この手を、握り返したら

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長月③

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 壇上の幕がゆっくりと開かれていく。この学校の体育館は数年前から自動開閉機が導入されており、各務勤がそれを操作していた。
 
 目の前に広がる光景が、セプタンブルのメンバー達の視界に入って来た。その瞬間、拍手と歓声がセプタンブルのメンバーを迎える。
 
 観客が思っていたより多い。否。これ程集まるとはメンバー達の予想の外だった。正確には分からないが、生徒達の数は二百人弱は居ると思われた。
 
 丘登園高校の生徒数は八百十三人。実に全生徒の二十五パーセントがこの体育館に集まっている事になる。
 
 最前列では、丘の上はるのクラスメイト多々野薫が一際大きい声を掛けてくれていた。左右を見ると、はるの後輩である千代ケ丘健太と片平健二がハンディカムで壇上に立つメンバー達を記録してくれている。
 
 熊本元康の手に握らていたドラムスティックがカウントを刻む。中津川守と彦根五郎の指先が動き始める。
 
 スピーカーから耳に突き刺さるような鋭く大きな音が飛び出す。観客の生徒達から更に大きな歓声が起こった。
 
 リーダである守は考えていた。まずは一曲。全てはそれに掛かっていた。最初の曲で及第点を獲得出来れば、今この場に居る生徒達はスマホのラインでもっと観客を増やしてくれるだろう。
 
 逆に落第点だったら、観客は足早に姿を消して行くだけだ。勝負を掛ける最初の曲は、ミディアムテンポの曲調「Goodbye my  dear star」だった。
 
〈 目の前に桜の花びらが落ちてくる
  それはまるで早く土に
  還りたいと急いでいるよう    〉
 
 はるの歌い出しで、観客にどよめきが起こる。あの昼休みの放送で流れていた声と同じだと。観客達は改めて驚く。

 そのどよめきを聞いた守は「これなら行ける」そう確信した。

 
〈   微生物に分解されて
  この桜の花びらが土の
  一部になるまで
  どれくらいの時間が必要なの?
 
    アクセルを踏み込んで 
  天の川銀河を抜けて行く   
     残念昨日だったら彦星と織姫の
  逢瀬を見れたのに
  あなたは少しせっかちだから
  曲がり角でブラックホールに
  落ちないか少し心配です   

