天界から地上へ降り立つ女神の如く美しかったので、人々は思い思いに感嘆のため息をついた。

「ここがそうなのね」

シンシアは夕貴へ語り掛けると、粋な回転扉を通り、華やかなロビーへ進んだ。

「あら、なかなか素敵じゃない!」

彼女は辺りをしげしげと見回し、エレベーターホールから昇降機エレベーターに乗って、部屋へ向かった。

客室は、例の施設一番のスイートルームで、シンディは一目見ると、ヒュウと口笛を鳴らし、満悦そうに言葉を切った。

「素敵な部屋ね」

それから、感極まった彼女は再び夕貴へ抱きつき、問うた。

「~~~夕貴!もう随分会っていなかったけど、元気にしていた?」

「ああ。シンディも元気そうで何よりだ」

事業ビジネスが上手くいっているようで嬉しいわ!そうそう、あなたのお父様は?後でご挨拶させて頂戴ね!」

「ああ、そうだ。父さんもきっと喜ぶよ。きみにずっと会いたがっていたから。だけど、シンディ。きみはどうしてあの旅館にいたんだ?」

「・・・別に深い意味はないわ。一度、日本の旅館というものを体験してみたかっただけなの。そうだ。夕貴、乾杯しましょうよ!」

シンシアは思いつくと、壁際のバースペースからシャンパンを取り出し、二つのグラスへ注いだ。

「再会に」

クリスタルがカチンとぶつかり、再会を祝した二人は、気泡が弾けるぶとう酒をあおったのだった。


 ここ数日、仕事をしている最中にも、あの異国の美女が頭にときたま浮かんでは、しばらく消えない現象に、香は苦しめられていた。

彼女の夕貴へ対する親し気な雰囲気、気さくなスキンシップ・・・。

彼女は一体誰で、夕貴とどういう関係にあり、彼の何なのだろう。

モヤモヤと、暗雲が香の心に垂れ込み、不安と考慮から、なかなか寝付けない夜が続いた。

電話して、夕貴へ訊いてみようか・・・。

しかし、疑い深い女だと、彼に思われたくはない。

けれども、知りたい。

そうだ。

こうなれば・・・!

思いついた香は宿帳を手に、事務所のパソコンの前へ向き直り、検索エンジンへ女性の名前を打ち込んだ。

コンマ数秒後、「シンシア・クーパー」に関するページが映し出され、彼女は呆気にとられた。

シンシア・クーパー。

愛称シンディ。

祖父が合衆国で創業した、富裕向けホテルやコンドミニアム、また避暑地等における別荘を、管理・運営する多国籍企業、『クーパー』の跡取り娘と、とある記事には書いてあった。

記事はシンディ本人の写真付きで、写真の中の彼女は身綺麗にドレスアップしていたが、香の目の前へ現れた女性に間違いはなさそうだった。

容姿が麗しいだけでなく、シンディは富豪一家の女性だった。

客観的に見れば、彼女ほど自分の恋人と似合いの人はいなかった。

そのような不都合な現実は考えてはいけない。

それから、香はやっとのことで頭を切り替えると、ページを閉じ、事務所を後にした。

一方、当のシンシアは軽くドレスアップした格好で、同じく正装として、スーツを粋に着込んだ明日葉親子と共に、ロビーラウンジで夕食を取っていた。

ラウンジは、夜の薄闇と合わせて照明を絞り、格調高い雰囲気の中、ワインを片手に、彼らは朗らかに歓談していた。

「マイケルは元気にしているかね?」

夕貴の父が尋ねた。

「おかげさまで。父は専らゴルフに専念していますわ」

シンディは冗談めかして答え、彼ら親子を笑わせた。

「ところで、おじ様。実に素敵な場所へ建てられたのね。先見の明というものがあったのかしら?」

絹のような舌触りの赤いぶどう酒を口に含んでいた夕貴の父は、軽く笑い、謙遜して言った。

「はは。そんなことはないさ。ホテルビジネスにおいては、クーパー家の右に出る者はいないからね」

シンシアはにこりと微笑むと、返答した。

「まあ、嬉しいことを仰ってくださるのね。でも、確かに夕貴とわたしが結婚して、協力し合う間柄にでもなれば、自他共に、わたしたちはナンバーワンの存在になれるはずだわ」

願ってもない可能性ゆえに、上機嫌の夕貴の父は、全くその通りだと、愉快に笑った。

しかしながら、彼の息子は横でワインを黙って啜っていた。

「ねえ」

シンディは素知らぬ表情の彼を目ざとく認めると、手を彼の手の上へ被せた。

「あのひとはあなたに相応しくないわ。あなたに相応しいのはわたしよ」

夕貴は屈託なく笑った。

「きみには婚約者フィアンセのジムがいるだろう?冗談も休み休み言わないと」

「彼はただの許婚に過ぎないわ!わたしはあなたがいいの!」

少し熱っぽく、シンシアは主張した。

「ジムはきみを好いている良い奴だ」

夕貴はにこやかに言い退けた。

「お化粧を直してくるわ!」

憤慨から、シンディは性急に立ち上がり、テーブルを早足で後にしたのだった。
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