辺境の付与術師のスローライフはままならない? ~Sランクパーティーを追い出された無能な俺、実は世界で唯一の概念付与の使い手でした~

沢谷 暖日

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第一話 英雄の消えた街

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 降りしきる雨が、あの日の遺跡の冷たい空気を思い出させる。

 あれは「賢者の石房」と呼ばれた古代遺跡の最深部を目指していた時のことだ。
 俺たちの前には、底の見えない奈落が広がり、その向こう岸へ至る道は完全に消失していた。
 唯一の手がかりは、壁一面に刻まれた解読不能な古代の魔術式。エリアーナが必死に解読を試みるが、あまりに複雑で、時間の経過と共に遺跡全体が崩落を始める危険な状況だった。

「くそっ、まだ解けないのか、エリアーナ!」
「黙りなさい、アルドレット! これは現代の魔術式とは全く違うのよ!」

 焦燥に駆られる仲間たちを背に、俺は壁の魔術式をじっと見つめていた。
 俺には、古代の文字は読めない。だが、俺の中に流れる何かが、その文字が持つ「意味」の流れを、おぼろげに感じさせていた。魔術式の中心、そこだけ魔力の流れが淀んでいる箇所がある。
 きっと、あそこが鍵だ、と。

 俺は、エリアーナが解読に気を取られている隙に、そっと壁に近づき、その淀んだ部分に指で触れた。
 そして、一つの概念を、静かに、それでいて強く付与する。

 ――【修復】

 その瞬間、壁の魔術式全体が淡い光を放ち、今まで掠れて読めなかった部分の紋様が、くっきりと浮かび上がった。それを見たエリアーナが、驚愕と歓喜の声を上げる。

「……わかった! そう、そういうことだったのね! ついにこの古代魔術を解き明かしたわ!」

 彼女は、それが俺の力によるものだとは微塵も疑わず、全て自分の手柄だと信じ込んでいた。
 浮かび上がった術式を彼女が詠唱すると、奈落の底から光の道が生まれ、向こう岸へと繋がった。

「ふん、時間がかかりすぎだ。行くぞ」

 アルドレットは俺を一瞥もせず、当然のように光の道を渡り始める。
 俺がそれに続こうとした時、エリアーナが冷たい声で俺を制した。

「待ちなさい、ノア。あなた、先に行きなさい」
「え……?」
「この手の古代の橋には、重量感知式の罠が仕掛けられていることがあるわ。あなたのその軽い体なら、万一のことがあっても大丈夫でしょう。……行きなさい。パーティーの斥候役くらい、荷物持ちでもできるでしょう?」

 それは、俺を「罠の実験台」にすると、そう言っているのと同じだった。
 カインは「せいぜい役に立てよ、カナリア」と肩を突き、セレスティアでさえ「女神のご加護を」と祈るだけで、止めてはくれなかった。

 ……そうだ。俺は、いつだって『いなくなってもいい人間』だったんだ。

 そんな過去の記憶が、冷たい雨と共に蘇ってくる。
 アルドレットに追放されてから、俺は王都の濡れた石畳を歩き続けていた。
 行くあても、帰る場所もない。だが、このまま雨に打たれ続ければ凍え死ぬだろう。
 俺はなけなしの金貨を強く握りしめると、適当に見つけた小さな宿屋へと足を踏み入れた。

「へい、いらっしゃい……って、こりゃひでえな。兄ちゃん、ずぶ濡れじゃないか。さあ、こっちの暖炉の前で温まりな」

 カウンターの奥から現れたのは、人の良さそうな初老の主人だった。
 俺の格好を見ても嫌な顔一つせず、乾いた布まで貸してくれる。
 その飾り気のない優しさが、凍えた体にじんわりと染み渡った。

「温かいシチューでも食ってきな。代金は、まあ、いつでもいいさ」

 主人の好意に甘え、俺は暖炉の前で熱いシチューを啜った。

「それにしても、今日は街中がお祭り騒ぎだ。なんたって、我らが英雄『神速の剣』様が、あの『奈落の迷宮』を攻略なされたんだからな!」

 主人が、誇らしげにそう言った。その言葉に、俺は思わずスプーンを止める。
 この街の誰もが、彼らを英雄だと信じている。その英雄譚の中に、罠の実験台にされるような男の存在など、一行も記されてはいない。

「──ん? おい!」

 その時だった。俺と主人のものではない野太い声。
 二階の宿泊スペースにいた客だろう。酔っぱらった風の冒険者風の男たちが数人ながれこんできた。

「あそこにいるのって……『神速の剣』の荷物持ちじゃねえか!」

 一人の男が、俺を指さした。店中の視線が俺に突き刺さる。

「なんで英雄様たちと一緒じゃねえんだ? ああ、そうか」

 男は嫌な笑みを浮かべ、俺の肩を馴れ馴れしく叩いた。

「ついに追い出されたってわけか! そりゃそうだよな、お前みたいなのがいつまでも英雄様の隣にいられるわけねえもんな!」

 その男の大声を皮切りに、周りの連中が俺に罵声を浴びせだす。
 容赦なく。それこそ宿の外で降っていた雨のように。

「寄生虫が!」

 あの日のエリアーナの声が、今の彼らの声と重なって聞こえた。

「…………」

 その時、俺は悟った。
 この街に俺の居場所は無いのだ、と。
 ここじゃ俺は「英雄『神速の剣』に捨てられた、無能な荷物持ち」でしかない。
 誰も、俺自身のことなど見てはくれない。
 別に分かり切っていたことだ。

 俺は静かに立ち上がると、心配そうな顔をする主人に金貨を数枚置き、「……ごちそうさまでした」とだけ告げた。そして、罵声を浴びせ続ける男たちには目もくれず、再び雨の降る夜の闇へと歩き出した。

 もう、迷いはなかった。
 英雄のいない場所へ行こう。俺のことも、「神速の剣」のことも、誰も知らない場所へ。
 そこでなら、俺はただの「ノア・アーキテクト」として、もう一度やり直せるかもしれない。

 俺は震える手で地図を買い、王都から一番遠い場所を探す。指先が、王国の西の端に記された小さな街の名前で止まった。

 ――ミストラル。

 この街で俺だけのスローライフを送ってみせる。
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