  アクセルを踏み込んで
  大マゼラン雲を超えてゆく 
  永遠の闇も
  散る瞬間の星の光も
  ロマンチックに眺める余裕はないの

  アクセルを全開にして
  バイパスを通ってゆく
  その先はあなたがいるかもしれない
  アンドロメダ銀河         〉
 
 はるの歌声が止み間奏にはいる。その時、観客から大きな歓声と拍手が沸く。
 
 守はメンバーを見回す。はる以外のメンバーはまだ表情に余裕は無いが、観客の好反応は感じている筈だった。
 
 それにしても。と守は思う。
 
 徹の母、百合子が亡くなった後のはるは、練習の歌声が明らかに変化していた。それまでの無機質な歌声に、暖かい血が通ったように情感豊かに歌い上げるようになった。
 
 勿論その時々で波幅はあるが、それすらも自分の個性としてしまう程、聴く者を魅了した。
 
 はるを劇的に変えたのは百合子だ。その息子である徹とはるの関係を、どうしても守は考えてしまうのだった。 
 
 少年の雑念には関係なく、時間は平等に過ぎ間奏が終わる。
 
〈 アクセルを戻し
  この銀河に漂う
  でも見つかる訳がなかった 
  会える筈もなかった
 
  知ってましたか?
  あなたに出会える確率は
  天文学的数値みたいです
 
  アクセルをまた踏み込んで 
  次の銀河をまた目指してゆく
  桜の花びらが土に還るまでに
  あなたに会えるかな

  その日まで 
 
  その時まで

  その日まで

  Goodbye my  dear star
  Goodbye my  dear star     
  Goodbye my  dear star     〉
 
 演奏が終わり、観客から大きな拍手が送られる。
セプタンブルのメンバー達は全員、観客席に感謝のお辞儀をする。

「歓声。ありがとうごさいます! 僕達、セプタンブルです!」
 
 守がマイクで叫ぶ。それに応えるように拍手が返ってくる。
  
「僕達、サイズが大きい変なシャツ着てますけど予算の都合です」
 
「貧乏か!」 
 
 守のボケに、彦根五郎が間髪を入れず突っ込む。途端に観客達の中で笑いが起こる。
 
「今日は楽しんでもらえたら嬉しいです。よろしくお願いします!」
 
 言うと同時に、中津川守が熊本元康に目で合図を送る。元康のスティックカウントが響く。スピーカーから再び轟音が客席に向かって飛び出して行く。
 
 二曲目は人気ベテランシンガーの曲「夏至の前日」だ。
 
〈 プールの水に反射した
  太陽の光が眩しくて目を細める
  本当は君が眩しかったなんて言えない
  水着姿の君がそんな僕に
  お構いなしで無邪気に近づく
  
  今日は下手な演技を
  続けなくてはならない
  あそこで蝉が泣いていると
  あそこであいつがふざけて
  飛び込みをしていると
  水中メガネに水が入ったと
  君が近づくたび 
  僕はごまかした
  心臓の音が君に聞こえる
  かもしれないと不安になったから 〉
 
 高坂徹から見た丘の上はるは後ろ姿だった。徹は思う。いつもながらはるは姿勢がいい。この曲は男性が歌う曲だか、はるはまるで自分のオリジナル曲のように歌う。
 
 最初の曲もそうだった。はるの歌声は、どんな曲でも丘ノ上はるの歌にしてしまう。この日用意された楽曲はどれも有名で、観客の生徒達もよく知っている筈だ。
 
 だが、はるの歌声はまるで新しい曲と思わせる程新鮮に聴こえる。
 
 徹には、はるは緊張している様子は見て取れない「堂々としてるな」徹はそう思った。
 
 徹は、はるの堂々とした立つ姿が好きだった。だが、堂々としているのはその姿では無くはる自身だった。
 
 それは性格か。行動か。それとも生き方か。はるを形成する根幹部分が泰然としているから他の全てがそう見える。
   
 それは自分には決して無いものだ。だからこんなにも彼女に惹かれるのかも知れない。徹はそんな事を考えていた。

〈 それでも君は僕に
  近づいてきてくれる
  僕の下手な演技を
  優しく許すように

  僕も君に近づこう
  心臓の鼓動を聞かれたって構わない
  この瞬間は 一生で一度だから
  反対に君が誤魔化したら 
  僕も優しく許そう
  この瞬間は 一生で一度だから

