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39 別れ
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「長きにわたりご苦労であった」
夫人の死が国中に知らされ、葬儀の準備が進み始めたころ、サブリナは宰相に呼ばれた。
労いの言葉にサブリナは静かに頭を下げるに留めた。
「1年半あまりか・・・正直、こんなに長く・・・そして元のような生活が出来るとは思わなかった」
「奥様の頑張りの賜物でございます」
サブリナの言葉に宰相は一瞬遠い眼をすると「・・・そうだな」と小さく頷いた。
「葬儀はどうする?ディアラも君に見送ってもらいたいだろう」
妻の気持ちを大切にしたような言葉が出てサブリナは一瞬驚くが、俯くと被りを振った。
「いいえ、看護人が葬儀にいるのは外聞が悪かろうと存じます。私は奥様の最後の支度だけお手伝いさせていただき、それで・・・失礼させていただきます」
「そうか」
宰相はサブリナを真っ直ぐに見ると、それまでの夫の顔から宰相のそれに戻った。厳しい顔つきに戻ると、朗々とした声で続けた。
「サブリナ嬢、モントクレイユ家の献身に改めて礼を言う。報酬については毎月の分以外に、一時金を支払うから、受け取るように」
「そんな!いただけません!!」
サブリナはその言葉に仰天した。毎月の報酬ですら、普通の看護料からすれば住み込みであっても破格だ。看護が終わって一時金をもらうなど、今まで無かった。
慌てふためくサブリナの顔を面白そうに眺めると宰相は意地悪い顔で続けた。
「モントクレイユに見返りを期待しない文化があるのは良い事だが・・・報酬はした事に対する対価だ。君が妻の看護に誇りがあるのならば受け取るべきではないかね」
思いがけない、ひどくまともな理屈にサブリナは呆気に取られた。この国を掌握する彼からそのような言葉が出るとは思わなかったからだ。
彼に夫人との時間を評価されたのだと感じて、グッと胸に熱いものが込み上げる。ただ頭を下げるとサブリナはありがとうございます、と言った。
その姿に満足そうな顔をすると宰相は最後に付け加えた。
「君と約束した報酬については時間をもらう・・・だが妻に誓って約束を違えることはしない」
結婚の・・・【夫婦の振り】に対する報酬のことを言われたのだと気づいてサブリナはパッと顔を上げた。まさか彼が「あれ」を口にするとは思っていなかった。
自分とオーランドに言うことを聞かせるための人参・・・方便だと考えていたからだ。
あんな夢のようなことが実現するはずはない。どう言うつもりなのかと聞きたい衝動に駆られる。
だが宰相は既に仕事を始めていて、これ以上何かを言うことは許されない雰囲気に、黙って頭を下げると部屋を辞したのだった。
葬儀が翌日に迫った夜、サブリナはモントクレイユに帰る準備をしていた。
夫人の旅立ちの支度は夫人付きの侍女ナターシャとシャルと一緒に行った。
化粧をし、髪を寝たままでも美しく見えるように結い上げ、旅立ち用の装束を着せる。
そうすると生前と変わりない夫人がただ眠っているように見えて、使用人達の涙を誘ったのは言うまでもない。
明日の朝、彼女は夫と息子、そして王太子妃である娘にだけ、見守られながら棺に収められる。サブリナはその姿を見届けて、この公爵邸を離れる予定だ。
看護に使った道具類は既に王都にあるモントクレイユの屋敷に送り出した。王都に常駐している職人たちに道具類の手入れをしてもらい、次の看護に備える。
自分達は身一つで来ているから身軽なものだ。手周り品を整理し、馬車に積み込めるよう準備をするだけで充分だった。
「長い長いと思ってましたが、終わってみると案外呆気なかったなと感じます」
サブリナが薬草類を片付けるのを一緒に手伝いながら、シャルが嘆息混じりに言う。
