君の手は心も癒す 〜マザコン騎士は天使に傅く〜

嘉多山瑞菜

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40 予兆

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 モントクレイユ領に戻って3ヶ月。
一年半の留守が夢だったかのように、拍子抜けするほど同じ日常が待っていた。

 サブリナとシャルの忙しさは変わらない。とは言え、留守の間に育った新しい看護人達が戦力になっていて、とても頼もしい働きをみせていた。

 シャルは看護人頭として、シスター・ルイージと一緒に経験の浅い看護者達の指導や取りまとめを行い、サブリナは変わらずラファエル・ナーシング・ホームの代表として、マザー・アンヌとともに運営や依頼の調整に飛び回る。

 変わらぬ充実した毎日。
だがふとした拍子に、心の深い場所へ蓋をして押し込めたはずの切ない感情が揺れ動く時があって、それは時々サブリナを苦しめた。

「ブリー、母様が薬草の世話を手伝ってくれって」
「はーい、エディ診療は終わったの?」

 弟のエディは留学を終えてから、父のモントクレイユ男爵の下でもっぱら医術師としての研修中だ。毎日、施療院で治療にあたったり、領内の患者達を訪問診察したりしているから、かなり忙しい。なかなかゆっくり顔を合わす暇もないから、サブリナは屋敷内で珍しく会った弟に笑顔を見せた。

「うん、午前に回るところは終わった。今から昼ご飯をかき込んで、午後は施療院での診察に行くよ」
「あらあら、忙しいのね」

 のんき気味の弟は飄々と肩をすくめる、まぁねとニカッと笑う。

「でも、やっぱりここでの診療は勉強になるよ。まだまだ父様や他の先生達のやることに付いていくので精一杯さ」
「そう、良かったわ」

 駆け出しの医術師のやる気に満ちた言葉に、サブリナは微笑んだ。弟がやりがいを感じて医術に邁進してくれているのは嬉しい。モントクレイユも安泰だと思う。

「手術の助手もやっているんでしょう。頑張って」
「ああ、ブリーも。あとハントス商会の息子さんの件で相談したいから、夕食の時に話をさせて」
「ええ、確か、脚の骨折よね」
「うん、あそこの人たち忙しくて、息子さんの歩く付き添いができないからさ、そろそろ歩く訓練を始めたいんだ」
「分かったわ。看護者の選定をしとくから」

 そんな会話をして、エディはお願い、と言うとサブリナに笑みを見せて食堂に向かった。お腹が空いたと盛大に叫びながら立ち去る陽気な弟の背中を、サブリナも笑いながら見送って外に出る。
 
 真っ青に澄んだ空を見上げる。看護者として日々の忙しさに感謝をすると、サブリナはオーランドのことは、夢だったのだ、と自分に言い聞かせて薬草園へ向かった。









「「えっ!?王城へ???!!!」」

 サブリナとエディは二人揃って声を上げた。
母のエレンは「まぁさすが双子ねー」とのほほんとした笑みを浮かべると、そうなの、と続けた。

 二人が怪訝な顔を父親に向けると、モントクレイユ男爵はフォークを皿に置き、そうだと続けた。

「今朝、王宮の使いから書簡が届いた。国王陛下の命《めい》で登城するようにあった」
「・・・国王陛下から直々に呼び出されたんだ?」

 エディは行儀悪くチキンのハーブソテーを咀嚼しながら尋ねると男爵は重々しく頷いた。

「お前も一緒だ。後継も連れてくるようにとのお達しだ」
「えっ?!僕も?!」

 大きな口を開けてポカンとしたエディを見てサブリナは吹き出すと、真顔に戻して父を見た。

「要件は王宮舞踏会で言われたことと、きっと関係しているのでしょう、お父様」
「まぁ恐らくそうだろう、でないと当家にお声がかかる理由がない」

—— これからの我が国は高度な福祉を目指す時期に入った——

 あの時国王陛下はいならぶ貴族たちの前で、わざわざ末端貴族の当家に声をかけて、そう言った。

 医療に関する福祉の充実はモントクレイユ家の悲願だ。
歴代のモントクレイユ家は政治やそれにまつわる策謀や奸計に翻弄されながらも、この国に医療制度が整備されるよう王家に働き続けてきた。
だからこそ、どんな内容であれ今回の呼び出しに馳せ参じなければならない。

 そうは思いつつも、どんな事を言わわれるのか、サブリナは期待のそれとは異なる、異様な胸のざわつきを抑えきれないでいた。







「国王陛下からの呼び出しとは、いったいなんでしょう」

 看護依頼の精査を終えて、ちょっとお茶をしましょう、と言ったマザー・アンヌは、ハーブティーを淹れているサブリナに心配顔をのぞかせて言った。


 なにごとにも動じず穏やかな表情を崩さないマザー・アンヌがこんな表情は珍しい。色々な見識がある彼女にとっても、今回の呼び出しが異例であることが分かるのだろう。

 モントクレイユの誇りである医術や薬草学はどの時代でも政《まつりごと》に利用される。モントクレイユの当主たちは、民のために使われるのならばと、その時代に応じて王家に利用されることを選んできたが、そのほとんどが苦渋や辛酸を舐める結果になっていた。

 だからこそ、歴代の中でも今一番の勢いを誇るモントクレイユ家がどのように利用されるのか・・・過去を知っているだけにマザー・アンヌの心配は尽きない。

 モントクレイユ男爵とエディは謁見の三日前に王都入りした。謁見の準備以外に、ローリング医術師をはじめとした、王都にいる医術師や薬師と懇談を持つためだ。定期的に情報交換の場は設けてるが、今回はエディの紹介も兼ねている。