  プールに飛び込み 
  水しぶきが太陽の光で輝く
  夏至の前日の午後       〉
 
 
 歌が終わり、はるは再び観客にお辞儀をする。続けてロックナンバーの曲を二曲続けて歌う。
 
「ちょっとやばいんだけど。このバンド」

「体育館すぐ来い。超盛り上がってる」

「速攻、体育館来いって。メンバーの衣装。笑える」
 
 スマホのラインが、体育館の観客を徐々に増やして行った。
 
 四曲目が終わり、はるは壇上で目を閉じ深呼吸した。これから歌う二つの曲は徹の母。百合子の為に歌う曲だった。
 
 中津川守。熊本元康。彦根五郎は楽器から手を離す。次の曲はピアノ演奏のみだ。はるは観客達にマイクで伝える。 

「次の曲は「届いてますか」です」
 
 高坂守の長い指が流れるように動き出す。切なくなるようなその旋律は、体育館に一瞬の静謐をもたらした。
 
〈 そちらの生活には慣れましたか?
  こちらは相変わらずです
  あれから季節が四度 変わりました 〉

 はるは目を閉じながら、心から歌声を絞り出す。そして徹の母である百合子に語りかける。
 
『百合子さん。寝ずの番の時、居眠りしてごめんなさい。お詫びにあなたと息子さんと一緒に歌を送ります』
 
〈 あなたのいない生活にもなれました
  あなたのいない人生でも平気です
  あなたのいないこの世界でも
  やっていけます
  
  でも あなたがいないと
  やっぱり寂しいです       〉
                  
 
 徹は、はるの後ろ姿を見ながら母に語りかける。
 
『母さん。丘ノ上が母さんの為に歌ってくれているよ。彼女がこんなに歌が上手いなんて知らなかったでしょう?』

 細身の少年はずれそうになる眼鏡でピアノの鍵盤を見つめる。
 
『母さんが買ってくれたこの眼鏡。サイズが合わないのも知らなかったでしょう?』

 徹の胸の中で、母へ伝えたかった想いがとめどなく溢れて行く。

『俺に好きな人が出来た事も知らなかったでしょう?』
  
 徹は一瞬だけ両目を閉じた。
 
『母さん、。知っていた? もっと母さんと色々話したい事があったんだよ』
 
 徹の目には、涙が浮かんでいた。
 
〈 届いていますか?
  あなたのいる所まで
  
  聴こえていますか?
  あなたの耳に
  
  私の言葉が 
  
  私の声が     〉
 
 はるは神や仏。霊魂の類いは信じていなかった。
 
 もし神がいるなら、格差社会など存在しない。もし仏がいるなら、歴史の教科書の年表に数々の奇跡が載っている筈だった。
  
 もし霊魂が存在するなら、自分を可愛がってくれ亡くなった祖母が会いに来てくれる筈だと。
 
 はるは自分が見てもいない者を信じる事は出来なかった。それでも。と。はるは思う。神でも仏でも何でもいい。この歌を百合子に届けて欲しいと願った。
 
 それは利己的で、都合が良い子供の浅はかな考えだった。それでもいい。それでいいとはるは思った。
 
〈 届いていますか?
  あなたのいる所まで
  
  聴こえていますか?
  あなたの耳に
  
  私の言葉が 
   
  私の声が     〉

『百合子さん。届いてますか? 私のこの歌が。聴こえていますか? 徹君のピアノの音色が』
 
 はるの目は、今にも涙が零れそうなくらい赤かった。 
 
 俯くと涙が落ちる。だから上を向こう。百合子さんに見えるように。はるは心の中でそう自分に言い聞かせていた。
 
 曲が終わり。体育館には静かな拍手が鳴り止まなかった。
 
 中津川守。熊本元康。彦根五郎が再び楽器を操り音を響かせる。百合子に届ける曲はもう一曲あった。
 
「続いての曲は「ありがとうの想い」です!」
 
 リーダである守の声がマイクを通して観客に届く。
 
〈 あなたの膝にしがみついてた 
  幼稚園の卒園写真
  
  あなたの肩まで伸びた頭を 
  撫でられてる小学校の卒業写真
  
  恥ずかしくて少しあなたから
  離れて撮った 中学の卒業写真
  
  あなたから顔をそむけて
  撮った 高校の卒業写真
  ありがとう ありがとう 
  僕を育ててくれて

  ありがとう ありがとう 
  こんな僕を愛してくれて   〉

   はるは百合子に手を合わせる為に、夜の道を父親と歩いた時の事を思い出していた。

  父の心太は、はるがいじめに合わないように空手を習わせた。親には手が出せない学校と言う名の子供達の社会で娘か辛い目に合わないようにと。
  
  はるは今まで両親に、感謝の気持ちを伝えて来たか疑問だった。心太と幸恵は、何時も当たり前のように自分の傍にいたからだ。
  
  徹のように失って初めて生まれる気持があるのだろう。
    

〈 憎まれ口もたくさんたたいた  
  心ない事も言ってしまった
  
  心配して書いてくれた手紙は
  いつも読まずに机に
  置きっばなしだった

  親孝行なんてした事がなかった 
  だから初めてのボーナスで
  連れていった温泉旅行 
  嬉しくて泣いてたって
  後で親父にきいた  

  ありがとう ありがとう 
  こんな僕を見捨てないで
  ありがとう ありがとう 
  僕を愛し続けてくれて     〉

 徹は思う。母にとって自分は良い息子だっただろうか。答えは聞けない。永遠に。

 これから先、ずっとこの問いかけを自分は考えて行くのだろう。終わりの無い禅問答のように。
 
 だが、徹はそれでいいと思った。その問いかけををする度に母を。百合子を近くに感じる事が出来るからだ。徹とはるは心の中で呟く。
  
『母さん知ってた? 親が子の幸せを祈り願うように』

『百合子さん。知ってましたか? 子供も親の幸せを祈り願っています』


〈 どれだけ悔やんでも 
  どんなに後悔しても
  あたなはもういない
  僕に呆れていますか 
  僕に失望していましたか? 