その言葉にサブリナは頷くと
「そうね・・・看護に長いも短いも無いけれど、悲しい事に終わりはいつもあっという間ね」
人の命は儚い。
看取りの場面に立ち会うたびそう思う。
だからこそ、最後の瞬間までその人が精一杯生き抜けるように自分は心も身体も尽くして看護にあたる。サブリナは夫人の笑顔を思い出しながら、その思いを新たにした。
シャルと二人しんみりと感慨に浸っていると部屋に控えめに扉を叩く音が響いた。
こんな時間に誰か?と顔を見合わせるが、サブリナたちが屋敷を離れることを知った使用人の誰かが別れを告げに来てくれたのだろうとシャルが扉を開けに行った。
今日は朝からエイブスやナターシャから別れを悲しむ言葉をもらっていた。特に明るくてサバサバした気質のシャルはすっかり使用人達の輪に入っていたから、サブリナよりも惜しまれているかもしれない。
シャルの話し声が聞こえることから、大方シャルに会いに来た誰かかと思って片付けを続けていたが、「サブリナ」と自分を呼ぶ彼の声にびっくりして振り返った。
「オーランド様・・・」
視線の先には普段と変わらない少し仏頂面のオーランドが喪服がわりなのだろう、簡素な黒のシャツとトラウザーと言う部屋着に身を包み立っている。その姿がやや痩せた体躯をさらに締まった細さに見せていた。
彼の背中越しに眼を移せば、シャルが困ったような顔で肩を竦めると、止める間も無くさっさと開けた扉から出て行ってしまった。
パタンと扉が閉まる音がして、二人で黙ったまま見つめ合ったが、オーランドが先に口を開いた。
「葬儀に出ないと聞いた」
「はい」
サブリナはただそう答えると、顔を逸らし薬草類の仕分けを続けたが、それはすぐに出来なくなる。彼が腕を掴んだからだ。
「どうしてだ?!葬儀に参列してほしい!母上は君に見送って欲しいにきまっているだろ!」
強い力と真剣な瞳に感謝しながら、だがサブリナは真っ直ぐに彼を見返した。
「ありがとうございます・・・ですが、看護人は葬儀には出ません。ラファエル・ナーシング・ホームではそう決めているのです」
嘘では無い。遺族の心情に配慮して、葬儀の参列は控えることが規則となっている。
往々にして亡くなった病人の家族は看護人に感謝はしても、葬儀で看護人がいたと世間に知られることを忌避するからだ。
「・・・看護人がいると外聞が悪いからか」
「はい、それに私はなにかと悪い評判がございます・・・マカレーナ侯爵夫人の件もございましたし」
そう答えるとオーランドは悲しげな顔をした。
「俺は気にしない、それだけのことを君はしてくれた。マカレーナは関係ない。父上だってそんな評判、歯牙にもかけないし、そもそも我が公爵家にそんなことを言う輩はいないっ!」
眉間に皺を目一杯寄せて、怒った顔でそう言ってくれる彼が愛しい。オーランドはずっと看護術をサブリナの気持ちに寄り添うように大切に思ってくれた。
サブリナは漆黒の瞳に冷静に頭を下げると、では、と静かに続けた。
「・・・葬儀の間、墓地の片隅で・・・人目に付かない場所で奥様を見送ることをお許しください・・・そこでお別れをさせて頂ければ嬉しく存じます」
公爵家の墓陵は王家に連なる敷地にあり、広いとエイブスから聞いていた。人目を避けられる場所があるだろう。そこで祈りを捧げられるならこんなありがたいことはない。
サブリナの願いにオーランドは一瞬、何かを考えるかのように瞳を眇めた。言いたいことがあったのかもしれない。だが彼女の決然とした表情に諦めたのだろう。サブリナにしてもこれ以上の譲歩はできない。
しばらくの沈黙の後、やっと押し出すように出た答え。
「分かった、許可する」
彼の言葉にある苦々しさに気づかないふりをして頭を下げたまま、ありがとうございます、と礼を言うと、頭上から小さな小さな呟きが降ってくる。
「君は勝手だ・・・。自由に生きろと言いながら、ただ一つの気持ちすら自由にさせない・・・」
