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人生は、歓迎する偶然と望まない偶然がある
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黒いローブを纏った四兄弟は、再びこの小さな街を訪れた。しかし、以前この街で大きな戦闘を行った為、街の中に入る事は避け近くの森に潜んでいた。
食料の調達と街の様子を伺う為、末っ子のターラが単身街に入った。ターラは普通の町娘の衣服に着替え、麦わら帽子を深く被り慎重に街の中を歩いて行った。
ターラが見る限り、街の住民に混乱は見受けられなかった。住民は一週間後の戦いの事を知らない。ターラはそう判断した。
あの魔法使いは、まだこの街にいるのだろうか。ターラはタクボの言葉を思い出していた。あの戦いの最後に、タクボは何故あんな事を自分に言ったのか。
気付くと、ターラの足はこの街に唯一ある小さな宿屋に向かっていた。宿屋の主人が席を外している時を見計らって素早く帳面を確認する。
すると帳面には、あの魔法使いの名があった。ターラはなぜかその名を目にしただけで心が落ち着く事を感じた。 その時ターラは、受付台の奥の部屋から人の気配を感じた。
宿屋の主人がその部屋から出で来た。受付台には開かれた帳面が残され、ターラの姿は消えていた。
「ターラ。どうやってこの部屋に入れたのだ?」
言い終える前に、タクボは自分の記憶力を罵った。ターラは古代呪文、転移の魔法が使えるのだった。
『あなたに聞きたい事があって来ました』
ターラはゆっくりと口を動かし、その言葉と同じ文字を紙に羽のペンで書き、タクボに見せる。 読心術の覚えの無いタクボは、有り難くターラの文字で彼女の言葉を理解する。続けてターラは綴る。
『あの戦いでの去り際に、なぜ貴方は私にあんな事を言ったのか?』
タクボは先程罵った自分の記憶力を叩き起こした。幸い飛び起きた記憶力は、直ぐに答えてくれた。 穏やかな。そして静かな暮らし。タクボはそれを望み、ターラにもそんな生活が訪れる事を願った。
「ターラ。君が私と同じ物を望んでいると感じたからだ」
タクボの言葉に、ターラの表情は一瞬固まった。そして悲しげな目で首を横に振った。
「······ターラ。復讐に囚われる人生は静かな生活とは対極の位置にある。君はまだ手遅れでは無い。その気さえあればまだ戻れる」
ターラは首を振り続けた。穏やかで静かな暮らし。ターラの望んでいたそんな生活は、過酷な過去と険しい未来の中に存在する余地は無かった。
ターラが振り続けた首が止まった。彼女の頭にはタクボの手のひらが添えられいた。
「それでも諦めるな。生き残りさえすれば、いつかそんな生活がきっと出来るさ」
タクボは穏やかに笑った。その笑顔を見た瞬間、ターラの瞳から涙が溢れた。ターラは危険を感じた。この魔法使いの側に居ると、自分の決意が揺らぎそうになる。
ターラは長居すべきでは無いと思いつつも、まだここに居たいという自分の感情に戸惑っていた。
『この街に危機が近づいています』
ターラは無理矢理話題を変えた。彼女の口から語られる内容は、タクボの想像を絶していた。
日はすっかり暮れて、街の中は一面暗闇となっていた。それでも夜に店を開いている場所からは、煌々と明るい光が建物の中から外に漏れていた。
空腹に耐えながら、少年モンブラは街の中を歩いていた。山を降りる所で山賊に見つかり命からがら逃げ延びた。 鞄は奪われたが、ネグリットの左手首だけは死守した。
靴底に潜ませていた金貨のお陰で無一文になる事も回避出来た。 しかし、モンブラは馬を調達しなくてはならなかった。この国の馬の相場が分からない以上、手に残った資金を無駄遣いは出来なかった。
だが育ち盛りの胃袋は、不満と不平を音に変えて大きく鳴らす。どこかでパンをひと切れだけ買おう。 ネグリットの遺言を果たすと言う強い決意と胃袋の要求に妥協点を見出し、少年は一軒の茶店に辿り着いた。
その店の看板には〔朝焼けの雫〕と書かれていた。 モンブラが店内に入ると、各テーブルには冒険者と思われる者達が座っていた。
丁度夕食の時間帯もあってか、店は満席の様子だ。 モンブラはカウンターに行き、パンをひと切れだけ売ってもらえないかと頼む。
