君の手は心も癒す 〜マザコン騎士は天使に傅く〜

嘉多山瑞菜

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31 思いがけない優しさ

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 別邸での避暑もそろそろ終わりになろうかという頃、やっとウィテカー宰相が休みを取って合流した。この国で一番多忙を極める宰相が休むことは珍しい。夫人の体調を知る国王陛下の厚情らしく、オーランドが王宮へ戻る代わりに、束の間を別邸で過ごすことが許れていた。

 夫人はそれはもうとても楽しみにしていて、日が近くなるに連れてソワソワしながら宰相を迎える日を心待ちにしていた。
それこそ初恋をしている乙女のようで、サブリナから見ても、15歳近く年上の彼女は初々しく微笑ましい様子だ。

 彼女はサブリナに一つのことを願った。
なるべく新婚の時のように二人きりで過ごさせてほしいと・・・そして夜は夫婦の寝室で眠りたいと。

 もちろんサブリナは、そうしましょうと答えた。
夫人が宰相と二人でゆっくり過ごせるよう、夫人の看護の予定をシャルやマリアンヌと相談しながら組み替え、寝室も看護しやすいよう一階に設ていた夫人用の部屋から上階の夫妻用のそれへと変更した。

 入念な準備の甲斐あって、宰相は玄関広間で夫人に輝くような笑顔で出迎えられると驚いた顔をしたが、そのまま抱き上げると、サブリナをはじめとした使用人達に人払いを命じたのだ。

 それから、夫人と宰相はそれは仲睦まじく毎日を過ごしていた。
散歩をしたり、湖畔でお茶を楽しみながら色々な話をしたり、時には広間で静かにダンスを楽しんだりと、二人きりの時間を愛おしんでいる。

 サブリナはそんな夫人を、いくばくかの羨望と憧憬をもって見守っていた。

 夫人は覚悟を持って、宰相へ愛を捧げている。
こんな風に二人で過ごせるのはこれで最後だと考えているのかもしれない。人生の最後の時を、幸せな思い出の場所でもう一度、夫に寄り添う。
ひたすら愛情を夫に伝え続け、夫から愛される夫人の姿に、同じ女として羨ましく思えた。

 普段、厳しい表情しか見せない宰相も、夫人にはとろけるような眼差しを向けている。 

 自分はこんな包み込むような愛情を与えることも受け取ることもできない。
そんなどうしようもないことを考えるたびに、一瞬オーランドの顔が脳裏を過るが、サブリナはすぐにそれを打ち消した。

 どんなに親密になろうとも、彼と自分は偽りの関係でしかない。感情も未来も不要だ。
何度も言い聞かせながら、暑い季節は終わりを迎えようとしていた。




 王都の邸宅へ帰る日まで、残り2日と迫った日の午後、オーランドは夫人の帰京に付き添うため、別邸へ戻ってきた。
ウィテカー宰相は、昨夜のうちに休暇の終わりと共に王宮へ戻っている。
夫人は夫の前では微塵も病気を見せなかったが、気持ちの張りも緩みさすがに疲れたようだった。
帰京に備えるため、サブリナは夫人を、一日床で過ごさせていた。

 オーランドは母親の様子が心配だからだろう、やや眉を顰め帰京を延期したらどうかと言ったが、夫人は頑として頷かなかった。
これには理由がある。
2ヶ月後、王宮で国王陛下の誕生日を祝う舞踏会があるからだ。

 度重なる戦争で、ここ数年王宮での舞踏会は無かった。戦争に勝利し、属国の統治も回り始め、近隣諸国との同盟や調停も進んでいる。
このタイミングで国内外に勝利と平和を印象づけるためにも大々的に舞踏会を開くことにしたのだ。

 夫の宰相からその話を聞いてから、夫人の次の目標は王宮舞踏会になった。そこで、先だっての夜会以上に、自分の健在をアピールしウィテカー公爵家の変わらぬ威信を見せつけるつもりなのだ。
その準備のためにも、予定通り王都の公爵邸に戻ると夫人は決めていた。

 サブリナも彼女の体力が心配だったが、止めることはできない。
恐らく、これが大きな行事では最後の登城になるだろう、と暗い気持ちで考えていたからだ。

 別邸に来て半月ほど経った頃から、夫人の腫瘤はやや大きくなってきており、僅かに痛みが出始めた。ローリング医術師の定期診察で薬を強いものに変えたが、たくさんの病人を救ってきた彼の表情も明るくはならなかった。

