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第一章 『謎の美少女』
体育祭
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「あれ、あれれ?」
無いな。何度探しても。
「どうしました? 競技前だというのに、汗を流して」
自らの鞄を漁る俺に近付いて、愛ちゃんは話し掛けてきた。
「無いんだよ、弁当が!!」
「それは大変ですっ。けれど、今はまだ食べませんよね? お家に連絡して、届けていただけば良いのではないでしょうか」
「あ、そっか! ……って、この学校携帯電話持ってきちゃ駄目だから、無理じゃん」
希望の光が差し込めたと思いきや、また絶望の中へ。
よりによって運動しまくる今日この日に、大切な栄養分の塊を忘れてくるだなんて……。
「職員室の電話を借りたらどうです?」
「え。嫌だよ。先生に見られながら話すんでしょ? 恥ずかし過ぎる」
「そうですか……。どうしましょう」
愛ちゃんはちょっとわざとらしく、自分の鞄に目をやった。
そして、瞳を輝かせる。
「あら、あらあらあら! なんてことでしょう!!」
「ど、どうしたの? 急に叫んじゃって」
「ほら見てください! 偶然にも、ここにお弁当が二つありますよ」
「えぇ!?」
ぐ、偶然にもって。絶対仕組んだだろ。
さすがに、俺だってそのくらいは分かるようになった。愛ちゃんなら俺ん家に電話したりして、「弁当を忘れさせろ」みたいな事を、マジで言いかねない。
だけどまあ今回は、愛ちゃんに付き合ってやるとするか。弁当も無いし、女子の手作り弁当(おそらく)を食べるなんて初体験だし。
「す、凄い偶然だね! ……頂いちゃって良いの?」
「そうですね。きっとコレ、凛々さんの為に作ったものだと思うのですが……。!!」
愛ちゃんは悩んだような仕草(多分演技)をして、小熊さんの方を振り返る。
彼女はやけに大きな弁当箱を、誇らしげな顔で見せびらかしていた。体力が化物じみている分、しっかり食事を摂っているのだろう。
「今日だけは、母の手作りを持参しております」
あぁ、だから嬉しそうな顔なのか。
いつもの小熊さんは神田家のシェフが作る高級食材オンリーの弁当を人並みの量食べていたが、お袋の味を味わえるのは喜ばしい事のはずだ。
「あ、そうなのですねっ。お母様の……羨ましい限りです。では、晃狩さんは安心してこれを食べて下さいね」
愛ちゃんはいつも通り、満面の笑みで弁当を差し出す。
「うん。ありがとう」
「フフッ」
「えー、皆さん。今日は体育祭に相応しい見事な晴天ですね。この天気なら皆さんの実力も十二分に発揮できるでしょう。えー……」
(話が長い……)
ただでさえ、梅雨真っ只中の5月に訪れた突然すぎる晴天。蒸し暑すぎて地獄にすら思える。
ただ直立する。一見何でもなさそうなこの動作だが、いざやってみると辛いものだ。校長の顔を見ようにも、上が眩しすぎて目がくらみそうになる。
「以上です」
(あ、やっと終わった)
[続いては準備運動です。生徒の皆さんは適当に広がってください]
そのアナウンスが耳に入ると、全生徒が校庭内にきれいに広がり、体育委員長の声に合わせて体操を始める。
「1、2、3、4ィ!」
『5、6、7、8っ!』
活気に溢れた声に包まれ、更に暑苦しい空間ができあがる。
(体操は、仕方ないけどさ……)
それにしたって、この蒸れきった校庭、どうにかならないだろうか。
嫌々体操をしていく内に、それはすぐに終了した。
[それでは生徒の皆さんは一旦退場してください。ですがこの後すぐに百メートル走がありますので、選手の方は入場口へ集合してください]
○ ○ ○
ゾロゾロと並ぶ選手達の中に、香山の姿を見つけた。それを報告しようと後ろを振り向けば、もう既に愛ちゃんは目をギンギンにして彼を見ていた。
「あ、どうしました? 晃狩さんも香山さんの好きな人を特定しようと?」
「え、いや……。まあちょっとは知れたらいいな~と思うけど、いくら何でも愛ちゃんガチ過ぎない?」
「え!? そんな、また香山さんに嫌われてしまいますっ。そうなったらお終いなのに……!」
俺から「ガチだね」と指摘されてようやく慌てた様子を見せたけれど、やっぱり常識が欠如しているな。
(というか、小熊さん止めなくて良かったのか?)
そう思い小熊さんに視線を向ける。けれど彼女は競技以外の何にも興味がない、といった様子だ。
具体的に何をしているかと言えば──自作の、B組の選手一覧表を見ていたのだ。
愛ちゃんが香山の想い人を本気で知りたがっているのと同様に、彼女もまた勝利を狙いに来ていた。
初めは俺専属のコーチだった彼女。だがいつの間にやらクラスをまとめ上げ、厳しく指導するようになっていった。その影響で、我がクラスメイトの意識は高い。
「双眼鏡を使うくらいなら良いでしょう? 割と遠いので、これが無くては見えませんし」
「う~ん。そこまでして見る? って感じだけど、その程度なら良いんじゃない? アイツもそこまで心狭くないよ」
愛ちゃんは両手で双眼鏡を包み込みながら、「ですよね! よかったです~」と笑った。
[一年生男子、第一レース。1レーンA組藤田君、2レーンB組飛鳥君、3レーンC組朝日君、4レーンD組高永君です]
興奮を掻き立てるような音楽と共に、淡々としたアナウンスが耳に入った。
「あ、始まったみたいですね。ですがこのレースには、香山さんは出られないみたいですね」
放送を聞いて愛ちゃんは残念そうに眉を下げる。それから興味なさげに、同じクラスの飛鳥君の応援を始めた。
「頑張ってくださーいっ。トップバッターとして!」
すると、だいぶ距離が離れているというのに飛鳥君は、顔を赤らめ愛ちゃんに手を振ってみせた。
面倒くさそうだったが、愛ちゃんも彼に手を振っていた。
「飛鳥成紀。アナタの強みは冷静さです! しっかり観察し、敵の分析を行って! 大丈夫! 勝てます!」
血相を変えて、小熊さんががむしゃらに叫んでいた。
「さすが熱血教師ですね。小熊さんがいる限り、B組は優勝間違いなしですよ」
自分の使用人の事で誇らしいのか、愛ちゃんは頬を緩ませた。俺も微笑ましい気持ちになってくる。
「そうだね。すごい頼もしいし」
「お母様も見に来るらしいですから、余計に張り切っているんでしょうね。ウフフ」
愛ちゃんも楽しそうで、何よりだ。やっぱり体育祭は楽しんでなんぼだよな。
[位置について、よーいドン!]
