ルー・ドミニオン

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潤ノ国東ノ村No.5

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 御鳥川弓紀の任務概要はとてもシンプルで分かりやすいものだった。
 吸血鬼による噂の発生源を突き止めよ。
 初任務にはお誂え向きだ。理解しやすく、聞き込み一点。一見、楽そうな任務と言えるだろう。
 弓紀は国王の下につく警護部隊のような立ち位置らしい。それを統括するは五統なる上役。
 彼女の口からは、風の便りで名前だけ聞いたことのある連中がぞろぞろと大名行列の如く現れた。彼らはここ五十年、あまりの強さに席の入れ替えの起こっていない最強集団である。
 弓紀の話は簡潔で分かりやすかった。しかし、冴仁は頬骨をついた。そのような名高い連中が、誰一人としてこの異常な事態に気付いていないのかと。誰一人、本物の吸血鬼の存在に気付いていないのかと。

「私は、現状最も噂の発信源である可能性が高い白夜ノ族に接触することを求められました」

 弓紀はローブの中で手を組み、一つずつ記憶を繋げるために慎重に言葉を発した。ときどき彼女は口をつぐむ。彼女自身にも色々な事情があるのだろう。

「白夜ノ族。つまり百鬼冴仁、あなたのもとへ向かうため、私は海がより凪いでいる日を選び小舟をチャーターしました」

 自分の居場所はどうせ五統の内の誰かが知っていたのだろう。そう思いつつ、念には念を。自分の居場所が誰から流されているものなのか質問した。すると、

「あなたの居場所ですか?そんなこと誰でも知っているでしょう?」

 弓紀は不思議そうな目をしてそう言った。知らぬうちに自分の情報は常識とされているらしかった。
 弓紀は「続けても?」と目配せをした後、また話始める。

「私はお日様が地平線から顔を出す前に、中ノ村を発ちました。そしてそのまま、何事も起こらず、円滑に航海を終えるはずでした。計画に失敗する要素はなかったはずです。ですが……」

 いきなり弓紀の口調が強くなっていった。
 冴仁もその計画には賛成だった。しかし出会ったとき、彼女は小舟の上で倒れていた。
 問う者、答える者。両者の身体に力が入る。手汗が滲む。冴仁は喉を鳴らして唾を呑んだ。

「朝を、昼を超え、また周囲が薄暗くなった頃、私はついに東ノ村の目前へと辿り着きました。潮の流れと体力の消耗で遅れは取りましたが、辿り着いたのです。そうして全身の緊張が解れた、解れた瞬間ーー」

 明かりが消えた。
 弓紀の体が後ろへ大きくのけ反った。まるで取り憑かれたかのように。
 冴仁はひどく驚きながらも、状況の把握に努める。泉のおかげか、まだ目は見えている。冴仁の目の前で弓紀は大きな瞳を見開いた。やはり別人のように怯え出した。指の先まで、小刻みな振動を続けている。
 どうすればいいのか。
 脳内は影一つない白の世界が広がる。一点の穢れすらない。
 冴仁は前髪の先を掴み、凝視した。そのまま自分自身に問いかける。この髪のせいで、こんなことに巻き込まれているのか。当然、そんなことは分かるはずもなく、髪のせいなんてことはあり得ない。
 この時の冴仁は神経を研ぎ澄まし、髪を凝視しただけである。決して、苦しみにうちひしがれる弓紀に手を差し出したりなど、ましてや見てなどいなかった。
 世間一般で言えば、これ以上なく情がないのは冴仁である。
 だが結果として、それは功を奏した。冴仁は彼女がそのまま後ろに倒れる瞬間を見た気がした。言い方が悪い。倒れる気がしたのだ。
 数秒後、それは現実となった。冴仁が何もない空気に手を伸ばしたところには、華奢で軽い彼女の姿があった。
 冴仁自身が自分のみに起こったことを理解できない。自分の手を見て、彼女の炎が消え真っ暗になったその空間で叫びたい気持ちをぐっと堪えた。
 薄暗い洞窟の中にシャリンシャリンと、音が響く。

「お前が百鬼の生き残りだったか。未熟な少年よ」
「誰だ……!?」

 とっさに腰に手を回した。しかしーー

「慌てるでない。その刃は我が手にある。そもそもお前には必要ない」

 身に覚えのある声だった。深みのある女性の声だ。不敵さを感じさせられ、身がすくむ。

「お前はその辺に暮らす者どもと違って賢かろう。ナイフがなぜ自分に必要ないかは理解できるな」

 苦々しげに冴仁は言う。

「……ああ、必要ない。だが、なぜこのタイミングで現れた。御鳥川とお前には関係があるのか?」
「大したことはない。この娘には器になってもらっておっただけだ。ただ私とて、あまり自分の正体をバラしたくはなかったからな。私のことを言おうとした瞬間に、気を失うような呪術を仕込んでおっただけだ」

 気がつくと、周囲にはまた灯りが戻っていた。というより、吸血鬼が黄色い輝きを発していた。

「まだ、お前はこのタイミングで現れた理由を話していないぞ」

 ただならぬ威圧感で、鼓動の音が耳の近くで聞こえる。が、顔に出ないように心がける。

「おお……そうだった。実は私は五統という者どもに狙われておって、依代として彼女に乗り移っていたいのだ。しかし、依代としての彼女には弱点が多い。これもそうだ。よって、彼女と行動を共にして警護してはもらえんか」
「俺には力で負けている以上、拒否権はない。だが……」

 吸血鬼は首を曲げる。
 冴仁は吸血鬼に出方をうかがった。とても、嫌々現れ自分の立場を赤裸々に語っているとは、到底思えない。
 はたして計画がボツになった人間が、その場の流れで都合の良い話を作れるのだろうか。語るに落ちるとはよく言ったものだが、はたして。
 吸血鬼は不敵な笑みを浮かべる。

「なら質問だけさせてくれ」
「いいだろう」
「お前は器の中で、器の外の話を聞くことができるのか。それと、お前が入っているときの御鳥川は若干でも吸血鬼的特徴を得るのか」

 恐らく、吸血鬼は両方に否定的に答えるだろう。自分の存在を求めるのならそういうしかないだろう。

「聞こえる。だが吸血鬼的特徴に関しては私の力は関係ない」

 まずい。分からなくなった。肯定と否定が混ざり合うことで一気に現実味が増した。これを考えて答えているのだとすれば、かなりの策略家だ。

「……いいだろう、守ってやる。器が必要なのは、お前が昼間、行動できないからだろう?」
「クックックッ、やはりお前は賢い奴だ。気に入ったぞ、お前には御鳥川弓紀の警護を終えた後、報酬を出してやろう」
「そいつはありがたい。ただあと一つだけ、最後の質問に答えてもらうぞ。このことは御鳥川に伝えるがいいな。毎度倒れられるのは、こちらとしても迷惑だ」

 これには多少躊躇を見せたが、「それが警護の最低条件だ」とどさくさに紛れて条件を突き立てて了承させた。

「それでは頼んだぞ」
「……頼まれた」

 金属音が鳴り響く。持ち手に包帯が巻かれ、刃が黒色のナイフが光を反射する。
 球状の光の玉となった吸血鬼は、御鳥川の胸元から彼女の身体に溶け込んだ。
 冴仁は地面に座り込む。なぜこんな急展開に巻き込まれているのだろうか。分かりやすい元凶は五統。御鳥川が目覚めたら五統について聞いてようか。そんなことを考えつつ、ナイフを拾う。
 天井を見上げ、冴仁は弱々しく呟いた。
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