 もちろん宰相にも報告しており、だからこそ今回の休暇が実現したのだろう。
そして、夫人も自分の身体の変化に気付いている。だからこそ、王宮舞踏会へ強い執念を見せていた。

 ならば・・・サブリナは午睡をする夫人の寝顔を見つめながらキュッと唇を噛み締める。
ならば、夫人が王宮舞踏会に全力を傾けられるよう、いつも通り自分も全身全霊で看護するだけだ。





 夕食後、夫人の世話を終えると「夕涼みをしないか」とオーランドから散歩に誘われた。
オーランドとこんな風に過ごすことは、これからはそうないだろう。王都の公爵邸に戻れば、また「本当の振り」に戻る。
感情を揺らしながら親密に触れ合うことは、もうしない。
オーランドに渡したいものがあったサブリナは、そんな気持ちも相まって「はい」と素直に答えていた。

 二人で湖畔を涼みながら歩く。月明かりに照らされて、自然と手を繋ぐのを躊躇わなくなって、彼の手の大きさと温かさに安心するようになって、どれくらい経つのだろうか。

 サブリナが気に入っている湖の辺りに設られた四阿に到着すると、オーランドに促されて長椅子に腰を下ろす。
オーランドは燭台の蝋燭に灯りをつけて、自分も隣に座る。ぴたりと寄り添うように座る距離にドキリとしなくなっていることに、サブリナはふっと苦笑した。

 オーランドは持ってきた籠から葡萄酒を取り出すとグラスに注ぎサブリナに渡した。

「?」

 いつもは果実水だ。お酒が出たことにサブリナが首を傾げて彼を見ると、オーランドはクスリとする。

「今日はサブリナの誕生日だ」
「!?」

 思いがけない言葉にびっくりして目を丸くすると、彼はやっぱりと言うように目元を緩ませて今度ははっきりと笑んだ。

「忘れていただろう」
「・・・はい・・・祝う歳でもないので」

 すっかり忘れていたことと、一つ歳を取ってしまったこと、どちらもバツが悪くて赤くなる。24歳なんてさらに年増だ。彼の前では自分の年齢を考えたくないのに・・・恨めしげに彼を見返して、ハッとする。

「どうして、ご存知なのですか?」

 サブリナは自分の誕生日を夫人も含めて教えたことがない。それなのになぜ彼が知っているというのか?尋ねれば、オーランドは涼しげな表情で答えた。

「婚姻誓約書にサインと一緒に書いたのを見ていた。あとは、シャルにも確認した」
「やだ・・・なんてこと・・・」

 シャルのニヤニヤ笑いが脳裏を過り、頬が赤くなる。まさか、あの偽の誓約書を彼がそんなに見ていたなんて、思いもよらなかった。

 誕生日なんて・・・気づいても、気にしても欲しくなかった・・・それなのにこの令息はどこまでも自分に対して優しく誠実であろうとする・・・サブリナは喜びとも悲しみともつかない不思議な感情が胸の中をせめぎ合うのを感じながら、グラスを握りしめ唇を噛み締めて俯いた。

 オーランドはそんなサブリナを気にせず、籠から次々と果物や焼き菓子を出すとテーブルに並べた。そのどれもが、サブリナの好物だったり初めて口にして喜んだものだ。

 さりげなく気遣うオーランドの優しさはサブリナにとって甘い毒に他ならない。高貴な姫君のように甘やかされると自分がどんどん彼に依存してしまいそうになる。

 オーランドは自分のグラスにも葡萄酒を注ぐとサブリナの目を見つめながらグラスを掲げた。

「おめでとう」
「・・・ありがとうございます」

 カチンとグラスを触れ合わせると、オーランドは葡萄酒を口にした。
馴染みの沈黙の中で、触れるオーランドの体温が心地よい。すっかり彼が隣にいることに慣れてしまった。
サブリナは邪念を振り払うようにワインを一口含む。芳醇な葡萄の香りと程よい渋みと甘みが口の中に広がって、目を見張った。

「美味しい!」
「そうか」

 オーランドがサブリナの言葉にまた優しく顔を崩す。
サブリナは育ちのせいか野菜や果物から出来たものがとても好きだ。だが酒は酩酊感が苦手であまり飲まなかったが、これはほんのりとした心地よい酔いをもたらすだけで、非常に飲みやすい。

 勧められるまま杯を重ねてしまう。合間に、カカオを使ったデザートや薔薇の花で作ったジャムをつけたスコーンなどを、オーランドの手ずから渡されて、サブリナはドギマギしながら、それらを口にする。