選手等が勢いよく走り出す。
(あ……)
小熊さんの言葉でプレッシャーを感じたのか、飛鳥君は少し出遅れた。しかしすぐに持ち直し、他の選手と並ぶ。
[速い! C組速いです! B組も距離を詰めていきます!]
実況を聞いたC組の朝日君は軽く視線を後ろにやり、飛鳥君を見た。
しかしその後は余裕たっぷりの面持ちで、走り抜く。
パンッ!
[1位・C組、2位・B組、3位・A組、4位・D組という結果になりました! 先の読めないレースでしたね!]
悔しそうに列に並んだ飛鳥君が地団駄を踏んだ。
自分でも勝てる自信があったからだろう。その顔が後悔に満ちていたのは。
ふと気になって、小熊さんの様子をうかがった。彼女は表情を先程と変えていないものの、どこか悔しさをまとった顔をしていた。
「ま、まだ始まったばかりですから、ここからですよっ」
「う、うん。だよね」
そうは言ってみたものの、今日は何故だか嫌な予感がする。あんなに頼もしく見えた小熊さんすら、小さく見えてしまう。
──本当に、優勝できるのだろうか?
[第二レース。1レーンA組成田君、2レーンB組樫木君、3レーンC組香山君、4レーンD組佐藤君です]
「あっ! 香山さんですね。そういえば、香山さんってお速いのですか? 機会が無かったものですから、存じ上げなくて」
「あぁ、アイツは運動得意だからね。小熊さん程じゃないけど、体力もあるし」
「そうなのですか……」
考え込むように俯き、愛ちゃんは呟いた。
その奥では、再び小熊さんが叫んでいる。
[よーい、ドンッ!]
うおっ。
言っちゃアレだが、第一レースよりも、迫力ががある。どこが勝つのかわからない、見事な接戦であった。
けれど、いつになく真剣な様子で疾走していく香山に勝る者はいなかった。つまりは、二度目の敗北である。
走り終えた香山は1位の列で同クラスの朝日君と嬉しそうに会話を交わしていた。
[1位・C組、2位・D組、3位・B組、4位・A組という結果となりました! 中々惜しい勝負でしたが、C組絶好調ですね!]
悪意なんて無いであろうアナウンスも、捻くれた今の心ではそれが嫌味に聞こえてしまう。
「本番は、練習通りの実力を発揮しにくいものですから。仕方ありません」
愛ちゃんも少し暗い様子になっていた。
そして周りを見渡す。敗北を悔しがる者もあれば、励ましの言葉をかけ、皆を奮起させようとする者もあった。
まだ現段階では、どんよりとした雰囲気にはなっていない。
競技に参加した本人達は地を力いっぱいに蹴り、どうにもできない心情に頭を抱えている様子だったが。
[一年生女子、第一レース──]
その後のレースも、皆は一生懸命走っていた。
けれども、一度だって1位にはなれなかった。
(大丈夫なのか……?)
そこまで深く考える必要はないのだろうけど、とてつもなく不吉な予感がしてならない。
そんな感じで訪れた、第六競技・パン食い競争。
「きっとこれなら優勝できますよっ。二人三脚ではペアが急遽交代という非常事態に対応できず、グダグダな走りになりましたけど……」
そう。愛ちゃんや小熊さん等の担当した競技二人三脚では直前に男子三名全員怪我をしてしまい、危険と判断した教師はペアの交代を命じた。
女子の立候補者が出ず2レース担当していた愛ちゃんは、二回目2位を獲得したものの、リズムが崩れ効率の悪い走り方をしていたのは確かだった。
「そうだね。俺達で、優勝への道を作らないと……」
[午前の部最終競技。一体どんな形で終わるのでしょうか? さて、では準備ができたようですので、開始いたしますっ]
パンのセッティングが整うまで、放送委員長の完甘先輩はずっとトークで場を繋いでいた。なんて優秀な人材なのだろう。
[位置について、よーいドンッ!]
よし、走れ、走れ!
そして、パンにかぶりつくんだ!
「っ!」
パクッ。
口でパンを掴み取ったのを認め、俺は一心不乱に走った。髪、顔がだらしなくなってしまおうが、今は取るに足らない事である。
「そのままぁ! ゴールに一直線!!」
「!」
小熊さんの声に驚いて口が開きそうになったが、グッと堪えて足を動かす。
あぁ、やった。
ゴールは、目の前──。
「……え?」
ぐらりと体勢が崩れ、気付けば前に倒れていた。
何が、起きた。
俺はただゴールの目の前まで走っていただけなのだ。そこで何故か力が抜けて転んだ。
(ん? もしや……)
ふと頭をもたげた考えをかき消した。まさかそんなはずは無いと、全否定した。
(だってもしそうだとすれば……)
いくらなんでも卑劣すぎる。
[おっとー! 奇跡の逆転劇!? B組の転倒により、1位はA組! 展開が予測できませんっ。どうなる、第二レース!]