店の主人と思われる男は、無愛想な顔と視線を薄汚れた子供に向け、代金は銅貨三枚だと告げた。 少年はなんとか食事に有り付ける事に安堵し、代金をカウンターに置いた。
主人は代金を受け取り、モンブラの前に雑穀パンを置いた。 そのパンは、鶏肉とチーズが二枚のパンに挟まれていた。モンブラが注文した物とは、明らかに違っていた。
モンブラが茶店の主人を見ると、主人はさっさと食べろと言い残し、カウンターの奥に行ってしまった。 主人の優しさにモンブラは頭を下げた。
パンを両手で大事に持ち、店の出口に向かって歩き始めた。その時、左目の視界に何かが映った。 そう思った瞬間、誰かがモンブラにぶつかってきた。モンブラは転倒し、貴重なパンを床に落としてしまった。
モンブラはぶつかってきた相手を見るよりも先に、手から離してしまったパンの行方を探した。 木張りの床に落ちたパンの姿を確認すると、少年は肩を落としうなだれた。モンブラの胃袋が半狂乱し抗議の音を出す。
「ごめんなさい。怪我はありませんか?」
心が折れかけたモンブラは、声の主を見上げた。少年のささやかな晩餐を破壊した相手は、銀髪の少女だった。年齢は自分とそう変わらなく見えた。
少女を見た途端、モンブラの呼吸が一瞬止まった。銀髪の前髪の下にあった大きな瞳から、モンブラは視線を外せなかった。
胸の中の心臓が激しく暴れていた。少女はモンブラの足元に落ちたパンを両手で拾った。そして、何の前触れも無くそのパンを食べ始めた。
「ちょ、ちょっと止めときなよ。お腹を壊すよ!」
仰天したモンブラは、必死に少女の愚行をその善意から止めさせようとした。
「大丈夫です。食べ物は床に落としてから、五秒以内なら食べられます」
少女は口の中一杯にパンを頬張りながら、行儀悪く答える。モンブラはそんな法則を聞いた事が無かった。
「私の師匠の教えです。間違いありません。貴方の夕食を食べてしまったので、弁償させて下さい」
唖然とするモンブラの返事も待たず、少女は少年の手を引き、店内の奥のテーブルに連れ去る。
「チロル。お替りの注文はいいけど、走ったら危ないよ······ところでその子は誰だい?」
店内の隅にある長テーブルに、六人が座っていた。その内の一人、全身黒の衣服を着ていた男が少女に話しかけた。
『······チロルとはこの銀髪の少女の名だろうか?』
モンブラはそんな事を考えいたが、自分の右手が少女に握られている事に気づき、また心臓の鼓動が早くなる。
「はい。気をつけます。エルド兄さん。この人の食事を私が食べてしまったので、皆と一緒にこのテーブルで食べてもらいます」
育ち盛りの少女は、注文を待つ事が我慢出来ずついに他人の食料を強奪するようになったのか。 エルドはチロルに対し一抹の不安を胸に抱いたが、妹分を深く追求せず、全ての監督責任をここに不在の保護者に押し付ける事を即断した。
「そうか。それは災難だったね。お詫びにお腹一杯食べて行ってね」
エルドはモンブラに微笑み、少年の為に空いていた椅子を引く。モンブラは戸惑いながら席に座った。長テーブルに着席していた者達がモンブラの視界に入った。
白髪の白い甲冑の男は、静かにグラスを傾けている。その隣の黒い甲冑の短髪の男は、モンブラに関心を示さず、骨付き肉を噛み切り赤ワインで流し込んでいた。
ペンダントをつけた若い女性が、モンブランの前に果実水が入ったグラスを置いてくれた。 モンブラと似た年齢と思われる、長い帽子を被った少年は、何故かモンブラを厳しい目で見ていた。その隣の金髪の美しい青年は、我関せずといった面持ちだ。
「さあ。遠慮せず食べて下さい」
チロルがジャガイモのスープをモンブラの前に置く。そのスープはロシアドの分だったが、エルドは見なかった事にした。
「······ええと。それでは、有り難く頂戴致します」
モンブラは礼儀正しく頭を下げ、両手を合わせた後スプーンを持った。スープの匂いは、モンブラの胃袋を狂喜乱舞させた。 歓喜の一口を口に入れようとしたその時、銀髪の少女が顔を近づけてきた。
「お名前、なんて言うんですか? 私はチロルです」