思いがけない彼の詰りにパッと顔を上げるが、オーランドは仏頂面を崩さず、そのままサブリナの顔をチラリとも見ないで踵を返し部屋を出て行った。
「まだ鐘が鳴ってますね」
「そうね」
馬車に乗り込もうとした時、シャルは耳を澄ました。
朝から宰相公爵夫人の死を悼む鐘は王都のそこかしこで鳴り響いている。王都内の商店もみな弔意を表すかのように、夫人が愛した白い薔薇を店先に飾っている。生前、教会や修道院、孤児院への慈善や経済活動が回るような取引きを熱心に続けた夫人だからこそだろう。
家族のみならず、多くの民から愛された女性だったのだとサブリナは思う。
公爵家は使用人達も皆、葬儀の場で参列者の対応のために駆り出され、最低限の留守番しかいないから、喪に伏す屋敷はひっそりと静まりかえっていた。
墓地でオーランドが棺の夫人へ花を手向けるのを見届けてサブリナは一人戻った。
彼の温情のおかげで、葬儀の祈りとともに夫人を見送ることが出来た。これ以上、ここにとどまる理由は無い。
皆と・・・否、この言い方は正しく無い、オーランドとこれ以上顔を合わせる前に、この屋敷を離れたい気持ちが強かった。
馬車がモントクレイユ領に向かって走り出す。シャルと向かい合わせで座り、ここに来てからのことを懐かしみながら色々と話す。
寝たきりだった夫人、悲嘆に包まれた公爵家、オーランドに怒鳴られ、言い返した出会い。
夫人の回復に屋敷中が沸き立ち、サブリナもシャルも何度も誇らしさを感じた。
この一年半、全力で夫人の看護が出来たことはなにものにも得難い時間になった。
彼女に偽りの中であっても、義娘として愛され、本当の親子のような絆を結べた。
そして、オーランドとの時間も・・・。
いつしか話すこともやめ、馬車の揺れに身をまかせながら、彼のことを考えていた時だった。
なんとはなしに車窓を見ていたシャルが「ぁ」と声を上げた。
「?」
物思いから引き戻されたサブリナは、シャルの様子に訝しげな視線をやると、シャルは奇妙な顔をしてサブリナを見返した。
「ブリー、あれ・・・」
窓の方を片手で指し示されて、サブリナは前に身を乗り出すと窓の外を覗いた。
「ぁ」
シャルと同じように、それを確認した途端、惚けた声が出てしまう。
なぜ?どうして?
葬儀の後、参列者達と会食しているはずなのに・・・。
見覚えのある漆黒の毛並みの美しい馬が、猛然と馬車の後方からこちらに向かって駆けてくる。
馬上にいるのは彼だ。
「馬車を止めますか?」
「いいえ」
シャルが気遣わしげな顔で言うのを、速攻で拒否する。いまさら話すことなど無い。
正しい言い方じゃ無いが、戻るだけだ・・・元雇用人と元雇い主代理に。
身分が違いすぎて、話しかけることさえ憚られる関係に・・・。
みるみるオーランドが駆る馬はサブリナ達の馬車に追いつく。御者がギョッとしたようだが、オーランドが何かを話したことで場は収まったらしい。「らしい」となるのは、シャルが漏れ聞こえる会話から判断したに過ぎない。
サブリナは車窓を閉めると、そこから離れ、座席に深く身を潜めるように腰掛ける。頑なにオーランドを見ようとしないサブリナにシャルが呆れた声を上げた。
「ブリー、良いんですか?最後なんですよ」
「必要ない」
「でもご令息、ブリーと話したいんじゃないですか?王都を出るまでこの馬車を護衛するって言ってましたよ」
シャルの言葉を黙殺すると、彼女はあーあと言う呆れ顔のまま口を噤んだ。こうなると、てこでもサブリナが言うことを聞かないことを分かっているからだろう。
彼は何を言うでもなく、馬車の横にぴたりと張り付いて並走する。
こんな辻馬車に、きっちりと近衛騎士団の正装を着込んだ見目麗しい青年が帯同していれば、ウィテカー宰相公爵家の嫡男だって、すぐに王都内で噂になるだろう。
やめさせなければと思うのに、サブリナにはオーランドと対峙する勇気はもう無かった。