完甘先輩、実況を楽しんでいるみたいだ。
別に関わりもないし、体育祭は楽しむものだと言い放ったのは自分だし、それはとても良い事だと思う。
ただ──
そんなもの聞きたくないくらい、腹が立った。自分自身に。
「晃狩さん……」
愛ちゃんの悲しそうな呟きも、右から左へ聞き流していた。
[第二レースは一年生女子です。どんな素敵な勝負を見せて下さるのでしょうか]
レーンに並んだ女子等の顔は凛々しく、本気で勝ちに来ているのが見て取れる。勿論、愛ちゃんだって例外ではない。
[では、またパンのセッティングに時間が掛かるという事ですので、大変恐縮ですが、私完甘に送られてきたお便りを読ませて頂きますねっ]
うおぉぉー! と雄たけびが湧いた。もしかして……この学校には、生徒のファンクラブなる物が形成されているのだろうか?
完甘先輩の写真がプリントされたピンク色の旗を振り、それと同じデザインの鉢巻を身に着けた集団。これを見れば、そう考えるのが妥当だろう。
気持ち悪いとまでは言わないが……ちょっとな。
[ではまず一通目。『いつも放送聞いてます。大好きです! ところで、完甘さんの好きなアーティストはどなたですか? いつもリクエスト曲をかけてくれて嬉しいのですが、あまり自分の話をされないので訊いてみました! 答えてくれると嬉しいです』質問とは嬉しいお便りですね]
「……」
呆れてものも言えない。なんだ、この茶番。楽しいのは本人と愉快な仲間達だけではないか。
(放送に興味がない人からしたら、憂鬱なだけの時間だな……)
キョロキョロと周りを見渡した。自分と同じ考えを持つ人間を探す為である。
けれど、そんな者の姿は見受けられない。生徒のみならず教師や保護者までも、彼女の放送に聞き入っているのだ。
(嘘だろ!?)
俺がおかしいのだろうか? 完甘先輩のトークに、いまいち魅力を感じない。
[はい! ではそろそろ準備が整ったみたいですね! 競技を再開しましょう]
完甘先輩の声が真面目で、引き締まったものになる。これこそ、学校の放送というものだ。
アナウンスを耳にし、女子達がゆっくりと立ち上がる。
そこで思ったのは、愛ちゃん以外の全員、妙に気合が入っている事。
やる気で満ちているのはとても良い事だし、それは愛ちゃんも同じだ。言いたいのはそういう事ではなく、何というか……兎にも角にも怪しいのである。
[先程はB組の突然の転倒により、A組が見事に勝利を収めましたが……!? 女子は敵を取れるのか! いざ、勝負です]
各々、体を動かし始める。
そのうち一人は女子高生とは思えぬ貫禄で肩をゴキゴキ鳴らしていた。周りで他の生徒達がそれを見て怯む。
[位置について、よーいドンッ!]
──愛ちゃん、勝ってくれ。
俺はただ祈るしかなかった。
練習ではほぼ全勝してきたが故に、クラスの雰囲気が崩壊しかけているのだ。この際パン食い競争でも何でも、1位をもぎ取り持ち直さなければっ。
「頑張れー!」
「負けるなー!」
周りを飛び交う熱い声援。
こんなに沢山聞こえるのに、愛ちゃんに向けたものは小熊さんによるものしかないと分かってしまった。
もう皆希望を失っている。光が見えなくなっている。
(このままじゃ……)
パンに食いつこうと、外聞なんて気にせず飛び跳ねる愛ちゃんを一目見た。
そして意を決し、口を大きく開く。
「愛ちゃん、頑張れ!」
今までは照れくさくて言えないでいた。練習の時も含めて、だ。
だが今は恥ずかしいだとかそういう事を言っている場合ではない。折角体を鍛えてもらったのに結果が散々で、陰鬱に終わる体育祭なんて嫌だ。
「! こうぎゃひゃん……」
声が届いた。この調子でいこう。
「練習通り、取り乱さないでいこう! 大丈夫! きっと勝てるよ」
「……ひゃい!」
愛ちゃんは軽快に走っていく。
流石はお嬢様。余裕の表情だ。
[おっと! ダントツで駆け抜けましたB組っ、これは勝利確定か?]
よし、そのまま!
手に汗握り、(頑張れ)と心の中で唱えた。
「ん?」
この展開、見たような気が……。
あ、そうだ。
さっきのレースも、こんな感じだったんだ。
[おっ! D組が追い上げます! 物凄いスピードですが、B組ゴールに間に合うか?]
ほら、やっぱり。油断した所で後ろから追われる。
ゴール間近、愛ちゃんとD組の選手が並んだ。
そこで、また。
ステン!
[惜しい! B組、再び転んでしまいました! 見事な接戦でしたが、D組の勝利ですっ。おめでとうございます]
「そんな……」
愛ちゃんが目を擦って呟いた。
俺と同じだ。
──いや。そういえば、ゴールを目前にして転んだ人は、沢山いた。
それも全て1年B組の生徒だ。
(普通じゃない。いや、やっぱり──)
先程ふと浮かんだ考えが、またしても頭の中で勢力を増した。
『他のクラスが、悪事を働いているのではないか?』
自然な考えだろう。
それに、見えた気がしたんだ。愛ちゃんを転ばせにかかる、一本の足が。
それならば全てに説明がつくし、その理由だって明確だ。
練習にてチームワークとコーチの力を駆使し、圧勝したから。
妬んだ故の、不正行為。
(けれどもし、本当にそうだとして)
1つ腑に落ちない事がある。
香山だ。アイツはそこまで勝利にはこだわらない……というか、運動において曲がった事は好まない。
もしB組を潰そうとする計画が影で進められていたとして、奴がそれに加担するか? そもそも、俺達に黙っているか?