至福の時を中断させられ、モンブラの胃袋は絶叫していた。だが少女の名を知る事が叶ったモンブラは、胃袋の口を無理矢理塞いだ。
「モ、モンブラと言います」
「ほう。モンブラとやら。そのボロボロの身なりは如何したのだ?」
長い帽子を被った少年が、強い口調で質問して来た。何故この少年に睨まれるか、モンブラには分からなかった。
「今日は見慣れない人達がいるな」
モンブラが説明しようとした時、後ろから男の声がした。振り向くと、紅茶色の髪をした青年と長髪の若い女性が立っていた。
「ウェンデル。マルタナ。今日は遅かったね」
エルドが二人に声をかけた瞬間、白い甲冑を纏った白髪の男が突然立ち上がった。白髪の男はウェンデルの前に跪く。
「ウェンデル殿。お初にお目にかかります。私はカリフェース聖騎士団長、ヨハスと申します。貴方にお話があり、本日お邪魔致しました」
カリフェースと聞き、モンブラは胃袋の嘆きを忘れ驚いた。一方、紅茶色の髪の青年は困惑していた。
「頭を上げて下さい。私は貴方に跪かれる理由がありません」
ウェンデルは穏やかに答え、ヨハスの手を取り立ち上がらせた。ヨハスはウェンデルの両目を黙って見つめる。
「······カリフェースは。いや、オルギス教は今危機に瀕しております。貴方のお力が必要なのです。ウェンデル殿」
ヨハスの言葉に、ウェンデルの中のオルギスが素早く反応している事に、紅茶色の髪の青年は気付いていた。
「俺の目の前で男同士が見つめ合うな。飯が不味くなる。お前ら取り敢えず座れ」
黒い甲冑の短髪の男が赤ワインが入ったグラスを口につけながら、皇帝の剣を継ぐ者と聖騎士団長に言い放った。
「ボネット! ウェンデル殿に失礼であろう。 失礼致しましたウェンデル殿。この者は礼儀が······」
ヨハスの言葉は、誰かが席を立ち上がる音で中断された。全員が席を立ったモンブラを見る。モンブラは全身を震わせ、黒い甲冑を纏った男を見た。
「······ボネット? 今、ボネット様と仰りましたか?」
「なんだ坊主? 俺を知っているのか?」
モンブラは、ネグリットからボネットについて事前に聞いていた事があった。魔族の男で年齢は四十二歳。酒好きで性格は一言で無遠慮。 少年の目の前の男は、ネグリットの説明に合致していた。
そして何より、カリフェースから来た聖騎士団長の連れとなれば、その男もカリフェースから同行して来たと思われた。
モンブラは、急く自分の心を必死に落ち着かせた。こんな偶然があるのだろうかと。自分がこれから馬を調達し、遠く離れたカリフェースへ赴く前に、相手の方から自分の前に現れたのだ。
モンブラはボネットに会えたら、一言だけ言うつもりだった。もし相手が自分の探し人だったら、その一言だけで全てが済むからだ。
「······ネグリット議長が亡くなられました」
モンブラが呟いた瞬間、ワインを口に運ぶボネットの手が止まった。そしてまた、誰かが席を立った。
「少年よ。今、ネグリット議長と言ったか? 君は、青と魔の賢人の組織の者か?」
モンブラは席を立ち上がった金髪の美青年に問い正される。モンブラは自分の記憶を掘り起こす。 よく見ると、この金髪の青年に見覚えがあった。
ネグリットの執務室で見かけた事が一度あった。 普段は勇者と魔王の卵を探索しているロシアドは、秘書の少年の顔など覚えて居なかった。
モンブラは混乱していた。何故この席に、賢人であるロシアドが居るのか。確かロシアドは、アルバの派閥に属していた。
この金髪の青年は、アルバの犯行を承知しているのだろうか。そうであるなら、モンブラは窮地に立たされた事になる。 モンブラはロシアドに拘束され、アルバに突き出される可能性を考えた。
モンブラは突然の偶然と絶望感に、頭の中は混乱を極めた。 俯くモンブラの肩に、誰かが手を置いた。 モンブラが手の主を見ると、それはチロルの手だった。
「安心して下さい。ロシアドさんは信頼出来る人です。何でも話して下さい」
チロルの言葉と微笑みは、不思議とモンブラの心を落ち着かせた。
「······坊主。ネグリットは俺の昔の師だ。そのネグリットが死んだと言ったのか?」
ボネットはグラスを置き、真剣な表情でモンブラを見る。モンブラは確信した。目の前の魔族の男は、自分が探していた人物だと。
「ボネット様。全てを貴方にお話します」
