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潤ノ国東ノ村No.4
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遠くの方で何か大きな物が崩れる音がした。砂煙が上がる様子が確認できる。自分はまだ、東ノ村にはいるらしい。
「あの、これは一体、どういうことですか!?」
右脇から声がする。自分が掴んだ腕の主だろう。彼女はどうやら、情緒が不安定らしい。
「どういうことっていうのが、どういうことなんだ?」
冴仁はおうむ返しする。我ながら、咄嗟の行動にしては良い判断だったと思う。だが、だからこそそこに疑問の余地はどこにもない。
「ですから、なぜ転移の術式に着いていくことができたのかと、そういうわけです」
「ええと……どういうこと?」
弓紀は頭を抱えながら「やはり野生児なんですね」と呟く。俺も質問したい。なぜこの女は、一言付け加えずにはいられないのか。
「あなたは特に呪術や武術を学んでいるわけではなさそうなので、分からないのかもしれませんが、普通、予測して動いていたわけでもなく、その場の判断で術者に触れることなどできる人はいません」
「いるけど?」
「ええ、そうでした、いましたよ!……これが吸血鬼の力というわけですか」
弓紀は口元に手を当てて思考する。
「はぁ、だからさ、俺のことを吸血鬼って言うのはやめてもらえないか?」
挑戦的な口調だったかもしれない。それでも冴仁にとって譲れないラインというものが、確かにあった。
それに反抗するように弓紀は冴仁に対し、鋭い視線を送る。
「でしたら恐縮ながら質問ですが、その力は吸血鬼でないのなら、何だって言うんです?」
「さぁな、知らねぇよ。知りたくもねぇ」
冴仁はそっぽを向いて、鼻を鳴らした。静かな声がした。その声には、さながら職人の腕が光った名刀のような深さを感じる。
「それは逃げですか?自分の運命に対する逃げですか?」
大袈裟だと思った。でも、自分よりも確実に、この少女の思考は先を見ている。劣等感に身を捩りたい想いで、
「運命?それこそ知らねぇよ。でも俺は俺なりに全力で生きてきたつもりだ」
「なぜ自分の力を研究し、国にとって、村にとって、自分が必要な存在だと証明しないのですか!」
クールが取り柄の弓紀が取り乱し、語るその主張を冴仁は鼻で笑った。
「証明?証明だと?物心ついた途端につまはじき者となった俺の何が、お前に分かるっていうんだ」
冴仁の声には、静かだが、冷たい怒りがこもっていた。
敗北感。
説教の中に図星の部分が含まれていたとき、人は本当の意味で言葉が刺さる。この時の冴仁はまさにそれだったのだろう。
弓紀は取り乱し、騒ぎ立てた自分自身に驚いていた。冴仁を見て身体が震えた。掛ける言葉を探したが見つからない。弓紀は己の未熟さを呪った。
海風が塩っ辛い匂いを漂わせて木々を揺する。
無数の虫たちの鳴き声は森に風情を与える。
冴仁は自分も我を忘れていたことに気づく。出会ったばかりの人間がそんなことをわかるはずもないだろう。気まずい雰囲気に負けず、冴仁は弓紀のガラス玉のような潤んだ瞳を真っ直ぐ見る。
「あ、ああ……ええと、なんだ。もしお前が少しでも悪気があるなら、お前の任務について少しでも教えてくれよ」
「え、ええ。……ではどこか落ち着く場所を探してでも」
「気にすんなよ。会ったばかりのお前ができたことなんて……ああ、思い返してみるとかなりのことをされたような」
家を破壊されたりだとか、人生を否定されたりだとか。ついでにアッパーとか。いや、あれは俺が悪かったのか。
「ええと、これはさすがに私が悪いですね。反省します」
荒っぽい女がしおらしくなるのは気味が悪い。冴仁の全身の優れた神経系がそう言っていた。そのため若干の警戒心を残しつつ、
「だったら、ジャングルの中心地に地下へと続く洞窟がある。そこで話してくれ」
「分かりました。では案内をお願いします。私は東ノ村について詳しくないので」
冴仁は頷いて肯定の意を示した。今更ながら、村人に位置がバレないよう隠密行動をした方が良さそうだからな。
この世にある全てのものに、名前はなかった。
それらの物に人類は『名付け』という行為をするようになった。名前は、人類が言葉を生み出すよりずっと昔から存在している。不思議だと思わないだろうか。
辞書的には『個々の人、物を指す呼び方』とされる。
だが、本当にそれだけでいいのだろうか。
いや、名前には目に映らない力、あるいは霊力が宿るという伝承もある。それはない。
つまり『名付け』とは人間の本能だ。
冴仁の脳内では、こんな文章がだらだらと綴られていた。
「あなたはこの村の住民なんですよね。どうして村の地名を知らないんですか!?」
「……別にいいだろう。俺自身、色々と思うところがあるんだよ」