俺の知る香山ならそんな事はしない。長年の交友で培ってきた信頼に、誓って。
「神田さん大丈夫?」
そんな声が聞こえた。
もしや、怪我をしたのか、愛ちゃんが。
「え、ええ。大したことはありませんよ、この程度。突然の事でしたから、ビックリしただけです」
愛ちゃんは傷口を押さえ余裕の笑みを浮かべている……つもりなのだろうが、痛みに悶え、額から汗が吹き出ている。
俺は偶然にも怪我は負わなかったが、愛ちゃんの場合、転び方が悪かったみたいだ。
「大丈夫じゃないよね、愛ちゃん。無理する必要なんて無いんだよ?」
順位が同じなため、後ろに座っている愛ちゃんに声を掛ける。
視線を下げると、思わず「うっ」と声を上げそうになる程無残な傷が存在した。
「晃狩さん……。無理なんてしていませんよ。少し擦りむいた程度です」
「でも、痛いんでしょ?」
「い、痛いのはお互い様ではないですか。晃狩さんも転ばれたのですから」
そう言って彼女も俺の膝小僧を見つめる。そこは砂で少々汚れているのみで、傷と言えるものなんて無い。
「でも怪我をしたのは愛ちゃんだけだよ?」
「うぅ。……というか無理をするなと仰いますけど、なら私はどうすれば良いのでしょうか?」
ちょっぴり怒りのこもった口調で愛ちゃんが訊く。
「き、救護テントに行って手当を受けてもらえば良いんじゃない?」
正しい答えを述べたつもりだが、愛ちゃんはムゥと口を尖らせてしまう。
……何が悪かったんだ!?
「この足では、救護テントに向かいたくても向かえません」
「え?」
間接的な、『運べ』という命令か? うん、愛ちゃんならあり得るな。
バリバリの通常運転だ。本当に、さすがとしか言いようが無い。
「私が何を言いたいか、解っているでしょう? ウフフ」
怒ったと思えば、今度は笑い出す。切り替えが早くて、立派な事だ。
情緒不安定とも言えるが。
「……つまりは、運んでけって事でしょ? まあ今回ばかりは仕方無いよね」
「次が無いかのような言い草ですね」
[それでは選手退場になります。皆さん、起立してください]
すごく良いタイミングだ。
そう思い立ち上がり、軽く背中を曲げた。
「ハイ、愛ちゃん」
「……」
「あれ、愛ちゃん?」
(? 乗ってこないな)
ちらりと後ろを向くと、赤面した愛ちゃんの姿がうかがえた。
「あ、すみません! ただいま!」
(自分から言ってきた癖に、変なの)
愛ちゃんを背負って、俺は救護テントへと向かった。
○ ○ ○
「さて、お弁当ですよ~」
手当を終えピンピンになった愛ちゃんは浮ついた様子で弁当箱を開いた。
中に見えたのは想像していたのと違い、普通のおかずだった。
「意外だね。普段のご飯みたいに高級料理じゃないんだ」
「そうですよ。私そういった物は作れないんです。けれどどれも愛情を込めて、丁寧に作りましたからご安心を」
「あぁそっか、俺のも愛ちゃん作なんだ」
言われて思い出し弁当の中身を見てみる。僅かな差はあれど、おおよそは愛ちゃんとおんなじだ。
「中身がお揃いだなんて、まるで夫婦のようですね」
「なっ!?」
母の手料理を食し上機嫌な小熊さんの一言。
さらに隣の香山も、「うんうん」と同調する。
そして畳み掛けるかのような、「ヒューヒュー」という言葉。これを発しているのは、俺の家族だ。
「本当アンタもスミにおけないよねぇ。あ、愛ちゃんと数馬君に……そのお友達かな? こんにちはー」
「晃狩さんのお母様! こんにちはっ。ご協力ありがとうございました!」
協力って……やっぱり手を回していたのか。
「いえいえー。これからも、何か力になれる事があればどんどん頼っていいからね」
「ありがとうございます! よろしくお願いしますねっ」
母さんも愛ちゃんも、ただただ満面の笑みで話していた。
何故か勝手に親睦を深めているようだが、俺が好きなのは愛花だからな?
なんて今発言すれば、この場は崩壊するだろう。
「あと、こちらに居るのは使用人兼友人の小熊凛々さんです」
「はじめまして。皆さんのお役に立てますよう、尽力致します」
礼儀正しく、深々と頭を下げる。
母さんは「ちょっとちょっと!」と言いながら、細かく手を振った。
「別に我が家の使用人って訳じゃないんだから! 頭下げたりなんてしなくて良いんだよ!」
「え? そうですか。かしこまりました」
小熊さんはスッと頭を上げた。
「お母様の隣の方は、もしやお姉様でございますか!?」
手で口を押さえた愛ちゃんが興奮した様子で質問する。
それを聞いた姉貴は一歩前に出、一礼した。
「御名答。晃狩の姉の、多田友子で~す」
「お母様に似て、とぉぉぉっても素敵でいらっしゃいます!!」
「あ、ありがとう」
愛ちゃんが一人はしゃぐ。
「母に似て素敵」と言われた姉貴だが、本人は大して母を素敵と思っていないだろうから、冷めた笑いを浮かべるほか無いのだろう。
「……というかずっと喋ってるが、食べなくて良いのか? 午後動けないぞ?」
食後の茶を啜って、馬鹿にしたように香山が訊く。
「え? まあ、結構長いことお話していたのですね。早く食べなくては」
「じゃあ、私達は失礼するわね。また後で」
「はい! さようなら!」
母さんと姉貴を見送ったのち、俺達は3人で手を合わせ、「いただきます」と声を大にして言った。
「わざわざ人気の無い場所まで来て……何の用だ?」
賑わっている校庭内でも、体育館の裏は人が少ない。だから俺はそこに香山を連れてきた。
理由は、不正を働いているのか否かというのをハッキリとさせるため。
モヤモヤしたままで終わりたくはないのだ。
「単刀直入に言わせてもらうけど──B組を陥れようとなんて、してないよね?」
無いな。何度探しても。
「どうしました? 競技前だというのに、汗を流して」
自らの鞄を漁る俺に近付いて、愛ちゃんは話し掛けてきた。
「無いんだよ、弁当が!!」
「それは大変ですっ。けれど、今はまだ食べませんよね? お家に連絡して、届けていただけば良いのではないでしょうか」