  ありがとう ありがとう 
  あなたが注いでくれた愛は 
  僕の中で今も息づいています
  ありがとう ありがとう 
  僕を生んでくれて 

  ありがとう 
  ありがとう 
  ありがとう        〉
 
 
 曲が終わり、はるは歓声にお辞儀をする。水分を摂る為、観客席に背を向け床に置かれてるペットボトルに手を伸ばす。
 
 その時徹と目が合った。徹は目ではるに伝える。ありがとうと。はるは赤い目を腕で擦りそれに頷く。
 
 その二人の様子を伺っていた守は、なぜか胸に鈍い痛みを覚えた。はると徹の関係。以前から育っていた小さい不安の種は今、急速に芽を出し成長して行く。
 
「いやあ。エエ歌でしたね。皆さん。普段親に感謝してますか?」
 
 守が自失を取り戻した。MCの守が沈黙していた為、彦根五郎がフォローしてくれたのだ。
 
『しっかりしろ! 今は本番中だろ』

 セプタンブルのリーダである守は自分を叱咤激励する。

「僕も親に感謝してますけど、今日の演奏を見に来られるのだけは勘弁なんです」
 
 五郎の困ったような口調に、観客席の前から笑いが起こる。
 
「彦根! それでお前の母ちゃん来てたの?」
 
 守が笑顔を作り五郎に話を振る。
 
「さっきの曲で一番の聞かせ所の時、オカンの姿見つけちゃいましたわ」
 
 五郎のため息混じりの返答に、体育館の中で大きな笑い声が沸いた。それと同時に、熊本元康のスティックが鳴る。
 
 ここからはロックナンバーが続く。亡き人にお別れと感謝を伝えた。後は明るく、笑顔で送り出そう。はると徹はそう決めていた。
 
 それは親を心配させる子供のように。騒々しく。賑やかに。はるがマイクを握る。

「聴いて下さい。次の曲は「疾走」です」

〈 スピードを上げて駆けてゆく
  ブレーキが壊れた自転車のように
  空を見上げていたヒマワリも 
  今さっき土から出てきた蝉も 
  呆れ顔でこっちをみている
  そんな事はお構いなしに加速する
  まるでその先に 
  ご褒美があるかのように      〉
 
 体育館には次々と生徒達が集まって来た。後から来た生徒にも、この空間の熱気がすぐに移り歓声の声が増していく。
 
 今四百人に達しようとした観客達は、頭上の上で両手を叩き、リズムを取っている。はるの歌声はその熱気を煽るように勢いを上げて行く。

〈 太陽が心配して雨を降らす 
  それでもスピードはあがっていく 
  向かい風が余計なお世話で 
  スピードを弱めようとする
  それでも またスピードをあげていく

  いくつも続く鉄塔が 
  鼻で笑ってくる
  どんなに 急いでも 
  どんなに進んでも
  道は終わらないと

  それでも それでも 
  またスピードを上げていく
 
  止まり方なんてもう
  とっくに忘れたんだ       〉
 
 立て続けに三曲のロックナンバー演奏を終えた。観客の喝采を浴びたメンバーは、緊張と疲れを一瞬忘れて心地良い高揚感に包まれていた。
 
 細かいミスは多々あったが、どうやら観客達は楽しんでくれている様子だった。次の曲は藤沢サンシャインの名曲「砂粒の愛」だ。
 
 前奏が奏でられる。それは一日の終わりの訪れを思わせるような優しい音色だった。異変はその時起こった。
 
 ボーカルである丘の上はるが胸を抑え、ステージの中央で座り込んでしまった。突然の出来事に、体育館中がざわついた。
 
 すぐ様リーダである守がはるに駆け寄る。茶髪とピアスの少年は深刻な表情と声で叫んだ。
 
「誰か! この中に藤沢サンシャインのマニアで数学教師の各務勤先生は居られませんか!?」
 
 舞台の袖で各務勤は口を開けたまま、ポカンとしている。セプタンブルのメンバーが全員、人の悪い笑顔で各務を手招きしている。
 
 事態を察した各務は、苦笑と苦虫を噛み潰した表情を混ぜステージに恥ずかしそうに登場した。はるが各務にマイクを譲り、舞台の袖に去っていく。
 
 セプタンブルのメンバーは、今日の演奏の為に手を尽くしてくれた各務に感謝のステージを用意したのだった。
  
 観客達も突然の特別ゲスト登場に、一際大きい拍手を送ってくれる。

「あれ。各務先生。以外と人気あるね!」
 
 守が茶化し笑いが起こる。以外に人気者の各務は「以外は余計だ」と小声で返した。
 
〈 波が寄せてくる サンセット
  波が引いてく  サンセット
  この砂浜の砂粒をすべて数えたら
  僕の気持ちに答えてくれるかい
 
  波が寄せてくる サンセット
  波が引いてく  サンセット

  君が笑う それを待っていたら
  私はお婆ちゃんなってしまうと 〉
 
 各務の歌声に大きな拍手が起こる。守は内心で「流石は藤沢サンシャインのマニア」と称賛する。各務は本家の歌い方から声まで似ていた。

 このサプライズも全体の盛り上がりに寄与してくれる。セプタンブルのリーダである中津川守はそう計算していた。
 
〈 君の気持ちが寄せてくる 
  サンセット
  それを引かせないようせき止める 
  でも波は止まらない 
  どんなに止めても
  君の気持ちを
  自由にできないように