ただ途方にくれて車窓を見ないようにするだけで精一杯。
いつの間にか呼吸が短くなってしまう。酸素が薄くなってしまったかのように、息苦しい。
胸の浅い場所で呼吸を繰り返し、サブリナはゴクリと唾を呑んだ。喉が張り付くように乾いて体中に冷や汗が伝う。手のひらも変な緊張感で濡れていた。
――絶対にオーランドの顔を見ちゃいけない。
そう言い聞かせていたのに、王都を出る街境が近づいてきた時、喉の奥からぐちゃぐちゃな感情がせり上げてきた。誤魔化すように大きく息を吐いて、胸元で微かに揺れるそれ・・・どうしても残してくることが出来なかった・・・首飾りの石を握りしめる。
最後に一目という誘惑にあがらえない。
サブリナは顔を起こすと車窓ににじり寄り、オーランド側の窓をゆっくり開ける。
窓から見上げれば、馬上で真っ直ぐに背を伸ばした厳しい顔つきの横顔が目に飛び込んでくる。
彼は窓が開いたことに気がつくと、一瞬だけサブリナへと眼をやった。彼の胸元にサブリナが贈ったスカーフがなびいている。
彼の騎士らしい清廉な姿に見惚れた。彼を前にしてしまうと、サブリナの理性はいつだって脆く崩れて、見惚れてしまうのだ。
街境となり、とうとう王都を出るという時、オーランドは馬の歩みをぴたりと止めた。
サブリナの乗った馬車はスピードを変えず淡々と進んでいく。
サブリナは窓から身を乗り出してオーランドの姿を振り仰いだ。遠ざかっていく彼の姿を瞼の裏に焼き付けるように見つめ続ければ、サブリナを見るオーランドの視線が絡みつく。
「サブリナっ!」
「!?」
自分を呼び、彼が口を開いて何かを言う。声は馬車の音に掻き消されて聞こえない。腰を上げてサブリナはひたりとオーランドを見返した。
「—————」
彼の口の動きに、サブリナの瞳は涙で滲んだ。
そのまま馬車が王都を出て、彼の姿が見えなくてなるまでずっと彼がいた方向を見つめ続ける。
オーランドの声が聞きたい・・・そう思いながら。
夫人の死が国中に知らされ、葬儀の準備が進み始めたころ、サブリナは宰相に呼ばれた。
労いの言葉にサブリナは静かに頭を下げるに留めた。
「1年半あまりか・・・正直、こんなに長く・・・そして元のような生活が出来るとは思わなかった」
「奥様の頑張りの賜物でございます」
サブリナの言葉に宰相は一瞬遠い眼をすると「・・・そうだな」と小さく頷いた。
「葬儀はどうする?ディアラも君に見送ってもらいたいだろう」
妻の気持ちを大切にしたような言葉が出てサブリナは一瞬驚くが、俯くと被りを振った。
「いいえ、看護人が葬儀にいるのは外聞が悪かろうと存じます。私は奥様の最後の支度だけお手伝いさせていただき、それで・・・失礼させていただきます」
「そうか」
宰相はサブリナを真っ直ぐに見ると、それまでの夫の顔から宰相のそれに戻った。厳しい顔つきに戻ると、朗々とした声で続けた。
「サブリナ嬢、モントクレイユ家の献身に改めて礼を言う。報酬については毎月の分以外に、一時金を支払うから、受け取るように」
「そんな!いただけません!!」
サブリナはその言葉に仰天した。毎月の報酬ですら、普通の看護料からすれば住み込みであっても破格だ。看護が終わって一時金をもらうなど、今まで無かった。
慌てふためくサブリナの顔を面白そうに眺めると宰相は意地悪い顔で続けた。
「モントクレイユに見返りを期待しない文化があるのは良い事だが・・・報酬はした事に対する対価だ。君が妻の看護に誇りがあるのならば受け取るべきではないかね」
思いがけない、ひどくまともな理屈にサブリナは呆気に取られた。この国を掌握する彼からそのような言葉が出るとは思わなかったからだ。
彼に夫人との時間を評価されたのだと感じて、グッと胸に熱いものが込み上げる。ただ頭を下げるとサブリナはありがとうございます、と言った。
その姿に満足そうな顔をすると宰相は最後に付け加えた。