覚悟を決めたモンブラは、腰のベルトから小さな袋を外し、中身をテーブルの上に出した。テーブルに置かれたのは、魔族の手首だった。
食料の調達と街の様子を伺う為、末っ子のターラが単身街に入った。ターラは普通の町娘の衣服に着替え、麦わら帽子を深く被り慎重に街の中を歩いて行った。
ターラが見る限り、街の住民に混乱は見受けられなかった。住民は一週間後の戦いの事を知らない。ターラはそう判断した。
あの魔法使いは、まだこの街にいるのだろうか。ターラはタクボの言葉を思い出していた。あの戦いの最後に、タクボは何故あんな事を自分に言ったのか。
気付くと、ターラの足はこの街に唯一ある小さな宿屋に向かっていた。宿屋の主人が席を外している時を見計らって素早く帳面を確認する。
すると帳面には、あの魔法使いの名があった。ターラはなぜかその名を目にしただけで心が落ち着く事を感じた。 その時ターラは、受付台の奥の部屋から人の気配を感じた。
宿屋の主人がその部屋から出で来た。受付台には開かれた帳面が残され、ターラの姿は消えていた。
「ターラ。どうやってこの部屋に入れたのだ?」
言い終える前に、タクボは自分の記憶力を罵った。ターラは古代呪文、転移の魔法が使えるのだった。
『あなたに聞きたい事があって来ました』
ターラはゆっくりと口を動かし、その言葉と同じ文字を紙に羽のペンで書き、タクボに見せる。 読心術の覚えの無いタクボは、有り難くターラの文字で彼女の言葉を理解する。続けてターラは綴る。
『あの戦いでの去り際に、なぜ貴方は私にあんな事を言ったのか?』
タクボは先程罵った自分の記憶力を叩き起こした。幸い飛び起きた記憶力は、直ぐに答えてくれた。 穏やかな。そして静かな暮らし。タクボはそれを望み、ターラにもそんな生活が訪れる事を願った。
「ターラ。君が私と同じ物を望んでいると感じたからだ」
タクボの言葉に、ターラの表情は一瞬固まった。そして悲しげな目で首を横に振った。
「······ターラ。復讐に囚われる人生は静かな生活とは対極の位置にある。君はまだ手遅れでは無い。その気さえあればまだ戻れる」
ターラは首を振り続けた。穏やかで静かな暮らし。ターラの望んでいたそんな生活は、過酷な過去と険しい未来の中に存在する余地は無かった。
ターラが振り続けた首が止まった。彼女の頭にはタクボの手のひらが添えられいた。
「それでも諦めるな。生き残りさえすれば、いつかそんな生活がきっと出来るさ」
タクボは穏やかに笑った。その笑顔を見た瞬間、ターラの瞳から涙が溢れた。ターラは危険を感じた。この魔法使いの側に居ると、自分の決意が揺らぎそうになる。
ターラは長居すべきでは無いと思いつつも、まだここに居たいという自分の感情に戸惑っていた。
『この街に危機が近づいています』
ターラは無理矢理話題を変えた。彼女の口から語られる内容は、タクボの想像を絶していた。
日はすっかり暮れて、街の中は一面暗闇となっていた。それでも夜に店を開いている場所からは、煌々と明るい光が建物の中から外に漏れていた。
空腹に耐えながら、少年モンブラは街の中を歩いていた。山を降りる所で山賊に見つかり命からがら逃げ延びた。 鞄は奪われたが、ネグリットの左手首だけは死守した。
靴底に潜ませていた金貨のお陰で無一文になる事も回避出来た。 しかし、モンブラは馬を調達しなくてはならなかった。この国の馬の相場が分からない以上、手に残った資金を無駄遣いは出来なかった。
だが育ち盛りの胃袋は、不満と不平を音に変えて大きく鳴らす。どこかでパンをひと切れだけ買おう。 ネグリットの遺言を果たすと言う強い決意と胃袋の要求に妥協点を見出し、少年は一軒の茶店に辿り着いた。
その店の看板には〔朝焼けの雫〕と書かれていた。 モンブラが店内に入ると、各テーブルには冒険者と思われる者達が座っていた。
丁度夕食の時間帯もあってか、店は満席の様子だ。 モンブラはカウンターに行き、パンをひと切れだけ売ってもらえないかと頼む。
店の主人と思われる男は、無愛想な顔と視線を薄汚れた子供に向け、代金は銅貨三枚だと告げた。 少年はなんとか食事に有り付ける事に安堵し、代金をカウンターに置いた。
