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第10話

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「あの……アロイス王太子殿下。今、お時間よろしいでしょうか?」
「……? ええ、構いませんが……」

 伯爵夫人に声をかけられ、部屋の外に出る。
 ルナリアの姿は、母親である彼女にすら見えていないようだ。
 とてもじゃないけれど、「実は俺、幽体離脱したあなたの娘さんの姿が見えるんです」などとは言えないため、きっと彼女にはとち狂った王太子が霊媒師を呼びつけて娘に何か怪しい術を施している、ぐらいにしか思われていないのだろう。
 そう思っていると、夫人が言いづらそうに話を切り出した。

「実は……近いうちに、娘にかけている生命維持魔法を解除しようと思っているのです」
「え……?」

 言われた瞬間、思考が停止する。
 何故? どうして? そう訊ねようと思ったけれど、言葉が出てこない。

「元々、生命維持魔法というのは昏睡状態に陥っている人間を無理やり生き長らえさせるためのものです。ですから、当人の体にかかる負担も大きいのです」
「体への負担……ですか……」

 やっとのことで声を絞り出し、夫人の言葉に反応する。

「ええ。あと、これはあまり世間に知られていないことなのですが……運良く昏睡状態から目覚めた人間は、魔法の後遺症──例えば、心神喪失して寝たきりになったり、全身が麻痺して動くことすらままならなくなることなども多々あるようなのです。しかも、主治医の診断によると、ルナリアが目覚める可能性はほぼゼロに等しいようで……」
「……」
「主治医は、生命維持魔法を継続するかは親族であるわたくしたちに任せると仰っていらっしゃいました。わたくしたち夫婦としても、娘にそんな苦しい思いをさせるくらいなら、いっそのこと魔法を解除して楽にさせてやりたいと考えているのです」
「そんな……! でも、ルナリアはまだ生きている! 一生懸命、目を覚まそうと頑張っているのに……!」

 夫人にそう詰め寄ると、彼女は首を横に振った。

「それでも……わたくしたちはこれ以上、娘の体が魔法に蝕まれていくのを見ていられないのです。何卒、ご理解ください。アロイス王太子殿下」

 そう言うと、夫人は深々と頭を下げてルナリアの寝室を後にした。
 頭が真っ白になった俺は、呆然とその場に立ち尽くすことしかできなかった。


 ***

 翌日。
 俺は、気丈に振る舞うルナリアと一緒に彼女の寝室で打開策を必死に考えていた。

「アロイス様……その、元気を出してください。わたくしなら、大丈夫ですから」
「……」
「それに……わたくし自身、もし目覚めたとしても心神喪失して、廃人のようになって、大好きなアロイス様のことすらわからなくなってしまうくらいなら……このまま、あの世に旅立ったほうが幸せだと思っていますわ」
「……っ! そんなの、駄目だ! 君は、もっと生きないと! 幸せな結婚をして、子供を産んで、温かい家庭を築いて、歳を重ねて──家族に囲まれて大往生するまで生きないと駄目だ! 君には、その権利がある! ……そう、誰よりも!」

 後ろ向きなルナリアに反論するように、思わず声を張り上げる。
 ゲーム本編で悪役令嬢として不幸な運命を辿る彼女には──いや、もう悪役令嬢とかそんなことはどうでもいいから、とにかく自分が愛した女性には幸せになってほしい。

「……ああ、やっぱり。そういうところが、あの人にそっくりですのね」

 しみじみとした様子でそう言うルナリアを見て、頭の中に疑問符が浮かぶ。

「あの人……?」
「その……こんなことを言ったら、驚かれるかもしれませんけれど……実は、わたくしには前世の記憶があるのです」
「え……!?」
「わたくしの前世の恋人が、アロイス様に似ているのです。その方は、わたくしのことを思うあまり頑張りすぎるところがあって……『無理しなくてもいいのに』と思う反面、そんなところが愛おしくもあって……」

 ルナリアの口から出た「前世」という言葉に、思わずドキリとする。

「でも、残念ながら、わたくしは病気で死んでしまったのです。最期に、一目でいいからあの人に会いたかった──それだけが心残りですわ」
「ルナリア……君は、もしかして……」

 今まで、ルナリアに対して感じていた既視感の正体がわかったような気がした。

「前世で、『アルカナと月の神子』というゲームをやっていなかったか?」
「……! どうして、アロイス様がそれを……?」

 ルナリアの反応を見た瞬間、確信した。
 間違いない。彼女の正体は梢だ。

「きっと、君が言ってる『前世の恋人』は俺だ。実は、俺にも前世の記憶があるんだよ」
「だ、大地くんなの……? まさか、本当に……!?」

 ルナリアは信じられない、といった様子で目を見開いた。

「ああ。何故かわからないけど、気づいたらアロイス王子として転生していたんだ。梢……本当にすまなかった。日に日に弱っていく君を見たくなくて、君が余命宣告を受けたことを信じたくなくて、ひたすら現実逃避をして……最後のほうは、お見舞いに行くことすらできなかった。その事を、ずっと後悔していたよ」
「大地くん……そんな、気にしないで。でも、良かった。私のことを嫌いになったわけではなかったのね」
「嫌う? そんなこと、あるわけないじゃないか」

 そう返し、ふとルナリアの実体に目をやる。
 前世の恋人との再会を果たして一瞬喜んだものの、すぐにまた憂鬱な気分に戻ってしまった。

「あの時の俺は、君を助けることができなかった。だから、今度こそ助けたいんだ。……何としても」

 言いながら、ルナリアの実体のほうに歩み寄り、その華奢な手を両手で包む。
 その途端、背後から幽体のルナリアが驚いたような声を上げた。

「え?! 何、これ……? どういうこと……?」
「……? どうしたんだ?」
「実体のほうの手を握られているはずなのに、何故か手が温かいの」

 ルナリアは、不思議そうに自分の手を見つめる。

「もしかすると……私があなたに触れられることを心から望んでいたから、幽体のほうにも影響して実際に手を握られているような感覚に陥っているのかも……」
「つまり、どういうことなんだ……?」
「……今、わかったわ。私の一番の未練──それは、『あなたに触れられること』だったのよ」
「触れられること……?」
「ええ。大地くん……いえ、アロイスは、今までずっと私のことを避けて、体に触れようとしなかったでしょう? キスをしたり、手を繋いだり、抱き合ったり──そういう恋人らしいことが一切できなかったから、すごく未練に思っていたのよ」
「なるほど! そうだったのか! ということは……」
「ええ。ハンスさんに頼めば、きっと目覚めることができるわ!」

 ルナリアの表情がパッと明るくなる。

「よし、すぐにハンスを呼ぼう!」
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