「君と約束した報酬については時間をもらう・・・だが妻に誓って約束を違えることはしない」
結婚の・・・【夫婦の振り】に対する報酬のことを言われたのだと気づいてサブリナはパッと顔を上げた。まさか彼が「あれ」を口にするとは思っていなかった。
自分とオーランドに言うことを聞かせるための人参・・・方便だと考えていたからだ。
あんな夢のようなことが実現するはずはない。どう言うつもりなのかと聞きたい衝動に駆られる。
だが宰相は既に仕事を始めていて、これ以上何かを言うことは許されない雰囲気に、黙って頭を下げると部屋を辞したのだった。
葬儀が翌日に迫った夜、サブリナはモントクレイユに帰る準備をしていた。
夫人の旅立ちの支度は夫人付きの侍女ナターシャとシャルと一緒に行った。
化粧をし、髪を寝たままでも美しく見えるように結い上げ、旅立ち用の装束を着せる。
そうすると生前と変わりない夫人がただ眠っているように見えて、使用人達の涙を誘ったのは言うまでもない。
明日の朝、彼女は夫と息子、そして王太子妃である娘にだけ、見守られながら棺に収められる。サブリナはその姿を見届けて、この公爵邸を離れる予定だ。
看護に使った道具類は既に王都にあるモントクレイユの屋敷に送り出した。王都に常駐している職人たちに道具類の手入れをしてもらい、次の看護に備える。
自分達は身一つで来ているから身軽なものだ。手周り品を整理し、馬車に積み込めるよう準備をするだけで充分だった。
「長い長いと思ってましたが、終わってみると案外呆気なかったなと感じます」
サブリナが薬草類を片付けるのを一緒に手伝いながら、シャルが嘆息混じりに言う。
その言葉にサブリナは頷くと
「そうね・・・看護に長いも短いも無いけれど、悲しい事に終わりはいつもあっという間ね」
人の命は儚い。
看取りの場面に立ち会うたびそう思う。
だからこそ、最後の瞬間までその人が精一杯生き抜けるように自分は心も身体も尽くして看護にあたる。サブリナは夫人の笑顔を思い出しながら、その思いを新たにした。
シャルと二人しんみりと感慨に浸っていると部屋に控えめに扉を叩く音が響いた。
こんな時間に誰か?と顔を見合わせるが、サブリナたちが屋敷を離れることを知った使用人の誰かが別れを告げに来てくれたのだろうとシャルが扉を開けに行った。
今日は朝からエイブスやナターシャから別れを悲しむ言葉をもらっていた。特に明るくてサバサバした気質のシャルはすっかり使用人達の輪に入っていたから、サブリナよりも惜しまれているかもしれない。
シャルの話し声が聞こえることから、大方シャルに会いに来た誰かかと思って片付けを続けていたが、「サブリナ」と自分を呼ぶ彼の声にびっくりして振り返った。
「オーランド様・・・」
視線の先には普段と変わらない少し仏頂面のオーランドが喪服がわりなのだろう、簡素な黒のシャツとトラウザーと言う部屋着に身を包み立っている。その姿がやや痩せた体躯をさらに締まった細さに見せていた。
彼の背中越しに眼を移せば、シャルが困ったような顔で肩を竦めると、止める間も無くさっさと開けた扉から出て行ってしまった。
パタンと扉が閉まる音がして、二人で黙ったまま見つめ合ったが、オーランドが先に口を開いた。
「葬儀に出ないと聞いた」
「はい」
サブリナはただそう答えると、顔を逸らし薬草類の仕分けを続けたが、それはすぐに出来なくなる。彼が腕を掴んだからだ。
「どうしてだ?!葬儀に参列してほしい!母上は君に見送って欲しいにきまっているだろ!」
強い力と真剣な瞳に感謝しながら、だがサブリナは真っ直ぐに彼を見返した。
「ありがとうございます・・・ですが、看護人は葬儀には出ません。ラファエル・ナーシング・ホームではそう決めているのです」
嘘では無い。遺族の心情に配慮して、葬儀の参列は控えることが規則となっている。
往々にして亡くなった病人の家族は看護人に感謝はしても、葬儀で看護人がいたと世間に知られることを忌避するからだ。