  この砂浜の数を数えるのは
  無理かもしれない
  でも砂浜の数だけ
  愛の言葉はささやける
 
  波が静かに寄せてくる サンセット
  波が静かに引いてく  サンセット
  僕の愛の言葉を 
  お婆ちゃんになるまで
  聞き続けてくれるかい?     〉
 
 名曲バラードを歌い切り、各務はお辞儀をする。観客から拍手と各務の名前を叫ぶ声も聞こえて来る。
 
 守は各務に近寄りハイタッチを交わす。その時、現国教師万福寺妙子が守の視界に映った。
 
「あ。各務先生。天敵の万福寺先生がいるぜ。何かガツンと言ってやったら?」
  
 守が冗談混じりに小声で各務を煽る。
 
 現国の万福寺妙子は、その教育熱心が原因で各務勤とは度々口論をする間柄だった。妙子から見た勤の教育方法は不真面目に見えたのだ。
 
 二人の険悪な関係は、全校生徒が知る程有名だった。各務はマイクを口に寄せる。そして妙子に向けて話始めた。
 
「現国の万福寺先生。あなたに言いたい事があります」
 
 体育館がどよめく。誰もが今から各務勤と万福寺妙子の舌戦が始まると思った。
 
「万福寺先生。私は今の自分の教育方針を変える気はありません。あなたの有難くない説教を聞くと本当に気が滅入ります」
 
 万福寺妙子はボーダーのシャツに、紺のスカート姿で各務の話を黙って聞いている。

「あなたは融通がきかず。頭でっかちで。本当に面倒くさい人です」
 
 体育館の各所で生徒達から心配の声が上がり始める。
 
「大丈夫かこれ?」

「ちょっと言い過ぎだろ」

「収集つくのか?」
 
 そんな生徒達の心配を余所に、各務は続ける。 
 
「でもあなたは、とても真っ直ぐな人です。そんな所も含めて、あなたの事が好きです。私と付き合って下さい」
 
 そう言うと、各務は妙子に向かって頭を下げた。体育館が再びどよめいた。
 
「マ、マジか各務先生? マジで!?」
 
 まさかの眼前の展開に、守はニ度聞き返した。
 
「丘ノ上! マイクを万福寺先生へ!」
 
 高坂徹が壇上の下にいたはるに声をかける。頷いたはるは生徒達が密集している中央を避け、出入り口側を沿って駆けて行く。走りながらはるは考える。
 
 天敵である各務勤からのまさかの告白。万福寺妙子は、今どんな表情をしているのか。顔を赤らめたりしているのだろうか。
 
 妙子の前にたどり着きマイクを渡そうとした時、妙子は両腕を組み仁王立ちしていた。目は据わり、口は真一文字に閉じられいる。
 
 万福寺妙子から静かな怒りを感じたはるは、たじろいだ。妙子は、はるからマイクを受け取り各務を睨みつける。
 
「私。告白で喧嘩を売られたは初めてです」
 
 妙子の低い声に、各務は頭を下げたまま動かない。
 
「私。売られた喧嘩は買う主義です」
  
 更に低くなった妙子の声に、体育館中が重い沈黙を強いられた。やはり天敵同士。上手く行く筈がなかったのか。誰もがそう思った時だった。
 
「各務先生。あなたの教育方針を必ず変えて見せます。何年かかっても。だから、よろしくお願いします」
 
 万福寺妙子はそう言い終えると、壇上に立つ各務勤に向かってお辞儀をした。その光景に生徒達が混乱する。

「え? 今お願いしますって言った?」

「これって成立したの?」

「なんなんだ。この会話?」
 
「カ、カップル成立! おめでとうございます!」
 
 守がそう絶叫すると、生徒達もようやく事態を諒解した。体育館中に歓喜と祝福の声が飛び交った。各務勤がまたポカンと口を開けている。
 
 各務は守に無理やり壇上から降ろされ、今しがた出来た恋人の元へ行けとけしかけられた。
 
 万福寺妙子の元へ歩き始める各務に、改めて祝福の拍手が起こる。誰かが吹いた口笛も聞こえる。
 
 文化祭の魔法。はるは、どこかでその言葉を聞いた事があった。文化祭と言うお祭り気分の中で告白すると成功率が高くなると言う伝説だ。
 
 その真偽はともかく、各務勤はその魔法を万福寺妙子にかける事に成功したのだった。
 
「······告白か」
 
 今まで自分に縁が無かった言葉を、はるは呟く。はるは何故か各務と万福寺を見ていると、胸の中が痒いようなチクチクするような気がした。それは、はるが以前までは感じなかった気持ちだった。
 
 ステージに戻る途中のはるに、手招きをする守と五郎が目に入った。まだ演奏は終わって無かった。次は最後の曲だった。
 
 セプタンブルのボーカルであるはるは、再び駆け出した。
 

 
 
  
 


  


 

 
 
 


 
 

 




 
 
 
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