 夕食を取った後だというのに、するすると胃に収まっていく。彼が自分の誕生日を祝おうを思って選んでくれた気持ちが嬉しくて、ついつい手が伸びてしまう。さすがに飲み過ぎ、食べすぎかと思い、サブリナは「もう」と手を止めた。

 暗い湖面に夜空の星が映り込んでいる。その美しさにサブリナはほぉっと溜息を零した。
この別邸は素晴らしい自然に溢れ、本当に美しい。
どうかオーランドが迎える奥方も、夫人のようにこの別邸を愛してくれますように・・・そんな卑屈なことを願ってしまうほど、サブリナはこの場所に魅せられていた。

 こんな素敵な場所で、オーランドに自分の生まれを祝ってもらう。なんて幸せなんだろう。
そう思って、サブリナはハッとした。肝心なことを忘れていたからだ。

「オーランド様、今日はありがとうございます。私からはこれを・・・」

 おずおずと傍らから、それを取り出し彼に差し出す。オーランドが訝しげな顔をしたので、サブリナは少し気恥ずかしくなって、吃りながら説明した。

「あの・・・先月がオーランド様のお誕生日でいらっしゃったので・・・奥様から刺繍を習ったので・・・」

 先月、オーランドの21歳の誕生日だということを夫人から教えてもらっていた。
例年なら祝いの宴を催すそうだが、ちょうどオーランドが近衛騎士団の職務で王宮にずっと詰めていたので延期になってしまった。王宮では近衛騎士の仲間たちに祝ってもらっていたらしい。
公爵邸でもそろそろと考えて、彼の職務が落ち着くのを待っていたが、その矢先にサブリナの毒殺容疑があったり、そのまま別邸への避暑に入ってしまったりで、結局流れっぱなしになっていた。

 夫人は「成人男性ですから、宴をしなくても」と苦笑していたが、サブリナに教えてくれたということの意図をサブリナは明確に理解していた。
だから、夫人から教わりなんとか仕上げたのだ。

 オーランドがサブリナが差し出した箱を受け取る。「開けてもいいか?」と問われて、緊張からごくりと唾を飲み込みながら頷いた。
男性に贈り物をしたことなど、家族を除けばしたことがない。
気に入ってもらえるか不安だ。

 箱にかけられたリボンをしゅるりと解き、開けると「これは・・・」と彼は目を見張った。手に取り広げて見るオーランドの顔はとても嬉しそうだ。

「君が作ってくれたのか?」
「はい、これからの季節、寒くなって参りますので」

 いつでも単騎で馬を駆るオーランドに身につけてもらえればと、サブリナは防寒用のスカーフを仕立てた。
彼の瞳の色と近衛騎士団の制服の色に合わせた漆黒の生地に、金や銀の糸、そした赤や青の細かな石を組み合わせてウィテカー公爵家の紋章とオーランドの名前を刺繍したのだ。精緻な技術に半泣きになりながらも夫人の厳しくも愛情深い指導で仕上げることができた。

 オーランドはじっと眺めて、刺繍を指でたどっていたが、顔を上げてサブリナを見つめた。

「ありがとう・・・着けてくれないか?」
「えっ!?」
 
 オーランドが「甘えん坊」だと言うのはサブリナもこうして近くで接するようになって気づいていた。
彼は公爵家の嫡男らしく、慎重で他人に対して心を許す素振りを滅多に見せないが、ひとたび自分の内側に入ってきた人間には甘えたい人なのだ。

 その気持ちを自分に対する好意だと勘違いするほど、サブリナは愚かではない。彼の優しさや想いは母や姉に対する恩愛のようなものではないかと思っている。勘違いしているのはオーランドなのだ。

 サブリナは希う《こいねがう》ような彼の瞳に根負けして頷いた。オーランドの手からスカーフを取ると、少し腰を浮かせて、彼の首にスカーフを持った腕を回す。彼の呼吸が首筋に触れて、わずかに背筋が震えてしまうが我慢する。
きゅっと頸でスカーフを結び、前の型を整える。綺麗に斜めにウィテカー公爵家の紋章と彼の名前が出て、サブリナはホッと満足気に息を漏らした。

「良かった、良くお似合いです」

 自分で贈ったものを褒めるのも気恥ずかしいが本当に良く似合っている。彼の端正な面差しと近衛騎士の清廉な隊服にこのスカーフは映えるだろう。
オーランドはサブリナがそう言うと嬉しげに瞳を眇め、そっとサブリナの顔を胸に抱き寄せる。そして、耳殻に唇を触れさせると「ありがとう」と呟いた。
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