「・・・看護人がいると外聞が悪いからか」
「はい、それに私はなにかと悪い評判がございます・・・マカレーナ侯爵夫人の件もございましたし」
そう答えるとオーランドは悲しげな顔をした。
「俺は気にしない、それだけのことを君はしてくれた。マカレーナは関係ない。父上だってそんな評判、歯牙にもかけないし、そもそも我が公爵家にそんなことを言う輩はいないっ!」
眉間に皺を目一杯寄せて、怒った顔でそう言ってくれる彼が愛しい。オーランドはずっと看護術をサブリナの気持ちに寄り添うように大切に思ってくれた。
サブリナは漆黒の瞳に冷静に頭を下げると、では、と静かに続けた。
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公爵家の墓陵は王家に連なる敷地にあり、広いとエイブスから聞いていた。人目を避けられる場所があるだろう。そこで祈りを捧げられるならこんなありがたいことはない。
サブリナの願いにオーランドは一瞬、何かを考えるかのように瞳を眇めた。言いたいことがあったのかもしれない。だが彼女の決然とした表情に諦めたのだろう。サブリナにしてもこれ以上の譲歩はできない。
しばらくの沈黙の後、やっと押し出すように出た答え。
「分かった、許可する」
彼の言葉にある苦々しさに気づかないふりをして頭を下げたまま、ありがとうございます、と礼を言うと、頭上から小さな小さな呟きが降ってくる。
「君は勝手だ・・・。自由に生きろと言いながら、ただ一つの気持ちすら自由にさせない・・・」
思いがけない彼の詰りにパッと顔を上げるが、オーランドは仏頂面を崩さず、そのままサブリナの顔をチラリとも見ないで踵を返し部屋を出て行った。
「まだ鐘が鳴ってますね」
「そうね」
馬車に乗り込もうとした時、シャルは耳を澄ました。
朝から宰相公爵夫人の死を悼む鐘は王都のそこかしこで鳴り響いている。王都内の商店もみな弔意を表すかのように、夫人が愛した白い薔薇を店先に飾っている。生前、教会や修道院、孤児院への慈善や経済活動が回るような取引きを熱心に続けた夫人だからこそだろう。
家族のみならず、多くの民から愛された女性だったのだとサブリナは思う。
公爵家は使用人達も皆、葬儀の場で参列者の対応のために駆り出され、最低限の留守番しかいないから、喪に伏す屋敷はひっそりと静まりかえっていた。
墓地でオーランドが棺の夫人へ花を手向けるのを見届けてサブリナは一人戻った。
彼の温情のおかげで、葬儀の祈りとともに夫人を見送ることが出来た。これ以上、ここにとどまる理由は無い。
皆と・・・否、この言い方は正しく無い、オーランドとこれ以上顔を合わせる前に、この屋敷を離れたい気持ちが強かった。
馬車がモントクレイユ領に向かって走り出す。シャルと向かい合わせで座り、ここに来てからのことを懐かしみながら色々と話す。
寝たきりだった夫人、悲嘆に包まれた公爵家、オーランドに怒鳴られ、言い返した出会い。
夫人の回復に屋敷中が沸き立ち、サブリナもシャルも何度も誇らしさを感じた。
この一年半、全力で夫人の看護が出来たことはなにものにも得難い時間になった。
彼女に偽りの中であっても、義娘として愛され、本当の親子のような絆を結べた。
そして、オーランドとの時間も・・・。
いつしか話すこともやめ、馬車の揺れに身をまかせながら、彼のことを考えていた時だった。
なんとはなしに車窓を見ていたシャルが「ぁ」と声を上げた。
「?」
物思いから引き戻されたサブリナは、シャルの様子に訝しげな視線をやると、シャルは奇妙な顔をしてサブリナを見返した。
「ブリー、あれ・・・」
窓の方を片手で指し示されて、サブリナは前に身を乗り出すと窓の外を覗いた。
「ぁ」
シャルと同じように、それを確認した途端、惚けた声が出てしまう。
なぜ?どうして?