主人は代金を受け取り、モンブラの前に雑穀パンを置いた。 そのパンは、鶏肉とチーズが二枚のパンに挟まれていた。モンブラが注文した物とは、明らかに違っていた。
モンブラが茶店の主人を見ると、主人はさっさと食べろと言い残し、カウンターの奥に行ってしまった。 主人の優しさにモンブラは頭を下げた。
パンを両手で大事に持ち、店の出口に向かって歩き始めた。その時、左目の視界に何かが映った。 そう思った瞬間、誰かがモンブラにぶつかってきた。モンブラは転倒し、貴重なパンを床に落としてしまった。
モンブラはぶつかってきた相手を見るよりも先に、手から離してしまったパンの行方を探した。 木張りの床に落ちたパンの姿を確認すると、少年は肩を落としうなだれた。モンブラの胃袋が半狂乱し抗議の音を出す。
「ごめんなさい。怪我はありませんか?」
心が折れかけたモンブラは、声の主を見上げた。少年のささやかな晩餐を破壊した相手は、銀髪の少女だった。年齢は自分とそう変わらなく見えた。
少女を見た途端、モンブラの呼吸が一瞬止まった。銀髪の前髪の下にあった大きな瞳から、モンブラは視線を外せなかった。
胸の中の心臓が激しく暴れていた。少女はモンブラの足元に落ちたパンを両手で拾った。そして、何の前触れも無くそのパンを食べ始めた。
「ちょ、ちょっと止めときなよ。お腹を壊すよ!」
仰天したモンブラは、必死に少女の愚行をその善意から止めさせようとした。
「大丈夫です。食べ物は床に落としてから、五秒以内なら食べられます」
少女は口の中一杯にパンを頬張りながら、行儀悪く答える。モンブラはそんな法則を聞いた事が無かった。
「私の師匠の教えです。間違いありません。貴方の夕食を食べてしまったので、弁償させて下さい」
唖然とするモンブラの返事も待たず、少女は少年の手を引き、店内の奥のテーブルに連れ去る。
「チロル。お替りの注文はいいけど、走ったら危ないよ······ところでその子は誰だい?」
店内の隅にある長テーブルに、六人が座っていた。その内の一人、全身黒の衣服を着ていた男が少女に話しかけた。
『······チロルとはこの銀髪の少女の名だろうか?』
モンブラはそんな事を考えいたが、自分の右手が少女に握られている事に気づき、また心臓の鼓動が早くなる。
「はい。気をつけます。エルド兄さん。この人の食事を私が食べてしまったので、皆と一緒にこのテーブルで食べてもらいます」
育ち盛りの少女は、注文を待つ事が我慢出来ずついに他人の食料を強奪するようになったのか。 エルドはチロルに対し一抹の不安を胸に抱いたが、妹分を深く追求せず、全ての監督責任をここに不在の保護者に押し付ける事を即断した。
「そうか。それは災難だったね。お詫びにお腹一杯食べて行ってね」
エルドはモンブラに微笑み、少年の為に空いていた椅子を引く。モンブラは戸惑いながら席に座った。長テーブルに着席していた者達がモンブラの視界に入った。
白髪の白い甲冑の男は、静かにグラスを傾けている。その隣の黒い甲冑の短髪の男は、モンブラに関心を示さず、骨付き肉を噛み切り赤ワインで流し込んでいた。
ペンダントをつけた若い女性が、モンブランの前に果実水が入ったグラスを置いてくれた。 モンブラと似た年齢と思われる、長い帽子を被った少年は、何故かモンブラを厳しい目で見ていた。その隣の金髪の美しい青年は、我関せずといった面持ちだ。
「さあ。遠慮せず食べて下さい」
チロルがジャガイモのスープをモンブラの前に置く。そのスープはロシアドの分だったが、エルドは見なかった事にした。
「······ええと。それでは、有り難く頂戴致します」
モンブラは礼儀正しく頭を下げ、両手を合わせた後スプーンを持った。スープの匂いは、モンブラの胃袋を狂喜乱舞させた。 歓喜の一口を口に入れようとしたその時、銀髪の少女が顔を近づけてきた。
「お名前、なんて言うんですか? 私はチロルです」
至福の時を中断させられ、モンブラの胃袋は絶叫していた。だが少女の名を知る事が叶ったモンブラは、胃袋の口を無理矢理塞いだ。
「モ、モンブラと言います」
「ほう。モンブラとやら。そのボロボロの身なりは如何したのだ?」
長い帽子を被った少年が、強い口調で質問して来た。何故この少年に睨まれるか、モンブラには分からなかった。