二人の金切り声が洞窟の中に反響していた。頭上には針山を反転したような白濁した鍾乳洞がぎっしりとついていて、道は段状に島の奥深くへと続いている。
真っ暗闇の洞窟の中を照らすのは、弓紀の手にある赫然たる炎。
まるで二人の会話に拍車をかけるような、一定のテンポで天井から垂れる水滴。
そんな中で二人のテンションはクライマックスへと向かっていた。
「ところで、まだ着かないんですか。落ち着ける場所なんて、本当にあるんですか」
「あるよ。でも歩きなんだから仕方ないだろ」
「まさか、いつもはこの暗闇を走って移動しているんですか……!?」
冴仁は頷いて、両手を開いた。
「俺はこの村を一人で生き抜いてきたんだ。目を閉じていても生活できるよ」
すると弓紀は額に手を当てて、
「根っからの馬鹿ですね。そんなことがなんの役に立つというんですか」
「いや、それはそうだけど……」
そこは褒めるところなんじゃないのか?今の俺は案内役なんだから、案内役としてこれ以上の人材はいないだろう。
「野生児なんですね」
「おい、やめろ。野生児を悪い意味で使ってやるな」
「言葉を心配するよりご自分の心配をなさったらどうですか。あなたも随分と偉くなったものですね」
それは長年の付き合いのある奴が言うセリフだ。
冴仁は深いため息を吐いた。
顔を上げた時、視線の先には泉があった。目的の場所である。海の水が清められているのか、元から美しい水に光のない場所で輝きを発している。
「着いたぞ。ここならゆっくり話せるだろう」
「ええ、そうですね」
弓紀は淡々と泉の脇へと歩いていき、腰を下ろす。
「あのさ、俺のことを信用していないのは分かるけどよ……」
「何の話です?座ってください。話しますから」
冴仁にとっては、一生をこの村で過ごしてきた者として、自分の自慢の場所を見せているのである。
こういうときには、一言でも言うことがあるのではないのだろうか。
「綺麗だと思わないか?この泉」
「そうですね。では、座ってください」
弓紀は何の悪気もない顔で隣を叩く。隣に座れということだろう。こいつは自分を犬か何かだと思っているのだろうか。
「薄情な奴だよ、お前は」
「失礼な人ですね。私の行動のどこに情がなかったというのです」
「はっきり言って、全てにない」
はっきり言って、利己的だと言えるだろう。
情報のために相手の立場をぐちゃぐちゃにして、気遣いすらしない。
しかしーー
『私が悪いですね。反省します』
あの一瞬見せた、力の抜けた表情は何だったのだろう。最近は謎が増えるばかりだ。
冴仁は唇を強く噛み、言い直した。
「いや、少しはあったかもしれない。少しは、な」
「あの、これは一体、どういうことですか!?」
右脇から声がする。自分が掴んだ腕の主だろう。彼女はどうやら、情緒が不安定らしい。
「どういうことっていうのが、どういうことなんだ?」
冴仁はおうむ返しする。我ながら、咄嗟の行動にしては良い判断だったと思う。だが、だからこそそこに疑問の余地はどこにもない。
「ですから、なぜ転移の術式に着いていくことができたのかと、そういうわけです」
「ええと……どういうこと?」
弓紀は頭を抱えながら「やはり野生児なんですね」と呟く。俺も質問したい。なぜこの女は、一言付け加えずにはいられないのか。
「あなたは特に呪術や武術を学んでいるわけではなさそうなので、分からないのかもしれませんが、普通、予測して動いていたわけでもなく、その場の判断で術者に触れることなどできる人はいません」
「いるけど?」
「ええ、そうでした、いましたよ!……これが吸血鬼の力というわけですか」
弓紀は口元に手を当てて思考する。
「はぁ、だからさ、俺のことを吸血鬼って言うのはやめてもらえないか?」
挑戦的な口調だったかもしれない。それでも冴仁にとって譲れないラインというものが、確かにあった。
それに反抗するように弓紀は冴仁に対し、鋭い視線を送る。
「でしたら恐縮ながら質問ですが、その力は吸血鬼でないのなら、何だって言うんです?」
「さぁな、知らねぇよ。知りたくもねぇ」
冴仁はそっぽを向いて、鼻を鳴らした。静かな声がした。その声には、さながら職人の腕が光った名刀のような深さを感じる。
「それは逃げですか?自分の運命に対する逃げですか?」
大袈裟だと思った。でも、自分よりも確実に、この少女の思考は先を見ている。劣等感に身を捩りたい想いで、
「運命?それこそ知らねぇよ。でも俺は俺なりに全力で生きてきたつもりだ」
「なぜ自分の力を研究し、国にとって、村にとって、自分が必要な存在だと証明しないのですか!」
クールが取り柄の弓紀が取り乱し、語るその主張を冴仁は鼻で笑った。
「証明?証明だと?物心ついた途端につまはじき者となった俺の何が、お前に分かるっていうんだ」
冴仁の声には、静かだが、冷たい怒りがこもっていた。
敗北感。
説教の中に図星の部分が含まれていたとき、人は本当の意味で言葉が刺さる。この時の冴仁はまさにそれだったのだろう。