「あ、そっか! ……って、この学校携帯電話持ってきちゃ駄目だから、無理じゃん」
希望の光が差し込めたと思いきや、また絶望の中へ。
よりによって運動しまくる今日この日に、大切な栄養分の塊を忘れてくるだなんて……。
「職員室の電話を借りたらどうです?」
「え。嫌だよ。先生に見られながら話すんでしょ? 恥ずかし過ぎる」
「そうですか……。どうしましょう」
愛ちゃんはちょっとわざとらしく、自分の鞄に目をやった。
そして、瞳を輝かせる。
「あら、あらあらあら! なんてことでしょう!!」
「ど、どうしたの? 急に叫んじゃって」
「ほら見てください! 偶然にも、ここにお弁当が二つありますよ」
「えぇ!?」
ぐ、偶然にもって。絶対仕組んだだろ。
さすがに、俺だってそのくらいは分かるようになった。愛ちゃんなら俺ん家に電話したりして、「弁当を忘れさせろ」みたいな事を、マジで言いかねない。
だけどまあ今回は、愛ちゃんに付き合ってやるとするか。弁当も無いし、女子の手作り弁当(おそらく)を食べるなんて初体験だし。
「す、凄い偶然だね! ……頂いちゃって良いの?」
「そうですね。きっとコレ、凛々さんの為に作ったものだと思うのですが……。!!」
愛ちゃんは悩んだような仕草(多分演技)をして、小熊さんの方を振り返る。
彼女はやけに大きな弁当箱を、誇らしげな顔で見せびらかしていた。体力が化物じみている分、しっかり食事を摂っているのだろう。
「今日だけは、母の手作りを持参しております」
あぁ、だから嬉しそうな顔なのか。
いつもの小熊さんは神田家のシェフが作る高級食材オンリーの弁当を人並みの量食べていたが、お袋の味を味わえるのは喜ばしい事のはずだ。
「あ、そうなのですねっ。お母様の……羨ましい限りです。では、晃狩さんは安心してこれを食べて下さいね」
愛ちゃんはいつも通り、満面の笑みで弁当を差し出す。
「うん。ありがとう」
「フフッ」
「えー、皆さん。今日は体育祭に相応しい見事な晴天ですね。この天気なら皆さんの実力も十二分に発揮できるでしょう。えー……」
(話が長い……)
ただでさえ、梅雨真っ只中の5月に訪れた突然すぎる晴天。蒸し暑すぎて地獄にすら思える。
ただ直立する。一見何でもなさそうなこの動作だが、いざやってみると辛いものだ。校長の顔を見ようにも、上が眩しすぎて目がくらみそうになる。
「以上です」
(あ、やっと終わった)
[続いては準備運動です。生徒の皆さんは適当に広がってください]
そのアナウンスが耳に入ると、全生徒が校庭内にきれいに広がり、体育委員長の声に合わせて体操を始める。
「1、2、3、4ィ!」
『5、6、7、8っ!』
活気に溢れた声に包まれ、更に暑苦しい空間ができあがる。
(体操は、仕方ないけどさ……)
それにしたって、この蒸れきった校庭、どうにかならないだろうか。
嫌々体操をしていく内に、それはすぐに終了した。
[それでは生徒の皆さんは一旦退場してください。ですがこの後すぐに百メートル走がありますので、選手の方は入場口へ集合してください]
○ ○ ○
ゾロゾロと並ぶ選手達の中に、香山の姿を見つけた。それを報告しようと後ろを振り向けば、もう既に愛ちゃんは目をギンギンにして彼を見ていた。
「あ、どうしました? 晃狩さんも香山さんの好きな人を特定しようと?」
「え、いや……。まあちょっとは知れたらいいな~と思うけど、いくら何でも愛ちゃんガチ過ぎない?」
「え!? そんな、また香山さんに嫌われてしまいますっ。そうなったらお終いなのに……!」
俺から「ガチだね」と指摘されてようやく慌てた様子を見せたけれど、やっぱり常識が欠如しているな。
(というか、小熊さん止めなくて良かったのか?)
そう思い小熊さんに視線を向ける。けれど彼女は競技以外の何にも興味がない、といった様子だ。
具体的に何をしているかと言えば──自作の、B組の選手一覧表を見ていたのだ。
愛ちゃんが香山の想い人を本気で知りたがっているのと同様に、彼女もまた勝利を狙いに来ていた。
初めは俺専属のコーチだった彼女。だがいつの間にやらクラスをまとめ上げ、厳しく指導するようになっていった。その影響で、我がクラスメイトの意識は高い。
「双眼鏡を使うくらいなら良いでしょう? 割と遠いので、これが無くては見えませんし」
「う~ん。そこまでして見る? って感じだけど、その程度なら良いんじゃない? アイツもそこまで心狭くないよ」
愛ちゃんは両手で双眼鏡を包み込みながら、「ですよね! よかったです~」と笑った。
[一年生男子、第一レース。1レーンA組藤田君、2レーンB組飛鳥君、3レーンC組朝日君、4レーンD組高永君です]
興奮を掻き立てるような音楽と共に、淡々としたアナウンスが耳に入った。
「あ、始まったみたいですね。ですがこのレースには、香山さんは出られないみたいですね」
放送を聞いて愛ちゃんは残念そうに眉を下げる。それから興味なさげに、同じクラスの飛鳥君の応援を始めた。
「頑張ってくださーいっ。トップバッターとして!」
すると、だいぶ距離が離れているというのに飛鳥君は、顔を赤らめ愛ちゃんに手を振ってみせた。
面倒くさそうだったが、愛ちゃんも彼に手を振っていた。
「飛鳥成紀。アナタの強みは冷静さです! しっかり観察し、敵の分析を行って! 大丈夫! 勝てます!」
血相を変えて、小熊さんががむしゃらに叫んでいた。
「さすが熱血教師ですね。小熊さんがいる限り、B組は優勝間違いなしですよ」
自分の使用人の事で誇らしいのか、愛ちゃんは頬を緩ませた。俺も微笑ましい気持ちになってくる。
「そうだね。すごい頼もしいし」
「お母様も見に来るらしいですから、余計に張り切っているんでしょうね。ウフフ」
愛ちゃんも楽しそうで、何よりだ。やっぱり体育祭は楽しんでなんぼだよな。
[位置について、よーいドン!]