 サブリナは呑気で飄々とした弟が、王都の面々に認めてもらえるか心配だったが、母曰く「ああ見えても優秀らしいわよ」とのことなので、安堵したと同時に、国王から不興を買わないようにと祈りながら、その背中を見送った。

「さあ、父も見当がつかない、と言ってました」
「そうよね、お国がやることはいつも唐突だから」

 マザー・アンヌは気を取り直したように、サブリナが置いたカップに口をつけると微笑んだ。

 今の国王陛下の代になってから、そして父のモントクレイ男爵に代替わりしてからは、国からモントクレイユが関心を示されたことはない。父がどんなに国に陳情してもだ。

 この国は戦乱に追われる時代だった。他国からの侵攻から守り、領土を拡大し続けてきた。そんな世は、軍備に力をいれこそすれ、民のための福祉に眼を向ける余裕などなかったのだから。

 初めて訪れた機会が、国王陛下からの呼び出しだから、どうしたって色々考え過ぎてしまうのは仕方がない。

 マザー・アンヌは浮かない表情に変わったサブリナを柔らかく見遣ると、カップをソーサーに戻して励ますように続けた。

「なにごとも神様の思し召し。私たちは腹を括って待ちましょう」

 後半の修道女らしからぬ男勝りな言い方にサブリナは吹き出すと、はいっと元気よく答えた。






 1週間後、モントクレイユ男爵とエディは帰ってきた。早く話を聞きたいと焦るサブリナに対して父は冷静で「診察が先だ。夕食の席で話をする」と言い置いて、さっさと仕事に戻っていった。

 父の背中を恨めしげに見送りながら、傍らで苦笑するエディを見るが、彼も「僕はなにも話さないよ」と言う。

「もう!父様もあなたも意地悪ね!!」と詰ると、エディはやれやれと言いながら、荷物をゴソゴソ漁りながら、何かを取り出した。

「はい、これ」
「?」

 小さな鉢だ。何かの葉が出ている。

「どうしたの?なにかの薬草?」

 王都土産にしては、微妙だ。弟が惹かれる薬草なのだろうか?なんで自分に?と思いながら尋ねると彼は奇妙な顔をした。

「ブリーにって預かった」
「私に?・・・誰から?」

 ローリング医術師だろうかと、首を傾げながら見るとエディはニヤリとなんだか悪い顔をしながらびっくりする名前を出した。

「ウィテカー宰相家のお坊ちゃんから」
「!?・・・っつ!!おっ!!オーランド様からっ???!!!」

 はい、と渡された鉢を受け取ると、なんだか顔が赤くなってくる。どうしてエディが彼に会ったのか・・・鉢を預かったのか・・・。
訳わからずエディの顔を呆然と見返すと、弟は肩を竦めた。

「ああ。陛下との謁見の後、会いたいって近衛騎士団の詰所に呼び出されてさ。なんのようかと思ったら、これをブリーに渡して欲しいって」
「そ・・・そう・・・」

 どうして彼がこれを自分にと、思ったのか意図が分からず途方にくれると、エディはさらに言葉を続けた。

「最上位貴族のご嫡男らしい、良い男だね。ブリーの看護に感謝してるって言ってたよ」
「・・・」
「そのお礼なんじゃない。ブリーが公爵家で好きだって言ってた薬草だって言ってた」
「そう・・・」

 自分はなんの薬草を好きだって彼に言ったのか?そんな記憶も無くて途方にくれると、エディは思いがけないことを言った。

「僕は反対だよ、彼はダメだ」
「えっ?」

 見上げると、いつものヘラヘラした表情は影を顰め、厳しい顔をした弟がいる。

「最上位貴族の息子で、顔が良いから・・・ブリーが惹かれるのは無理もない。でも遊ばれるだけだよ」
「何言って?!!」

 サブリナが自分と間違われて誘拐されたと知った時から、エディはサブリナに対してとても過保護になった。負い目を感じる必要は無いと言い聞かせてきたから、さすがにそう思うことは無くなっているだろうが、サブリナを取り巻く男性にはとても厳しくなることが多い。

 おまけにサブリナが結婚をしないことを、気に病んでいるのか、モントクレイユの嫡男でありながら恋人がいるのに、なかなか結婚しない彼がサブリナにとっては悩みだ。

 今回も心配性が顔を覗かせたのだと思い、サブリナは細心の注意を払って笑ってみせた。自分の内心を双子の弟に見透かされないようにと祈りながら。

「馬鹿なこと言わないで。オーランド様は私の雇用人よ。お忙しい宰相様の代理として看護を手伝ってくださった。私は・・・そんな風にあの方を見たことはないわ」

 嘘だ・・・あんな濃密な時間を過ごした。だけどこの聡い弟にそれがバレるわけには行かない。

 サブリナの言葉にエディは胡散臭そうな顔をする。

「ふーん、僕にはあの坊ちゃんはそんな風には見えなかったけどね・・・でも、ブリーがそう思っているならいいよ。彼は先が決まっているから」

「え?どう言うこと?」

 エディはサブリナを探るように見ながら続けた。

「ウィテカー宰相の息子はジェラール帝国の第三皇女との婚約が決まったそうだよ。軍事同盟をより強固なものにするために。まだ母親の喪中だから正式な発表はないけど、王宮内はその話でもちきりさ」 

 心臓がスッと冷えるのを感じながら、サブリナは手の中の鉢をぎゅっと握りしめる。

 何を言うことが出来るだろう。
宰相は完璧な嫁を彼にあてがったのだ。
これは運命なのだから。

「そう、ならおめでたいことだわ。亡くなった奥様もお喜びになるわね」

 心にも無いことを一気に言うと、サブリナはエディの視線から逃げるように、その場を離れたのだった。
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