弓紀は取り乱し、騒ぎ立てた自分自身に驚いていた。冴仁を見て身体が震えた。掛ける言葉を探したが見つからない。弓紀は己の未熟さを呪った。
海風が塩っ辛い匂いを漂わせて木々を揺する。
無数の虫たちの鳴き声は森に風情を与える。
冴仁は自分も我を忘れていたことに気づく。出会ったばかりの人間がそんなことをわかるはずもないだろう。気まずい雰囲気に負けず、冴仁は弓紀のガラス玉のような潤んだ瞳を真っ直ぐ見る。
「あ、ああ……ええと、なんだ。もしお前が少しでも悪気があるなら、お前の任務について少しでも教えてくれよ」
「え、ええ。……ではどこか落ち着く場所を探してでも」
「気にすんなよ。会ったばかりのお前ができたことなんて……ああ、思い返してみるとかなりのことをされたような」
家を破壊されたりだとか、人生を否定されたりだとか。ついでにアッパーとか。いや、あれは俺が悪かったのか。
「ええと、これはさすがに私が悪いですね。反省します」
荒っぽい女がしおらしくなるのは気味が悪い。冴仁の全身の優れた神経系がそう言っていた。そのため若干の警戒心を残しつつ、
「だったら、ジャングルの中心地に地下へと続く洞窟がある。そこで話してくれ」
「分かりました。では案内をお願いします。私は東ノ村について詳しくないので」
冴仁は頷いて肯定の意を示した。今更ながら、村人に位置がバレないよう隠密行動をした方が良さそうだからな。
この世にある全てのものに、名前はなかった。
それらの物に人類は『名付け』という行為をするようになった。名前は、人類が言葉を生み出すよりずっと昔から存在している。不思議だと思わないだろうか。
辞書的には『個々の人、物を指す呼び方』とされる。
だが、本当にそれだけでいいのだろうか。
いや、名前には目に映らない力、あるいは霊力が宿るという伝承もある。それはない。
つまり『名付け』とは人間の本能だ。
冴仁の脳内では、こんな文章がだらだらと綴られていた。
「あなたはこの村の住民なんですよね。どうして村の地名を知らないんですか!?」
「……別にいいだろう。俺自身、色々と思うところがあるんだよ」
二人の金切り声が洞窟の中に反響していた。頭上には針山を反転したような白濁した鍾乳洞がぎっしりとついていて、道は段状に島の奥深くへと続いている。
真っ暗闇の洞窟の中を照らすのは、弓紀の手にある赫然たる炎。
まるで二人の会話に拍車をかけるような、一定のテンポで天井から垂れる水滴。
そんな中で二人のテンションはクライマックスへと向かっていた。
「ところで、まだ着かないんですか。落ち着ける場所なんて、本当にあるんですか」
「あるよ。でも歩きなんだから仕方ないだろ」
「まさか、いつもはこの暗闇を走って移動しているんですか……!?」
冴仁は頷いて、両手を開いた。
「俺はこの村を一人で生き抜いてきたんだ。目を閉じていても生活できるよ」
すると弓紀は額に手を当てて、
「根っからの馬鹿ですね。そんなことがなんの役に立つというんですか」
「いや、それはそうだけど……」
そこは褒めるところなんじゃないのか?今の俺は案内役なんだから、案内役としてこれ以上の人材はいないだろう。
「野生児なんですね」
「おい、やめろ。野生児を悪い意味で使ってやるな」
「言葉を心配するよりご自分の心配をなさったらどうですか。あなたも随分と偉くなったものですね」
それは長年の付き合いのある奴が言うセリフだ。
冴仁は深いため息を吐いた。
顔を上げた時、視線の先には泉があった。目的の場所である。海の水が清められているのか、元から美しい水に光のない場所で輝きを発している。
「着いたぞ。ここならゆっくり話せるだろう」
「ええ、そうですね」
弓紀は淡々と泉の脇へと歩いていき、腰を下ろす。
「あのさ、俺のことを信用していないのは分かるけどよ……」
「何の話です?座ってください。話しますから」
冴仁にとっては、一生をこの村で過ごしてきた者として、自分の自慢の場所を見せているのである。
こういうときには、一言でも言うことがあるのではないのだろうか。
「綺麗だと思わないか?この泉」
「そうですね。では、座ってください」
弓紀は何の悪気もない顔で隣を叩く。隣に座れということだろう。こいつは自分を犬か何かだと思っているのだろうか。
「薄情な奴だよ、お前は」
「失礼な人ですね。私の行動のどこに情がなかったというのです」
「はっきり言って、全てにない」
はっきり言って、利己的だと言えるだろう。
情報のために相手の立場をぐちゃぐちゃにして、気遣いすらしない。
しかしーー
『私が悪いですね。反省します』
あの一瞬見せた、力の抜けた表情は何だったのだろう。最近は謎が増えるばかりだ。
冴仁は唇を強く噛み、言い直した。
「いや、少しはあったかもしれない。少しは、な」
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