選手等が勢いよく走り出す。
(あ……)
小熊さんの言葉でプレッシャーを感じたのか、飛鳥君は少し出遅れた。しかしすぐに持ち直し、他の選手と並ぶ。
[速い! C組速いです! B組も距離を詰めていきます!]
実況を聞いたC組の朝日君は軽く視線を後ろにやり、飛鳥君を見た。
しかしその後は余裕たっぷりの面持ちで、走り抜く。
パンッ!
[1位・C組、2位・B組、3位・A組、4位・D組という結果になりました! 先の読めないレースでしたね!]
悔しそうに列に並んだ飛鳥君が地団駄を踏んだ。
自分でも勝てる自信があったからだろう。その顔が後悔に満ちていたのは。
ふと気になって、小熊さんの様子をうかがった。彼女は表情を先程と変えていないものの、どこか悔しさをまとった顔をしていた。
「ま、まだ始まったばかりですから、ここからですよっ」
「う、うん。だよね」
そうは言ってみたものの、今日は何故だか嫌な予感がする。あんなに頼もしく見えた小熊さんすら、小さく見えてしまう。
──本当に、優勝できるのだろうか?
[第二レース。1レーンA組成田君、2レーンB組樫木君、3レーンC組香山君、4レーンD組佐藤君です]
「あっ! 香山さんですね。そういえば、香山さんってお速いのですか? 機会が無かったものですから、存じ上げなくて」
「あぁ、アイツは運動得意だからね。小熊さん程じゃないけど、体力もあるし」
「そうなのですか……」
考え込むように俯き、愛ちゃんは呟いた。
その奥では、再び小熊さんが叫んでいる。
[よーい、ドンッ!]
うおっ。
言っちゃアレだが、第一レースよりも、迫力ががある。どこが勝つのかわからない、見事な接戦であった。
けれど、いつになく真剣な様子で疾走していく香山に勝る者はいなかった。つまりは、二度目の敗北である。
走り終えた香山は1位の列で同クラスの朝日君と嬉しそうに会話を交わしていた。
[1位・C組、2位・D組、3位・B組、4位・A組という結果となりました! 中々惜しい勝負でしたが、C組絶好調ですね!]
悪意なんて無いであろうアナウンスも、捻くれた今の心ではそれが嫌味に聞こえてしまう。
「本番は、練習通りの実力を発揮しにくいものですから。仕方ありません」
愛ちゃんも少し暗い様子になっていた。
そして周りを見渡す。敗北を悔しがる者もあれば、励ましの言葉をかけ、皆を奮起させようとする者もあった。
まだ現段階では、どんよりとした雰囲気にはなっていない。
競技に参加した本人達は地を力いっぱいに蹴り、どうにもできない心情に頭を抱えている様子だったが。
[一年生女子、第一レース──]
その後のレースも、皆は一生懸命走っていた。
けれども、一度だって1位にはなれなかった。
(大丈夫なのか……?)
そこまで深く考える必要はないのだろうけど、とてつもなく不吉な予感がしてならない。
そんな感じで訪れた、第六競技・パン食い競争。
「きっとこれなら優勝できますよっ。二人三脚ではペアが急遽交代という非常事態に対応できず、グダグダな走りになりましたけど……」
そう。愛ちゃんや小熊さん等の担当した競技二人三脚では直前に男子三名全員怪我をしてしまい、危険と判断した教師はペアの交代を命じた。
女子の立候補者が出ず2レース担当していた愛ちゃんは、二回目2位を獲得したものの、リズムが崩れ効率の悪い走り方をしていたのは確かだった。
「そうだね。俺達で、優勝への道を作らないと……」
[午前の部最終競技。一体どんな形で終わるのでしょうか? さて、では準備ができたようですので、開始いたしますっ]
パンのセッティングが整うまで、放送委員長の完甘先輩はずっとトークで場を繋いでいた。なんて優秀な人材なのだろう。
[位置について、よーいドンッ!]
よし、走れ、走れ!
そして、パンにかぶりつくんだ!
「っ!」
パクッ。
口でパンを掴み取ったのを認め、俺は一心不乱に走った。髪、顔がだらしなくなってしまおうが、今は取るに足らない事である。
「そのままぁ! ゴールに一直線!!」
「!」
小熊さんの声に驚いて口が開きそうになったが、グッと堪えて足を動かす。
あぁ、やった。
ゴールは、目の前──。
「……え?」
ぐらりと体勢が崩れ、気付けば前に倒れていた。
何が、起きた。
俺はただゴールの目の前まで走っていただけなのだ。そこで何故か力が抜けて転んだ。
(ん? もしや……)
ふと頭をもたげた考えをかき消した。まさかそんなはずは無いと、全否定した。
(だってもしそうだとすれば……)
いくらなんでも卑劣すぎる。
[おっとー! 奇跡の逆転劇!? B組の転倒により、1位はA組! 展開が予測できませんっ。どうなる、第二レース!]
