土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家

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第5章 新選組の再集結

第8話

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 土方歳三少佐の到着により、海兵旅団の全部の大隊長が、長崎の地に揃った。
 そして、現在の戦況を再整理するためと、土方少佐に説明するためと、今後の方針を周知徹底するために、大鳥圭介海兵旅団長は、副大隊長以上を全員集めた(といっても第1大隊と第2大隊には副大隊長はいないので)7名による会議が急きょ、2月25日の夕方に行われることになった。

 大鳥圭介海兵旅団長が、会議の口火を切った。
「正直に言って、現在の戦況は極めて悪い。
 土方少佐がここ7日余り、船上にいて戦況を全く把握しておられないこともあるし、戦況の認識について全員の認識を一致させるべきだと思うので、林大尉に現在の戦況をまず説明させる」

 林大尉が起立して、戦況の説明を始めた。
「2月21日の夕刻から、熊本鎮台からの連絡は、完全に途絶えたままです。
 直前の電報によると、熊本鎮台に西郷軍が接近しつつあり、翌日、つまり22日の黎明を期して熊本鎮台に対する攻撃を西郷軍は策している模様とのことで、現在、熊本鎮台を巡る攻防戦が行われていると思料します」

「確か、熊本鎮台は熊本城内にあるが、熊本城が燃えたという情報も無かったか」
 林大尉の発言を受けて、古屋佐久左衛門少佐、第1海兵大隊長が発言した。

「はい、そのとおりです。
 2月19日昼頃に熊本城は燃えており、天守閣等は焼失しました。
 これについては情報が錯綜しています。
 西郷軍に通謀した何者かが放火した、熊本鎮台自ら攻撃の的となる天守閣等を自焼した、単なる失火だ等々の情報が乱れ飛んでいます」
 林大尉が即答した。

「天守閣等を自焼したら、城の防御能力が低下しないのか」
 滝川充太郎少佐、第2海兵大隊長が発言した。

「日本の城の防御能力の本質は、地形を活用したものです。
 そういった観点からすると、熊本城は加藤清正が心血を注いで作り上げた名城と謳われたものであり、天守閣等が燃えたからといって防御能力がそんなに低下するとは考えにくいです。
 これは私が受けたフランスでの士官教育からも断言できます」
 林大尉が言った。

「となると自焼説もあながち否定できないか」
 林大尉の言葉を受けて、滝川少佐が言った。

「また、熊本城下でもほぼ同時に大規模な火災が発生したとのことです。
 これは熊本城の火災が延焼したものか、それとも別の原因によるものかは判然としません」
 林大尉は、更に気になる情報を言った。 

「熊本城下の街並みは西郷軍が接近するのに好都合だからな。
 それこそ鎮台兵が放火した可能性が高い」
 本多幸七郎少佐、第4海兵大隊長が言った。

「勝手な憶測は慎め」
 流石に、この言葉には、大鳥旅団長が叱った。

「小倉から熊本鎮台救援に向かっていた陸軍の第14連隊ですが、一部は熊本城内に無事入城しましたが、主力は熊本城内に入城することに失敗し、2月22日から西郷軍と交戦しましたが、結局、敗走しました。
 救援に向かった陸軍の第1旅団と第2旅団によって、西郷軍のそれ以上の追撃は阻止されたという一報が入っており、現在は熊本城救援に向かった第1旅団等と西郷軍が交戦中であると考えられます」
 林大尉が、自らが把握している戦況の説明を終えた。

 土方は、この間、無言を押し通すしかなかった。
 今の故郷である北海道の屯田兵村を出た時に、自分が把握していたのは、西郷隆盛が挙兵したらしい、薩摩士族が続々とその挙兵に賛同して、行動を共にしている程度だったのだ。
 それが、先程の林大尉の説明により、具体的なものとして、自分にもようやく把握できたからだ。

 熊本城やその周囲が燃え、更に熊本鎮台が孤立している。
 現在の戦況は、どうにも芳しいとは言い難い、これから我々はどうすべきかな、と土方は考えた。
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