葬儀の後、参列者達と会食しているはずなのに・・・。
見覚えのある漆黒の毛並みの美しい馬が、猛然と馬車の後方からこちらに向かって駆けてくる。
馬上にいるのは彼だ。
「馬車を止めますか?」
「いいえ」
シャルが気遣わしげな顔で言うのを、速攻で拒否する。いまさら話すことなど無い。
正しい言い方じゃ無いが、戻るだけだ・・・元雇用人と元雇い主代理に。
身分が違いすぎて、話しかけることさえ憚られる関係に・・・。
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「ブリー、良いんですか?最後なんですよ」
「必要ない」
「でもご令息、ブリーと話したいんじゃないですか?王都を出るまでこの馬車を護衛するって言ってましたよ」
シャルの言葉を黙殺すると、彼女はあーあと言う呆れ顔のまま口を噤んだ。こうなると、てこでもサブリナが言うことを聞かないことを分かっているからだろう。
彼は何を言うでもなく、馬車の横にぴたりと張り付いて並走する。
こんな辻馬車に、きっちりと近衛騎士団の正装を着込んだ見目麗しい青年が帯同していれば、ウィテカー宰相公爵家の嫡男だって、すぐに王都内で噂になるだろう。
やめさせなければと思うのに、サブリナにはオーランドと対峙する勇気はもう無かった。
ただ途方にくれて車窓を見ないようにするだけで精一杯。
いつの間にか呼吸が短くなってしまう。酸素が薄くなってしまったかのように、息苦しい。
胸の浅い場所で呼吸を繰り返し、サブリナはゴクリと唾を呑んだ。喉が張り付くように乾いて体中に冷や汗が伝う。手のひらも変な緊張感で濡れていた。
――絶対にオーランドの顔を見ちゃいけない。
そう言い聞かせていたのに、王都を出る街境が近づいてきた時、喉の奥からぐちゃぐちゃな感情がせり上げてきた。誤魔化すように大きく息を吐いて、胸元で微かに揺れるそれ・・・どうしても残してくることが出来なかった・・・首飾りの石を握りしめる。
最後に一目という誘惑にあがらえない。
サブリナは顔を起こすと車窓ににじり寄り、オーランド側の窓をゆっくり開ける。
窓から見上げれば、馬上で真っ直ぐに背を伸ばした厳しい顔つきの横顔が目に飛び込んでくる。
彼は窓が開いたことに気がつくと、一瞬だけサブリナへと眼をやった。彼の胸元にサブリナが贈ったスカーフがなびいている。
彼の騎士らしい清廉な姿に見惚れた。彼を前にしてしまうと、サブリナの理性はいつだって脆く崩れて、見惚れてしまうのだ。
街境となり、とうとう王都を出るという時、オーランドは馬の歩みをぴたりと止めた。
サブリナの乗った馬車はスピードを変えず淡々と進んでいく。
サブリナは窓から身を乗り出してオーランドの姿を振り仰いだ。遠ざかっていく彼の姿を瞼の裏に焼き付けるように見つめ続ければ、サブリナを見るオーランドの視線が絡みつく。
「サブリナっ!」
「!?」
自分を呼び、彼が口を開いて何かを言う。声は馬車の音に掻き消されて聞こえない。腰を上げてサブリナはひたりとオーランドを見返した。
「—————」
彼の口の動きに、サブリナの瞳は涙で滲んだ。
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オーランドの声が聞きたい・・・そう思いながら。
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