完甘先輩、実況を楽しんでいるみたいだ。
別に関わりもないし、体育祭は楽しむものだと言い放ったのは自分だし、それはとても良い事だと思う。
ただ──
そんなもの聞きたくないくらい、腹が立った。自分自身に。
「晃狩さん……」
愛ちゃんの悲しそうな呟きも、右から左へ聞き流していた。
[第二レースは一年生女子です。どんな素敵な勝負を見せて下さるのでしょうか]
レーンに並んだ女子等の顔は凛々しく、本気で勝ちに来ているのが見て取れる。勿論、愛ちゃんだって例外ではない。
[では、またパンのセッティングに時間が掛かるという事ですので、大変恐縮ですが、私完甘に送られてきたお便りを読ませて頂きますねっ]
うおぉぉー! と雄たけびが湧いた。もしかして……この学校には、生徒のファンクラブなる物が形成されているのだろうか?
完甘先輩の写真がプリントされたピンク色の旗を振り、それと同じデザインの鉢巻を身に着けた集団。これを見れば、そう考えるのが妥当だろう。
気持ち悪いとまでは言わないが……ちょっとな。
[ではまず一通目。『いつも放送聞いてます。大好きです! ところで、完甘さんの好きなアーティストはどなたですか? いつもリクエスト曲をかけてくれて嬉しいのですが、あまり自分の話をされないので訊いてみました! 答えてくれると嬉しいです』質問とは嬉しいお便りですね]
「……」
呆れてものも言えない。なんだ、この茶番。楽しいのは本人と愉快な仲間達だけではないか。
(放送に興味がない人からしたら、憂鬱なだけの時間だな……)
キョロキョロと周りを見渡した。自分と同じ考えを持つ人間を探す為である。
けれど、そんな者の姿は見受けられない。生徒のみならず教師や保護者までも、彼女の放送に聞き入っているのだ。
(嘘だろ!?)
俺がおかしいのだろうか? 完甘先輩のトークに、いまいち魅力を感じない。
[はい! ではそろそろ準備が整ったみたいですね! 競技を再開しましょう]
完甘先輩の声が真面目で、引き締まったものになる。これこそ、学校の放送というものだ。
アナウンスを耳にし、女子達がゆっくりと立ち上がる。
そこで思ったのは、愛ちゃん以外の全員、妙に気合が入っている事。
やる気で満ちているのはとても良い事だし、それは愛ちゃんも同じだ。言いたいのはそういう事ではなく、何というか……兎にも角にも怪しいのである。
[先程はB組の突然の転倒により、A組が見事に勝利を収めましたが……!? 女子は敵を取れるのか! いざ、勝負です]
各々、体を動かし始める。
そのうち一人は女子高生とは思えぬ貫禄で肩をゴキゴキ鳴らしていた。周りで他の生徒達がそれを見て怯む。
[位置について、よーいドンッ!]
──愛ちゃん、勝ってくれ。
俺はただ祈るしかなかった。
練習ではほぼ全勝してきたが故に、クラスの雰囲気が崩壊しかけているのだ。この際パン食い競争でも何でも、1位をもぎ取り持ち直さなければっ。
「頑張れー!」
「負けるなー!」
周りを飛び交う熱い声援。
こんなに沢山聞こえるのに、愛ちゃんに向けたものは小熊さんによるものしかないと分かってしまった。
もう皆希望を失っている。光が見えなくなっている。
(このままじゃ……)
パンに食いつこうと、外聞なんて気にせず飛び跳ねる愛ちゃんを一目見た。
そして意を決し、口を大きく開く。
「愛ちゃん、頑張れ!」
今までは照れくさくて言えないでいた。練習の時も含めて、だ。
だが今は恥ずかしいだとかそういう事を言っている場合ではない。折角体を鍛えてもらったのに結果が散々で、陰鬱に終わる体育祭なんて嫌だ。
「! こうぎゃひゃん……」
声が届いた。この調子でいこう。
「練習通り、取り乱さないでいこう! 大丈夫! きっと勝てるよ」
「……ひゃい!」
愛ちゃんは軽快に走っていく。
流石はお嬢様。余裕の表情だ。
[おっと! ダントツで駆け抜けましたB組っ、これは勝利確定か?]
よし、そのまま!
手に汗握り、(頑張れ)と心の中で唱えた。
「ん?」
この展開、見たような気が……。
あ、そうだ。
さっきのレースも、こんな感じだったんだ。
[おっ! D組が追い上げます! 物凄いスピードですが、B組ゴールに間に合うか?]
ほら、やっぱり。油断した所で後ろから追われる。
ゴール間近、愛ちゃんとD組の選手が並んだ。
そこで、また。
ステン!
[惜しい! B組、再び転んでしまいました! 見事な接戦でしたが、D組の勝利ですっ。おめでとうございます]
「そんな……」
愛ちゃんが目を擦って呟いた。
俺と同じだ。
──いや。そういえば、ゴールを目前にして転んだ人は、沢山いた。
それも全て1年B組の生徒だ。
(普通じゃない。いや、やっぱり──)
先程ふと浮かんだ考えが、またしても頭の中で勢力を増した。
『他のクラスが、悪事を働いているのではないか?』
自然な考えだろう。
それに、見えた気がしたんだ。愛ちゃんを転ばせにかかる、一本の足が。
それならば全てに説明がつくし、その理由だって明確だ。
練習にてチームワークとコーチの力を駆使し、圧勝したから。
妬んだ故の、不正行為。
(けれどもし、本当にそうだとして)
1つ腑に落ちない事がある。
香山だ。アイツはそこまで勝利にはこだわらない……というか、運動において曲がった事は好まない。
もしB組を潰そうとする計画が影で進められていたとして、奴がそれに加担するか? そもそも、俺達に黙っているか?