「今日は見慣れない人達がいるな」
モンブラが説明しようとした時、後ろから男の声がした。振り向くと、紅茶色の髪をした青年と長髪の若い女性が立っていた。
「ウェンデル。マルタナ。今日は遅かったね」
エルドが二人に声をかけた瞬間、白い甲冑を纏った白髪の男が突然立ち上がった。白髪の男はウェンデルの前に跪く。
「ウェンデル殿。お初にお目にかかります。私はカリフェース聖騎士団長、ヨハスと申します。貴方にお話があり、本日お邪魔致しました」
カリフェースと聞き、モンブラは胃袋の嘆きを忘れ驚いた。一方、紅茶色の髪の青年は困惑していた。
「頭を上げて下さい。私は貴方に跪かれる理由がありません」
ウェンデルは穏やかに答え、ヨハスの手を取り立ち上がらせた。ヨハスはウェンデルの両目を黙って見つめる。
「······カリフェースは。いや、オルギス教は今危機に瀕しております。貴方のお力が必要なのです。ウェンデル殿」
ヨハスの言葉に、ウェンデルの中のオルギスが素早く反応している事に、紅茶色の髪の青年は気付いていた。
「俺の目の前で男同士が見つめ合うな。飯が不味くなる。お前ら取り敢えず座れ」
黒い甲冑の短髪の男が赤ワインが入ったグラスを口につけながら、皇帝の剣を継ぐ者と聖騎士団長に言い放った。
「ボネット! ウェンデル殿に失礼であろう。 失礼致しましたウェンデル殿。この者は礼儀が······」
ヨハスの言葉は、誰かが席を立ち上がる音で中断された。全員が席を立ったモンブラを見る。モンブラは全身を震わせ、黒い甲冑を纏った男を見た。
「······ボネット? 今、ボネット様と仰りましたか?」
「なんだ坊主? 俺を知っているのか?」
モンブラは、ネグリットからボネットについて事前に聞いていた事があった。魔族の男で年齢は四十二歳。酒好きで性格は一言で無遠慮。 少年の目の前の男は、ネグリットの説明に合致していた。
そして何より、カリフェースから来た聖騎士団長の連れとなれば、その男もカリフェースから同行して来たと思われた。
モンブラは、急く自分の心を必死に落ち着かせた。こんな偶然があるのだろうかと。自分がこれから馬を調達し、遠く離れたカリフェースへ赴く前に、相手の方から自分の前に現れたのだ。
モンブラはボネットに会えたら、一言だけ言うつもりだった。もし相手が自分の探し人だったら、その一言だけで全てが済むからだ。
「······ネグリット議長が亡くなられました」
モンブラが呟いた瞬間、ワインを口に運ぶボネットの手が止まった。そしてまた、誰かが席を立った。
「少年よ。今、ネグリット議長と言ったか? 君は、青と魔の賢人の組織の者か?」
モンブラは席を立ち上がった金髪の美青年に問い正される。モンブラは自分の記憶を掘り起こす。 よく見ると、この金髪の青年に見覚えがあった。
ネグリットの執務室で見かけた事が一度あった。 普段は勇者と魔王の卵を探索しているロシアドは、秘書の少年の顔など覚えて居なかった。
モンブラは混乱していた。何故この席に、賢人であるロシアドが居るのか。確かロシアドは、アルバの派閥に属していた。
この金髪の青年は、アルバの犯行を承知しているのだろうか。そうであるなら、モンブラは窮地に立たされた事になる。 モンブラはロシアドに拘束され、アルバに突き出される可能性を考えた。
モンブラは突然の偶然と絶望感に、頭の中は混乱を極めた。 俯くモンブラの肩に、誰かが手を置いた。 モンブラが手の主を見ると、それはチロルの手だった。
「安心して下さい。ロシアドさんは信頼出来る人です。何でも話して下さい」
チロルの言葉と微笑みは、不思議とモンブラの心を落ち着かせた。
「······坊主。ネグリットは俺の昔の師だ。そのネグリットが死んだと言ったのか?」
ボネットはグラスを置き、真剣な表情でモンブラを見る。モンブラは確信した。目の前の魔族の男は、自分が探していた人物だと。
「ボネット様。全てを貴方にお話します」
覚悟を決めたモンブラは、腰のベルトから小さな袋を外し、中身をテーブルの上に出した。テーブルに置かれたのは、魔族の手首だった。
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