紳士は若女将がお好き

LUKA

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 その日は休日だというのに、生憎の空模様だった。

鈍色の厚い雲が低く垂れ籠んだ空はくすみ、僅かな隙間から顔を出した太陽は、弱い陽射しを斜めに地上へ射し込み、深々と冷え込む午後だった。

旅館を囲う門構えの軒先で、竹ぼうきを手にした香は、時折、寒さに剝き出しの素手を白い吐息で温めては、街路樹と庭木から散った枯れ葉を、せっせと掃いていた。

すると、不意に目の端に人影が映り、香は何気なく影の方を振り向いた。

「・・・!」

吃驚のために、働いていた手がピタリと止まった。

彼女の視線の先で佇んでいたのは、私服に身を包んだ一年だった。

「・・・おう」

神社の秋祭り以来、特別顔を合わせることもなかった、元見合い相手は相も変わらず、眼鏡を指で押し上げながら、ぶっきらぼうに挨拶した。

「・・・海瀬さん・・・。こんにちは・・・」

意外な客の登場に、少なからず動揺した香は、通常であれば三秒もかからない台詞を、のろのろと引きずり出した。

「・・・元気?」

「・・・さあ。分かりません」

香は止めていた手を再開させると同時に、むっつりと答えた。

彼女は、秋祭りでの非礼を未だ許したわけではなかった。彼は厚かましくも、夕貴と交際している女性は、彼女以外に不特定多数いて、更に、不遜にも、彼女とは単なる遊びに過ぎないと、軽々しく言ったのだ!

「・・・~~悪かったよ・・・」

心から反省しているかどうかは置いといて、一年は、極めて具合が悪そうに謝った。

(え?・・・今、何て言った?)

またしても、驚きから香の手がピタリと止まった。

「~~・・・だから、この前の!祭りで言った話!・・・言い過ぎた。・・・悪かった・・・」

一体どういう風の吹き回しか、一年は至って照れくさそうに、目線を香のものから外しつつ、謝罪の言葉を口にした。

大抵鼻持ちならなかった人物が、急にしおらしく素直になってしまっては、反応に困るのも、全然不思議でも何でもなく、呆気にとられた香は、気まずい一年をじっと見た。

見合いでもそうだったが、不器用で照れ屋な彼は赤面していた。

(・・・ちょっと可愛いかも・・・)

いつも無表情で、ロボットのような不愛想な男が、自身のみっともなさ故に、恥を感じている時は、正に人間らしく、温かみのある光景で、実際それを目の当たりにした香は、口元が自然と緩んでくるのを止められなかった。

「・・・フフ・・・。いえ、わたしも悪かったです・・・。関係ないなんて言って。・・・言い過ぎました。海瀬さんは、心配して言ってくれたんですよね?」

刹那、(いや、それは違う)と、一年の心が、彼本人よりも先に否定した。

「・・・いや、違う」(・・・まあね。・・・ってあれ?)

一年は何故だか、口に出そうとした台詞と逆の台詞を言った。

「え?・・・じゃあ、どうしてですか・・・?」

「・・・俺はあの時、イライラしていて――」(わ~~っ!!俺は一体何を喋っているんだ~~!?)

「・・・?」

「・・・だから――、・・・ああもう、俺にしとけよ・・・!」

「!?」

その時、香は余りに性急に腕を取られ、彼の懐へ強引に抱き寄せられたために、思わず竹ぼうきを手から落としてしまった。

落ちた箒が地面へ着地する、カコンと乾いた音を耳にする一方、服の布越しに、男の高い体温が、寒空の下で立って、氷の如く冷えた彼女の頬をじんわりと温めた。

(・・・何?何が起こっているの・・・?)

仰天が甚だ大きかった故に、身体は麻痺でもしているかのように微動だにせず、香は一年の腕の中で呆然と立ち尽くした。

「・・・俺は―――」

すると瞬間、タイヤがブレーキによって停止する時に生じる、甲高い摩擦音が傍らで聴こえ、抱き合った二人はハッと、停まった黒塗りの高級車へ顔を動かした。

すかさず、ドアが開いて、夕貴が温かい車中から寒い道端へ降りると、脇目も振らず、彼らの方へつかつかと向かってきた彼は、抱擁を力任せにグイッと解き、混乱している香へ向き直った。

そして、彼女の目の前で跪くと、スーツの内側から例の小箱を取り出し、蓋を開けて、輝かしい中身を露呈させた後、彼は香へ求婚した。

「俺と結婚してくださいますか、香さん?」

「!?!?!?」

目まぐるしい現実に、恐慌状態の香は、完全に付いて行けていなかった。

俺にしとけよ、なんて告白めいた一年に、彼女はいきなり抱きしめられたかと思えば、次の瞬間には、夕貴の突然のプロポーズ!?

土台、困惑が極まっても無理はなかった。

(えっ!?えっ!?~~~何で今・・・!?どどどどうしよう~~・・・!!返事しなきゃ・・・!?でっ、でも、海瀬さんの前で答えたくない~~!!~~うわーん、誰か助けて~~!!)

すると、幸運にも、天が使いを出して、香の願いを聞き入れてくれた。

「あのう?」

唐突に、第三者が彼らへ声をかけ、一同は声の主を見た。

見ると、軽量の旅行鞄を携えた一組の老夫婦が、地面に倒れた竹ぼうきの奥で立っていた。

「すみませんね~。一寸お尋ねしたいんですが、『志筑旅館』ていうのは、ここですかいな?」

年老いた奥方は一歩前へ進み出ると、旅館の人間らしい、着物を纏った香へ訊いた。

(助かった!!)

苦しい板挟みに陰っていた香の表情が、パアッと明るく輝いた。

「はっ、はい!左様でございます!本日お泊りのお客様でしょうか!?」

藁をも掴む思いで、香は高齢の夫妻へ素早く向き直った。

「ええ、そうですよ。纐纈こうけつ平八で予約しましたが――」

「纐纈様!お待ちしておりました。どうぞ中へ!」

事前に宿泊名簿へ目を通していた若女将は、複雑な漢字で構成された、印象的な苗字を覚えていたので、すぐ思い出した。

「お父さん、もう入れるって!」

振り返った妙齢の婦人は、後ろで控える夫へ話しかけた。

合図を受け、彼の足が静かに動いた。

「どうもすみませんねぇ。お世話になります」

それから、柔和な夫人は礼儀正しく、お辞儀と共に、側で暖簾を引き開けた香へ挨拶すると、纐纈氏と一緒に、旅館の敷地内へ入っていった。

次いで、まずい香は二人の男を脇目でチラリと見やると、震える声でひとまずの決着をつけた。

「ごっ、ごめんなさい・・・!~~今は、お答えできません・・・っ!!」

続いて、暖簾の内側へ急いでパッと駆け込むと、彼女は二人の求愛者の前から姿を消した。

その後、静かな道端に留まっていたのは、プロポーズを目の当たりにして、びっくりした一年と、読めない表情で固まっている夕貴、加えて、落としたまま、忘れられた竹ぼうき、そして、そのような彼らを吹き抜け、集めた枯れ葉を再び散らす、侘しい木枯らしだった。
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