俺の知る香山ならそんな事はしない。長年の交友で培ってきた信頼に、誓って。
「神田さん大丈夫?」
そんな声が聞こえた。
もしや、怪我をしたのか、愛ちゃんが。
「え、ええ。大したことはありませんよ、この程度。突然の事でしたから、ビックリしただけです」
愛ちゃんは傷口を押さえ余裕の笑みを浮かべている……つもりなのだろうが、痛みに悶え、額から汗が吹き出ている。
俺は偶然にも怪我は負わなかったが、愛ちゃんの場合、転び方が悪かったみたいだ。
「大丈夫じゃないよね、愛ちゃん。無理する必要なんて無いんだよ?」
順位が同じなため、後ろに座っている愛ちゃんに声を掛ける。
視線を下げると、思わず「うっ」と声を上げそうになる程無残な傷が存在した。
「晃狩さん……。無理なんてしていませんよ。少し擦りむいた程度です」
「でも、痛いんでしょ?」
「い、痛いのはお互い様ではないですか。晃狩さんも転ばれたのですから」
そう言って彼女も俺の膝小僧を見つめる。そこは砂で少々汚れているのみで、傷と言えるものなんて無い。
「でも怪我をしたのは愛ちゃんだけだよ?」
「うぅ。……というか無理をするなと仰いますけど、なら私はどうすれば良いのでしょうか?」
ちょっぴり怒りのこもった口調で愛ちゃんが訊く。
「き、救護テントに行って手当を受けてもらえば良いんじゃない?」
正しい答えを述べたつもりだが、愛ちゃんはムゥと口を尖らせてしまう。
……何が悪かったんだ!?
「この足では、救護テントに向かいたくても向かえません」
「え?」
間接的な、『運べ』という命令か? うん、愛ちゃんならあり得るな。
バリバリの通常運転だ。本当に、さすがとしか言いようが無い。
「私が何を言いたいか、解っているでしょう? ウフフ」
怒ったと思えば、今度は笑い出す。切り替えが早くて、立派な事だ。
情緒不安定とも言えるが。
「……つまりは、運んでけって事でしょ? まあ今回ばかりは仕方無いよね」
「次が無いかのような言い草ですね」
[それでは選手退場になります。皆さん、起立してください]
すごく良いタイミングだ。
そう思い立ち上がり、軽く背中を曲げた。
「ハイ、愛ちゃん」
「……」
「あれ、愛ちゃん?」
(? 乗ってこないな)
ちらりと後ろを向くと、赤面した愛ちゃんの姿がうかがえた。
「あ、すみません! ただいま!」
(自分から言ってきた癖に、変なの)
愛ちゃんを背負って、俺は救護テントへと向かった。
○ ○ ○
「さて、お弁当ですよ~」
手当を終えピンピンになった愛ちゃんは浮ついた様子で弁当箱を開いた。
中に見えたのは想像していたのと違い、普通のおかずだった。
「意外だね。普段のご飯みたいに高級料理じゃないんだ」
「そうですよ。私そういった物は作れないんです。けれどどれも愛情を込めて、丁寧に作りましたからご安心を」
「あぁそっか、俺のも愛ちゃん作なんだ」
言われて思い出し弁当の中身を見てみる。僅かな差はあれど、おおよそは愛ちゃんとおんなじだ。
「中身がお揃いだなんて、まるで夫婦のようですね」
「なっ!?」
母の手料理を食し上機嫌な小熊さんの一言。
さらに隣の香山も、「うんうん」と同調する。
そして畳み掛けるかのような、「ヒューヒュー」という言葉。これを発しているのは、俺の家族だ。
「本当アンタもスミにおけないよねぇ。あ、愛ちゃんと数馬君に……そのお友達かな? こんにちはー」
「晃狩さんのお母様! こんにちはっ。ご協力ありがとうございました!」
協力って……やっぱり手を回していたのか。
「いえいえー。これからも、何か力になれる事があればどんどん頼っていいからね」
「ありがとうございます! よろしくお願いしますねっ」
母さんも愛ちゃんも、ただただ満面の笑みで話していた。
何故か勝手に親睦を深めているようだが、俺が好きなのは愛花だからな?
なんて今発言すれば、この場は崩壊するだろう。
「あと、こちらに居るのは使用人兼友人の小熊凛々さんです」
「はじめまして。皆さんのお役に立てますよう、尽力致します」
礼儀正しく、深々と頭を下げる。
母さんは「ちょっとちょっと!」と言いながら、細かく手を振った。
「別に我が家の使用人って訳じゃないんだから! 頭下げたりなんてしなくて良いんだよ!」
「え? そうですか。かしこまりました」
小熊さんはスッと頭を上げた。
「お母様の隣の方は、もしやお姉様でございますか!?」
手で口を押さえた愛ちゃんが興奮した様子で質問する。
それを聞いた姉貴は一歩前に出、一礼した。
「御名答。晃狩の姉の、多田友子で~す」
「お母様に似て、とぉぉぉっても素敵でいらっしゃいます!!」
「あ、ありがとう」
愛ちゃんが一人はしゃぐ。
「母に似て素敵」と言われた姉貴だが、本人は大して母を素敵と思っていないだろうから、冷めた笑いを浮かべるほか無いのだろう。
「……というかずっと喋ってるが、食べなくて良いのか? 午後動けないぞ?」
食後の茶を啜って、馬鹿にしたように香山が訊く。
「え? まあ、結構長いことお話していたのですね。早く食べなくては」
「じゃあ、私達は失礼するわね。また後で」
「はい! さようなら!」
母さんと姉貴を見送ったのち、俺達は3人で手を合わせ、「いただきます」と声を大にして言った。
「わざわざ人気の無い場所まで来て……何の用だ?」
賑わっている校庭内でも、体育館の裏は人が少ない。だから俺はそこに香山を連れてきた。
理由は、不正を働いているのか否かというのをハッキリとさせるため。
モヤモヤしたままで終わりたくはないのだ。
「単刀直入に言わせてもらうけど──B組を陥れようとなんて、してないよね?」
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